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Moving Target

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●語る言葉は……

 千返 ナオ(ちがえ・なお)はルイたちの背を見送りながら、深く息を吐き出した。
「どうした? 不安か?」
 ノーン・ノート(のーん・のーと)が問いかける。
 少し、とナオは頷いて、鳶色の目を曇らせたのである。
「……あんなに上手く話せるでしょうか」
「大丈夫だ。エドゥもフォローしてくれるし、私もついている」
 それに――と、これは口に出さぬままノーンは思う――かつみもなんだかんだと励まそうとしているのが伝わっているのでな。
 そのかつみだが――。
 トコトコと小さな足で、ノーンは千返 かつみ(ちがえ・かつみ)の席まで歩んだ。
「かつみ、そろそろ我々が呼ばれるようだな」
「スピーチするのは主にナオだ」
 ぶっきらぼうなかつみの回答である。そもそも、なんでこの場所に自分がいるのかわからない、とでも言いたげだ。
「自分は関係ないとでも言うのか?」
「関係ねぇなんて言ってねーだろ。ただな、こういうのは気にくわない。ソノダってのを旗印にしたあの小うるさい団体に、ナオが審査されるみたいで……就職の面接かよ、ったく」
「ほほう、かつみにしては面白い比喩をしたものだな」
「『しては』ってのはどういう意味だ」
 ノーンはハードカバーのノートに、ちょこっと手足がついた姿である(省エネモードなのだそうだ)。その硬い表紙に、かつみは握りこぶしを押し当てていた。
「いたた、この味のある表紙をぐりぐりするな」
「なんの味だ。なんの」
「……文明開化の味……って、あいたた!」
 本音を言うならかつみには、この会合に出るつもりは毛頭なかった。それが、ナオが熱心に出たがり、しかもスピーチをしたいと言い出したものだから、仕方なく参加しているのだった。
 ――ナオ、大丈夫かよ。
 ナオの受けてきた理不尽を思うと、いつだって胸が痛む。
 強化人間として悲惨な境遇におかれていたナオが、かつみに救出されてからまだ半年も経っていない。それに加え、まだ自分たち以外の人の交流が少ない状態で、彼がちゃんと話せるかが心配だった。
 ――だけど、やりたいっていうなら成功させてやりたい。
 そんな気持ちもある。大量の薬品を投与され、実験動物さながらの非人間的な日々をすごしていたナオが、こうして前向きになっているのだから、支援したいとかつみは思うのだ。そうして、自信をつけさせてやりたい。
「さて、私たちの番だね。行こうか?」
 エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)が促して、ナオを先頭に四人は前に出た。
「……そ、それでは、話します」
 ナオはマイクを手に取った。
 ポケットをさぐる。そこにはナオが、ノーンに指導されて書いた原稿が入っているのだ。
「え、ええと……」
 パタパタと開こうとしたが、あまりの緊張に手は震え、彼はその紙を落としてしまった。
 ――どうしよう!?
 頭はまっ白だ。
 思考停止する。
 拾う、という行動すら思いつかないほどに。
 無限の目に監視されているようにナオは感じていた。嘲笑しようと待ち構えている悪意のある目に。
 どうしよう!?
