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●開幕

 会合の会場。
 席はかなり埋まりつつある。満員になるのも時間の問題だ。事前申し込み制なのでさしたる混乱はないが、人いきれで少々むっとするのも事実。
 それだけこの件についての世間一般の関心が高いと言うことだろう。
 榊 朝斗(さかき・あさと)も、パートナーたちとならんで着席した。
 あまり興味はないんだけど――というのが彼の正直な気持ちだ。出席はしているが。
 もちろん、朝斗とて自分には無関係と思っているわけではない。
「男性契約者による複数女性パートナーへの支配である」
 というソノダの発言については――僕の場合それに該当になるのかなぁ――とぼんやりと考えたりもする。
 けれど実情はまるで違うではないか。ソノダという人の完全な誤解だろう。実情さえきちんと提示できれば、あっさりと理解を得られるものだと思う。
 他人任せでいいという意味ではないが、しかるべき人間が会合でちゃんと発言すれば、それで解決するものだと朝斗は見ていた。
 だって、そうじゃないか。
 朝斗のパートナールシェン・グライシス(るしぇん・ぐらいしす)について考えてみても……。
「なに? なにかついてる?」
 ぼんやり視線を投げかけていたのがばれたか、これをとらえてルシェンは怪訝な顔をした。
「あ、いや、そんなわけじゃ……」
「だったらしゃきっとしなさいよ。会合が失敗したら、地球の世論がどう変化するかわからないんでしょう?」
 両方の腰に手を当てルシェンは言う。
「まったく、こんなことなら本来の格好で警備させるんじゃなくて『あさにゃん』に女装させるんだった……それで会合に出て『私たち仲良し姉妹でーす♪ 契約者とパートナーの差なんかありませーん☆』とか発言したりして」
 言いながら楽しくなってきたらしい、むふふ、と浮かれたような表情になるルシェンなのである。
「あの……僕の選択権は……?」
「ないわよ」
 ぱしっ、と割り箸を割ったように断言するあたりが清々しい。
 これを見てそれでも、『男性契約者による複数女性パートナーへの支配』なんて言えたものやら。
 同じことはアイビス・エメラルド(あいびす・えめらるど)にも該当するはずだ。
「ほら、ぼーっとしている場合じゃないわ。しゃっきりしなさい、しゃっきりと!」
 朝斗がぼんやりと見ているのに気づいたのだろう。アイビスは発破をかけるように言うのだった。
「ぼーっとしているわけじゃないよ」
 朝斗は弱々しく反論した。半分、事実ではあるけれど。
 新しいアイビス、という表現もそろそろ違和感が出てきた。アイビスの性格に変化が生じてから、もうそれほどの時間が経過している。
 今のアイビスは以前とはまるで違う。
 とくに最近は……なんというか、
 ――お母さんのようなそんな立場なんだよね、ちょっと。
 朝斗は心の中で溜息した。
 なにせ先日アイビスは、朝斗の下着をディスカウントで買い込んできたのだ。「古いのは捨てなさい。ほら、よこして!」なんてことまで言われた。
 正直、恥ずかしかった。前のアイビスだったらこんなことは絶対にしなかっただろう。ルシェンもさすがに朝斗の下着には手を出さないので、恐るべき話といっていい。このままではいつか、ベッドの下に隠した本が見つかって……待て待てそんな本はない(はずだ)。
 騒がしかった会場だが、突然、司会者の一声が入って静まり返った。
 エアコンの音だけが、潮騒のように流れている。
「来たわね」
 ルシェンは前方を指した。
 ソノダ女史が、入場したのだ。

 ソノダが壇上に立つと、会場が燦然と輝いたように思われた。
「ジャネット・ソノダと申します。本日はお招きいただき光栄です。皆様のお話を聞きに地球から参りました」
 ふうん、彼女が……とシャウラ・エピゼシー(しゃうら・えぴぜしー)は呟いた。トンデモなオバサンでもくるかと思いきや、知性的で上品だ。人気が出るのも当然かという気がした。
 彼が座る席は金鋭峰のそば、正確には、彼を守るルカルカ・ルーの隣である。
 シャウラは横目でルカルカを見た。少佐任官おめでとう、とは先に言ってある。なんとなくだが、ルカには威厳が備わってきたような気がする。昇進の証拠は階級章だけではないのだろう。
「それではまず、シャンバラ教導団を代表して、団長の金鋭峰氏にご挨拶願いたいと思います」
 ソノダと同じ女性団体の者なのだろう。地味な顔をした女性司会者がマイクを取った。
