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氷雪を融かす人の焔(第1回/全3回)

リアクション公開中!

氷雪を融かす人の焔(第1回/全3回)

リアクション

(くっ、洞穴を目の前にして魔物とは……あの者たちを排除せねば、洞穴の調査もままならぬか)
 魔物の出現に騒然とする一行の中、姫北 星次郎(ひめきた・せいじろう)も当初の目的を崩される形で動揺を浮かべていた。
(この雪の中に入ってからというもの、連絡が取れない……魔物の情報などがシャールから聞ければまだ対処のしようがあったのだがな。シャールにだけは繋がるのだから、向こうがそれどころではないと捉えるのが妥当か)
 懐に仕舞った耐水性のペンと手帳は、別行動としてイナテミスに向かったシャール・アッシュワース(しゃーる・あっしゅわーす)からの報告を書き留めるために用意したものだが、連絡が取れないという事態の中ではその意味を失っていた。唯一発信が可能であったシャールには定期的に交信を試みているものの、『ゴメン、今そっちに向かっているから――』という会話を残して切れてから、一度も繋がる気配がなかった。
(あの言葉はどういう意味なのだ? イナテミスで一体何があった? シャール、今どうしている?)
 湧き上がったパートナーへの不安を、打ち消すように別の思考へと切り替える。
(それより、まずは俺の心配をしないといけなそうだな。ここまで無事に来られたことがある意味幸運であったと捉えるべきか。これからが本当の戦いというわけだな。……まあいい、調査に障害はつきものだ。この程度、自らの力で切り抜けられなくてはな)
 準備を整えた星次郎が、向かってくる魔物たちを見据えて言い放つ。
「自分の未来は……自分の力で切り開く!」
 そして、一行と魔物との戦闘が、ここでも開始される。

「魔物がこの雪の中でも平然と走ってるというのに、ワタシができないはずがありません!」
 何やら謎の理論を叫びながら、あーる華野 筐子(あーるはなの・こばこ)が光り輝く盾を構えながら、魔物にも負けない速度で雪原を駆ける。どういう原理でそうできているのかは謎に包まれているが、どうやら背中に描かれた『犬と雪ダルマ』の絵が効果を発揮しているのかもしれない。
「冷気であろうと何であろうと、ワタシには通じません! さあ、かかってきなさい!」
 最前線に飛び込んだ筐子が、吐きかけられる極寒の風や飛び荒ぶ氷の塊を弾きながら、飛び込んできた魔物へ剣の一撃を見舞う。
「束ねし光、貴方の力に。優しき陽、二人を包め!」
 背後では、アイリス・ウォーカー(あいりす・うぉーかー)の祝福の力が二人を包み、筐子の盾としての力をより高めていった。
(イナテミスへの襲撃は陽動に違いないのです! 今頃それを知って、きっとこちらへ向かっているに違いないのです! だからここで魔物を食い止めていれば、その人たちと合流することができるはずなのです!)
 そんな推測に基づいた筐子の行動は、現時点では洞穴へいち早く駆け込んでいく仲間たちを援護する役割を担っていた。筐子が魔物を引き付けてくれているおかげで、洞穴への道程が手薄になっていたのである。
「仲間が洞穴へ向かっているわ。華野、あなたはどうするの?」
 駆け寄ってきたアイリスに、筐子が応える。
「いずれ第三勢力が、洞穴へ入っていった仲間たちを背後から強襲するためにここにやってくるはずなのです! だからワタシは、ここで皆さんの盾となり続けるのです!」
「……どこまでその電波な推測が当たっているか考えどころですけど、盾になるというあなたの意見には私も同調しますわ」
 微笑んで、アイリスが援護に戻り、そして筐子は果敢に魔物の攻撃を受け止めていく。

(あの洞穴には、既にモップスが先行しているのだろうか……無理をしていなければいいが……むうっ!?)
 モップスのことを案じていた早川 呼雪(はやかわ・こゆき)の上空から、極低温の冷気が吐きかけられる。
「やめろー! コユキをいじめるなー!」
 パートナーのファル・サラーム(ふぁる・さらーむ)が上空の魔物へ火弾を見舞うが、空を自由に舞う魔物には掠りもしない。火弾が切れたところで、魔物が次の冷気をぶつけるべく首を傾げた、その瞬間。
「攻撃しようとした瞬間が、狙い目なんだな!」
 呼雪の眼前に滑り込み、吹きかけられる冷気をものともせず弾丸を見舞い、魔物を撃ち落としたのは、今まさに呼雪が心配していたモップス本人であった。
「モップス! お前に何かあったら、今度はリンネの方が悲しむ事になるんだぞ?」
「もうそれは散々言われたんだな。十分休んだからもう大丈夫なんだな。それにこの程度、リンネの魔法に比べたらあったかいくらいなんだな」
「さ、さすがモップスさん、伊達にリンネさんの魔法をくらってないね。あ、よかったらお茶、どうですか?」
「ここまで急いできたから、流石に喉が渇いたんだな。ありがたくいただくんだな」
 ファルからカップを受け取ったモップスが、口の端からお茶がこぼれるのを気にせず飲み干していく。
(ああ……モップスがまた薄汚れていく……ダメだ、どうしても気になる……!)
 カップを返したモップスが駆け出そうとするのを、呼雪が呼び止める。
「モップス……! 俺の願いを聞いてくれないか?」
「と、突然何なんだな。今こんなところで熱いまなざしを向けられても、流石に困るんだな」
 慌てつつもそこまで嫌そうじゃない素振りを見せつつやはり慌てるモップスに、呼雪が言った言葉は。
「無事に帰ったら……丸洗いしてもいいか?」
 瞬間、何よりも冷たい風が、二人の間を吹きぬけていった。

