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彼氏彼女の作り方 1日目

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彼氏彼女の作り方 1日目

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大試食会

 喜びの声や悲鳴――素晴らしい音色を奏でている片隅で、桐生 円(きりゅう・まどか)は今か今かと完成を待ちわびていた。
(少しの労力もかけず、お茶やお菓子が食べ放題とは……素晴らしい係だ)
 恋愛講座と聞いて一切の興味を持たなかったものの、その中にあるお菓子作りの欄を見て「これは評価する者がいるだろう!」と審査員を名乗り出た。好きなだけ食い散らかし、好きなだけ文句も言えるのはある意味ストレス解消にもなることだろう。
 円を膝に乗せているオリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)もまた、用意しておいた小瓶をテーブルに置いてスタンバイ中だ。
「念のためぇ、お薬は持ってきてあるから〜。たくさん食べられるの、楽しみだものねぇ」
「ありがとうマスター、胃薬があるなら多少の食い合わせも大丈夫そうだね」
(デンジャーな匂いがプンプンするからぁ、胃腸薬も用意しているのだけどねぇ〜)
 出来ることなら美味しい物ばかりを食べたいが、一切働かないのであれば危険があっても致し方ないというもの。どんな見た目がやってきたとしても1口は手をつけるつもりだが、悲惨な物を持ってきた暁にはどんな報復をしてやろうかとほくそ笑んでいる。
 そんな2人の横で、ミネルバ・ヴァーリイ(みねるば・う゛ぁーりい)は漂ってくる香りに気を配っている。なにやら、初っぱなからあまりよろしくない香りがしてきた。
「むぅ……ミネルバちゃんは負けないもん。頑張って食べるぞぉーっ!」
 嫌な香りもなんのその、眉間にシワを寄せながらも拳を突き上げ試食への意気込みを高らかに宣言すると、にこにことした晃月 蒼(あきつき・あお)がお皿にクッキーを乗せて運んできた。白いお皿に綺麗に並べられるそれは、緑色と……なんと言えば良いのだろうか、黒ずんだ灰色のような薄紫のような不思議な色。どう見てもクッキーの色をしていなかった。
「お待たせしましたぁ〜、ワタシの自信作だよぉっ!」
「まず問おう。一体何を持って来た」
 爽やかな香りと生臭いような香ばしい香りの二重奏。相容れぬそのハーモニーは円たちの座るテーブルいっぱいに漂っている。
「えぇ〜、どう見てもクッキーだよぉ」
 上手くいったのにーと口を尖らせる蒼だが、緑の方はともかく隣に並んでいるものは同じ物に見えはしない。
「……まだ1つめだ。せめて普通に見える方から試食をしよう」
 オリヴィアが円のために1つクッキーをとってやり、ミネルバもやっと来たお菓子に1つずつ取り。そして、意を決して口に含んだ。
 少し薄めのざくざくした食感。そして口に広がる苦み……この緑色はすごく和風な味がする。
「風変わりだな。ほうれん草のせんべいか」
「円〜、今日はクッキーを作ってるハズよぉ〜?」
 日本茶が欲しいわぁ〜と呟くオリヴィアは飲み物をオーダーしたり、可もなく不可もなくといった態度の審査員。どうやらクッキーとは別物に仕上がっているとは言え味はまずまずだったようだ。
「……抹茶のクッキーなのにぃ」
 自信作だったとは言え、料理が下手な蒼が1回でまともには作れなかったらしい。けれども、食べられる物を作り上げたということがどれだけ凄いことなのか……このときの3人はまだ彼女の腕を甘く見ていた。
「見るからにジョーカーだが、甘いと辛いが見事に調和したこの香り、高原でバーベキューをしているような香ばしさ、そして覆い被さるような生臭さはまるで湖に捨てられたゴミのようだな……」
「はいはぁい〜円あ〜ん」
 オリヴィアによって運ばれたクッキーを少しでも食べるのを遅らせるため、料理漫画のような無駄な解説じみたことを言ってみたが大した効力も発揮できないまま終わってしまった。そして、口に広がるとても表現できない宇宙空間に飛ばされたような衝撃的な出逢いに円が絶句していると、ハッとミネルバが目を見開いた。
