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リアクション
2.採水場にて
砂漠でもグレーのコートとハンチング帽は欠かさない。己の美学のどこまでも忠実な男、桜田門 凱(さくらだもん・がい)。彼はドーヅェに取り入るために、己のパートナーを伴って採水場を訪れた。
凱のパートナーであるヤード・スコットランド(やーど・すこっとらんど)は行方不明になったという採水場の品質管理主任を捜すつもりでやってきたのだが、砂漠で立ち往生しているところを凱に助けられたのだ。
ヤードは基本的に、凱とは距離を置くようにしている。しかし、パートナーの縁なのか、気がつくと行動をともにしていることが多い。
「思ったよりきれいだな」
「……戦闘は、このあたりで行われたのではないでしょうカ?」
砂漠では、戦闘の痕跡は風にすぐに押し流される。しかし、建築物である採水場の外観は特に壊れた部分は見あたらない。御神楽 環菜(みかぐら・かんな)が数度にわたって送り込んだ傭兵は、ここまでたどり着くことさえできなかったのだろうか。
「かえって好都合だ」
一方その頃、採水場の事務所では、モヒカンたちが二人の少女にアゴで使われていた。
「あら、これは何かしら? 私にはホコリに見えるのだけれど」
緋月・西園(ひづき・にしぞの)は、窓ガラスのサッシに指を滑らせて蛮族たちに突きつける。
「は、はひぃ!」
おそろいの黄色いエプロンをした蛮族たちは、緋月にすっかりおびえてしまっているようだ。
「……所長、出勤簿に捺印をお願いします」
泉 椿(いずみ・つばき)がクリップボードを差し出す。彼女の視線の先には、青白い頬の男が座っている。
「おはよう泉君。事務所にはもうなれた? それから私は所長ではないよ」
男はスチールデスクの引き出しからはんこを取り出すと、椿から受け取った出勤簿の上に振り下ろす。
『ドーヅェ』。
ある蛮族が彼のために砂漠から掘りだしたドラゴンの牙から彫りだしたというはんこだ。金釘流の字体でドーヅェと彫り込まれている。本当はドージェと彫るつもりが、手元が狂ってしまったらしい。
「……」
椿は恨めしげな目で出勤簿を見下ろす。泉と緋月は、秘書として採水場の事務所に潜入した。二人は、蛮族たちの頭として祭り上げられているドーヅェの一声であっさりと受け入れられてしまった。椿と緋月を本当に秘書と思い込んで迎え入れたのか、二人だけでは自分たちの障害にならないと判断したのか。どちらかは、潜入から数日が経過しても分からない。
二人は、蛮族たちの人数を把握するために出勤簿を作成した。
もちろん、最重要人物であるドーヅェの正体を突き止めることが二人の目的である。しかし、事務所の中と外、二手に分かれて待ち構えていても八時五分前になるとどこからともなく現れ、午後五時を過ぎると何の前触れもなく消える。
「あなたは本当にドージェなんですか?」
蛮族たちのほとんどが巨獣狩りに出かけたある日の午後、椿は思い切って青白い頬の男に尋ねる。体格こそは立派だが、病人のような顔色はドージェ・カイラスのイメージとは結びつかない。
「一番古い記憶は、螺旋状の杭が私の胸を貫くイメージだ。その次には、彼らが私を担ぎ上げ、私のことをドージェと呼んでいた」
「……以前の記憶が、ないのですか?」
椿の言葉に、ドーヅェは小さく頷く。
「水源の縁に倒れていたところを、彼らに助けられた。その彼らが私をドージェと呼ぶなら、そうなのだろうな」
この青白い頬の男が、蒼空学園の会長が私費で雇った傭兵部隊を撤退させたとは思えない。とりあえず、このドージェに比定されるこの男が、水源近くで目覚めたというのは新たな情報だ。
邪魔者がいなくなるタイミングを計って、水源を調べてみるべきだろう。もしかしたら、行方不明になった品質管理主任とやらの手がかりも見つかるかもしれない。椿はすばやく頭の中にメモをする。
「お取り込み中かな?」
ハンチング帽を阿弥陀にかぶった男が、音もなく事務所に現れる。
桜田門 凱だ。傍らにはヤードが控えている。椿は反射的に身構えそうになって、慌てて拳にこめた力を緩めた。今ここにいる自分は、事務所にやってきた新しい秘書だ。
「……」
椿は、横目でドーヅェの様子をうかがう。彼は、今までと全く同じ気の抜けた表情で湯飲みを握っているのを見て、ひとまずは安心する。
「西園君のいる横をすり抜けてきたのかい?」
いつもと変わらぬ表情のままドーヅェは突然の闖入者である凱に尋ねる。
ドーヅェの何気ない一言に、椿は思わず鼓動が高鳴るのを感じる。
緋月が蛮族に採水場の清掃の監督に当たる、というのは表向きに理由だ。実際には行方不明になった主任の捜索と、外部からの新しい侵入者の警戒に当たっていた。
この凱という男とその連れは、緋月の警戒をかいくぐってきたことになる。実際には、一人で採水場の四方を警戒することなど不可能だ。凱の進入より、一日のほとんどをデスクの前で茶を飲んで過ごしているはずのドーヅェが緋月の行動の目的をある程度把握しているらしいことが気になる。
「掃除で忙しかったようでな。俺が用があるのはアンタだ」
凱はグレーのコートのポケットに両手を突っ込んだまま不敵な笑みを浮かべる。予備動作もなく、そのままジャンプする。膝を全く曲げていなかったのに、ハンチング帽が天井に触れようという高い跳躍だ。
椿は無意識のうちに、後ずさる。
「俺も子分にしてください!」
ジャンピング土下座。
日本に古来から伝わる謝罪術の一つといわれている。体育会系の人間は、ジャンピング土下座をされると、その願いをむげにはできないという伝説がある。
凱の連れのヤードは、ごく当たり前に「よろしくお願いしマス」と頭を下げている。
「あぁ、じゃあ今日からよろしく。とりあえず、万事は秘書の泉君に任せてあるから」
ドーヅェは、新人の処遇を椿に丸投げしたようだ。
椿は軽いめまいを覚えながらも
(「げぇぇぇぇ!!」なんて驚かなくてホントよかったわ)
凱の突然のジャンピング土下座に驚いた泉 椿。弱冠、十四歳の乙女である。
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