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リアクション
■イルミンスールの森
【左舷、灰撒き薄いよ! 何やってんの!】
イルミンスールの森。
この、神秘なる魔力の園で一体、何が起きていたか。
ザンスカールから程近い緑の大海原には、幾つかの村が点在している。
その村々から、ザンスカール近傍の官営病院に、多くのひとびとが急患として担ぎ込まれるという異常事態が発生していた。
運び込まれてくる患者はいずれも、肉体的な外傷はほとんど見受けられない。
その代わり、ほぼ全員の意識が混濁としており、中には現実逃避をするかのように、ひたすらぶつぶつと意味不明のことを呟いていたり、全身を丸めて両目をぎゅっと瞑ったまま声を発しないなど、かなりの精神的打撃を受けていることをうかがわせる患者の姿も目に付いた。
官営病院に勤務する魔導医師達は、これら精神的打撃を被って運び込まれてくる大勢の患者達に困惑する一方ではあったが、しかしただ手をこまぬいている訳にもいかず、総出で対処に当たっていた。
今や、この官営病院は蜂の巣をつついたかのような騒ぎに包まれている。
イルミンスールの森で、一体何が起きているというのか――。
魔導医師達の疑問を解消すべく、十数名のコントラクター達が事件(この際、事件といい切って良いだろう)へと急行していた。
勿論、彼らは事態の真相を知った上での行動であったが。
* * *
アゾート・ワルプルギス(あぞーと・わるぷるぎす)の呼びかけに応じてイルミンスールの森に馳せ参じていた綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)は、ぶっちゃけ、
「どうせ、アッシュでしょ?」
と内心では、かなり舐めてかかっていた。
いや、アッシュだからと舐めてかかるのは別段、問題ではない。どうせアッシュだ。所詮アッシュだ。
しかしながら今回はただのアッシュではなく、偽アッシュだ。
本物のアッシュなど全くどうでも良いが、『偽』という冠がついた瞬間、それはもうアッシュではなく、普通に手強い敵と化す。
繰り返すが、ノーマルアッシュならば『アッシュのくせに』のひと言で片が付くが、偽アッシュは決して舐めてかかってはならないのである。
「話に聞く限りでは……偽アッシュは相当な猛威を振るっている様子。さゆみ、所詮アッシュだからと、甘く見ない方が良いんじゃなくて?」
アデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)が、幾分たしなめるような調子で、さゆみに注意を促す。
しかし、さゆみはふふんと鼻を鳴らすばかりであった。
「気にする必要はないわ。どうせ、アッシュなんだから」
恐らく、アッシュ本人が聞いたら卒倒してしまいそうな程に侮蔑感たっぷりにいい放ったさゆみだが、しかし悲しいかな、万人が認めるように、ノーマルアッシュはその程度の男である。
さゆみが侮るのも、無理からぬ話であった。
むしろ、偽アッシュの猛威を素直に評価して警戒しているアデリーヌの方が、常人が見れば『あんた、頭大丈夫か?』と怪訝な視線を浴びるかも知れない。
つまりそれ程までに、アッシュとは所詮アッシュなのだ。
アッシュとは即ち、どうでも良いモブ、という公式が成り立っているといい切っても宜しい。
例えるなら、コーラを飲んだらゲップが出る、というぐらい確実に、アッシュは所詮アッシュなのだ。
おっと、アッシュさんの悪口はそこまでだ――とは誰も決して発言しない。
そんな訳で、さゆみは余裕たっぷりに偽アッシュの行方を捜している。
とはいえ、官営病院にあれだけの患者が運び込まれているという事実も無視は出来ず、一応は、偽アッシュの姿を直視しないよう、お目々パッチリな絵が描かれたアイマスクを着用しつつ、【殺気看破】をレーダー代わりに偽アッシュを捜索していた。
しかし――殺気看破は、全くといって良い程に、偽アッシュの姿を捉えない。
それもその筈で、偽アッシュは別段、殺気など放っていなかったのである。
感知出来る訳など、端から無かった。
一方、普通に己が視力で偽アッシュの姿を探しているアデリーヌは、ともすれば明後日の方向に行ってしまいがちなさゆみの進行方向を修正するのに、割りと本気で注意を払わねばならなかった。
