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 Episode23.闇は未だ晴れず


 ニケ・ファインタック(にけ・ふぁいんたっく)は、他者に精神を乗っ取られ、行方をくらました、パートナーのメアリー・ノイジー(めありー・のいじー)を探し続けていた。
 祭が近いというエリュシオンのミュケナイ地方で、良く似た人物を見かけた、という情報に、まさかそんな所に、と思いつつも、藁をも掴む気持ちで、ルーナサズを訪れる。
 その日は、祭の当日だった。
 けれど、祭見物をする気分ではなく、いるかもしれないメアリーを探して、街を彷徨い歩く。
(いるとして、何の為に此処に来たんだろう……祭見物? あの殺人鬼が?)
 今、メアリーの中に居るのは、グレゴリーという殺人鬼だ。観光旅行に行くとは思えない。
 この街に、何か彼の獲物があるというのだろうか……。
 考えながら歩いていると、いつの間にか裏路地に入ってしまったようだ。
 ふと、思考の淵から現実に戻ったのは、声が聞こえてきたからだった。
 ぞわり、と肌が泡立つ。
(この声……!)
 向かったニケは、角の先で繰り広げられている光景に、目を見開く。咄嗟に隠れた。


 グレゴリーは、賑やかな祭の様子に戸惑い気味の幼い少女、マイシカ・ヤーデルード(まいしか・やーでるーど)と手を繋いで、街を歩いていた。
 マイシカは、行き倒れていた自分を助け、妹として接してくれる『おにいちゃん』を慕い、懐いている。
 人の多いこの場所は少し怖いが、楽しませてくれようとしてくれる優しい人だ。
 グレゴリーは、ふと見覚えのある顔を見つけて舌打ちをした。
(何でこんなところにいやがる。面倒くせえ……)
 振り払うようにマイシカの手を離し、人込みに紛れる。
「おにいちゃん……っ?」
 あっと言うまに彼を見失ったマイシカが、微かに、絶望的な声を上げるが聞き流す。
 もしも揉め事になれば、マイシカの存在は邪魔でしかない。迷子になろうが知ったことではなかった。

 結和・ラックスタイン(ゆうわ・らっくすたいん)達、パートナーと共にルーナサズの祭を楽しんでいたアンネ・アンネ 三号(あんねあんね・さんごう)は、人込みの中に、信じられない人物を見つけた。
「……あれは……二号」
 グレゴリーの、メアリーの、最初の名前。
 三号は咄嗟に追いかける。
 見失う訳には行かない。必死に追って、裏路地の一角でようやく追いついた。
「やっと見つけた……会いたかったよ」
 観念したのか、逃げるのをやめたグレゴリーは振り返り、きっ、と責めるような表情で三号を睨む。
「何ですか、君は……。
 また、僕の幸せを奪いに来たんですか」
 グレゴリーの言葉に、三号は眉を寄せた。
 かつて騙された、彼の『嘘』。それは、自分の中に深い傷を残したけれど。
「……もう、本当の過去を知っているんだ、僕は」
 そう言うと、グレゴリーの表情が、途端に嘲笑うように歪んだ。
「ハッ、そうかよ。なら猫被る必要ねぇなぁ?」
 べろり、と舌を出す。
「はっはァ、そうさ、何もかもブッ壊したのは、この俺だ!」

 三号は、当時記憶を失っていた。
 お前は殺人鬼だと、家族を殺したのだと、目の前にいる二号にそう告げられ、それを信じた、過去。
 本来の自分は殺人鬼なのかと悩み、その本性が出た時、大切なパートナー達を殺してしまうのではと怖れた彼を、けれど、信じると言ってくれた人がいた。
 今の自分を信じていると。例え何かあっても止めてみせるから、大丈夫なのだと。
「……だから僕も……君を止める。
 もう酷いことに手を染めさせはしない。
 そして、いつか解ってくれると信じてる……それを諦めないよ。
 君が何と言おうと……僕は、アンネ・アンネ三号。弟なんだ!」
 決意の言葉に、グレゴリーが返したのは嘲笑だった。
「お前なんかに俺が止められると思ってんの?
 ……丁度、殺し損ねた奴がいるのが気になってたんだよな」
 そう、今、目の前にいる。今、殺して、心残りをなくしてしまおうか。

