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黒の商人と徒花の呪い

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黒の商人と徒花の呪い

リアクション

「ジェシカ、待っていてく……ってうわぁああっ!」

 シリアスな顔でぐ、と拳を握りしめ、意を決して木陰から顔を出したアルフレドの目の前に、巨大なパラミタイモムシがぬぅっと現れる。
 アルフレドは再び、今し方まで隠れていた木の陰に身を潜める。
 芋虫ははなからアルフレドの存在には気づいて居なかったらしい。ず、ず、と頭の向きを変えると、のそのそとした動きで谷の奥へと姿を消す。
 ふぅ、と細く長く息を吐き出して、アルフレドは再び木陰から飛び出す。
 しかしすぐに上空から、荒々しい鳥の鳴き声が響き渡り、すかさず崖の影に逃げ込んだ。
 剣術の成績は決して悪くなかった。けれど、実際に巨大な魔物の前に立つと足がすくみ、腰が引ける。
 自分が情けなかった。
 それでもアルフレドは立ち上がる。愛しいジェシカのために――


「……ってな事やってんだろうなぁ、きっと」
 小型飛空艇、オイレの操縦席から身を乗り出しながら、アルフ・シュライア(あるふ・しゅらいあ)が言う。
 その小芝居はまるでミンストレルの語るヒロイック・サーガのようで、一同は思わずクスクスと笑ってしまう。会ったことも無いアルフレドに失礼だという思いもあって、正面から同調する者は居なかったけれど。
 アルフレドが向かったという谷は、ヴァイシャリーから北へほどなく行ったところにあった。
 契約者達は陸と空に分かれてアルフレドを追跡している。空からは飛空艇があるし、陸から追跡して居るメンバーにしても、谷に着くまでは飛空艇であったりワイルドペガサスであったり、乗り物を活用して来た者が多い。あるいは、夜目が利くのを利用して夜を徹して進んでいる者も居る。
 情報によればアルフレドは徒歩で谷を目指したらしい。アルフレドが出発してから既に一日と少し経過しているが、こちらの進む速度と、あちらが何くれと足止めを食らっているだろうことを考えれば、そろそろ追いついても良い頃だ。
「しかし、視界が悪いね」
 アルフのパートナーであるエールヴァント・フォルケン(えーるう゛ぁんと・ふぉるけん)が、地上を見下ろしてやれやれとため息を吐く。
 エールヴァントはアルフから少し離れたところを、同型の飛空艇で飛んでいる。
「まあ、これだけ隠れるところが多ければ、うまいこと隠れてくれてるだろうけどねぇ」
 エールヴァントの隣を飛ぶ清泉 北都(いずみ・ほくと)は、超感覚で出現させた犬の耳をぴくぴくと動かしながら人の気配を探る。
 しかし、日当たりが悪い割には思いの外生い茂っている木であるとか、突き出した岩であるとかが邪魔をしてなかなか思うように捜索が進まない。
 これなら地上から探した方が早いかなぁ、とは思うのだが、いかんせん。
「う、うわぁあ……!」
 パラミタイモムシが這いずる音を聞いてしまって、北都は短い悲鳴を上げた。途端に集中が切れて犬耳が消える。
「大丈夫ですか、北都?」
「う、うん、大丈夫」
 飛空艇の後部座席に乗っているクナイ・アヤシ(くない・あやし)が、言うほど心配しては居ない様子で前の座席に座る北都を覗き込む。
 他の契約者達の手前、虫が嫌いなんて、ちょっと恥ずかしくて言えない。
 なんでもないよ、とちょっと強がって見せるけれど、理由が分かっているクナイにしてみればそんな様子がかわいらしい。
「……笑うなよっ」
 クナイにだけ聞こえるように、小さい声で釘を刺す。
「笑ってなんていませんよ、ただ、愛らしいなと」
「もう、ばかっ」
 ふん、と北都は勢いを付けて前を向く。
 じゃれ合っていても、アルフレドを探すことは怠らない。北都は再び聴覚に集中する。
 と。
「何か来ます!」
「! あっち!」
 クナイが張り巡らせていた禁猟区に、反応があった。
 同時に北都がその音を感じ取る。
 二人が上げた警告の声とほぼ同時、エールヴァントとアルフも素早く顔を上げる。
 四人の視線の先には、ひょうと翼で風を切ってこちらへ一直線に飛んでくる、大きな影。
「鷹……?」
 エールヴァントがすうと目を細める。
 シルエットから察するに猛禽類、しかし、まだかなり距離があるはずなのにその影はむやみに大きい。
「ちっ、お出ましか」
「アルフ」
「分かってる、俺だってむやみに傷つけるつもりはねーよ……うまく眠ってくれりゃ良いんだが」
「たぶん、縄張りに入り込んじゃったんだよ! 縄張りを離脱すれば攻撃してこないはずだ」
 自らの飛空艇を急旋回させながら、北都が叫ぶ。
 分かっている、と言う様にエールヴァント達も頷く。
 三機の飛空艇は慌ててその鼻先の方向を変え、離脱を計る。が、小型飛空艇の出力では大型のタカの翼は振り切れない。
 くわ、と嘴を開いた巨大な鷹は、翼をたたんで一直線に四人の真ん中へと降下してくる。
 風が唸り、四人の乗った飛空艇は大きくバランスを崩す。
「このっ!」
 いち早く体勢を立て直した北都が、手にした黄昏の星輝銃をたん、たん、と連射する。
 しかしあくまでも仕留めることが目的では無く、タカの進路を限定し、再び襲われない様にするための射撃だ。
 案の定、二発の銃弾を避けようとしたタカは、四人とは別の方角に向かって舞い上がることを余儀なくされる。
 再び襲いかかってこようとする影に向かい、すかさずエールヴァントが鋭い射撃で牽制を行う。
 そしてそこへ、アルフがヒプノシスを放った。
 巨体を一発で眠らせるところまでは出来なかったものの、目に見えてタカの動きが鈍る。
「今のうちに!」
 エールヴァントの合図で、飛空艇三機は一気に加速して、その空域から離脱した。