「フラフラのままなら無理に止めてでも体調を整えさせようと思いましたけど……どうやら大丈夫そうですわね。先程は何を話していらっしゃいましたの?」
「危うく死亡フラグを立てられそうになったんだな。……色んな人がボクのことを心配してくれたんだな。ボクは自分の未熟さを改めて知ったんだな。だから今度はボクがみんなの役に立つんだな」
「OH! モップスにしちゃカッコいいでございます。ワタシも微力ながらお手伝いさせていただきますわ」
「護衛の役目、しっかりと果たして見せますわ。モップスはちゃんとリンネを助けなさいよ」
 戦線に復帰したモップスを護衛するように、リリサイズ・エプシマティオ(りりさいず・えぷしまてぃお)リヴァーヌ・ペプトミナ(りう゛ぁーぬ・ぺぷとみな)十六夜 泡(いざよい・うたかた)、さらにモップスの後を追いかけてきた一行が取り囲む。大集団となった一行は、魔物の襲撃を退けながら少しずつ洞穴へと近づいていく。
「リヴァーヌ、前面はお任せしますわ!」
「YO! ワタシの手にかかればお前らイチコロでございます」
 リリサイズの指示を受けて、リヴァーヌが誰をも通さぬという意思を露にして魔物と対峙する。
「うふふ……わたくし前々から、あなたの背中のチャックが気になっていましたのよ……一度開いてみたいですわね、きっと未知との遭遇ですわ……」
「や、止めるんだな。これは誰にも開けさせないと決めているんだな」
「あら。……じゃあ、リンネにもなの?」
「……リンネがどうしてもというなら考えるんだな。でもリンネは一度も言ったことがないんだな」
「ふふ、妬けちゃうわね、それ。……いいわ、今回は諦めてあげる。さあお行きなさい、リンネのところへ!」
 リリサイズの放った火弾が魔物たちへ降り注ぎ、手足を吹き飛ばされた魔物が雪原に伏せ、雪の一部となって消える。
「邪魔よ、失せなさい!」
 泡が、両手に炎を顕現させた状態で掌を突き出せば、そこから火球が飛び、飛びかかろうとした魔物の鼻先を掠めて飛んでいく。なおも二発、三発目が飛んでいくが、雪原をものともせず駆ける獣姿の魔物には、避けるのはたやすいことであった。
「このまま遠距離戦では消耗が激しいわね……なら、これでどう!?」
 言った泡の手の甲に、彼女が得意とする火術が付加される。炎はグローブのように手全体を覆い、拳を握った泡が近付く魔物へ駆けていく。
「燃え尽きなさい!」
 踏み込んで放った拳の一撃が、跳躍した魔物の懐を捉え、遥か上空に打ち上げられた魔物は氷塊と散り、雪のようにふわりと舞って地面に落ちる。
「みんな、少し待っててほしいんだな! 必ずリンネは連れて帰るんだな! ボクについてくる人は、はぐれないように気をつけるんだな!」
 魔物から洞穴の入り口を死守する仲間に、モップスが激励の言葉をかけて、洞穴の中に消えていく。ゆるやかな下り坂になっている入り口の奥にモップスが消え、そして未だ、魔物と生徒たちのにらみ合いが続いていた――。

 『氷雪の洞穴』は、事前の観察通り全ての床や壁が氷でできていた。
 しかし思ったほど足が滑るようなことはなかった。確かに地面よりは滑らかであるが、不思議なことに人が足を乗せても融けないため、摩擦をより軽減する水が発生しないためであった。
 ただ、気を抜けば滑ってどこまでも転がってしまうのは代わりがない。足を踏み入れた一行は慎重に慎重を重ねながら、奥へと進んでいく。
「モップスさん、少しお聞きしてもよろしいでしょうか?」
 御宮 万宗(おみや・ばんしゅう)が、一行と共に進むモップスへ声をかける。
「モップスさんは、リンネさんが消息不明になった理由についてどうお考えですか?」
 そう話す万宗の表情には、言葉とは別に、「リンネさんの普段の素行が今回の事件を招いたのではありませんか?」という別の言葉が潜んでいるように思われた。ちなみにパートナーのジェーン・アマランス(じぇーん・あまらんす)は事前に万宗の真意を聞いているため、あえて話には関わらず、他の仲間たちへの影響を最小限にするべく努めていた。
「それは、リンネが勝手に洞穴の中へ飛び込んでいったからなんだな。リンネはいつもそうなんだな、後先考えないで行動してばかりなんだな」
「……なるほど、分かりました。では質問を変えましょう。モップスさんは何故お一人で戻られたのでしょうか? もしリンネさんのことを気遣うなら、助けに行くべきではなかったのですか?」
 意図が挫かれた形になった万宗だが、今度は矛先を変えて話を続ける。
「ボクは無理だと思うことはしない主義なんだな。結果ボクが恨まれるようなことになっても、それは仕方のないことなんだな。他人から蔑まれたり罵倒されたりするのは、慣れてるんだな」
「…………では何故、リンネさんを助けようとするのです?」
 二度意図を挫かれた万宗が、ただ純粋な興味と共に尋ねる。
「助ける理由なんてないんだな。ボクはリンネのパートナーなんだな。後はできることはするだけなんだな。伊達に長くゆる族やってないんだな」
 最後のは関係があるのか分からなかったが、どうやらそれがモップスという人物のようであった。
「……俺ごときが諭すなど、おこがましかったようですね。失礼しました」
「いいんだな。むしろリンネの方を諭してやって欲しいんだな。ボクの言うことは全然聞かないんだな」
「はは、では機会あれば、ということにしておきましょう」
 言って、万宗がジェーンと合流すべく去っていく。