 先制で攻撃を仕掛けてきたグレゴリーの剣を、三号は辛うじて躱した。
(殺させはしない。
 僕を殺すという罪を、犯させない。
 僕は二号に殺されるわけにはいかない!)
 実力行使で行くしかない。とは言え、彼と自分では分が悪すぎる。
 兎も角身を守ることを優先に、隙を見て相手の動きを止めるしかない。
 三号は、【子守歌】でグレゴリーの気を逸らす。


 二人の戦闘の場面に出くわしたニケは、ごくりと息を飲んだ。
 そこに、メアリーがいる。メアリーの身体を使う、グレゴリーが。
(メアリーと私の力の差は明確だ。……けれど、今なら隙をつける)
 ワイヤークローの留め金を外す。慎重にタイミングを読み、ニケは物陰から飛び出した。

「おにいちゃん、おにいちゃん、どこ……」
 グレゴリーを見失ったマイシカは、必死に兄の姿を探していた。
 どうしよう、あの人がいないと、不安で押し潰されてしまう。
 うろうろと歩き回り、ようやくマイシカは、裏路地に彼の姿を見つけた。
 ああ、よかった……。ほっとして、彼の元に走り寄る。

 ――ニケがグレゴリーに向けて放った、ワイヤークローの先に、マイシカが。

「!!!?」
 突然飛び出して来た少女に、ニケは対応できない。
 グレゴリーを捕縛しようと放ったワイヤークローは、マイシカの身体を引き裂いた。
 ニケは、予想外の展開に愕然とする。
 血に塗れた、クローの刃。こんな小さな子供を、自分が。

「――っ???」
 マイシカは倒れ、突然の痛みの理由も解らないまま、必死にグレゴリーに手をのばした。
「おにいちゃん……たすけて、」
 おにいちゃんならわたしをたすけてくれる、わたしをあいしてくれる、だいじにしてくれる、だから。

 しかし優しかった『おにいちゃん』は、その手を取ろうとはしなかった。
 その手を体ごと足蹴にして、その場から逃げ出す。
 マイシカの、呆然と、見開かれる瞳。
 グレゴリーはくっと笑った。
 そう、その、裏切られて絶望した目が好きなのだ。
 その目を見る為に、今迄連れ歩いていた。
 満足して、高笑いしながら、グレゴリーは悠然と走り去る。
 二人が自分を追って来ないのは解っていた。


 ニケの攻撃を受ける瞬間、この少女を引っ張って盾にしたのを、三号は見た。
 だが、目の前で起きた悲劇に、咄嗟に対応できなかった。
 ニケは狼狽して両膝を付いている。
「どうしよう……どうしよう。
 わ、私はただ、メアリーを、」
 取り戻したいだけだったのに。
「落ち着いて。わかってる、わかってるから」
 慌てて駆け寄り、パニックのニケを宥めて、マイシカに応急手当を施す。
「とにかく、この子を病院に……」
 死なせるわけにはいかない。だが、自分達にできることは少ない。
 抱き上げようとしたところで、三号の手当てを見て、少しずつ我を取り戻したニケが、少女に縋った。
「しっかりして! 私の声、聞こえる?
 助けるから、絶対助けるから、私の声に、うんって言って!」
「ニケ?」
「だって、このままじゃ死んじゃう! でも、契約者になれば……」
 三号は、はっと気付いた。
 契約者になれば、身体能力が強化される。
 病院に着くまで、もつかもしれない。
 ぎゅっと手を握られて、マイシカは虚ろに目を開いた。
「お願い。助けるから。私を信じて」
「………………」
 弱く、手が握り返される。
 それが、マイシカの精一杯の応えだった。