 このとき、鋭峰はあきらかに「えっ!?」という顔をした。
 シャンバラ側、しかも男性の著名人という意味合いからすればおかしくない指名だったが、本人は予期していなかったに違いない。請われて壇上に連れて行かれ当惑げな眼をしている。
「団長、苦手なことなんかないって顔してたほうがらしいですよ」
 ルカも同時に立って、彼にだけ聞こえるように囁いた。
 それができたら苦労はしない、とでも言いたげだったがそれは口にせず、鋭峰はマイクを取った。
「ソノダ氏には、遠路はるばるの来訪を心から感佩を。この場を設定してくれたヴァイシャリー氏にも深謝する。それで……ああ、私としては……こうして先陣もとい口火を切……ええと、冒頭の挨拶を任されたことを光栄に思い……思っている。そもそもパラミタ大陸というのは…………」
 常に堂々としている鋭峰にしては、かなり苦しい出だしとなった。
 もとより鋭峰は、この程度のスピーチで緊張するような男ではない。だが、これまでごく当然としてきた『契約者―パートナー』という関係について改めて問い直されたこと、しかも女性差別ではないのかという疑いまで投げかけられていることについては、どうしても自身の見解が整理できていないのだ。
 簡単にパラミタ史、シャンバラ史を語ったところで、ままよ、と思ったか鋭峰は自分のこの状況を認めた。
「正直、今回のことが私自身、所与のものとして疑うことすらなかったこれまでの状況を考え直すきっかけになったのは事実だ。私は現状肯定の考えだが、けっしてこれに拘泥するつもりはない。これから語る諸君の言葉、それに対するソノダ氏の反応を見て思想的根拠を構築したいと思っている」
 後半は整然とまとまったと言えよう。拍手を受け悠然と鋭峰は着席した。さすがに王者の風、戻ったときにはすっきりとした顔をしている。
「最初の論者は新風 燕馬(にいかぜ・えんま)氏です」
 かわりに燕馬が壇上に向かった。一礼して、
「蒼空学園所属、新風燕馬と申します。若輩者ではございますが、少しの間、お時間を取らせていただきます事をお許し願います」
 語りたいことは無数にあった。しかし、燕馬は感情的になるよりも、順序立てての主張を望んだ。
「この世界における『契約』制度は相互に対等でなければ成立しない、そのことをまずお知りいただきたく思います。つまり、契約者側からの一方的な契約締結は原則存在しないのです。逆もまた同様ですが」
 一方的な奴隷制ではない、そのことは強調した。
「『契約』の経緯は人それぞれですが、私の場合は彼女たちの方から申し出がありまして。自分でいいのかと問えば『貴方しかいない』と返されましてね……はは、少々嘘っぽいでしょうか」
 この言葉には異論がないらしい。燕馬が連れる二人のパートナー、サツキ・シャルフリヒター(さつき・しゃるふりひたー)ローザ・シェーントイフェル(ろーざ・しぇーんといふぇる)もうなずいている。
「彼女たちは日々を自由に過ごしています。私はただ、彼女たちの気が向いたときに、ほんの少し力を貸してもらっているだけなのです」
「ちょっと待って! ちょっと!」
 反論が入った。これが意外にも、ソノダではなくサツキからだった。彼女はマイクの前に割り込むと、
「自由に、という表現に異議ありです。聞いて下さい。私、『外出の際はなるべく複数人で、単独の場合は必ず三十分ごとに連絡』って言われてるんです……このような行動監視は精神的虐待だと思うのですが」
 燕馬は驚いてマイクを取った。
「虐待じゃない。『こっちが近道だから』って警察の規制線を突破したり、よそ様の私有地に迷い込んでは防犯システムを破壊して横切っていく人が何言ってるんだ。しかも結局毎回道を間違えてて目的地にたどり着けずに泣きついてくるだろうに……!」
 これはむしろ保護者としての指導だというわけだ。しかしサツキは頬を膨らます。
「私の進む道の先に目的地がないのが悪いんですよ。そう――間違ってるのは世界のほうです」
「いや、間違ってるのはお前の方向感覚だから」
 二人ともギャグのつもりではなかったのだが、これが意外にも、どっと会場を沸かせた。
「だったらお姉さんも言わせてもらおうかなー」
 いつの間にかマイクはローザの手にあった。
「でも、人の食生活に口を挟むのはどうかと思うなー。ステーキ食べたいって言ったのに野菜炒めだったり、カップケーキつまみ食いしてたら『口寂しいならこれでも食ってろ』とか言って野菜スティック出したり……大人の女性を何だと思ってるの!」
