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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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【原色の海】アスクレピオスの蛇(最終回)

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第5章 午前十時、市街地の撤退戦


 カラカラカラカラカラカラ……。
 市街地へと入る大通り入り口に仕掛けた鳴子の音だ。
 敵の知性は低い。故に隠す必要もなく、人間にとっては堂々と、軽くまたいで通れる位置に仕掛けたそれが鳴る、ということは……。
「あっ、僕鳴らしてないですよ!」
 屋根の上で、守護天使がぶんぶんと首を振った。一般市民で構成された即席自警団の青年が、分かってるというように頷く。
「ボブさんじゃないならアンデッドでしょうね」
「……でも、最初に侵入したのが実態がないタイプなら、それよりも早く侵入している可能性はあるんじゃ……」
 守護天使は、ゴースト、幽霊を心配して空を見上げる。
 すると、頭上をざあっと、二頭のドラゴン……聖邪龍ケイオスブレードドラゴンが過ぎ去って行った。
 ……と、思ったかと思うと、目の前がぱっと明るくなった。その二頭のドラゴンの上に乗った少女から、地上へと浄化の光が雨あられと降り注いだのだ。
「死者の島さんからいっぱいアンデッドさんがやってくるの! とにかくアンデットさんやっつけるの!」
 及川 翠(おいかわ・みどり)の号令に、パートナーたちが一斉に頷く。……と。
「とりあえず死者の島さんは置いといてアンデットさん達どうにかしないと駄目だよね!?」
 翠と別のドラゴンでミリア・アンドレッティ(みりあ・あんどれってぃ)の背中にくっついているサリア・アンドレッティ(さりあ・あんどれってぃ)が言うと、翠が、
「本当は死者の島さんに乗ってみたいの……でも、街が壊されたら大変なの。全部終わったら見に行くの!」
 翠が続けた言葉に、今度はサリアと翠と同乗している徳永 瑠璃(とくなが・るり)の二人が頷く。
「死者の島さんが迫ってきて大変です! でも、終わったらすぐ見に行けますね! じゃなくて何とかしないと!」
 瑠璃は若干テンパっていたが、彼女もまた死者の島への興味が尽きないようだった。
 そんな三人に同意できなかったのはサリア一人。
(あれがアンデッドの住処なわけだし、轟沈しちゃえばいいのに……)
 幼い少女たちの間で一人年長なだけあって、より現実的なようだった。
 彼女たちは港から市街地への入り口となる道の境界の上空に留まって、押し寄せてくる敵を迎え撃った。
 翠は“我は射す光の閃刃”を、瑠璃は“バニッシュ”を、確実に当たるように眼下の石畳の上を進むアンデッドに。
 ミリアは“バニッシュ”を、サリアはその双方を、空を舞うレイスなどを集めて当てていく。
 アンデッドは光によって浄化されて崩れ落ち、動かなくなり、ゴーストの発する不浄な光は千切れて霧散していった。


 軒下にも雨が降りこんでいた。雨樋から流れる水は川のようだ。
 水原 ゆかり(みずはら・ゆかり)マリエッタ・シュヴァール(まりえった・しゅばーる)はマントでかばったヴォルロスの地図を身体でかばいながら、覗き込んでいる。
「市街地へと続く主なルートはこれとこれ、それから……」
 地図の上に湿った指を滑らせる。そのうちのひとつは、翠たちが抑えている。だが……。
「言っても仕方ないことですが、満足な城壁があれば良かったのですけれどね」
 怪物や狼といったものから街を守るための城壁はある。陸地に向かって造られている。知性の低いアンデッド相手なら、森林地帯に作られた避難小屋を守る有効な壁になるだろう。門を閉めて防ぎ、或いは門の前にいて、進行方向を限定して少数ずつ相手にすればいいのだ。
 しかし港から、これだけの数に責められることは想定していない。
 街の中には、港湾地区と市街地を分けて守るための城壁がない。
 港湾地区の中ほどにある議会、中央交易所の周囲には作られており、フランセットはこれを利用して敵を分散し、敵を少数に分けて罠にかけながら撤退するよう要請していた。