(う〜ん、こんなところにどうして二人だけで来たのかとか、みんなの優しさばかり頼ってちゃダメよ、なんて言おうかと思ってたけど、先越されちゃったわね。しかも今のでモップスが、考えなしに行動してるわけじゃないって分かっちゃったし、私が言う必要もなくなっちゃったわ。どうしようかしら)
 聞こえてきたモップスと仲間との会話を思い返して、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)がため息をつく。
「それにしても……うぅ、寒いわね。やっぱここはモップスの着ぐるみを燃やして暖でも取ろうかしら」
「お、おい、冗談のつもりだと思ってたが、本当にやるつもりか? 止めておけ、モップスはともかく仲間に何されるか分からんぞ。仲間の中にはモップスを大切に思っている人もいるだろうに」
 呟いて、掌に炎を生み出したリカインを、キュー・ディスティン(きゅー・でぃすてぃん)が止めようと宥める。
「せっかく仲間と一緒に冒険しているんだ、ここは怪我をした仲間へヒールの一つでもかけてやればどうだ」
「えっ、ヒールが使える僧侶、だれだれ? どこにいるの?」
 見事に自分を除外するリカインに、呆れた表情でキューがため息をつく。瞬間、一行の中から助けを呼ぶ声が響いてくる。
「済まない、転んで傷を負ってしまった、できれば治癒をお願いしたい」
「ほら、早速呼んでるぞ。行かないのか?」
「そういうのは苦手だわ。モップスの中身が見られます、ていうのなら行ってあげなくもないけど」
 ぷいとそっぽを向いて歩き出すリカインを、キューがやれやれといった感じで首を振る。
(まあ、下手なことされるよりマシか……)
 そう心に呟いて、キューが後を追う。そしてモップスのところへは、ミューレリア・ラングウェイ(みゅーれりあ・らんぐうぇい)が興味津々といった表情で近付いてきた。
「なあなあモップス、あんたの背中のチャック、中はどうなってんだ? 私にだけでいいから一度見せてくれよ、なあなあ」
「だ、だから止めるんだな。開けようとしても無駄なんだな、開かないようになってるんだな」
「本当かよ!? じゃあなおさら開けたくなっちまうな、この、この!」
「何回やっても無駄なんだな。それにそんなに飛び跳ねて、転んでも知らないんだな」
「大丈夫、私がそんな真似するとでも……うおっと!?」
 言った直後に、ミューレリアは足元の突起につまづいて体制を崩し、頭が見事モップスの腹部にめり込む。
「ぶはっ! ……モップス、その着ぐるみかなり臭えぞ」
「そ、そんなはずはないんだな。見かけは悪くても、匂いには気をつけてるんだな」
「いや、なんていうか、その……あれだ、加齢臭ってやつ?」
「なん……だな……? ボクが、加齢臭……?」
 ミューレリアが放った強烈な一撃が、モップスのお腹を抉るように突き刺さる。
「……なーんてな! 意外だぜモップス、見かけがアレだからもっと臭うかと思ったけど、結構いい香りするじゃねーか……っておい、何真に受けてヘコんでんだよ! 気にすんな、あんたは十分女にモテるぜ!」
「……別に、そんな誉め言葉受けても、嬉しくないんだな」
 あっはっはと笑うミューレリアを、モップスが冷ややかな瞳で見遣る。

「そんな格好じゃすぐに冷えちゃうわ。寒さを軽視しちゃダメ、私たちには毛皮も暖房機もないんだから。はい、これ使ってね」
 ちょっとでも寒そうな格好をしている仲間へ、ルカルカ・ルー(るかるか・るー)が用意した防寒グッズを手渡していく。背後にはダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)がそれらを抱えて控えていた。
「随分な数を用意してきたな。これ全て渡していくつもりか?」
「だって、心配なんだもん。ルカルカがいる限り、寒さで脱落する人は絶対、一人も出さないんだからね!」
 振り返って言ったルカルカが、できていた氷柱につまづき、バランスを崩す。咄嗟にダリルが手を伸ばしてルカルカを引き寄せ、事なきを得る。
「その心意気は見事だが、自分のことも心配してくれ。こんなところで転べば、ただでは済まないぞ」
「……うん、ありがとう、ダリル。……あっ、ねえ、見て見て!」
 瞳を煌かせて指差すルカルカが示したのは、乱雑のように見えて整然としているようにも見える氷の模様。一行が灯りとして放っている光を複雑に反射して、形容し難い輝きを生み出していた。
「綺麗だわ……ふふっ、ダリルとこんな素敵な景色を見られて、ルカルカ幸せ」
「な、何を言うのだいきなり……まあ、よくできたものであることは認めるが」
 ルカルカの突然の言葉にダリルが視線を外して呟く。すっ、とルカルカが身を寄せ、互いの体温が触れ合う。
「ほら、息がこんなに白いの。ルカルカも、そしてダリルも、同じくらいにあったかいのね」
「…………」
 微笑むルカルカが、ダリルには氷の複雑な反射が生み出す輝きより、何より輝いて見えていた。
(な、何故だ……何故このような思いが、俺の中に……俺は、どこかおかしくなってしまったのか?)
 自らの中に生まれた思いに戸惑うダリルを横目に、ルカルカはなおも微笑んでいた。