 これについても大いに言いたいことがあるらしく、燕馬の口調はすっかり乱暴なものに戻っていた。
「放っておいたら日がな一日ゴロゴロしながらお菓子食べてるような、お肉大好き野菜嫌い女の言えた台詞かよ。大体柔らかい物ばかりでよく噛む事をしてこなかったから、そうして見事に八重歯になってるんじゃないのか」
 容姿のことを口に出すのはマイナスか……と微妙な空気が流れはじめたが、
「……テヘペロ♪」
「誤魔化せてないぞ」
 と間髪入れず二人のやりとりが続いたので、これも笑いに昇華した。
 ここで、はっと我に返ったように燕馬は言った。
「ええと、お耳汚し失礼しました。いわゆる抑圧的な関係というものではない、それがわかってもらえたら嬉しいです。そ、それでは」
 硬くなりがちな空気をほぐすという意味では成功だっただろう。
 主張もある程度は伝わったものと燕馬は信じている。
 実はこのやりとり、突発的なものではなく、燕馬が二人と打ち合わせておいた内容ほぼそのままでやっている疑似アクシデントだった。
 ときとして、道化を演じることも必要だ。
 眉間にしわをよせて真剣に、やりとりするばかりが会合ではないのだから。

 次に壇上にあがったのは樹月 刀真(きづき・とうま)である。
 明鏡止水、デリケートな話であるからこそ、心は静かに、感情の波を立てないようにしたいと思う。
 軽く息を吸って、彼は名乗り、発言した。
「俺は複数のパートナーと契約してます。この大陸にはこの漆髪 月夜(うるしがみ・つくよ)と共に来ました。そして、この大陸で二人女性のパートナーと契約をしています」
 はっきりと、言った。
 もちろん燕馬も二人の女性と契約していることを隠さなかったが、きっぱりと断言はしていなかった。単なる女きょうだいだと言い張れば受け入れられそうな雰囲気があった。
 だが刀真は、あえて問題の核心に踏み込んだのだ。自分は三人の女性をパートナーにしていると断言することで。
 棘のある視線が突き刺さった。ソノダの背後にいる女性団体の人々だ。
 逆に、ソノダ自身は冷静に、むしろ微笑すら唇にたたえて聞いていた。大将は少々のことでは動じない、ということなのか。それとも心中では爪を研いでいるのか。
「この契約はお互い納得をした上でのものです……そもそも互いの合意なくしてパートナー契約は成り立ちませんから。
 そして、この契約には月夜も納得をしています……契約したパートナーが死亡した場合、パートナーロストと呼ばれる現象により契約者は重度の障害を受け……最悪死に至ります。そうです。俺がパートナーロストの影響を受ければ、その影響を月夜も受けるのです」
「運命共同体ということですか?」
 柳の枝のように柔らかで、しかし、柳同様に折れぬ強靱さを感じさせるソノダの言葉だった。
 逃げない――そう刀真は決めてきた。
「そうお考えいただいて構いません」
 会場の一部がどよめいた。パートナーロストのことまでは知らなかったものと見える。
「戦場に立つ俺がパートナーを増やすということは、それぞれのパートナー達のパートナーロストの可能性を増やすことになります。そして、一度交わした契約は通常の手段で解除することはできません……ほぼ不可能と言っていいでしょう。
 それを踏まえた上で、俺たちはパートナーとしてお互いがあります、だから人権を不当に貶めている、と貴方たちの価値観だけで早急に判断をしてほしくはありません」
 刀真は、剣を抜いていた。
 物理的に抜刀したのではない。言葉の剣だ。
 斬りつけたのである。彼女たちの考えに。自分たちの言葉の剣で。
 がたっ、と一人の女性が立ち上がった。ソノダの真後ろに陣取っていた中年の婦人だ。
「この世界の契約関係においては、まだ幼く、判断力のないパートナーもいると聞きます。判断力が育っていない子どもにそのような重い十字架を背負わせて、大人として恥ずかしいと思わないの!?」
「違います。そのような騙す契約関係は成立しない」
「どんな証拠があって……!」
 中年婦人の前に、白い手が広げられた。
 立ち上がったソノダが、手で制したのだ。
「失礼しました。樹月さん。私たちの者が激昂して乱暴な言葉を投げてしまって」
 しかし、と言わんばかりの婦人であったが、ソノダは恫喝や詭弁を使って黙らせようとはしなかった。ただ、静かに言った。
「いまの主張は樹月さんの論旨から外れませんか?」
 静かだが、よく通る声だった。マイクを通さずとも会場全体に聞こえたのではないか。