 どうしよう!? どうしよう!? どうしよう!? どうしよう!? どうしよう!? どうしよう!? どうしよう!? どうしよう!? どうしよう!? どうしよう!? どうしよう!? どうしよう!? どうしよう!? どう――。
「失礼、順序が入れ替わるけど、私から話させてもらっていいかな?」
 しかしナオは、ここではっと顔を上げた。
 エドゥアルトがマイクを手にしていた。彼はたしかに『順序』と言ったが、実際はナオ一人がスピーチする予定だったのだ。つまり、アドリブだ。
 おちついてから話していいからね、とでも言うようにナオにウインクすると、エドゥアルトは語り始めた。
「呪わしい生まれ、とは言いたくないけれど、私は事情があって一族から迫害され、ずっと独りで生きることを強いられていたんだ。かつみに出逢うまでの人生は、『孤独』と一言で足るような日々だったね」
 なんでもないことのようにエドゥアルトは言うが、それはとても重苦しい時間だったことは容易に想像が付くだろう。
「強引な形で契約しようとしたのは私のほうだった。……もっとはっきりと言うと、かつみを眷属にしようとしたんだ、私はね。ところが彼はそれを拒否した。『支配はされない』とはっきりいわれたよ。おまけに噛み付かれた。吸血鬼はこっちだってのにね。あべこべだよ」
 と笑いを取った上でエドゥアルトはゆっくりと言ったのである。
「でもそれが良かった。やがて彼の力になりたいと私は願い、彼もそれを受け入れて契約が成立したんだから。孤独だった自分にとって、今の居場所がどれほど大切か……言葉では言い表せないほどなんだ」
 エドゥアルトの顔には笑みがあった。しかしその口調に、軽薄なものは一切なかった。
「集まった皆さん、聞いて下さい。私は縛るためにかつみと契約したんじゃない。恋愛感情ではないけれど、一緒に生きていきたいと思ったから契約したんです」
 拍手が鳴った。
「……なんかプロポーズみたいだな」
 ぽそっとかつみが言った。多少、あきれ顔である。照れ隠しの表情なのかもしれないけれど。
「自分にとっては、そのぐらい重要な意味なんだけどね」
「あの……行けそうです」
 エドゥアルトの活躍で緊張がほぐれたか、ナオはマイクに手を伸ばしていた。
「うん」エドゥはマイクを手渡す。
 かつみは、ナオの背をぽんぽんと叩いて耳打ちした。
「憶えてるか、話の順番? まずは生い立ち、それから俺たちとの出会いの話で……」
 スピーチの練習にずっとつきあったおかげで、かつみはもう、ナオの話す予定の内容をすべて記憶してしまっている。流れだけではなく、一字一句正確に復唱できるくらいだ。
「はい、大丈夫です」
 ナオは紙を拾わなかった。なしでも話せる自信ができていた。
「俺は、強化人間です。特殊な実験室で育てられ……」
 すらすらとはいかない、つっかえつっかえだったとはいえ、ナオは自分の生い立ちを語った。それから、『強化人間救出作戦』の一件でかつみたちに救われ、契約を結んだこと、かつみ、エドゥ、先生(ことノーン)たちとのかかわり……ときに言い間違え、ときに言葉が裏返ったとはいえ、順に話していった。
 やがて、ナオは予定していた内容のすべてを語り終えた。
 兄のような、父親のような気分とでもいうのだろうか。危ういながら手に汗を握って、ナオのスピーチを見守っている自分にかつみは気がついた。
 ――はっきりいって、出席者はちゃんと話しきれるかを心配して内容については記憶に残ってなさそうな気がするけど……。
 それでもいいかという気がする。
 やりとげた感のナオの顔を見ることができたから。それで十分じゃないか。
 ところが、
「うむ?」
 ノーンはおや、という顔をする。かつみも驚いた。
 ナオが、予定していなかった言葉を言い加えたからである。
「俺、こんなに大勢の前で話すの初めてで……聞き苦しかったと思います。ごめんなさい。あと、最後に、言わせて下さい。
 なんか契約者の人たちが、悪いみたいに言われるのは嫌です。少なくともかつみさんは俺がしたいことダメって言ったこともないし。なにより俺を命がけで助けてくれた人だし……。
 ……本当はものすごく不安だったんです。もし契約者の人が悪いって言われたらパートナーと離されたりするんじゃないかって。
 俺みんなと一緒にいたいんです。
 だから今回参加したいって言ったんです」
 ご静聴、ありがとうございました……と頬を紅くしながら言って、ナオは深々と頭を下げたのだった。
 意外にも――。
「いいお話でした。心に届くスピーチだったと思います、本当に」
 立ち上がり、そう言って手を叩いたのはソノダ女史だった。
 彼女を追いかけるように、満場の喝采が空間を満たした。
「かつみさん、俺……!」
 驚きと喜びと、自分でもよくわからない感情の高ぶりで、目を潤ませてナオはかつみを見た。
「面目躍如だな、『破壊的癒し系』の」
