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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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第4章 午前八時、ヴォルロス港。死、来る


 午前八時。
 雨の降り続けるヴォルロスの港からも、死者の島とマストの上でとぐろを巻く蛇は、はっきりと裸眼で視認できた。
 それは傭兵、市民といった、彼らを初めて目にする者たちの間に恐怖を蔓延させるに十分だった。
「砲撃を、早く……!」
「駄目だ、まだ島には残っている奴らがいる」
「何やってんだ撤退命令はとっくに出てんだろ!? それとも帰れないのか!?」
「いや、調査に残ってるらしいが……とにかく砲撃命令はまだだ」
 恐怖は、判断を狂わせる。
「大丈夫! 倒す手がかりが掴めたって!」
 レキ・フォートアウフ(れき・ふぉーとあうふ)は砲弾を載せた台車を止めると、彼らに声を張り上げた。
 先ほど議会とフランセット経由で来たばかりの情報を、レキら契約者はHCでいち早く受け取っていた。それを彼らに簡単に説明する。
「何度か戦ったけど、アンデッドは何度も契約者がやっつけてるしね! あの蛇だって、止め方が分かったから、今作業中なんだよ!」
 都合のイイところだけだが、仕方ない。
 蛇がアンデッドに仮初の魂を供給する以上、無限に復活しそうだけど。ということは、蛇が倒されればいいだけだ。
 蛇だって倒し方が分かったっていうし……うん、問題ない。実際に倒せるよう、腕の見せ所だ。


 蛇といえば、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)とその二人のパートナーも、それを見上げていた。
「あーびっくりした。目の前でパクンって閉じるんだもん」
 ルカルカは、あは、と笑う。わざわざ明るく言っているのに、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)はといえばいつも通りの仏頂面だ。
「で、内部はどうだったんだ」
「……そういう時は嘘でもいいから『大丈夫だったか』くらい言ってよ」
 くす、とダリルは含み笑いをする。故意だったらしい。
 たとえあの時ルカルカのことをどれだけ案じていようが、後から素直にそれを認めるようなダリルでもない。
 まぁ心配してくれていたみたいだからいいか、と、ルカルカは、機嫌を直した。
「いいわね、打ち合わせ通り、港と陸地からの挟撃よ」
「俺たちは島が近づくまで陸上待機、戦車班は砲撃を……」
 ダリルが、二人の親衛隊員と飛行機晶兵に指示を出し、“士気高揚”させ、ルカルカが撃ち放題よ、と言って“荒ぶる力”を与えた。
 親衛隊員はルカルカたちが持ち込んだ二台の機晶戦車にそれぞれ乗り込み、砲塔を海に向ける。
 ところで、ルカルカのもう一人のパートナーコード・イレブンナイン(こーど・いれぶんないん)だったが、彼女の手の中にあった。コードはギフトで、今は槍の姿を取っている。
 彼女はこの間、海面を覗き込んでいたが、“エバーグリーン”で海藻を巨大化させ、防壁にしようとしていた。
「海草も草だもんね、一緒に町を守って貰うのよ」
 が、港直近の海藻は量でも強度の面でも少ない。
 そのほか、ルカルカは“アブソリュート・ゼロ”で海面に壁を打ち立てたり、“グラウンドストライク”や“群青の覆い手”によって島の進行を妨害しようとしていたが、そのためには砲弾飛び交う港湾内を一人であちこち飛び回る必要があった。たとえば“ポイントシフト”は本人の瞬間移動で、物体だけを転移させることはできない。
 ダリルから受け取ったSPタブレットを口に放り込んで、あれこれしたが、圧倒的な物量は止めることができなかった。
 もともと壊れかけている船でできた島だけあって、船底に穴をあければ沈むものでもなく、むしろ破片をまき散らしながら進むのである。
 ダリルはルカルカの助けとなるべく船や蛇の弱点、要所を見定めようとしたが、視界も悪いうえに一見してそれと分かる弱点はなかった。



「死者の島到達まであと5、4、3、2、1……」
 双眼鏡を覗いていた海軍の兵士が声を張り上げる。その語尾に重ねて、旗艦でフランセット・ドゥラクロワ(ふらんせっと・どぅらくろわ)は声を発した。
「撃て!!」
 反動に身を震わせながら、三隻の機晶船、そして港の砲台が火を噴いた。
 砲弾は、死者の島目がけて飛んでいく。島は三日月のかたちを描いた港に先端だけを納めていた――というより、挟まっていると言った方がいい。後が続かないのは、港の水深が浅いからだ。
 止まっている目標を砲撃するのは容易く、挟撃は難なく成功する。
 海に沈めば沈むだけ、アンデッドは相手にせず蛇だけに集中できる。そのはずだ。しかし砲撃は、一気に撃ち込むことはできない。
 頭上に舞うヴァーナー・ヴォネガット(う゛ぁーなー・う゛ぉねがっと)は、深い霧と砲弾の火薬の上げる煙、そして爆破された材木の埃の中に目を凝らして、動く物体が何か見極めようとしていた。
「あそこは撃っちゃだめなんですよ〜!」
 ヴァーナーは眼下の船に向かって叫んだ。島の上にも、中にも、契約者らがまだ残っている。誰が何人残っているかについては、全員に情報が提供されていた。
「あっちに撃ってくださいなんです〜!」
 代わりにヴァーナーは、船に降り立つと、フランセットに遠く離れた、アンデッドが密集する場所を示した。
 島の先端と言っていいのか、港に接地した部分に、生者を求めてアンデッドたちが群がっている。
 島の上のアンデッドらがそちらの方向に行くのを見て、後続を断つような位置を、ヴァーナーは指示した。
 ヴァーナーにも遠く矢が飛んでくるが、
「おやすみしてくださいです〜」
 と、ルーンの槍を投擲してバラバラにする。再度キャッチすると、また雨の下、箒を滑らせた。
(きっとみんなが尻尾とかをやっつけてなんとかしてくれるまでがんばるです!)