「全てが氷でできているとは聞きましたけど、本当にそうでしたとはね……これは是非とも今後の研究のために持ち帰りたいところですわ……わわわ!?」
 氷でできた壁の突起に手を伸ばして掴もうとしたフェーラァ・アルケミス(ふぇーらぁ・あるけみす)だが、その突起がうっかり折れてしまったためバランスを崩し、氷の床にしこたまお尻をぶつける。
「痛いですわ、それに冷たいですわ! 早くリンネさんを助け出して、ここから出たいところですわ――」
「立ち上がれますか? お怪我はございませんでしょうか?」
 立ち上がろうとしたところへ伸ばされる手にフェーラァが見上げれば、清泉 北都(いずみ・ほくと)のパートナーであるクナイ・アヤシ(くない・あやし)が丁重な仕草でかしこまっていた。
「大丈夫ですわ、ワタシ一人で立てます……わわっ!?」
 手を振り払って立ち上がろうとするフェーラァだが、再びバランスを崩して床を転がる。
「つま先だけで立とうとすると転びますよ〜。足の裏全体に体重をかけて立つんです」
「し、知ってますわそんなこと。今のは段差があったからですわ。……ほら、この通りですわ」
 二度目の挑戦でようやく立ち上がったフェーラァが、二人を見遣る。
「世話にはなりましたわ。ですがここからはワタシ一人で参りますの、失礼」
「よろしいのですか? 何やら迷っておいでの様子でしたが……」
「…………」
 歩き去ろうとしていたフェーラァの足がぴたり、と止まる。
「ここに至るまでの道程は全て、地図に書き残してございます。私たちと行動を共にする方が、結果として被害が少なく済みそうに思われるのですが、いかがでしょうか?」
「う〜ん……まあ、僕は構わないけどね」
 クナイの提案に、北都はのんびりした口調で頷く。
「……わ、ワタシもそれはいい案だと言おうとしていたところですわ! では早速参りましょう!」
 本当はそうでないのを隠すようにしつつ、フェーラァを先頭に北都、クナイの順に洞穴を進んでいく。
「フェーラァ様や私たちの他にも、モップス様より先行して進んでおられる方はいらっしゃるのでしょうか?」
「どうだろうね、僕たちは魔物から逃げるようにしてここに入ってきたからね〜。まだ連絡は取れないみたいだし」
 未だに鳴らない携帯を仕舞って、北都が呟く。
「そうでしたわ……あの雪といいこの氷といい、普通じゃないのは確かですわね。これはますます研究のしがいがありますわ! 何としても持ち帰って実験を――」
 言いかけたフェーラァの言葉が途中で止まる。同時に北都も足を止め、書き起こした地図に視線を落とす。
「……ここに仕掛けた禁猟区に、誰かが近付いているみたい。危険、というわけではなさそうだけど」
「少々気になりますね。もしお仲間であるなら合流することによるメリットがありますし、行くことに損はないかと思われますが」
「行ってみましょう!」
 全員の意見が一致して、一行は反応のあった場所へと向かっていく。

『わしらの方は今のところは問題ない。ここに来るまでにあった罠もなければ、魔物も姿を見せておらん。……留美としか連絡が取れないというのが不便じゃがの』
「そうね、この状況は想定外でしたわ。ですが、ここで立ち止まってなんていられませんわ! モップスさんとも合流したことですし、後はリンネちゃんを助けるだけですわ。ラムール、そっちも気をつけてね」
『うむ、わしに任せておけ。……そうじゃ留美よ、そのような格好をしておるのならせめて下着くらいは――』
 ラムール・エリスティア(らむーる・えりすてぃあ)からの通信を最後まで聞かずに切り、佐倉 留美(さくら・るみ)が一行の方を振り返って元気に呟く。
「さあ、いきますわよ! 寒さなんて、寒いと思うから寒いんですわ? 気にしなければ済む話ですのよ?」
「言うことは分かるけど、うう、やっぱり寒いかも……もう少し着込んできた方が良かったのかな?」
「そうですわよね、洞窟の中はやっぱり寒いですわよね〜」
 露出している部分を掌で擦って暖めようとする久世 沙幸(くぜ・さゆき)に、妖艶な笑みを浮かべた藍玉 美海(あいだま・みうみ)が背後から忍び寄り、身体と身体を触れ合わせる。
「ね、ねーさま、こんなところでっ」
「あら、場所なんて関係ないわ。愛の営みは、したくなったときにするのが自然なのよ」
「そ、そんなこと言われたって……んんっ! ちょっ、ねーさまっ、そこだけは――」
「んふふ〜、そことはどこのことなのかしら〜。わたくし分かりませんわ〜」
「わ、分かってるくせにそんなこと……もう、それ以上はっ、だ、だめなんだからね!」
 いやいやをしつつも抵抗の弱い沙幸を、美海が微笑みつつも容赦なく責め立てていく。他の仲間たち、特に男性陣は横目で気にしつつも、モップスが別段気にもせず洞穴を進んでいくので、名残惜しむ表情を見せながらその場を後にしていく。
「はぁ……また始まりましたわ、この二方……ちょっと、その辺にしておかないとはぐれますわよ。簡単に連絡が取れるわけではないのですからね」
「ぅぅん、残念ですわ……これからがお楽しみでしたのに」
「はぁ、はぁ……た、助かったぁ〜」
 へろへろになりながら付いてくる沙幸、至極残念そうな表情を見せる美海を見遣って、留美が先を急ぐモップスの隣までやって来る。
「モップスさんは、ああいったのに興味はないんですの?」
「ないんだな。どうでもいいんだな」
 純粋な興味でもって尋ねた留美の質問に、モップスが本当にどうでもいいのだとばかりに答える。
「あら、そうなんですの。リンネさんとの様子から、モップスさんは結構好きそうだとばかり」
「どこをどう見たらそういう答えになるんだな? ……経験したことがないからどうでもいいんだな。今更経験しようとも思わないんだな」
「ふふふ、ゆる族同士で、というのも面白くていいのではないかしら?」
「…………女の子はどうも好きになれないんだな」
 モップスの回答に留美が疑問符を浮かべたところで、携帯がラムールからの着信を知らせるメロディを響かせる。
『すまぬ、魔物を見失った! もしやそっちに向かっておるかも知れぬ、気をつけよ!』
 話によれば、発見した魔物を伏撃するはずだったが上手くいかず、補足もままならなかったのだという。
「私が罠を仕掛けておこうか? 一網打尽にできるかもしれないよ?」
「地の利は向こうにありますわ。発動する前に気付かれれば、余計に警戒されますわ」
「……まだ一本道なんだな。分かれ道に着くまでは、少しでも進んでおきたいんだな」
 一気に緊張感の増した一行が、洞穴の中を進んでいく。