「ぬぅこの食材は!」
「何か言わなきゃいけない気がするわ、知っているのミネルバ!?」
 ぶるぶると何かに震え、見た目も味も出来れば2度と出逢うのを遠慮したいこの物体にどんな食材が使用されているのだろうと2人と試食席を見守る観客が息を飲んだ。
「この、自然を謳歌してきたしなやかな食感、そして広がる圧縮された海の香りは……2週間ほど寝かせたイカの塩辛だなっ!」
「い、イカの……塩辛?」
 クッキーとはティータイムに楽しむもので、食事中の箸休めや酒の肴に食べるものではないだろう。まるで一石二鳥とでも言いたげなこの組み合わせ、まじまじと見てみたら確かにクッキーの端からはイカの足がくるんと飛び出ていた。
「最近塩スイーツも流行っているしぃ、イカも多分、熱通せばいい歯ごたえが出ると思ったんだぁ」
(それに、パートナーの好物だもんねぇ)
 にこにこと高評価を期待して待っている蒼に、円はクッキーを鷲掴みにして投げ始めた。
「キミはまず、食べ物を粗末にするなっ! なんだこれは、味見をしたのかっ!?」
「うぅ〜、円さんんだって投げて粗末にして……」
「コレは食べ物じゃないっ!」
 散々な言われ方をされた蒼だが、きっと円は塩辛が嫌いだったのだと前向きに捕らえて作業台に残してある分を綺麗にラッピングして持ち帰ることにした。きっと抹茶と塩辛が好物なパートナーは喜んでくれるはずだ。
「ワンちゃんにも食べさせてあげようっと♪」
 自分で試食することなく笑顔で持ち帰る蒼にパートナーがどんな言葉をかけるかは知らないが、基本を忠実にやりさえすれば変貌を遂げても食べられる物が仕上がることには感動してくれることだろう。
 そして、まったくとふんぞり返って次を待つ円に現れたのは変熊。相変わらずのふざけた格好に、オリヴィアは袋を投げつけた。
「乙女の前でぇ、そんな格好をしないでくださるかしらぁ〜?」
 言いたくても言えなかった女性陣から羨望の眼差しを一身に受けて、オリヴィアは得意げに笑う。そして変熊は渋々と投げつけられた袋の中身を取り出すと、中にはネクタイと靴下が入っていた。
(なぜだ、なぜ今日はこんなに俺様の美しさを隠そうと……嫉妬か!?)
 隠したところで輝きは消せはしないとでも言いたげに不敵な笑みを浮かべて投げつけられたものを身に纏うが、もう1度言おう。
 変熊は上にヴィスタの上着、前を開いたそこに垂らされるネクタイ。下は普段はマントとして着用しているものがスリットスカートになって美脚が披露されていたはずが、回転して前スリットになって物体Aが今日も今日とて晒されており、足下には靴下。最早どこに向かいたいのかは分からないが、いつもより着込んでいるはずなのに全く意味をなさない姿なのだ。
 女性陣への配慮したという意思を籠めてオリヴィアは女性陣に向けて親指を立ててウィンクするが、肝心の物体Aが隠せていないのでは意味がない。
「失格」
「なっ!? まだ何も提出していないだろう!」
 つかつかと詰めより、スキルで紅茶を取り出そうとした変熊に一瞥をくれてやり、円は視線を下ろした。
「……ぷっ」
 ニヤリ、と不憫そうな笑いを浮かべて視線を逸らす。それは、男性にとっては屈辱的な一撃となるだろう。気の弱い変質者には有効な手段だが、逆上する恐れもあるこの攻撃を実行する際は気をつけて欲しいものだ。しかし円は体育祭で恥をかかしてくれた礼だとも言わんばかりの強気な態度で変熊を挑発し、変熊も負けじとティータイムのスキルで紅茶を取り出した。
「今日の勝負はこれだ。そっちの勝負は後日――」
「後日ぅ?」
 ギロリとオリヴィアの鋭い視線に捕らわれて、咳払いをする変熊。あまりの悔しさに勢いで勝負を挑もうとしたが、よくよく考えれば女性に挑むにしては失礼な物言いな上に命の危機にさらされているようだ。
「言葉のあやだっ! とにかく、ありがたく飲むといいっ」
 高らかに笑う姿が気に障るが、試食係を名乗っている以上持ってきた物に口をつけずに追い返すことは出来ない。
 ちょうど先ほどのクッキーらしき物体のせいで口を直したかったところだ、円たちは用意された紅茶に手をつける。
「キミ、執事だったのか」
「無論、この相手を気遣う振る舞いはどう見ても執事の……うわっちゃ!!」
