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 第35章 愚者として、どこまでも

 空京にある少し寂れた公園で、日比谷 皐月(ひびや・さつき)は元担任教師の結城 真尋を待っていた。
 ――先生がここに来る。
 前は、地球に――母校に呼び出された。それが今度は、パラミタまで自ら来るという。
(何故――ってのは、愚問か)
 用件は、何となくだが理解していた。目的は説教であり、それはあの時と変わらない。違うのは、皐月が気後れを感じていないというところだろうか。
 きっと今回の目的は、説教だけではないだろうから。
 立ち向かわなければいけない。
 ――オレがオレで有る為に、決して歩みを止めない為に。

「おいおい、生意気に大層なもん持ってるじゃねぇか」
 霊槍【ファニィ・バニィ】を持つ皐月に、真尋は動揺1つ見せなかった。
 30になるかならないかという、細身の女性だ。その内にある激しさを抑える気もなく、自信と共に放散させている。
 戦うことになれば、幾ら彼女が一般人でも手加減なんて出来やしない。今まで一度も勝てた例が無い――それほどの人だから。
 きっと、今まで戦ってきた誰よりも、真尋は強い。力だけの問題ではなく、精神的な面も大きく関わっているのだろうが。
 皐月は彼女の言葉に直接は答えず、地球での会話を思い出し、その意思を、意図を確認する。
「……帰ってくんなって言いませんでしたっけ」
「それは、テメェが帰ってくる可能性があった時の話だろ」
 堂々とした仁王立ちで、吐き捨てるように真尋は言う。
「……今は、違う。あぁ? そうなんだろ? 日比谷」
 やはり、だ。真尋はただ説教をしに来たわけではない。彼女は皐月を、地球へと連れ戻しに来たのだ。
 言う事も成す事も全部過激な先生だけど、優しい人だというのは知っていたから。
 だから、彼が“地球に帰らない”と決めたと知ったら、力尽くでも家族の下に引っ張っていこうとするのは予測出来た。
 だが――それにばかりは従うわけにはいかない。
「オレの、覚悟を示します――先生が力尽くで連れ帰ろうとするなら、オレだって力尽く、だ」
「……御託は要らねぇ、来いよ。私だってテメェが素直に来るなんて思っちゃいねぇさ」
 だからこそ、来たんだ――真尋はそう言い、挑発的な笑みを浮かべる。
 どれだけ冷静に状況を判断出来るか、場を見て操れるかが格闘における勝利の鍵だ。
 人体構造と体勢から行動予測は出来る。“こちらに打ち込み易い隙を作れば”尚の事。
 ――打撃を使わず、相手の力を利用して組み伏せれば良い。
“片手”で武器を持っている以上、皐月の“腕”は封じられたようなものだ。

 槍の存在などものともせず、彼女は皐月に迫ってきた。懐に入り込まれ、気が付いたら空を見ていた。
「…………!」
 だが、投げられるのはまだ良い。対処が出来る。
 皐月は、普段はマフラーの形状をしている赤い魔装『カランコエ』を利用する。硬度を上げたその先端を、地面に向けた。このまま寝技に持ち込まれれば、厄介だ。寝技には人体の構造上絶対に抜けられない物も有るし、そのまま締め落とされれば――酸素を取り込む術を失えば、契約者だってひとたまりもない。
 それは、避けなければならない。

 皐月に投げ技をかけながら、真尋は思う。
 ――契約者、つっても目で物を見てる事に変わりはねぇ。耳で音を聞いてる事に変わりはねぇ。筋肉の位置が違う訳でも、関節が360度回転する訳でもねぇ。
 詰まるところ、電気信号で動く只の肉袋で。
 なら――私に勝てねぇ理由はねぇ。
 地に叩きつけて押さえ込もうとした寸前、皐月のマフラーが質を変えて腕のように、人の手のようになった。その掌が力強く地面を突き、身体の下にあった手ごたえが彼女から逃れていく。反動を使って再び宙を舞った皐月は、真尋から距離を取った。捕らえられないように槍の間合いを生かし、出来る限り離れて戦う必要がある。
「……カランコエは寝技からの離脱にも使える、か」
 カランコエの形状を戻し、皐月は呟く。やはり、ほぼ生身という状態で真尋に勝つのは難しい。
「武纏、魔装」
 そして、魔鎧【エル・アライラー】魔装『ルナティック・リープ』、魔装『ラウルス・ノビリス』【を身に纏った。翌桧 卯月(あすなろ・うづき)と同じ髪型になる。エル・アライラーに因って、欠けていたものが補完されていく。
 カランコエの先端2本を加えれば、腕は4本になったようなものだ。攻められ難くはなる筈である。
 完全武装した彼に、真尋は軽く口笛を吹いた。それから、にやりと笑う。
「……いいぜ、日比谷、テメェの全てを、私がブチ砕いてやる」

 いざ戦うと、槍を使うのはやはり躊躇ってしまう。いっそのこと、と霊槍を手放して徒手空拳で対抗する。投げ捨てても、いずれ術式の力で戻ってくる。それは奇襲用の切り札になるだろう。振り回す髪も立派な武器だ。“当てれば”それなりのダメージになる。
 ――紛う事無く全力で。
 示す。オレの覚悟を――

 ――しかし、皐月は身動きが取れない状態にまで真尋に追い込まれた。戻ってきた槍は今、彼女の手の中にある。
 力をもって相手を頷かせることを時に説得というが、やはりこの場合は、説教されたという方が正しいだろう。
 言葉を使わずに圧倒的な力で、説教をされた。彼の動きを制したまま、真尋は言う。
「日比谷、この世界から、悲劇が消える事なんてねぇんだよ」
「……知ってます。……今は」
 気付いてしまったから。子供が幻想から醒めるように。いつからかは分からない。だがいつの間にか、知ってしまった。……でも。
「でも、オレは決めたんだ。例えどんなに愚かしかろうと、無様だろうと。ここで、己を貫いて生きていく、って。
 ……だから」
 抑え込まれたまま、真尋の鋭い眼光から目を離さずに。
「……餓鬼が。我儘ばかり言いやがって」
 真尋は縛めを解く。それは、認められることのないままの解放だった。