「予想していたより広いですけど、箒で飛んでいくのは難しいですね」
「だね〜。つららとか柱とかが邪魔だよね〜。……火術で吹き飛ばしたら飛べるようになるかな?」
「あ、危ないですから止めてくださいっ。どうなるか分かりませんよ? もしも天井が崩れてきたりしたら、皆さん遭難してしまいますよ?」
「うわわ、それは勘弁だぁ。ボクが氷漬けになっちゃったら元も子もないや」
 一行の後方近くを、ナナ・ノルデン(なな・のるでん)ズィーベン・ズューデン(ずぃーべん・ずゅーでん)が歩いていく。
「この氷……どのようにできているのでしょう。魔物と同様に、魔力が込められているのでしょうか」
「さあね、試しに傷付けてみたりしたらどうかな? ナナご自慢の特技とやらで」
 ズィーベンの冗談には応えず、ナナが取り出したナイフで壁の一部に跡をつける。それは瞬く間に塞がり、元の姿を取り戻す。
「やはりここもそうですか……『シルフィーリング』絡みの事件の時も、すぐに再生する木々を見かけました。今回も、同じ効果を持ったリングがこのような事態を引き起こしているのでしょうか」
「う〜ん、前がシルフィーだから、今度は……ウォーティー? あれでも氷だからええと……アイシィー?」
「名前のことは分かりませんけど、水に関係する何かである可能性が高いですね。ズィーベン、ここでは火術が有効でしょうから、もしもの時は頼みますね」
「えぇ〜、魔物が出たらボク、真っ先に逃げるよ? だって怖いもん。安全だっていう場所まで来れたら使ってもいいけど」
「ここまでは一本道のようでしたし、私たちは後ろの方に居ますから、何かあってもすぐに襲われることはない――」
 言いかけたナナの後方で、氷が割れる音、そして、魔物の咆哮が響き渡る。一行が通り過ぎた壁の一部が、他より薄くなっていたことによる、いわば魔物たちの奇襲であった。

「モップスさん、疲れているときは甘いものが一番です! チョコレートなんかいかがですか?」
 モップスの近くにやってきた立川 るる(たちかわ・るる)が、丁寧に包んだチョコレートを差し出す。
「じゃあ、いただくんだな」
 そのうちの一つを器用につまんで口の中へ放るモップスを見遣って、ラピス・ラズリ(らぴす・らずり)が問いかける。
「そういえば、モップスさんとリンネさんは、どうしてこの洞穴にやってきたのかな?」
「行くと決めたのはリンネなんだな。ボクは巻き込まれただけなんだな。「リンネちゃんも『颯爽の森』での調査隊のような活躍がしたいの!」と言って聞かなかったんだな。リンネが無茶を言うのは今回に限ったことではないんだな」
「そ、そうなんだ……でも、モップスさん、やっぱりリンネさんのこと心配だよね?」
「どうしてそういう結論になるんだな?」
「だってモップスさん、リンネさんのことになると口数が増えてるんだもん。誰だって分かるよ〜」
 ラピスにそのことを指摘されたモップスが、何も返さずそっぽを向いてすたすたと歩いてしまう。
「お、怒らせちゃったかな、るるちゃんっ」
「ううん、ラピス、違うよ。モップスさんは素直になれないだけだよ」
 モップスの態度に気落ちするラピスを慰めるように、るるが声をかける。
(普段あんなことされてるのに、気にしてるなんて――)
 るるの思考は、後方から響いてきた破砕音と、魔物の咆哮で遮られる。振り返ったモップスが慌てて向かおうとするのを、るるが制する。
「モップスさんは先に行ってください! リンネさんのことはよろしくお願いします!」
「僕も微力だけどお手伝いするよ!」
「……ありがとうなんだな。努力はするんだな」
 言い残して背を向け、その場を後にするモップスを見送って、二人は魔物を迎撃する準備に入る。

「ここから先へは行かせません! ……僕に、仲間を護るだけの力を!」
 襲い来る魔物に対して、菅野 葉月(すがの・はづき)が冷気に対する祝福の力を得、仲間たちから見て殿の位置に防御姿勢で位置する。飛んでくる氷の粒や輝かんばかりに白い風も、葉月を抜くことなく受け止められる。
「葉月、援護するよ! 葉月に近付く虫は駆除に限るよね!」
 後方からミーナ・コーミア(みーな・こーみあ)の生み出した火球が飛び、魔物に次々と命中する。水が固体から気体に昇華する際に生じる爆発のようなものに吹き飛ばされる魔物たちだが、ここは床も壁も氷でできている空間。四肢を吹き飛ばされた程度の傷は徐々に再生されていくのを目の当たりにする。
「えぇー、せっかく当たったのに、これじゃいつになっても倒せないよー!」
「止めを刺せなくとも、仲間のところに魔物が行かないようにすればいいのです。魔物の攻撃が緩んだ隙を狙って、僕たちは後方に下がり、そこでまた魔物を食い止めるのです」
「うー、どかーんと倒せないのかなあ……うん、とりあえず葉月の言う通りにやってみる!」
 葉月の言葉に頷いたミーナを見遣って、葉月が状況を確認する。周りは氷の壁、前と後ろのみが空間の現在位置。
(さっきのようなことがなければ、僕たちは前だけを警戒していればいいけど……後方の仲間が進んだ先に分かれ道があったら、そこでも人数を割く必要がある。戦力が減った状態で奥まで進んで、果たしてリンネを助けられるの……?)
 湧き上がった不安を、しかし葉月は抑え込む。
(……いいえ、あれだけリンネのことを心配しているモップスですもの、きっと果たしてくれますわ。普段からだとそうは思えないのが残念ですけど)
 黒焦げにされるモップスを思い出して微笑んだ葉月が、突進してきた魔物の攻撃を受け止める。