 その答えを聞くや否や、物体Aにめがけてカップの紅茶をひっくり返す円。寸前で横へ避けたので直撃は免れたものの、床に跳ねた熱い紅茶は少しふくらはぎへかかってしまったようだ。
「執事でこの腕前はないだろう。なんだこのクセの強すぎる紅茶は」
「むむ〜、ミネルバはわかったぞ! オレンジみたいな香りがするんだもん」
 オレンジ、どこに入ってるんだろうな? とポットの中を覗き込んだりするミネルバに自信たっぷりに仁王立ちをしてじんじんするふくらはぎを我慢する変熊。
「桐生円、キサマにはこのアールグレイが1番お似合いなのだよ」
「ボクに似合いだって?」
「ホットのアールグレイは、変わり者の代名詞だか……ぎゃぁあああっ!」
 ミネルバが覗き込んでいたポットをオリヴィアが取り上げ、手にした円が思いっきり変熊に投げつける。覗き込むためにフタが取られていたポットはひっくり返り、ダイレクトに物体Aに紅茶がかかったようだ。
「変わり者にぃ変わり者呼ばわりはされたくないわねぇ〜」
 膝の上の円を抱きしめながら、失礼だわぁ〜と呟いているが苦しんでいる変熊に一切の詫びもないらしい。
「さぁ次。我こそはと思う人はいないのかい?」
 試食をしてほしくても、こんな仕打ちをされてしまうんじゃ……と引っ込み思案になってしまう参加者を前に、さっそうと現れたのは神の1杯をマスターすべく参加したシルヴァだ。
「どうぞ、美しいお嬢さん。つまらない物ですが、口直し位にはなると思いますよ」
「つまらないのか、美味しいのがいいぞ!」
 ミネルバが「うまいのはまだかー」と叫び続ける中、自信たっぷりに口元に笑みを浮かべるとシルヴァは3人に近づいてくる。
 銀のトレイに乗せられた、温められたカップ。そして最高の状態で淹れた紅茶は時間を置いても濃くならないように温めた別のポットに移された。そして、他の参加者と差をつけるべく香り付けに加われた秘密兵器――。
(これが、たどり着いた至高の1杯です……さぁ、賞賛の声を上げるがいいっ!)
 礼儀正しく1礼してから紅茶を振る舞う。その胡散臭すぎる立ち振る舞いに円は眉を顰めるものの、漂ってくる香りは本物だ。まるで夢見心地になれそうなそれに、いつもの毒舌すら出てこない。
「……いいだろう、飲んでやろうじゃないか」
 オリヴィアがふーっと軽く冷ましてから円にカップを手渡す。そしてまずはその香りを堪能する。
(紅茶の爽やかな香り、そしてこの甘い香りは――?)
 興味津々といったように口をつけ、一瞬動きが止まる。かと思えば何かに取り憑かれたように一気に飲み干してしまった。確かに、シルヴァが用意した紅茶は美味しい。けれども一切のコメントも残さず飲みきってしまうほど円は素直な性格をしていただろうか。
「……ますたぁ、飲まないなら、私にくれないか?」
「あらあらぁ? 円ってばおねだりなんて……」
 可愛いわぁと微笑みつつ、ふと手元にあるカップを覗き込む。その香りに心当たりがあったのか、オリヴィアは1口飲んでみた。
「これ……アルコールが入ってるわぁ〜」
「はい、アルコールを逃がしたブランデーを風味付けのフレーバーとして……」
 ふるふるとオリヴィアは頭を振って、円の様子を見る。先ほどよりトロンとした目、苦しそうに首もとを広げては色っぽい声を出す。
「あっつい……今度は、つめたいの……ほしぃ」
「円ー? しっかりするのよぉ。ここはオオカミさんのいる共学校なのよぉ〜」
 けれども、唸りながら膝の中で体制を整えるたびにはだけていく制服はどんどんと男子生徒の目を釘付けにしていく。するりと肩から落ちそうになった服がそれ以上下に落ちないようオリヴィアが抱え直したことで、なんとか肩と鎖骨を出すだけに止まった。
(……ちっ)
 どこかで、男子生徒が舌打ちをしたような気がするが、オリヴィアは冷たい視線を投げかけたあと、不気味なくらいに微笑んだ。
「円ってば、お酒に弱いのよねぇ〜香りだけで酔っぱらってしまうみたいなのよぉ〜」
 そんなところもイイわよねぇ、と笑いながらシルヴァに同意を取ろうとしているが、その様子は殺気立っており「円にこんな姿をさせてわかっているのか」と睨まれているようだ。
 主催が酔いさましに席を立ってしまって、一時的に持ち込みはストップされてしまった大試食会。果たして、評価の高い素晴らしい料理は登場するのか。それ以前に円は酔いをさますことは出来るのか。復活を待つ長蛇の列は、長くなるばかりだった。