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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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第2章 ヴォルロスにて。深夜、馬車襲撃さる。


 ジェラルディ家の別荘の庭で焚火の準備が行われている頃、真の名をレベッカ・ジェラルディというレジーナ・ジェラルディは、車上の人となっていた。
 ――必ず、ジルド・ジェラルディは屋敷に戻ってくる。
「警察機関でもある議会の傭兵が訪れたとして、まさか貴族の屋敷を隅々まで調査して彼女まで見つけまい。その前に蛇と死者の島に気を取られるはず……そうジルド・ジェラルディは考えているのではないでしょうか」
 だから戻ってくる。火事になれば動けない彼女の身を案じて。
 そこを捕まえる、というのがフェルナン・シャントルイユ(ふぇるなん・しゃんとるいゆ)の提案だった。
 しかし戦闘になればレベッカは巻き込まれる恐れがある。証人としても価値があると、議会に彼女が移されることになった。
 一般市民の避難が殆ど完了したため、真夜中の道はいつにもまして暗い。窓の向こうには灯りと人の気配がなく、住宅地はひっそりと静まり返っていた。
 しかし真逆なことに、遠く、街のあちこちで焚かれた篝火に映し出される小さな人影はせわしなく動き、時に掛け声をかけあって、まるで祭りの夜のような奇妙なコントラストがあった。
 馬車が再び住宅地を走り、道半ばに差し掛かった時のこと。
 突然の馬のいななき、激しい衝撃が馬車を襲ったかと思うと、軌道が変わる。進み、蛇行し、立ち止まり、急カーブを描き、中にいた生徒たちはかき回され、一か所に叩きつけられる。
「きゃあっ!」
 誰が上げたのかも分からぬ叫びが馬車の中に上がった。
「何事ですの!?」
 白百合会会長アナスタシア・ヤグディン(あなすたしあ・やぐでぃん)がシートに手を突いて重力に逆らいながら分厚いベルベットのカーテンを開けると、そこには……。
「……!」
 アナスタシア、そして契約者たちは凍り付いた。そこにあったのは女の顔。馬車中のレジーナそっくりの、そう、今までレベッカ・ジェラルディと呼ばれていた姉妹の姉――レベッカのクローン
 勿論顔だけではない、そこに顔があるということは……。
 そしてアナスタシアが眼前の事実を飲み込むより早く――異変に気付いた御者が彼女をふるい落そうと馬車をうねらせるも、彼女は右手から魔法を放ち、手綱を吹き飛ばす。
「きゃああっ!?」
 再びの衝撃。アナスタシアは強く背中を打ち、一瞬、息が止まりそうになる。何とか息を整え起き上がると、
「ほんとうに、あなたと一緒だと退屈しないわね」
 ブリジット・パウエル(ぶりじっと・ぱうえる)の言葉に、アナスタシアは憤慨したような顔をした。何で落ちついているんだ、とでも思ったのかもしれない。
「エリシュオンでは、魔法で攻撃されたら倍返しなんでしょ? なんとかしてくれるのよね?」
「……もう、貴方も契約者でしょう!?」
「私は荒事は趣味じゃないから、そこは得意な人たちに任せるわ」
「どうしてそんなに余裕がありますの?」
 踏ん張って衝撃をやり過ごした桜月 舞香(さくらづき・まいか)は、馬車の中を見回した。衝撃の中で視界が揺れている。
「ホント、女って怖いわね」
 だけど、ここにいる女の子たちは、契約者といえど武闘派ではない。
 舞香は同乗者が「レジーナ」をしっかり抱きとめているのを認めると、「レベッカ」のいる扉に反対側の扉に手をかけた。
「まさか、桜月さん、危険ですわ!」
「会長とみんなで無事に百合園に帰るまでが護衛のお仕事です」
 舞香は制止しようとするアナスタシアにそう言って、扉を開け放った。
 彼女の身体能力と魔法。何が理由なのか分からないが、扉の中に侵入し、(目的を達成して)飛び降りるくらい容易いのではないかと思えた。
(そんな時間はないわね。とにかく敵を押さえ込んで馬車の制御権を取り戻さないと危ないわ)
 強風が吹きこむ。その風に抗って、舞香は扉の上部を掴むと、チアリーディングの要領で体をくるりと持ち上げて、馬車の上に着地した。
 そして扉に張り付いたレベッカが、窓を壊そうとするためか、拳に魔力をためているのを逃さず、“超高度キック”で上空に舞い上がると、跳び蹴りを見舞った。
「…………!」
 戦闘用に作られ鋭くとがったハイヒールの踵に蹴られ、声にならない悲鳴を上げ、レベッカが吹き飛ばされる。
 難なく着地した舞香は地面に転がってうめくレベッカに向けて、覚醒光条兵器を突き付けた。
 油断はしない。いつ魔法を放ってくるか分からないからだ。
(レベッカが襲ってきた目的は何かしら? レジーナが自らの死を望んでることは知ってるだろうから、命を狙ってのこととは思えないわ。ジルドの差し金というわけでもなさそう……)
 多分レベッカはジルドの事も恨んでるのではないか、と舞香には思える。
 クローンとして自分を生み出しておきながら、記憶が無く意に沿わないからといって自分をないがしろにしてきた父親を。
(そしてその原因となり、今も父の寵愛を受けるレジーナのことも……だから襲撃した?)