 ゆかりは、事前に把握しておいた頭の中の風景と、罠のポイントを記した地図とを重ね合わせて最終チェックを終えると、それらを頭に叩き込み、地図を畳んだ。
「……マリー、行きますよ」
「ええ、カーリー」
 二人は顔を見合わせると、雨の中に飛び出した。
 両側に民家の連なる石畳の道に、死者が列を作ってやってくる。
(軍隊のような統制は取れていない……足並みもバラバラ)
 港から来るまでに負傷し、またそれぞれの速度で歩いてきたせいで、もう道を埋めるような勢いはない。
 彼女は目配せをする。二人は木箱の陰に身を潜め、待った。アンデッドたちが彼女たちの攻撃範囲に入った時、ゆかりは銃を抜き、マリエッタは“空飛ぶ魔法↑↑”で空に舞い上がる。
 刹那、“エイミング”で狙いを定めたゆかりの二丁拳銃【シュヴァルツ】【ヴァイス】がで火を噴き、マリエッタの“天のいかづち”が地面に落とされた。
 カッ! という音がしたかに思えた。雷光が濡れた地面を伝って辺りを明るく照らす。
 相手が怯んでいるそのうちに、彼女たちは再び銃弾と魔法を打ち込んだ。
 そしてその光の中からのっそりとした灰色の手が突き出されると、ゆかりは素早く判断して踵を返す。
 彼女たちは“戦略的撤退”で次の身をひそめるにちょうどいい場所を探すと、再び奇襲をかけた。
 そうして少しずつ後退しながら、敵を罠の方に誘い込む。
(こっちの道は……確か)
 追われながら、逆茂木で塞がれた道を横に曲がる。
「行くよー!」
 頭上から声がかかって、梯子を上って屋根に上がる。
 ゆかりたちを追ってきたアンデッドは、上で待機していた市民によって仕掛けられた、ベア・トラップに次々と足を挟まれ、引きちぎられ、彼ら自身が障害物になる。
 心があるかは分からないが、惑うアンデッドたちに、ゆかりは再び銃弾をぶち込んだ。
(本当は街中で戦闘をするなんて気が進みませんけどね……)
 いくら必要なこととはいえ、そこにある人々の生活やら文化やらを破壊することに繋がる。一瞬、そんなことを想うが、すぐに戦闘中に余計なことは考えるな、と頭を切り替える。
「敵に見つかったよ、すぐに次に行こう!」
 罠の効果を見届けた傭兵と市民のグループに、同行していたユウ・アルタヴィスタ(ゆう・あるたう゛ぃすた)が声を掛けた。
 そしてパートナーを振り返って、あえてにこやかに、力強く。
「さあ、リーダー、頑張って!」
 リーダー、と突如言われた皆川 陽(みなかわ・よう)は、びくっと肩を震わせた。
(……まだ根性ぐらぐらさせてんなー)
 ユウは、顔には出さず、内心でため息をつく。
(考えてることは考えてるんだから、もーちょっと行動すれば、だいぶ違うんだけどなぁ)
 悪いことする契約者も世の中いて、契約者だからって悪い人ばっかりじゃないよー、と。勇気を振り絞って彼なりに仕事をしてきた陽のその気持ちは、その時その時でちゃんと伝わっている。
 今は、シャンバラから来た人の中で悪いことした人がいて、プライマリー・シーの部族の人達がもしかしたら人間に対して怒ってるかもしれない……。と、そう思って、働こうとしている。
 これは確かに、怒っている人も中にいて。彼らも、多分、それが言いがかりのようなもの、理屈ではなくて感情だと分かっているようだった。
 ただ感情というのは厄介で、だからこそ、話しただけじゃ伝わらないような気がしていた。
 同じように、議会や貴族などの偉い人が押し付けようとしても、信用してもらえないんじゃないか。
(信じてもらうには、中身の伴う行動……本当に一人一人が、「そうじゃなくて、誰かのために良い事しようと頑張ってるんだよ」って、ちゃんと「行動」してみせるしかないのかな)
 陽のそんな気持ちとは裏腹に。“ディテクトエビル”がビンビンに反応して、それが強くなっていって。
「みんな、先に次の罠に逃げて! ここはボクが食い止めるよ!」
 頑張って陽は言って、
「ありがとう!」「契約者って強いんだな」と、見た目だけなら陽の何倍も屈強そうな傭兵や市民の皆さんが走って行って。
 見送りながら、陽が殿で逃げればいいんじゃないかな、等と思っていると、それはすぐに見透かされてしまう。
「犠牲を払おうとしないような奴が信用してもらえると思ってるの?」
「だって、本当に戦えるのかな……怖いんですけど」
 揺れる瞳に、ユウは遠慮なく言い放つ。
「あれだね。無理だね。後ろでウロチョロだけしてる奴が『頑張りましたー。守りましたー。』って言ってみても駄目だろどう考えても」
「うっ、やっぱり……そう思う?」