(モップスさんの勘が正しいのでしたら、この先には何か重大な秘密が隠されているはず……その時にもし私の力が必要になるのなら――)
「フィル、一人で思い詰めないで。大丈夫、私がフィルを護るから」
 険しい表情を浮かべて思考に耽っていたフィル・アルジェント(ふぃる・あるじぇんと)をあやすように、セラ・スアレス(せら・すあれす)が言葉をかける。
「……そうね。ありがとうセラ、そう言ってくれるセラがパートナーで本当に良かったわ」
「フィルが調子悪いと私まで調子悪くなるから言ったまでよ、そこまで感謝されるほどのものではないわ」
 言って、フィルの先を行くセラ。そんなセラを微笑ましく見遣って、フィルが後に続く。
 しばらく進んだ先で、分かれ道が見えてくる。そして一方から響く、魔物の咆哮。
「こっちなんだな! もう一方の道から魔物がやってくるんだな、抑えるんだな!」
 モップスの指示で何人かが道の入り口へ向かう。その様子を見ていたフィルは、この時点で一行の人数が相当減っていること、これ以上数を減らすことはとても危険であるように感じた。
「フィル、あれよ。あれに爆薬を仕掛けて道を塞いでしまいましょう
 セラが指したのは、一つが人の大きさほどに成長した氷柱群。
「連なっている一箇所を破壊すれば、つられて全て落ちてくるように仕掛ける必要があるわ。フィルならその場所が分かるでしょう?」
「ええ……この配置、そして周囲の状況から……あそこだわ」
 フィルが荷物から、予め用意しておいた爆薬を取り出し、狙いの位置で爆発するように導火線を切る。それを射出用の筒に投入すれば、フィルが訓練の中で構築した、言わば『大砲』の準備完了である。
「行きます! 皆さん、下がってください!」
 必ず成功させるという意思の元、フィルが筒の下端に火をつける。軽い音と共に発射された爆薬が、見事狙いの位置で爆発し、衝撃で氷柱が地面に突き刺さり、道を塞いでいった。

「随分進んで来ましたが、本当にこの奥にリンネさんはいるのでしょうか? 私はイナテミスにいるのが本当のリンネさんだと思うのですが」
「いや、モップスの言う通り、リンネはこの奥にいる。イナテミスから連絡を寄越したというのは、おそらく幻影か思念体か、ともかく本物ではないな。我輩はそう考える」
 朱宮 満夜(あけみや・まよ)の湧いてきた疑問に対して、ミハエル・ローゼンブルグ(みはえる・ろーぜんぶるぐ)がやや高圧的な態度をかもし出しながら答える。
「そう……でしょうか。いえ、そうですね、ミハエルがそう言うのですから、その通りなのでしょうね」
「まあ、あくまで可能性が高いという話だ。本当のことはこの先に辿り着いてみないと分からない。それまでに魔物や罠の類がまだ残っているかもしれんぞ、注意するのだ」
「ええ、わざわざありがとうございます、ミハエル」
 微笑んで前を向いた満夜は、視界の先に開けた空間が広がっているのを捉える。
「あそこがこの洞穴の奥、なのでしょうか?」
「そう考えるのが妥当だな。リンネがいる可能性を考えて、火術の類は使用を控えるのだ。うかつに用いて万が一洞穴が崩れるようなことになっては、皆もろとも氷漬けだ」
 ミハエルの忠告に真摯に頷き、満夜が足を進めていく。
 そして二人の前に広がる、ここがいっそ現実でなく幻想の世界であるかと思わせるほどに、神秘的な光景。地面から、壁から天井から伸びた氷柱が互い違いに交差を繰り返しながら、最深部に据えられた四本の柱、そこへ誘うアーチを形成しているかのようであった。
「これは……一体何がこのような景色を――」
 辺りを見渡していた満夜は、ふと氷柱の中に違和感を感じてそれを凝視する。
「……ひっ!?」
「どうした、何が……くっ、まさかこのようなことが――」
 満夜が目を背け、ミハエルが悪態をついたその光景は、苦悶の表情を浮かべた人間の、氷漬けにされた姿であった――。

「あ、あれは一体何なのですか? 見ればあっちにもこっちにも、人が閉じ込められてます!」
「ふむ……これはまた面白いことを考えたな。今度いちるもこのようにしてやろうか?」
「あうぅ、ギルさんひどいです、そんなこと言わないでくださいよぅ」
「アッハッハッハッハ、安心しろいちる、放置なぞはせん、俺がたっぷり遊んでやろう!」
 涙目の東雲 いちる(しののめ・いちる)に対し、上機嫌でギルベルト・アークウェイ(ぎるべると・あーくうぇい)が応える。
「うぅ……ギルさんが傍にいてくれるのなら、いいです」
 周りから「いいんかい!」というツッコミが飛びそうないちるの発言だが、それが彼女の優しさでもあると言えるだろうか。
「……ふむ、しかしこれだけあるとなると、何か目的があってのことかと勘繰るな。ただ趣味でこの様なことをするとは思い難い」
「き、脅迫、とかでしょうか? ここに居る人たちを囮にして、別の何かを得ようとするためとか」
「うむ、それも一理ある。だがこの者たちが、例えばどこかの大貴族であるならいちるの話も頷けるが、身なりからしてごくごく一般人のようだ。……俺の推測では、この者たちはいわば『餌』にされているのではないかと考える。この洞穴を、そして外の雪を降らせ続けるためのな」
「そんな……だったら誰が、何のためにこんなことを――」