 かつみは、笑った。

 エオリア・リュケイオン(えおりあ・りゅけいおん)が集めた資料には、ジャネット・ソノダの経歴が詳しく記されていた。
 先に本文で語った来歴はもちろん、離婚後の主立った論文や著作などもエオリアは豊富に揃えている。
「僕の分析ですが……前夫の派手な女性関係、家庭内暴力、そういったもので彼女は心身ともにボロボロになっていたものと思われます。そのためおそらくは男性不信かと思われます。
 けれど前夫に憎悪を覚えるわけでもないようです。相手は大物政治家、暴露本のひとつでも書けばヒットするでしょうにそういったものには手を出さないし、インタビュー等でも彼への悪口は見られない……」
 エオリアはすらすらと語って、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)に問いかけたのである。
「そのすっきりしない心中のモヤモヤが、パラミタ全体の特異性への無理解、『女性蔑視である』との偏ったとらえかたに現れている……と見るのはうがち過ぎでしょうか?」
「人に歴史あり、他にも事情があるのかもしれないよ。表に見えているものだけで判断するのは難しいだろうね」
 エースは片手に薔薇の切り花を持ち、これをくるくると回しながら呟いた。
「ただ、これまでのやりとりを見るに、女史は比較的穏健派だと思うんだ。これは俺の願望込みかもしれないけどね」
「もうひとつ、考えたいことがあります」
「わかるよ。彼女が命を狙われる理由、だよね」
「ええ。政治的要職についているからとも考えましたが、出馬の噂はつねにあるものの、女史は実際に議席を有しているわけでもないし……。まあ、元夫には煙たがられているでしょうけどね。『ソノダ』姓を名乗ったままリベラル的発言をしているのですから」
「元夫が暗殺者を雇ったのかな?」
「エース、その可能性はあまり考えていないでしょう?」
「ああ。エオリアが揃えてくれた資料には、元夫……つまりソノダ上院議員の記事や発言もたくさんあったからね。彼は失言や愚かな行動こそ多いけれどしょせんは親の地位を引き継いだだけの小物だよ。暗殺なんて大胆な手段をとれるタイプじゃない」
「では、ソノダ女史の暗殺を目論むのは……?」
「さあ、まだわからないな。候補はあるけど……ま、女史と話して探ってみるさ」
 エースは壇上に立つのではなく、ソノダとの公開対談を望んだ。
 それは、認められた。
 以下は、そこから行われたエースとソノダの対話の抜粋である。
「ソノダさん、離婚しても前夫の姓をつかいつづける理由を教えて下さい」
「身も蓋もない言い方かもしれませんが、遅咲きの言論界デビューを目指すには『ソノダ』の姓のほうが有利という戦略的アドバイスを受けたというのもあります。
 ですが私は日本が好きで、この『ソノダ(曽野田)』という苗字が気に入っているというのも大きいのです。自分としては、こちらの理由のほうが大きいつもりです。旧姓『オドネル』も、ミドルネームとして残していますし」
「複数の契約者を持つことも女性のみが複数ということでもないし、重婚容認も一夫多妻の場合のみ、ではありません。それは本日、多くの契約者が繰り返したことですし、ソノダさんであれば知っていたのではないですか? でもパラミタのそういう部分を女性のみが対象で、女性が支配され虐げられているとなぜ感じてしまうのでしょう?」
「私たちは(※ここで彼女ははじめて、『私たち』と言った)、物事を悲観的に、悪いほうへと考えてしまう傾向があるようです。けれどパラミタ……いいえ、シャンバラに限っても、はっきりした統計的データがないことも事実だということはご理解下さい。外部にいて、どうして理解できましょう」
「なるほど、あなたの考えもわかります」
「ですが、今日、さざままな事例をご紹介いただき、それが誤解であると学びました。少なくとも私は、誤解であると確信しています」
「ありがとうございます。あなたが気付きそびれたパラミタの姿をこの会合で深く知っていただけたかと思い光栄です。よければこの地にもう少しとどまり、よくご覧になっていただきたいものです」
「健闘しています」
 エースとソノダの対談は穏やかに終了した。

 この日、最後に壇上に上がったのはアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)一行だった。
 彼を中心に、ルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)が左右……だがこの三人だけではない。このとき、
「ぬ〜り〜か〜べ〜」
 会場後方のドアが左右に開け放たれた。
 警護の教導団員たちの表情が一瞬にして険しいものに変わる。警戒しなければならない。暴漢が突入するとすればこのタイミングは最適だ。
 だが、暴漢が来たとしても突入はできないかもしれない。
