校長室
秋はすぐそこ
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Episode26.癒えない傷 トゥプシマティの仮の神殿から出て、飛び去るヴリドラを見送りながら、黒崎 天音(くろさき・あまね)は礼を言う。 「つきあってくれたこと、他のことも色々有難う……それと、ごめんね」 記憶を取り戻したトゥプシマティを、リューリクの元に返すことはできなかった。 終わったことにいつまでもしがみつくのは滑稽かもしれないが、けれど、トゥプシマティを、彼等の知る彼女に戻してあげたいと思う気持ちは、まだ諦めていない。 「リューリク帝には寂しい思いをさせてしまったかな……」 今はただ一人のパートナーであるヴリドラの帰還を、きっと待ちわびているだろう。 あらかじめテレパシーで、召喚に使用した秘宝はジールの手元に残していいことを確認し、天音とパートナーのブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)はそれぞれルーナサズに戻って合流することにした。 「秘宝を貸してくれてありがとう。 役立てることができず、みすみす龍騎士達死なせてしまって済まなかった」 頭を下げた天音に、仕方ねえ、と{SNL9998644#イルダーナ}は言う。 「俺も色々読み違えてたしな……」 力を尽くしても、及ばない時はある。それでも今回のことは想定外の事態だったようで、そう呟いた後、イルダーナは深い溜息を吐いた。 「ところで、その魔道書、随分存在感があるね」 彼の前に、分厚い書が置かれている。自分が入って来た時にこれを閉じていたから、直前まで読んでいたのだろう。 見てみるか、と差し出された書を手に持って見て、その重さに驚いた。 書自体の重量ではない。ずしりと重さを感じる程の魔力を秘めているのだ。 天音はぱらぱらと捲ってみて、すぐに閉じた。 「これを読むには、気合が必要そうだね」 「お見事です。私には開くことすらできませんでした」 執務机の横で書類を調えていたイルヴリーヒが、そう言ってから苦笑した。 「それを、込められた魔力ごと二冊一気に写本しようというのですから、相当の消費です」 書を返しながら、天音は首を傾げる。 「二冊?」 「一冊は売る」 「まあ、高く売れるでしょうが……。 元より希少価値のある魔道書の、選帝神による写本ともなれば」 天音はポカンと瞬く。 「金策が必要なのかい?」 「あって困るもんじゃねえ」 「ルーナサズでは、テウタテス統治の時代にこの地に住んでいた民に対し、向こう十年、税を半分にしています。 当時この街を脱出し、帰還した者には三分の二。 つまり十年間、税収が少なくなるわけで。 財政に余裕が無いわけではありませんが、余裕があるわけでもありません。 テウタテスは、十年間搾り取った税金をどうしたのやら」 イルダーナが選帝神に就任した後一年程、ルーナサズでは、テウタテスの埋蔵金探しが流行したが、誰も発見できなかった。 全て宮殿に費やされたのかもしれないが、その宮殿も今は無い。 「過度の装飾は取っ払ったが、こんなことならもっと徹底的に剥いどきゃよかったぜ」 ちっ、と舌打つイルダーナに、それにしてもあの魔道書を、二冊も同時に写本して行くとは、相当量の魔力を有しているのだなと感心しながら、天音は成る程と頷いた。 ルーナサズで秋祭が行われるという話を聞いて、セルマ・アリス(せるま・ありす)はトゥレンを思い出していた。 コーラルワールドでの一件以来、彼には会っていない。 (ナラカへの道中でカサンドロスさんが死に、コーラルワールドではテオフィロスさんを殺害……。 どんな覚悟を持っていれば、例えやらなくちゃいけないことだったとしても、こんなことが出来たの……?) 何だか、妙にトゥレンが遠いね、と思う。 (エリュシオンの龍騎士って皆そんななのかな……) テオフィロスを助けられず、エリュシオンの人間でもない自分が、何を言ってあげられるのかは解らないが、声だけは掛けてみよう、と選帝神の居城を訪ねる。 心配しているばかりでは、自分も参ってしまいそうだ。 事情を話すと、城内に入ることができた。 「此処で少しお待ちください」 と、言われた場所には、先に来ていたブルーズが同じように待たされている。 「ようこそ、ルーナサズへ」 やがて現れた男が、二人を歓迎した。 イルヴリーヒと名乗った男は、選帝神の弟ということで、そんな上層の人物が現れたことにセルマは驚いたが、ブルーズの方は見知りであるらしい。 「トゥレンは?」 ブルーズはそわそわとイルヴリーヒに問いかけた。 「心配してくださって有難うございます」 イルヴリーヒは二人に礼を言って、ですが、と謝った。 「彼は今、手がつけられない状態で、兄が部屋に軟禁してしまいまして」 「軟禁?」 「鍵を掛けているわけではありませんので、出ようと思えば出て来れますが、今のところ、大人しく納まっていますね」 大人しく、のところで、イルヴリーヒの苦笑が深くなる。 「……選帝神の命令には、きく……」 セルマは呟いた。 セルマは直接その場にいなかったが、カサンドロスの遺言だったと居合わせた者に聞いていた。 半ば独り言だったが、それにイルヴリーヒは苦笑して否定した。 「そういうわけではありません。 彼は、兄が好きだから言うことをきいているだけで、命令に従っていたわけではありません。 シボラの異変の調査に向かわせた際には、途中でカサンドロス殿と会い、そちらに付いて行ってしまっていますし」 イルダーナの命令よりも、カサンドロスの方が、トゥレンにとって優先すべきことだった。 「ええ……」 イルヴリーヒの言葉に頷きながら、カサンドロスの遺言について、彼はこの人達に伝えていないのだ、とセルマは察した。 伝えないまま、彼の命令に従うのだろう。 「……会えるか?」 ブルーズの問いに、イルヴリーヒは少し考えた。 「一応、選帝神の私室ですので、中に入るのはご遠慮ください。呼んで出てくるようでしたら、構いませんが」 それでもいい、と言う二人に、イルヴリーヒは控えていた者に、案内するよう言いつけた。 言いたいことを吐き出させた方がいいのか、黙って消化し終わるまで置いておいた方がいいのか、ブルーズは、道中迷いながら、トゥレンの居る部屋に向かう。 こちらです、と案内された部屋、扉越しに、セルマが声をかけた。 「トゥレン。セルマだよ。 ちょっとだけ様子を見に来た」 扉の中から、反応は無い。聞こえているだろうと信じて、続ける。 「……俺とトゥレンじゃ考えも違うし、国も違うし、トゥレンの元気ない理由が俺が思ってるよりずっとずっと重いって思うから、適当に元気になってなんて言えないけど……それでも俺は、トゥレンに元気になって欲しい」 扉の向こうは、シンと静まり返っている。セルマは溜息を吐いた。 この気持ちが、届いてくれたらいいのだけど。 「…………また、何かの折に寄るよ、それじゃ」 力を落とすセルマを見て、ブルーズは、閉ざされた扉を見つめた。 もしも、ぶちまけたいことがあるなら聞こう、と思っていた。 必要とされていないかもしれないが、自分にできることはそれくらいしかない、と思ったからだ。 けれど、拒絶するように扉の向こうは静かで、そっとしておいた方がいいのだろう、とブルーズは思った。 城を出る折に、案内していた者が、選帝神の伝言です、と伝えた。 「トゥレンを心配してくれて感謝する、と」 「彼が少しでも早く、元気になってくれることを祈ります」 セルマはそう答えて城を後にし、少し祭を見物して行こうかな、と、街の雑踏に紛れて行った。