『それはきっと、わたしのため』



「誰なんだな!」
 突如聞こえてきた声に、一行そしてモップスの誰何が響く。応えるように、細かな粒がふわりふわりと舞い集まり、それはやがて人の姿を取って一行の前に現れた。
「わたしはレライア……雪の精霊。この有様は、わたしをここに留め置くために、カヤノがしてくれたこと……」
 レライアと名乗った少女は、まさに雪のように儚く、触れれば瞬く間に融け消えてしまそうな脆さを孕みながら、ふわりとその小さな身体を浮かせ、背中にぼんやりと浮かび上がった羽を羽ばたかせて、モップスの前へやってくる。
「レライア、と言ったか。リンネはどこにいる? 返事次第では強硬手段も辞さない……んだな」
 尋ねるモップス、その口調が変化していることからも、彼の本気ぶりが伺えた。
「ご安心ください、リンネ様ならご存命です」
 そう言ってレライアが指し示した方角、一際大きな氷柱に、眠るように瞳を閉じた姿のリンネがいた。
「リンネ!」
「この氷柱に閉じ込められている方々は、皆死んではおりません。この洞穴、そして外の雪を降らせるための魔力を提供する礎となってもらっているのだと、カヤノは言っていました。……わたしは、このようなこと、間違っていると思うのですが――」
「だったら、すぐにリンネと、この人たちを解放するんだな」
「それは……」
 モップスの言葉に、レライアは言葉を無くして俯いてしまう。
(ついにリンネ、そして黒幕の登場ね。さあ、どうやったらこの状況を面白おかしく引っ掻き回せるかしら?)
 重苦しい沈黙が降りる中、メニエス・レイン(めにえす・れいん)が何かを企むように笑みを浮かべ、パートナーのミストラル・フォーセット(みすとらる・ふぉーせっと)に話を持ちかける。
「ねえミストラル、何かこの事態を混乱させる手段はないかしら? できれば黒幕のレライアという少女につきたいのだけれど」
「メニエス、また悪い癖が出ましたね……そうですね、例えばこの場でリンネを人質にとってみるというのはいかがでしょうか。レライアの味方となるかどうかは分かりかねますが、少なくとも生徒たちに反旗を翻す役割は演じられるかと」
「面白いわねそれ! いいわいいわ、一度学生相手に本気で魔法を使ってみたかったのよね……ああ、ついでにあのモップスとかいう薄汚いクマを黒焦げにできたら幸せだわ! さ、そうと決まれば早速実行よ!」
「心得ましたわ。幸い皆さんの意識はモップスとレライアに向けられています。向かうなら今のうちですわ」
 ミストラルの言う通り、その場に居た者はモップスとレライアの動向に注意を奪われ、二人の思惑など知る由もない。
 そして、易々と氷漬けにされたリンネの傍へ辿り着いたメニエスが、高らかに宣言する。
「クックックッ、リンネの命はあたしが握っていますわ! さあ、どうなさいます!?」
 突然の事態に、生徒たちは思考がついていかずただ慌てるばかり。
「……リンネを傷つけるようなことがあったら、例え同じ学校の生徒であっても関係ないんだな」
「おお、怖いですわ。そのようなモップスを見るのは初めてですの。……ですけど、いくら睨んだところで、下手な真似をすればリンネは氷と共に木っ端微塵ですわ」
「……あんまりボクを、怒らせるな! リンネはボクが助ける!」
 洞穴が一時の地震に見舞われたかのような錯覚すら引き起こすほどに、モップスの激昂が響き渡った、その瞬間。
「んっ……」
 氷漬けにされていたはずのリンネが、微かに動いた、ように見えた。
(まさか……そんなことが……リンネ様がこの方の言葉に反応している?)
 その様子をいち早く察したレライアが、心の中で驚愕する。
(モップスの言葉に、リンネが反応した……? まさか、氷漬けにされているのに? ……いや、でもこれで、モップスが操られているという筋は消えたな。モップスは本当に、心からリンネを心配している)
 そう結論付けた當間 光(とうま・ひかる)が、モップスへ言葉を飛ばす。
「モップス、もっと傍で話し掛けるんだ! そうすればきっとリンネは目を覚ます!」
 そして、隣に立ったミリア・ローウェル(みりあ・ろーうぇる)へ頷く。
「本気の俺ってヤツを、あの邪魔者へ見せてやる。ミリア、頼む」
「ええ、心得ました。私はいついかなる時でも、光を信じています」
 ミリアから浮かび上がった、文字の刻まれたルーレットが回り、『5』を意味する文字で止まった瞬間、それは弓の形を取って光の手元に収まる。弓を引き絞る動作を光が行えば、光が生じ二本の矢が番えられる。
「本気になっているやつを邪魔する愚か者は、これを受けるがいい!」
 放たれた二条の光は、狙い違えずメニエスとミストラルのワンドを撃ち抜き、二人を無力化する。それでも諦めない二人がリンネへ近付こうとするのを、今度は『6』を意味する文字が刻まれた銃を構え、足元を狙って撃つことで動きを止める。
「行け! 行ってリンネを助けて来い! 今度はお前の本気を見せてみろ!」
 光の言葉にモップスが無言の感謝を示して、駆け出す。走るモップスは傍から見れば格好悪く、何を考えているか分からない顔、薄汚い全身に出っ張ったお腹と、見事に冴えないが、今は誰もその容姿を馬鹿にはしない。
「リンネ! 起きるんだな、リンネ! ボクなんだな、モップス・ベアーなんだな!」
「うぅん……モップス、どこにいるの……? もう待ちくたびれちゃったよ……ハッ!! こ、ここは一体どこ? リンネちゃんどうしてこんなところにいるの?」
 今や完全に目を覚ましたリンネが、あたふたと周囲に目を配り、そして正面に立つモップスを見留める。
「あーーーっ!! モップス、おそーーーい!! もー、リンネちゃんを待たせるなんて、百回黒焦げにしても足りないくらいだよーーー!!」
「……ちょっとだけ、起こさない方がよかったと思ったんだな。とりあえずここから出すんだな」