 なぜならドアにつっかえるようにして、ドアのスペースを一杯に使ってぬりかべ お父さん(ぬりかべ・おとうさん)がのそのそと入ってきたからだ。会場にずっといれば他の人の邪魔になる――そう配慮して外で待機していたお父さんなのである。
 ――政治とかそういうの、俺にゃ別に興味なかったんだけどなあ。
 後頭部をぽりぽりとかきつつアキラは思った。
 けれどこの会合、熱心に出たがったのは誰あろう、ぬりかべお父さんだったのである。あまりのことにアキラは、「え、なに? お父さん出るの? 出たいの? ウッソン」と確認し直したくらいだ。
 どうしてそんなに彼が出たがったのかはアキラにはわからない。
 しかも巨体のお父さんである。入口の扉には苦労し、エレベーターにはつかえ、こうしてまた、会場の扉で四苦八苦している。それほどまでに彼に、参加を熱望させたのはなんなのか。
「紹介します。スピーチを担当するのは俺じゃなくて、ぬりかべお父さんです。どうか拍手でお迎え下さい。わーぱちぱちぱち」
 マイクをとってそれだけ言うと、アキラは脇に座ってぬりかべを迎えた。
「お父さん頑張れ!」
 小声で呼びかけると、お父さんは小さく頷いた。
「けれどお父さんッテ、話せるノカ?」
 それを言っちゃおしまいかもしれないが、アリスは危惧を口にした。
「まさか全編、『ぬ〜り〜か〜べ〜』ではすまんじゃろう?」
 ルシェイメアの疑いも至極もっともだ。そう、お父さんはいつもその台詞しか発しないのである。長短や強弱はあるしそれで感情を表現することはできるが、基本的には一択だ。
「意思も考えもちゃんとあるし、身振り手振りのコミュニケーションはむしろ雄弁なくらいだから……なんとかならないかと」
「なんじゃアキラよ、どうするつもりか聞かずにここまで連れてきたのか?」
「だってしょうがないだろ、あんなに出たがったんだから〜!」
「無責任ではないのか」
「そんなことないない、お父さんだからきっと、どうにかしてくれるさ!」
「だからその考え方が無責任じゃろう!」
「あ、始まるワヨ」
 アリスがお父さんを指さしたとき、ぬりかべお父さんは……話した。
「降りしきる雨の合間に夏を感じさせる季節となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか」
「しゃべったああああー!」
 三人同時に声を上げてしまって、アキラもルーシェもアリスも、はっとなって口をつぐんだ。
 でも話したのだ。お父さんは。けなげなくらいに!
「はじめまして、ぬりかべ族の一父親でぬりかべお父さんと申します。まず始めに、私のようなものにこのように発言する機会をくだされたことに、深く感謝致します」
 普段はシャイなだけなのか? 決して口べたでもないようだ。いやむしろ流暢といっていい。スラスラと明瞭に、お父さんは言葉を発しているではないか。
 それは年配の男性アナウンサーのように綺麗な発音であり、よく通る美声でもあった。
「皆様、私の姿を見てさぞ驚かれたかたもいらっしゃるかと思いますが、このパラミタでは、私のように実に多種多様な種族が暮らしております。
 そしてそこで言えるのが、種族で差別するような方は決していない、ということです。
 私自身、故郷を離れ、人里に降り、契約を結び、契約者とともに様々な土地を巡りましたが、私の姿を見ても決して姿形で差別するような方は一人もおりませんでした」
「やっぱりお父さんの声渋いよなー」
 アキラは思わず唸っていた。もっと話せばいいのに、普段から。
「皆様、他の人となんら変わることなく、優しく、暖かく接してくださいました。自分と異なるからこそ、その人の良いところを尊重し、ともに仲良く歩んでいこう、皆様、そのようなお気持ちなのだと思います。
 そしてその思いが強く形を成したのが、『契約』なのだと、私は思います」
「あれ……俺、泣いてるの?」
 アキラは自分の目が曇っているのに気づいた。ごしごしと手の甲でぬぐう。
 本当だ。涙ドバドバではないが、ウルっと来ている。
 なぜならお父さんの声は……心を打つものだったから。
 滅多にしゃべらないということは、本当は話すのが好きではないのだろう。それなのにがんばっているところにも、胸をつかれる思いだった。
「『契約』とは、決して『支配』や『服従』などではなく、双方に結ばれる『絆』なのだと、私自身、感じております。私はこの『契約』により、新しい家族ができたと思っており、日々とても楽しく、暖かく幸せに過ごさせていただいております。
 この気持ちが少しでも伝わることを切に願い、私の話を終わりにさせていただきたく思います。
 ご静聴いただき、誠にありがとうございました」
 そうしてお父さんは重々しく、一礼して話を締めくくったのである。
 万雷の拍手だ。激しく手を叩く聴衆の中には、アキラ、ルーシェ、アリスの姿があったのは言うまでもないだろう。