 舞香は転がって、砂にまみれうめき続けるレベッカを哀しく思った。


「しかし……自分を作り出した『父』に『偽物』と呼ばれ裏切られ続けた、彼女の気持ち。父親の変貌を、身動きも出来ず止める事も出来ずに、ただ見ているだけしか出来なかった彼女の気持ち。ジェラルディ氏は、それに一度でも耳を傾け、きちんと向き合った事があるのかな?」
 スレイプニルの背の上で、黒崎 天音(くろさき・あまね)ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)にそう言った。答えを求めるというよりも、自身の考えを整理するような、そんな問いかけだった。
 先ほどまで晴れていたヴォルロスの空には次第に黒い雲が立ち込め始めていた。夜の闇に差し込んでいた月と星の光は覆い隠されてしまう。
「耳を傾けられたなら、僕らの説得より娘の言葉はずっと効果があるだろうけど」
 全てはジルドが娘の死を受け入れられなかったところから始まった。
 だが、どう言えばいい?
(追い詰めるのはそれなりに得意なんだけど。心を開かせたり、優しい心配りに向いていない自覚はあるから)
 天音がブルーズが聞いたらまた諌めそうなことを思っていると、
「残酷だな。ジルド・ジェラルディの行動は、同情出来るようなものではないが。しかし……うん? あれは何だ」
 注意を促されて眼下に目をやると、暴走している馬車が目に入った。
「……行くよブルーズ。まずは馬車だ」
 スレイプニルは急降下し、馬車の上に急接近した。左右に振れながら走り続ける馬車の御者を見下ろせば、その手に千切れた手綱を必死に掴もうとしていた。掴もうとすれば風はひらひらと手綱を煽って手からすり抜け、掴んでは滑っている。
 天音は、トン、とスレイプニルの背を軽く蹴って、ブラックモッズコートに包んだ体を宙に舞わせた。次の瞬間、だむ、という音をさせて足元の馬車の天井に飛び降りていた。
 お嬢様方を怖がらせたかな、と考えつつもそのまま再び跳躍。御者の頭上を飛び越え――馬に、飛び乗った。
 その時舞香が扉を開けて天井に出てきて、馬車に取り付いていたレベッカを蹴り落とした。
 天音は片手で千切れた手綱を掴み、片手で馬をなだめるように首を叩く。
「大丈夫だよ、落ち着いて」
 天音には“ビーストテイマー”の心得と、タシガンの馬術部で鍛えた乗馬の腕があった。
 本当、よくぶつからずに、馬も馬車も持ったな……と思いながらも、危機的状況は続いている。
「手綱を寄越せ!」
 天音の後から飛び乗ってきたブルーズが、狭い御者台に身体を押し込めながら、手を伸ばす。
 天音が手綱を渡すと、ブルーズはそれを御者の手に持っていた手綱の切れ端と繋ぐように腕に力を込めた。
「徐々に速度を落としてください!」
 御者の懇願は言うまでもない。それまでに車輪が持つか……? 天音は馬を落ち着かせて、馬首を徐々に安定させていった。
 速度が緩んできたと思った時、今度は背後で再び扉の開く音がした。そして叫び声。
「リン!」
 まだ何か。まさかレベッカが――そう思って振り返った天音の目に、一人の少女が転がり落ちていくのが見えた。


 揺れる馬車の中で、レジーナを抱きしめていたのは、藤崎 凛(ふじさき・りん)だった。
(怖い……!)