「敵の矢面に立って、初めて人の信頼って得られると思うんよねー。というワケで死ね。一発死んで来い」
「え、ええっ!?」
 ぐい、ぐいっとユウは、陽の背中を押した。
「お、落ちるって! ホントに!」
 慌ててバランスを取ると、屋根に向けて手をうねうねと広げ、壁だの梯子だのをを登ろうとしてくるアンデッドたちが見えた。思わず身震いする。
「さようなら骨は拾ってあげるから!」
 ユウはわたわたする陽を尻目に先に罠部隊に付いて行って(これはこれで必要だったけれど)、笑顔で陽に手を振った。
「ううっ、仕方ない……」
 骨は拾ってあげるって、相手が骨ばっかで本当に見つかるのかな? とか、余計なことをあれこれ考えた末、陽は覚悟を決めると、ゾンビの取り付いた梯子を蹴り落とし、呪文を唱え始めた。
 ユウは遠くから、そんなパートナーをちらりと振り返る。
 一人ぼっちが嫌なのか手数を増やすためなのか、陽が召喚したフェニックスと一緒に食い止めている。
(まぁマジでホントに死ぬ前には、なんとか逃げさせてやるけどな。人の心を動かそうと思ったら死ぬ気でやらなあかんけど、ホントに死ぬのは駄目な奴のすることやで。多分)
 こうして、罠部隊は次々に罠を発動させ、傭兵も一般市民も、彼らは無事森林地帯の入り口まで逃がすことができた。


(さてはて、この事件もいよいよ大詰めと言った所か。もともと私達もこの地を護りに来たんだったから、最初の目的に戻った、ともいえるけれど)
 アルクラント・ジェニアス(あるくらんと・じぇにあす)は目を細めて雨を見通していたが、二、三度しばたたかせると、目を閉じ、ふうと軽く息を吐いて緊張を解いた。
(ま、今回は敵を突破する必要とかもないしあまり気負い過ぎずに行こう)
 いつも通り、普段通り。そうそう、元に戻るといえば。
「ペトラやエメリー…仲間が増えてからはこうして二人で戦う機会も少なくなってきていたが、もともとはこうして戦って居たんだものな」
 アルクラントは、パートナーであり、恋人でもあるシルフィア・レーン(しるふぃあ・れーん)の背中に声を掛けた。
 シルフィアが前に立ち、アルクラントは援護。そうやって戦ってきた。
 彼女は彼を振り返ると、優しく笑いかける。
「さぁて、守りといえば私、私と言えば護り。そう言われる位にはきっちりこの街を、護りきってあげましょ。勿論、アル君もね」
 心配することもなく、彼女は普段通りのようだ。
「できるだけ前のほうで何とかしたいところだけど、なかなかそうも言っていられなさそうだ。次の罠まで後退しようか?」
「アル君の判断に任せるわ」
 アルクラントは屋根から半身を乗り出すと、ライジング・トリガーと呼ばれる特製のマスケット銃の引き金を引いて、道を歩くアンデッドの骨を破壊、それからすぐに引っ込んで、次の屋根に渡った。
 もし彼に射かけられる矢があれば、シルフィアが盾で防いでくれる。
「敵も多いし、罠も大掛かりだがやる事は変わらない。私と君ならうまくやれるさ。前に君から貰ったお守りもあるし」
 思い出して感傷的になりそうなアルクラントに、シルフィアはくすりと嬉しそうに笑った。
「そう、いつもどおり。ちゃんと見ててくれるって分かってるから、何の心配もなしにどんな敵の前にだって私は立てるのよ」
「それに、1年前よりもずっと力がわいてくるし。どういう意味かって?分からないとは、言わせないよ、アル君」
「もう、1年にもなるか……」
 シルフィアの顔に甘い笑みが広がる。
「守護天使として生まれて、生きてきて。誰よりも護りたい人が居て。この私を越えていける敵なんて、いる訳がない、でしょ?」
 戦地にありながらも幸せそうな笑顔が、アルクラントにも力をくれる。
「それでは始めるとしようか。これから先も皆が笑って過ごせるように、私達ができる事を」
「さあ、この盾と槍をかわして進めるなんて、思わないでよね!」
 再び、彼らは戦い始めようとしたが……。
「…………あの」
 小さな抗議の声に二人が振り向くと、そこには涙目の、見覚えのある守護天使がいた。いや、雨だから涙は見間違い、単なる雨粒かもしれない。
「こんなとこでいちゃつかないで下さい」
「い、いちゃいちゃなんてしてないわよ!」
 慌ててシルフィアがぶんぶん手を振った。槍の柄が守護天使にぶつかってゴツンと音を立てる。
「……ご、ごめんなさい」
「この一戦で原色の海の命運が決するんですよ! しっかりしてください!
