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リアクション
「すみません、失礼します」
コンコン、とドアがノックされた。
ジェシカの、母親の部屋だ。
どうぞ、と招く声に、ドアを開けたのは佐野 和輝(さの・かずき)だ。その後ろには、パートナーのアニス・パラス(あにす・ぱらす)と、リモン・ミュラー(りもん・みゅらー)、禁書 『ダンタリオンの書』(きしょ・だんたりおんのしょ)の姿もある。
「突然すみません。少々お話をよろしいでしょうか」
人当たりの良い笑顔で頭を下げると、母親は構わないわ、と笑った。しかしその表情には、長い看病からくる疲れがはっきり浮かんでいた。
「私のパートナーに医者がいます。呪いを解くことは出来ませんが、薬草が届くまでの時間稼ぎくらいは出来るでしょう。我々に、看病を任せては頂けないでしょうか」
和輝の言葉に、リモンが一歩前に出て軽く頭を下げる。
「まあ……でも……」
「契約者は、ふつうの人には使えない様々なスキルを持っています。私のパートナー以外にも、役に立つ力を持っている人も居るでしょう」
暗に、非契約者の医者よりは役に立つでしょう、と仄めかすように続けると、母親はうん、と少し考えてから、お願いします、と頷いた。
「お任せ下さい」
和輝はにっこりと笑って見せると、リモン達に軽く目配せする。
するとリモンとダンタリオンの書の二人はくるりと踵を返すと、ジェシカの部屋の方へと歩き去る。
残った和輝とアニスは、改めて母親に向き直った。
「それから、少しお話を聞かせて頂きたいのですが?」
あくまでも失礼の無いように、丁寧に。感情も、普段の口調も表には出さず、あくまでも人の良い契約者を装いながら、問いかける。
その人当たりの良さに、母親も心を許したのだろう。入って、と和輝とアニスを部屋に招き入れた。
設えられているテーブルセットにそれぞれ腰を落ち着けてから、和輝が口を開いた。
「呪術には一般的に、呪いを掛ける対象の持ち物が必要と言われています。……さらに言えば、体の一部、爪や髪なんかがあれば尚良いそうで」
だよな、アニス、と和輝は確認するようにアニスの方を見る。アニスは声は出さず、小さくこくりと頷いた。それきり、もじもじと俯いてしまう。
「……ジェシカさんの持ち物を、持ち出すことが出来る人間……お心当たりはありませんか」
それは暗に呪いを掛けるような人間に心当たりはないか、という質問なのだが、純粋なアニスにはそういう、人間のどろどろした部分は見せたくない。
しかし和輝の仲間のうちで呪術に関する知識を持っているのは、残念ながらアニスだけ。聞き込みに同行させないという訳にもいかず、結局和輝はこうして言葉の端々をぼかしてしまう。
「そうね……持ち物を持ち出す、ということなら、一番考えられるのはメイド達……かしら」
身内を疑うというのは気が重いのだろう、母親はため息混じりに小さな声で答える。
それから疲れた様な笑顔で、
「勿論、私たち家族や、アルフレドにも可能ね……私たちなら、その、髪の毛とか、爪のかけらなんかも、手に入れやすいわね」
と付け加える。
「……すみません。勿論、ご家族やアルフレドさんを疑うつもりはありません。こんなに一生懸命、ジェシカさんの為に力を尽くしているのだから」
「そう思ってもらえると、嬉しいわ。……心ないことを言う人も、いらっしゃるから」
そう言うと、彼女は目を伏せた。その顔には疲労の色が強い。
「お疲れの中、貴重なお話をありがとうございました。行こう、アニス」
これ以上問い詰めるのは酷と判断してか、和輝はアニスに声を掛けると立ち上がる。
お役に立てなくてごめんなさい、と言う母親にもう一度丁寧に礼をしてから部屋を辞した。
「和輝……」
やっと二人になれたことと、重苦しい空気から解放されたことにほっと安堵の表情を浮かべるアニスの頭を、和輝がぽふん、と撫でる。
「ありがとう、アニス」
何について、とは言わないけれど、それでもアニスは和輝の言葉にぱっと笑顔を浮かべる。
「メイド達、っていうのは盲点だったかもな。怪しいメイドが居ないかどうか、聞き込みだな」
早く犯人を見つけよう、と言う和輝に、アニスもこくりと頷いた。
ジェシカの部屋では、リモンとダンタリオンの書、それから魯粛 子敬(ろしゅく・しけい)、ハイラル・ヘイルらがジェシカの看病に当たっていた。
「ほう……以外と美人じゃないか。衰弱していなければ、色香で何人もの男を……おっと、失礼」
ベッドの横でジェシカの顔を覗き込んだリモンが、ニヤリと下心が垣間見える笑みを浮かべて、慌てて引っ込める。
それからは存外まじめな顔になって、過去にジェシカを診察した医者が残した診療記録を見ながら、脈の様子を見たり、触診を行っている。
さらにその横ではダンタリオンの書が、ぴょこんとベッドに乗っかって瞳孔の様子やらなにやら観察して居る。
何か調査のとっかかりを、と思っての事だが、様々な事に造詣の深いダンタリオンの書とはいえ、呪詛に関するエキスパートという訳でもない。