 大量のアンデッドと蛇に、ヴァーナーも圧迫を感じていたが、心を奮い立たせる。
「済まないな、君のような小さな子まで」
「みんな終わったら迷惑がかかった住人のみんなにごめんなさいして、これから償うからこれからもお願いしますですってお願いするですよ」
「君が責任を負ったり、謝るようなことではない。全て終わったら、何も考えずにゆっくり休んでほしい。君たちには豪勢な食事と温かい寝床が用意してある」
 フランセットはヴァーナーを安心させるように言うと、陸地に視線を向ける。
 蛇がその鎌首を持ち上げて、陸地を睥睨していた。




「……何してるのかな、あれ」
 レキは蛇を見上げて呟いたが、パートナーのミア・マハ(みあ・まは)の声に我に返った。
「まずはアンデッドじゃ!」
「うん!」
 港に並んだ砲台は島の設置した部分を砲撃していたが、まだ中に人が残っているとあって、手加減せざるを得なかった。
 それに、アンデッドの数が――多い。乗り込んできたその数はかつて見たことがないほど多かった。
 あれは初詣の神社に似ている、などとレキは思った。
「撃て、撃て!!」
 叫びと主に空気を重く引き裂く砲撃の音。それが接岸した島の一部を削ったが、その度に崩れた島がぐうっと、島の端をボロボロと海中に落としながら進み、海に浮かんだ木材の上にスケルトンやらゾンビやらが積み重なり、折り重なり……勿論効果はあった、大量のアンデッドは海に没した。没したが、その折り重なってできた即席の橋を通って陸地に押し寄せるという具合だった。
 あっという間に砲台まで奴らが進んで、それが乗っ取られると感じたレキは、周囲の傭兵たちに声を掛けた。
「一般人は安全な場所へ退避願います!」
「……畜生っ!!」
 悪態と悲鳴を口にしながら、傭兵や一般人たちが引いていく。といっても逃げるわけではなく、港に設置してある幾つかの罠の支援に行くのだ。
「ここからは契約者がお相手するよ」
「これでどうじゃ、“悪霊退散”!」
 彼らが追いつかれぬよう、ミアが“見鬼”で雨の中、雨粒を透過させているレイスなどの実態を持たないアンデッドたちに、術を放つ。実体がなく浮かぶレイスだのワイトだのは、その分障害物を避けて直進できるからだ。
 実体のあるアンデッドに対しては、レキの“サイドワインダー”で複数の脚を撃ち抜いていく。
 腐肉を弾けさせ、或いは負ったアンデッドたちは石畳にへばりつき、尚も両手で這って進もうとしたが、仲間の死など気にしない後続によって踏みつぶされていった。
「前言撤回、あれはバーゲンセールだね」
 レキが乗り越えた敵の、さらにその上に死体を気付いて土手のようにする。死者でできた塹壕もどきに、敵アンデッドから射かけられた矢が突き刺さってぶしゅぶしゅと得体の知れない液体が噴出した。ちょっと――かなり臭うしえげつないけど、時間稼ぎだ仕方ない。
 それでも彼女たちの横を抜けていくアンデッドが彼らに追いすがろうとするのを、“ゴッドスピード”で飛び込んで、“龍鱗化”した体で、青ざめた腕を振り払う。
「ボクなら大丈夫。ヴォルロスを守る為に、もう少し頑張ろう!」
「怪我人、気分が悪い者がいたら遠慮なく言うのじゃぞ!」
 ミアがアンデッドに立ち向かいながら、レキの背後から声だけかける。歴戦の契約者でも生理的に気分が悪くなる光景だ、戦いなれぬ者にはつらいだろう。
「ミア、後退するときは罠の方にね!」
「分かっておる。……こちらもそう長くはもたん。早期に元を断ってくれると良いのじゃが……」
 ミアの額に汗が滲む。空を見上げ蛇を見ると、空に舞い上がるドラゴンと、怪獣の姿が目に入った。
 あれは、と地上の人間が一斉に目を疑い何事かと思ったが、それは彼らが名乗りを上げたことですぐに判明する。
「又吉親分と、この黒猫のタンゴが居る限り、オメーらをこっから先には行かせねーぞ。片っ端からぶった切ってやるから覚悟しろ!!」