 レジーナを傷つけないように支えていたはずなのに、その自分自身の身体が震えているのが、激しい揺れの中でもわかる。
 だが天井を通した二度の軽い衝撃の後、かき回されていた馬車の動きが徐々に徐々に安定していくのと同時に、凛の心も落ち着いていった。まだ馬車は揺れていたが、無軌道に横に振り回されるような動きは収まっている。絵筆を滑らせたような窓の外の景色も徐々に目に見えるようになってきた。
「どなたかが助けに来てくださったのかしら……」
 アナスタシアの言葉に、そうかもしれない、と思う。
 アナスタシアも少しほっとしたのか、胸に当てていた手を合わせるようにして何か唱え始めた。と、馬車の速度がより、遅くなる。
「風を操って、速度を緩めるお手伝いをしますわ」
 凛はその速度に、無理ではない、と決意した。
 一度、腕の中の死体を――レジーナ、と呼ばれたレベッカの遺体を見て。
「レベッカさんは、もうひとりのレベッカさんの事……どんな風に思われていましたか?」
 握った手は冷たく、答えがない。
義弘さんが映し出して下さった光景……もうひとりのレベッカさんが、彼女を見ていた眼差し……お辛かったでしょうか……)
 そして凛は手を放すと、レベッカの首の後ろに伸ばした。この首飾りを外すと、術者に分かるという。
「レベッカさん、この首飾り、お借りします。あなたの想いを、届けられるように……」
 凛はガーネットの首飾りの金具を外すと、しっかりと握りしめ、そして馬車の扉を開けると、外に身を踊らせた。
「リン!」
 パートナーの驚く声は耳に届いていたが、構わなかった。
 受け身を取る――覚悟していた強い衝撃、痛みが全身を襲う。しっかりと目を瞑る。握りしめた手は開かない。
 ごろごろと石畳に転がると、砂利が手入れのいいロングウェーブの髪に絡まって、砂が口に入った。あちこち擦り傷だらけになったが、彼女とて契約者だ。しっかりしあ足取りで立ち上がると、砂まみれの顔を一度だけ払ってから駆け出した。もうひとりのレベッカの方へ。
 もうひとりのレベッカは凛がたどり着いた時には立ち上がっていた。蹴られた肩は服が破れ、血を流している。その傷に手を当てて苦悶の表情を浮かべていた。
「危険よ、下がって!」
 脇目も振らず、警戒もせず駆けてくる凛に、舞香は言ったが、凛はそんな舞香の横をすり抜けると、両手を差し出した。
 背後から心配したパートナーが追ってきているのにも気付かない。
「レベッカさん! これを……!」
 もうひとりのレベッカは、荒い息を吐いていた。抵抗もしなかった。
 彼女の胸元に、ガーネットが揺れた。
「作られた生命だとしても、あなたは人形ではありません! 例えどんな生まれ方でも、この世に生まれたのであれば、あなたにはあなたとして生きる権利がある筈です」
「……」
 レベッカの瞳は見開かれていた。妙なものを見た、というような眼で。
「行きましょう、ジルドさんのところへ。思いの丈を、思いっきりぶつけて欲しいんです」
 そうして、見開かれた瞳から涙がこぼれ。
「う、う、うわぁああああ……!!」
 レベッカは、号泣した。


「レベッカさんを取り戻しにきたんですよね」
 泣き崩れるもうひとりのレベッカに、静かに歩み寄って、橘 舞(たちばな・まい)が声を掛ける。
 その横にはパートナーのブリジットと、アナスタシア、天音とブルーズの姿もあった。天音たちによって無事馬車が止められ、降りてきたのだ。
「レベッカさん……えっと、ややこしいですけど、生きている方のレベッカさん、もうやめませんか? 亡くなっている方のレベッカさんから、だいたいの事情はお聞きしました」
 レベッカは、泣いている。このままだとあまりにも悲しすぎる、と舞は思った。ジルドも、死んだレベッカも、このレベッカも。
「レベッカさんは……そう、双子の姉妹みたいなものですよね。双子でも性格までは一緒じゃないですし、性格が違うからって否定するようなジルドさんは間違ってますよ。
でも3人が血が繋がった家族なのは間違いないですし……だから、ジルドさんとレベッカさんには家族としてレベッカさんを見送ってあげて欲しいです」
 ジルドが来たら、こう言おうと思う。もう休ませてあげてください、と。
(その上で、フェルナンさんを欺いて罪に陥れようとしたこととか、今回の騒動に関する罪をちゃんと償って、二人にはレベッカさんの分まで生きてほしい)
 ブリジットは、そんな舞の、普段のように優しさに満ちた横顔を見ながら。
「これはつまりちょっとスケールがでかくなりすぎた家族間の愛情の配分に関する問題よね」
 と、言って。
「レベッカも馬車に張り付くとか、カエルじゃないんだから、みっともないことするのはやめなさいよ。本当に、レベッカレベッカってややこしいわ」
 名探偵よろしく落ち着き払ったポーズで服の埃を払うと、
「双子という例えが適切かはともかく……親の愛情を病弱な妹に取られて嫉妬する元気な方の姉みたいに見えるわ。ジルドの娘なのは事実だし、それにあれよ、あなたはあなた、彼女は彼女、どっちが本物も偽者もないわよね」
 肩を竦めてアナスタシアに視線を送る。
「それにしても、誰かのお陰でずいぶんと疲れる旅行になってしまったわ」
「……私、貴方に旅行に来てくださいなんてお願いしたことはありませんわよ」
「生徒会の仲間を助けるから協力してくれって言ってたのは誰だったっけ?」
「……でーすーかーらー、私、貴方にさんに助けてくださいなんてお願いしてませんわ!」
 また喧嘩だ。もうブリジットったら、と舞は言い。
 とにかく、御者が調達してきた新しい馬車で、彼女たちはジェラルディ家へと引き返すことになった。
 アナスタシアはレベッカの肩の傷を魔法で塞いだが、その間も家に到着するまでずっと、レベッカは泣きじゃくっていた。その手には首飾りのガーネットがぎゅっと握りしめられている。