「まず、樹月さんは是非を問うているのではありません。現状を説明しただけです。それに、年端のいかない子どもを騙している契約者がいるとして……いえ、いるいないの話ではありません。仮に『いる』と仮定しても、樹月さんの言葉を遮る理由にはならないのではありませんか」
 婦人はだまった。そして椅子に腰掛け直したのである。
「まったく、刀真も刀真よ」
 と、月夜は彼の耳を引っ張った。
「静かな口調であろうと、ケンカを売る内容だったらダメ! ああいう感情的な反論を引き起こすだけでしょ!」
「けど、月夜……」
「いいから聞きなさい」
 剣のような刀真とて、ぴしゃっと黙らせる勢いが月夜にはあった。
「刀真わかってる? さっきの挑発的な発言は言い過ぎ。ソノダ女史はこっちへくるの初めてなんだから……これから色々とお互い理解を深めていけばいいだけだでしょ」
 ソノダの冷静な対応を目の当たりにした刀真である。わかった、と首肯した。
「私はこの大陸にくる前からあなたと契約をしているから……言わせてもらうね。
 刀真は最初に私の意思を確認してくれた、私はそれに答えた。ちゃんと自分で判断して選んだ結果よ。それは、家にいる二人のパートナーだって同じだという自信もある。
 今まで不満を抱くこともあったし喧嘩もしたけれど、私はあのときの答えに後悔したことはないよ」
「そうか……ところで、マイク……」
「マイク?」
「拾われてる。その発言、全部」
「え……ええー!」
 月夜は仰天した。
 刀真にだけ言ったつもりだったのだ。それが、全部集音されていたわけだ。
 とたんに拍手が鳴り響いた。
 月夜は顔を真っ赤にし、冬馬を追い立てるようにして壇上から降りたのである。

「お集まりの皆様、よろしくお願いします」
 次に発言の機会を得たのは騎沙良 詩穂(きさら・しほ)だった。
 これまでの流れで、ソノダがあまり過激な性質ではなく、どちらかといえば穏健なタイプであるとは詩穂も見ている。
 しかし、あえて詩穂は反駁を取るかたちで言葉を述べた。
 つまり、ソノダが『パラミタが女性に対して抑圧的である』と強固に信じているとと想定した上での発言である。
 女性としての自分であれば、これまでの二人とは一風変わった主張ができるのではないだろうか。
「パラミタは決して女性に対して抑圧的なところではありません。これは何度も繰り返されている主張ですが、強調したいと思います」
 詩穂はひとつ、深呼吸した。
 これから口にすることは紛れもない事実……それだけに、勇気が必要だった。
 なにをためらうことがあろう。
 みずからの心を、明かすのに。
 息を吐き出すとともに、心は定まった。
「今、初めて公の場で明かします。
 私は女の子に恋をしています、シャンバラの豊穣の象徴たる国家神アイシャ・シュヴァーラ様その人です。
 ざわめきが聞こえた。
 だが構うものか。膝の震えを隠して続けた。
「アイシャ様を国家神としてではなく一人の女の子として見ています」
 言ってしまうと、胸のつかえが下りた気がした。
 楽になった。
 ――よし、もうなにも怖くない。
「それは……」
 とソノダが問いかけるのを受けて返答した。
「ええ、パラミタでは、女性の恋愛の形も自由に与えられています。
 私個人の話で恐縮ですが、私はこれまで幾度となくアイシャ様と関わってきました。アイシャ様の命を幾度と救う度に、自然とそばにあって当然な想いが募るばかりでした」
 いくらか冗談めかして付け加えた。
「おかしなこととは思いません。だって『好き』という字は『女の子』と書くぐらいですから」
 軽く笑いを取って、あらためて真面目に主張した。
「私は問いたいと思います。女性に抑圧的な世界というのは、女性の自由を認めない世界のことなのではありませんか?
 自由恋愛、それも、同性に対する自由恋愛が文化として認められているパラミタが、どうして『抑圧的』といえましょう?」
 詩穂は夢想する。
 自分とアイシャの関係が公に認められる日を。
 それが、パラミタ内外を含めた後世の思想、とりわけ女性の人権に影響を与えることを。
 アイシャがシャンバラ宮殿の祈りの間から出てきたときに、肩を並べ一緒に歩くのにふさわしい自分になりたい――詩穂は強く願い、そのための努力ならば惜しむまいと誓うのだった。
「どうかお願いです。男女である前に、一人の人間として私たちを見てください」
 深々と一礼した。
 最初に大きな拍手をしたのはソノダだった。
 しばらくは戸惑うごとく断続的に、けれどすぐに雪崩のように、喝采は続いた。