 黒猫のタンゴ、もといゆる族の抜け殻を被った国頭 武尊(くにがみ・たける)が、連れて来た金属製の雪だるまと言った風のアイアンハンターを二体連れて射撃を続けながら叫んでいた。
 あれは、怪獣と化した彼のパートナーだったのだ。ゆる族の侠客の中には、はその外見から興業の世界に顔が効き、強力無比な怪獣の着ぐるみを借りることが出来る者がいるという。
 だから又吉は普段の不良っぽい三毛猫ではなく、もし名乗られなければ分からなかったかもしれない。
「来るなら来てみろ化け物め、舐めんじゃねーぞ。ゆる族の猫井 又吉(ねこい・またきち)、ここに有り!!」
(多勢に無勢でピンチになっても絶対死守だ。今頑張らね〜で何時頑張るってんだよ)
 又吉の大きな顎がぐわっと開けられると、アンデッドに向けて炎を吹き付けた。
(灰も残らねーぐらい綺麗サッパリ焼いてやる!)
「親分、もっと右寄りに! ……お前らも個々に戦ってたんじゃダメだ。連携して戦おうぜ」
 じりじりと撤退しながら、傭兵たちに向かって武尊が珍しくそんなことを言ったのは、相手が大軍だったからだが、それだけではない。
 彼らのゆる族としての活躍には証人が必要だったからだ。
 傭兵たちが銃をリロードしている間に、“ディメンションサイト”で周囲を把握したのち、“ポイントシフト”で瞬時に現れて、ブライドオブブレイドの疾風突き。
(……決まった!)
 武尊はカッコよさと実用を両立させて満足する。たとえカッコ悪い顔をしていても着ぐるみの下だし、分からない。
(アンデット共の撃退に成功すれば、きっと明るい未来が待ってる筈だ。うひひひひ、頑張るぞー)
 まあ、可愛くなってしまうのだが。
 それでも敵は一向に減らず、遂に蛇がその鎌首をもたげて上空をうねり、波止場の上へと長大な体を進めて行った。
「……チッ、やべえ!」
 又吉は小型の懐中電灯のようなものを取り出して、スイッチを入れた。
 又吉の全身はむくむくと膨れ上がり、全長50メートルはあろうかという、巨大な怪獣になった。
 地面を響かせて進む巨大な姿は、怪獣映画の主役のようだ。というより――、
「切り札ってのは最後まで取っとくもんだぜ!!」
 口からは炎を、レンズを取り付けた目からは怪光線が放たれる。
「又吉ビーム!」
 ――怪獣大決戦、だった。
 大きさはほぼ互角。
 蛇は実態を持たないが、又吉の着ぐるみに触れれば、浄化されぬ魂による怨嗟が黒く染め、ボロボロと表面の布地が崩れ落ちる。
 又吉がその蛇に向かって、炎を吹きかけると、黒い炎が千切れて飛んだ。ビームが、蛇の鱗を削ぐように焼いていく。
 蛇は今完全に又吉に気を取られている。なお、彼はこの戦いの後に、ドン・カバチョに名誉ヌイ族として表彰され、族長一族特製のカバの着ぐるみを贈られることになるのだが……果たして本人が喜んだかどうかは定かではない。


 波止場を二匹のドラゴンが舞う。
 炎水龍イラプションブレードドラゴン、聖邪龍ケイオスブレードドラゴンの背に乗っているのは一組の夫妻、遠野 歌菜(とおの・かな)月崎 羽純(つきざき・はすみ)だった。
「羽純くん」
 歌菜は両手を広げた。
 下方から飛んでくる矢はドラゴンの鱗に刺さり、弾かれ、或いは彼女の“トリップ・ザ・ワールド”に弾かれて落ちていった。半径1メートルという狭い範囲故に、羽純の片手は歌菜の腰に回され、ぴたりとくっついている。
「少しでもここで阻止するよ、最初から全速力で全力でいくよ!」
 羽澄は彼女が歌に集中できるように、脚でドラゴンの脇腹を軽く蹴りながら、歌菜の乗るドラゴンを庇う。
 歌菜は大きく息を吸い込んだ。
「私の歌よ、敵を撃つ刃となれ!」
 “エクスプレス・ザ・ワールド”によって具現化した歌菜の歌は、放たれると同時に澄んだ無数の槍となり、地上へと一直線に向かっていく。続け様に“ハーモニックレイン”で、歌声が降り注ぐ。
 同時に羽純の手が踊るようなしぐさを見せたかと思うと、手の中に剣が出現した。それを下方に投げつける。剣の花嫁用の“剣の舞”だ。
(一体でも多く……!)