結局、リモンと二人で調べてみたものの、手がかりらしい手がかりは探ることが出来なかった。
「ふむぅ、あと私達に出来ることは護衛くらいのものか」
ダンタリオンの書が、ジェシカのベッドから飛び降りる。
その幼子のような外見は、襲撃者を油断させるにはもってこいだろう。
「そうだな……だが、脈がかなり弱い。護衛したところで、後どれほど保つか」
「我々もお手伝いしましょう。回復スキルは使えます。少しでも体力を維持するくらいの役には立ちましょう」
リモンの言葉に、子敬とハイラルも立ち上がった。
しかし、リモンはふるふると首を振る。
「ヒールを使うなら止してくれ、あれは対象に意識が無ければ効果が無い」
「そりゃそうか。だが、重傷者の看病なら得意なつもりだ。水変えてくるぜ」
ハイラルはそう言って、すっかり温んでいる水が入った洗面器片手に部屋を出て行く。
子敬もまたジェシカの横に座ると、その手を取ってそっと女神イナンナに祈りを捧げる。
「病は気から……とは、この場合行かないのでしょうが、呪いに対抗するための精神力のケアなら効果があるでしょう?」
「ああ、そうだな……続けてくれ」
リモンが看病の指揮を執る横で、ダンタリオンの書はぽちぽちと携帯電話を操作して、パートナーである和輝に現状を報告する。
屋敷の中では、和輝達と、それから子敬のパートナーのトマス・ファーニナル(とます・ふぁーになる)が、もう一人のパートナーであるテノーリオ・メイベア(てのーりお・めいべあ)を連れて聞き込みを行っていた。
携帯電話に入ってきた情報からは、今のところ怪しい人物は上がっていない。しかし、呪術的な観点から言えばメイドが怪しい……ということで、使用人達へ話を聞いて回っている。
「しかし、よく分からないな」
「何が?」
むう、と唸るテノーリオに、トマスが振り向いて問いかける。
「今回商人が接触したのは、アルフレドなんだよな。じゃあ、アルフレドが支払った代償は何だ?」
「うーん……ジェシカ……って訳じゃないか。そもそもジェシカの呪いを解くのが願いだったんだもんね」
「仮に、アルフレドが自分で薬を取りに行っちまったのが想定外で、誰かに取りに行かせるだろうと踏んで教えたんだとしたら――いや、しっくりこねえ」
ぽきん、と肩を鳴らしながら、テノーリオは首をかしげる。
「アルフレドの代償は自分の命だった……って事も考えられるが、それは黒の商人らしくない。取引相手に死を、ってよりは精神的な苦痛を与えるのが奴らの流儀だろ」
「確かに……ってことは?」
「取引相手は他に居る……ってことだな。仮に、その代償がアルフレドだったとしたら……?」
アルフレドに、自ら危険な谷に向かうよう仕向ける。契約者の助けが無ければ、アルフレドは間違いなく戻ってこなかっただろう。
「……取引相手の大切なものが、つまり、アルフレド……か」
トマスの脳裏に、先ほど子敬から言われた言葉がよぎる。
――簡単な事ですね、坊ちゃん? 三角形の二辺が取れれば……
「三角関係」
「やっぱそこだよなあ」
結論に達した二人は、一人のメイドを捕まえた。
「アマンダさんって、このお屋敷にはよく来るんですか?」
「アマンダ様ですか? ええ、よくいらっしゃいますよ。ジェシカ様と、お庭でティータイムを楽しまれる事が多いです」
「仲が良いんですね」
「ええ、お二人は幼なじみ、と言いましょうか、ご学友でいらっしゃいました。数年前に卒業されてからも、交流を持たれていらっしゃいます」
「ちなみに、アルフレドさんとアマンダさんは幼なじみだったという話ですが……」
「はい、そのようでいらっしゃいます。そもそもジェシカ様とアルフレド様がお知り合いになったのも、アマンダ様を介しての事でした」
メイドの言葉に、トマスとテノーリオは顔を見合わせた。
「それなのに、ジェシカさんとアルフレドさんが婚約してしまった?」
「……ええ。大きな声では言えませんが……」
と、そこでメイドは声を潜めた。今までの折り目正しい態度が一瞬なりを潜める。
「やっぱりほら、旦那様……あ、ジェシカ様のお父様ですけど、にしても、アルフレド様のご実家としても、繋がっておきたいじゃないですか、商家同士。ここだけの話、ご本人達の意向より親の力の方が大きいんじゃないかなぁ。それにアマンダ様のおうち、今ちょっと落ち目なんですよね。あ、私が言ったって事はくれぐれも秘密ですよ。コレですから」
言うだけ言うと、メイドの女性は右手を水平に自分の首へと当てた。クビ、という奴だ。
三角関係に政略結婚、そこに呪い。できすぎているほどできすぎている話だ。
「わかりました、秘密は守ります。貴重なお話をありがとうございました」
トマスはぺこりと一礼すると、テノーリオに目配せをしてその場を立ち去る。
いよいよこれは、アマンダに調査の手を伸ばす必要がありそうだ。
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