「大体ね、アッシュのくせに生意気なのよね。偽だか何だか知らないけど、本体がしょーもない発想で変な契約結んだりするから、こんなややこしい話になるのよ。そんなんだから、総選挙で得票ゼロの男とかいわれるんだろうし、これが議会選挙なら、とっくにね、そんなけったいな行動で落選か、議会除名よっ」
さゆみの、半ば愚痴に近い口撃を、アデリーヌは呆れながら隣で聞いている。
しかし実際アッシュなんだから、この程度の口撃はむしろ正当評価といっても過言ではなかった。
「それにしても、あれだけ大勢の患者を出す程だから、もっと簡単に見つかっても良いような気もするのですけど……」
アデリーヌが率直な疑問で首を傾げ、左右から深い緑が迫る森の中の道をさゆみと共に進んでいると、不意に周囲の景色が、灰色の靄に覆われ始めた。
突然の展開にアデリーヌが戸惑っていると、さゆみも息苦しくなってきて、何が起きているのかと、思わずアイマスクを外して周囲の景色に視線を走らせた。
「ありゃ……これは一体、どういうこと?」
まさに、灰の霧、である。
何でこんなに灰色なのかと、ふたり揃って頭の中に?マークを幾つも浮かべた。
だがその時――不意に、奴は現れた。
「最高に灰ってやつだァァァッ!」
突然、恐ろしく灰テンション、ではなくてハイテンションな声が灰色の靄の中で鳴り響いた。
さゆみとアデリーヌも一応、アッシュの声は聞いて知っている。
今、無駄にテンションの高い状態で吼えまくっているあの声は、紛れもなく、アッシュのものであった。
但し、どうにも性格が本人とは異なるように思える。恐らくはあれが、偽アッシュなのだろう。
「こんなに霧が目一杯充満してるんだったら、アイマスクなんて意味無いか。気配を捉えて、ちゃっちゃと捕まえちゃおう」
さゆみが呑気にいい放つと、その直後、アデリーヌが短い悲鳴のような声を漏らした。
「え、何?」
アデリーヌが指差す、さゆみの背後。
何事かと小首を傾げながら、さゆみはほとんど無防備なまま、自身の背後に振り向いた。
そこに――奴が居た。
上半身はノースリーブのブラウスという、これだけでも結構おかしな服装であるのに、その下半身は苛烈を極めた。
ふたりの前に姿を現した偽アッシュは、その下半身は下着姿であった。
真っ黒なシルクのTバックに、網タイツ+ガーターベルトという、これが女性なら色気最上級ものなのであろうが、偽アッシュの場合、おぞましさ最上級である。
網タイツの隙間からはみ出るすね毛やら腿毛やらが、見ているだけで気持ち悪い。
更に加えて、この偽アッシュは尻から何かを噴射していた。それは――灰であった。
さゆみとアデリーヌは、すぐに理解した。
今、ふたりの周囲を覆い尽くしている霧状の灰は即ち、アッシュの尻から出たものである、と。
「うっ……ぐぇぇぇぇっ!」
自分達が、アッシュの尻から噴き出ている物の中に居る、というただその一事だけを持っても、気持ち悪さの余りに嘔吐してしまう程の破壊力があった。
勿論、灰は灰であり、排泄物ではない。
だがここでは、排泄物は灰泄物といい替えても良い。
そんな中に、ふたりは何も知らず、呑気に佇んでいたのである。この灰の正体を知った時の衝撃は、ディープインパクト級であった。
偽アッシュは、尚も尻から灰を撒き散らしている。
フィギュアスケーター並みの華麗な舞で、トリプルアクセルからイナバウアーへと繋ぐ。その間も、尻からの灰は容赦なく、さゆみとアデリーヌの周囲を覆い尽くし続けていた。
「お、お願い! もうやめて! さゆみの精神力は、これ以上の攻撃には耐えられない……!」
懇願するアデリーヌ自身も既に、その精神耐久力が尽きようとしている。
だが、偽アッシュは非情だった。
「ぬうぅっ! アゾート! 貴様! 見ているな!」
突然明後日の方向に顔を向けて吼えたかと思うと、さゆみとアデリーヌが昏倒しつつある光景などまるで眼中に無いが如く、全く知らんぷりして、尻から灰を撒き散らしながら走り去ってしまった。
後に残されたのは――灰泄物に覆い尽くされ、折り重なるように倒れているさゆみとアデリーヌの、哀れな姿であった。
いや、一応生きてはいるけどね。
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