 しかし、氷柱は硬く、モップス一人の力ではどうにもならない。
「むーーー、こうなったらリンネちゃんの魔法でムリヤリ出ちゃうから!! ファイア・イクスプロージョン!!
 瞬間、目を覆うほどの爆発が起き、それが晴れた後には上半分が吹き飛んだ氷柱の中で、自らも爆発の余波を受けて気絶したリンネの姿があった。
「無茶苦茶なんだな。心配をかける真似はこれ以上止めてほしいんだな」
 言いながらも、慎重にリンネを氷柱から出して抱え、モップスが一行の元へ戻る。
「……リンネ君の態度は変わらないな。これで、自らの愚行が招いた事態であることが判明したら頭をカチ割るところだが、完全にそうというわけではないようだな。今回のところは見逃してやろう」
 歩み寄ったアルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)が、レライアへ険しい視線を寄越す。
「君は護られる立場で、事態を引き起こしたのはカヤノという少女であることは分かった。だからといって君が悪くない、というのではない。君にも今回の事態を引き起こした責任は取ってもらう。そうだな、まずは今回の事態に至る経緯を話してもらおうか」
「……分かりました。おそらく事の始まりは、わたしが本来目覚めるはずのないこの時期に目覚めたこと……その時にわたしの頭の中に聞こえてきた声、そしてわたしの手に現れた『アイシクルリング』……これが原因であるとわたしは思うのです」
 アイシクルリング、という単語に何人かが、聞き覚えがあるとでもいうような反応を見せる。カインがこの場に居ればより突っ込んだことを聞きだすことができたのかもしれないが、彼を始めとした一行はイナテミスへ向かっており、そして彼らとの連絡が未だ取れないことが、事態を複雑にしていた。
「アイシクルリングは今どこにある?」
「リングは、カヤノが持って行きました。わたしをここに留め置くためだと言って……わたしは、冬に目覚め、春に消えていく精霊。雪が一年中存在することのないように、わたしも本来はいてはいけない存在なのに――」
 細々と呟くレライアの言葉を遮って、人影が滑り込んでくる。
「みんな、ここに居たか! っとと、うわっ!」
「シルバ、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。……それより、伝えなきゃいけないことがある。みんな集まってくれるか?」
 何事かと集まってきた一行へ、シルバ・フォード(しるば・ふぉーど)、そしてパートナーの雨宮 夏希(あまみや・なつき)から衝撃の事実が明かされる。
「俺たちは洞穴の外で魔物たちを食い止めていたんだが、そこに突然、大挙して仲間たちが押し寄せてきたんだ。どうやらこの洞穴とイナテミスを結ぶ道があったらしい。で、彼らの話によると……イナテミスがカヤノ、これはイナテミスで魔物を指揮している少女のことなんだが、その少女の手にかかって、町全体が凍らされたらしい」
「そんな……! どうして、そんなこと……!」
 動揺を受ける一行の中で、一際大きな衝撃を受けていたのは、誰であろうレライアであった。
「外ではカイン先生の指揮の元、魔物は一通り撃退されました。カヤノは、町を凍らせることで、町に向かった方々を一気に捕まえるつもりだったそうですが、仲間がそれを阻止したそうです。すると今度はカイン先生の携帯に、イルミンスールを直接狙うと宣告してきたと、先生はおっしゃっていました。みなさん、ここから出て先生と合流してください」
「待て。事情は一刻を争う事態だというのは分かっている。だが、彼女はどうするのだ?」
 アルツールが、未だショックから立ち直れずにいるレライアを指す。
「……ボクの勝手が許されるなら、彼女はそっとしておいてほしいんだな。彼女は、ボクがリンネを助ける時に、邪魔することもできたはずなんだな。それをしなかったから、ボクは彼女に借りを一つ作ったんだな。その借りは、今ここで彼女をそっとしておくことで帳消しにしたいんだな」
 モップスの提案に、反論や意見がありながらも、それらは徐々に収まっていく。今は、イルミンスールが未曾有の危機にあることが、一行の何よりの優先となっていた。
「それじゃ、行くんだな。……レライア、二度ボクたちの前に立つことがあったら、その時は――」
「…………はい」
 消え入りそうな声を絞り出すように呟いて、レライアが頷く。それを見遣って、リンネを担いでその場を立ち去るモップスと他一行。
 瞬く間に人が消えて行き、後にはレライアだけが残される。
「カヤノ……もう止めて……お願いだから、もう止めて……わたしは、ここまでされて、存在しようとは思っていないのよ……?」
 レライアの呟きは、誰にも届くことはなかった――

担当マスターより

▼担当マスター

猫宮烈

▼マスターコメント

 『氷雪を融かす人の焔(第1回)』リアクション公開しました。
 参加された皆様、お疲れ様でした。
 
 リンネちゃんは助け出すことができましたが、カヤノの企みは不完全ながらも成就され、イナテミスは氷漬けとなってしまいました。
 さらにはカヤノが魔物を率い、イルミンスールを目指しているとのこと。
 
 カヤノの思いは、そしてレライアの思いはどこに向かうのか――
 存在が明かされた『アイシクルリング』は、果たして古王国の遺産なのか――
 冒険者たちはイナテミスを元に戻すことができるのか――
 
 次回、イルミンスールを舞台にした決死の攻防戦が展開される――
 
 以上、今回の結果そして次回への引き、でした。
 
 ここで一つお知らせがあります。
 第2回ですが、諸事情により公開まで少々間が空くことになってしまいそうです。
 続きを楽しみにしてくださっている方には誠に申し訳ないのですが、お待ちいただければ幸いです。
 
 それでは、次のシナリオにてお会いいたしましょう。