(ヴォルロスを守りきる!)
 歌声と息を合わせて、惜しみなく攻撃を浴びせかける。
 そして羽純は時折“ホークアイ”で周囲を見渡すと、脇道を塞ぐように、ドラゴンを旋回させる。
「歌菜、地上から連絡だ」
 滑空し、アンデッドたちにブレスを吹きかけて罠の方へ誘導し、再び高度を上げながら、羽純は手元の銃型HC弐式・Nに目を落とす。
「上空から、状況を報告してほしい……と」
 眼下に広がる港を見渡し、羽純は眉をひそめた。
 夏の朝の日差しを照り返して輝いているはずの白い石畳も建物も、濁った空の下でくすみ、波止場を亡者が埋め尽くし、殺到していた。
 島は片方にアンデッドが寄ったためか自重でやや傾いている。しかし、折り重なった甲板にはもう出遅れたアンデッドが数体ほど見えるばかりで、その殆どが中から這い出して地上へと出ていったようだ。
 羽純はここから見える光景をHCで契約者らに伝え追えると、再び二人、戦いの中に身を投じていった。


「想像より押されてるね……」
 HCから目を上げて、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)は大丈夫かな、と、商店街の方に目をやった。あそこには罠が仕掛けられている。
 傭兵と市民が駆け込んでいくのが見えた。行動は予定通りではあるが、スケジュールは予定よりも早い。
「行こう、メシエ」
 手薄になっている、と感じたエースはパートナーのメシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)に声を掛けると、彼らの後を追った。
 生者の匂いを求めてアンデッドたちが、さらに後を追ってくる。
 石畳の港町の小さな商店街は狭く、あちこちに荷車や樽が積み重なっていた。階段状になっているそれを上って屋根の上にあがると、頭上から“裁きの光”を浴びせた。
 光に浄化され溶けていくアンデッドが、後続を阻む盾になる。
「行きますよ!」
 市民の男性の声が二人の耳に届く。と、背後が明るくなった。隠してあった武器。
 幾つもの灯り……矢じりが燃えていた。布に油を染み込ませ、巻き付けてあるものだ。
 十数人からの傭兵と住民たちが、それぞれに弓矢を構えて引き絞り……、
「今だ!」
 左程広くない道。団子状になったアンデッドたちに、火矢が一斉に射かけられる。なすすべもなく、数十人のアンデッドに矢が刺さり、火が燃え移り、広がり、嫌なにおいを立ち上らせる。
 彼らは命中したかどうかだけ遠目に確認すると、すぐに次の罠へと走って行った。
「後で火事にならないようにね」
 エースは傭兵たちが去った後、“群青の覆い手”で大波を起こし、消火を行った。
「炎に弱いのだから、燃やしておけばいい気もしますが……彼らも承知でしょう」
「……うん。でも、街の人達の生命だけでなく、財産も護らなくては。何物にも代えがたい品物などが自宅に残っているかもしれないからね」
 エースはこんな時でも優しく微笑む。
 最後の最後、森林地帯の小屋を守り切れば、殆ど人命に被害はなく、きっと住民たちに感謝されるだろう。それは分かっていたけれど、反面、彼らが壊れた街を見た時のことを思うと、何とか元のままにしてあげたかった。
「じゃあ、追うよ。怪我人を出さないようにね」
 エースとメシエは彼らの後を追う。
 その場所にはアンデッドが群がっていれば、エースやメシエの“裁きの光”、“紅蓮の走り手”で彼らを焼き尽くす。建物に害が及ばない、というのは便利だった。
 必要に応じて囮になり、浄化の罠に誘導して敵を足止めさせ、油をまいた道に誘導しては、上から火矢を射かけ……。
 敵の数を徐々に減らしながらも、そのうちに彼らは、港から住宅の立ち並ぶ市街地へと撤退していった。