■■■

 一方こちらは地上組。
「アルフレドおにいちゃん、いないですねぇー」
 ヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)はフライングポニーの「フィニー」に跨がって、かっぽかっぽと進んでいた。
 上空からの探索は、小型飛空艇を持つ四人が担当してくれるということで、他の面々は地上を探索している。
 しかし、思っていた以上に視界が悪い。
「上空からの捜査は、あまり期待できませんね」
 ヴァーナーの後に従うセツカ・グラフトン(せつか・ぐらふとん)がぼんやりと空を見上げる。
 しかし、そこを飛んでいるのであろう三機の飛空艇は目視では確認出来ない。生い茂っている木々や、突き出している岩が邪魔をする。
「まったく……モンスターにやられたりしたら、ジェシカにどう顔向けするつもりなんだ」
 ぼやきながらもせっせと茂みをかき分け、岩陰を覗き込んでいるのは冴弥 永夜(さえわたり・とおや)だ。
「思ったより魔物の数も多いですぅ、早く見つけて上げないと……」
 ヴァーナーがむぅ、と難しい顔をした、その時。
 がさ、と茂みが動き、パラミタイモムシの巨体がぬうと現れた。
「またか……!」
 永夜が慌ててそちらを振り向く。アルフレドを探すことに集中していたあまり、周囲への警戒がおろそかになっていた。体勢が整わない。
「ここは俺に任せといて、アルフレド君を!」
 焦る永夜と芋虫の間に、サッと割り込んだのはアンヴェリュグ・ジオナイトロジェ(あんう゛ぇりゅぐ・じおないとろじぇ)。永夜のパートナーだ。
 わかった、と急ぎ探索に戻る永夜を庇うように、アンヴェリュグはわざと大きな動きで武器を構える。
 その気配を察してか、芋虫はその体の大きさに比例して巨大な瞳をぎょろり、とアンヴェリュグへと向けた。
 にょろりと上体をもたげると、もごもごと口を動かす。アンヴェリュグは油断無く、手にスプーンを構える――形は一見スプーンだが、その実、十分過ぎる殺傷能力を秘めている。
 次の瞬間、芋虫の口がくわ、と開いた。
 中から無数の、白い糸状の繊維が飛び出してアンヴェリュグに襲いかかる。
 スプーンが閃く。
 轟、と周囲の風を巻き上げるようになぎ払われたスプーンが、無数の糸を切り裂き、吹き払う。
 が、間髪入れずに、はらはらと風に舞う糸の残骸を散らすようにして芋虫の巨体がアンヴェリュグを襲う。
 再びスプーンブレードが閃くが、さすがにそのサイズでは巨大な芋虫をなぎ払うには至らない。
 腹部を切り裂かれ、痛みにのたうつ芋虫は、無差別に辺りの木々をなぎ倒す。
「げ……」
 アンヴェリュグの顔に焦りが浮かぶ。
 と、鋭い破裂音がして、芋虫の体躯が炎に包まれる。
 永夜の放った朱の飛沫だ。銃撃によってこときれたのだろう、芋虫はぐったりと動かなくなり、ぱちぱちと炎がはぜる音だけが響く。
「無駄な戦闘は避けたかったんだけどな……」
「すまない、永夜君」
 己のミスに渋い顔をしているアンヴェリュグと二人、既に炭化を始めている巨体に済まなそうな視線を向け、永夜はひととき、目を伏せた。

「あぶないですぅ!」

 そこへ、ヴァーナーの声が響く。
 それと同時に鋭い殺気を感じて永夜も目を開ける。空を振り仰ぐ。
 視線の先には、急降下してくる巨大な影。
「次から次へと……!」
 これ以上、不要な戦闘はしたくない。何とか傷つけずに無力化出来ないかと、永夜は懐から空捕えのツタを取り出し、中空に向かって放つ。するとツタは、自らの意思でもってにょろにょろとその触手を空へ向かって広げる。
 サッと舞い降りてきた巨大な鳥は、そのツタに絡め取られて身動きが取れなくなる。
 しかし、鳥のしなやかで巨大な翼が藻掻くたび、ぶち、と嫌な音がする。このままでは解き放たれるのは時間の問題だ。
 やはり倒すしか、と永夜は再び強化されたエルドリッジを構える。
「待って下さい」
 が、その前にヴァーナーがすっと立ちふさがった。
 そして、構えた眠りの竪琴をぽろぽろと奏で出す。
 爪弾かれる穏やかなメロディーが眠りを誘い、やがて巨大な鳥は藻掻くのをやめ、瞼を落とした。
「これで、大丈夫ですぅ」
「……よかった、傷つけずに済んで」
 永夜の言葉に、ヴァーナーもにっこりと笑う。
 と、再びガサ、と茂みが揺れた。
 またか、とセツカが素早くそちらへ視線を向ける。万が一眠りの竪琴が効かなければ、大切なパートナーを守る為、倒すことも辞さないつもりだ。
 しかし。

「あ、あの……ありがとうございます……」

 茂みの奥から現れたのは、一人の青年だった。