 ……いいんだ、この戦いが終わったら、故郷に帰って最近地球で流行だっていう街コン開いて、可愛い彼女作るんだ……」
 ずぶ濡れで捨てられた猫のようにいじいじしていた彼は、肩を落としてとぼとぼと歩き出す――と。
「なんだろう、あの灯り……うわあああっ!?」
 守護天使が下方を覗き込んだ、と思ったら、急に屋根の一部が爆発した!
「……な、何が起こった?」
 シルフィアに爆風から庇われたアルクラントが、無傷で守護天使に駆け寄れば、彼はしゃがみこんでけほけほむせていた。
「……げほっ、ごほっ……」
「あー、ごめんなさい。守護天使さんでしたか」
 屋根の下からぴょこんと顔を出したのは、笠置 生駒(かさぎ・いこま)だった。
 梯子から体をよっこいしょ、と屋根の上に持ち上げる。
「ごめんなさいって?」
「いやー、罠作成のお手伝いをしてたんですけど、何故かどんなものでも爆発しちゃって、一人でやってこいーって言われて……」
 彼女は両手に何かの機械やコードやら、火薬やら何やらを抱えていた。
「それで自分で作ってみてたんですよ。今のはその作動確認を――」
「――ちゃんと人がいないとこでやってください! あ、それだと危険か……ええと、ちゃんと教えてください!」
 あ、爆発させたことは怒られなかった。と、生駒は思った。
(いい人なんだけどなー。これで何か名前以外で特徴的なことがあれば……)
「もう皆さんとはお知り合いなんですから、きちんと連絡を取ることによって……くどくど」
 生駒はぼんやり、説教モードに入った守護天使の顔を見つめた。
(連絡って言っても、そもそもこの人のことは名前言っても分かってもらえないしなー。……いつも笑ってる、羽になんか模様がある、あとは……)
「聞いてますか? あと、爆発するのはこれがいけないんじゃないですか? 使わなかったらきっと爆発なんてしませんよ」
 守護天使は一歩足を踏み出して、彼女の手から荷物を取り上げようとした。そして。
「あ」
 取り上げたはずみでライターに火が付き、機晶爆弾に引火し……、
「――そうだ、『うっかり者の守護天使』さん!」
 思いついた、というように手をぽんと合わせる生駒。
 守護天使は慌ててそれをひったくると、眼下の道にちょうど歩いていたアンデッドたちに向かって投げた。
 ぼーん、と盛大な音と共にアンデッドが吹き飛ぶ。
「いやー、危なかったですね!」
「……よくないですよっ」
 守護天使は今度こそへたり込もうとしたが、それをこらえて、顔を港の方へと向ける。こんなことができるほどに、市街地のアンデッドは減っていたが、尚戦いの前線は港にある。
「行きましょう、今度は契約者さんたちのお手伝いをしなけれ――ば……」
 言葉が途切れた。
 それは、ここからでも良く見えた。よく見えるほどに長大な存在の異変だった。