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絵本図書館ミルム(第2回/全3回)

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絵本図書館ミルム(第2回/全3回)

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3.つなぎ止める力


 不穏な噂が流れていてもミルムは変わらず開館し、噂を気にせず来てくれる利用者を受け入れ続けていた。とはいえ、仕事はずいぶん減っている。
「なんだかのんびりしちゃうわね」
 サリチェは書架の埃を払う手を止め、窓ごしに冬空を見上げた。
 雲で覆われた空は灰色。雲の切れ間は見えないけれど、じっと眺めていると目が痛くなってくるくらいには明るい。
「サリチェ殿、試してみたいことがあるでござる」
 そうして窓辺にたたずんでいたサリチェの背後から、声をかけたのは椿 薫(つばき・かおる)。薫の『試してみたいこと』を聞いたサリチェは、すぐに笑顔で肯いた。

 それからややあって。
 絵本図書館ミルムの一室に、薫は何冊かの絵本を運んできた。
「サリチェ殿や皆から、続きが気になる絵本を選んでもらったでござるが……この中でいけそうなものはあるでござるか?」
「ん、ちょっと待ってて……」
 白菊 珂慧(しらぎく・かけい)は絵本のイラストを1頁1頁つぶさに見ていった。
 2人が選んでいるのは、読み語りの為の絵本。といっても、そのまま絵本を使うのではなく、紙芝居として書き直したものを読み語りしようという計画だ。
 笑えるものから涙を誘うものまで種々ある絵本から、珂慧は2冊を選び出した。
「どの絵本でもできると思うけど、紙芝居にして面白くなりそうなのはこれかな。オリジナルでいい話があれば、それにしてもいいし」
「オリジナルも良いでござるな。オリジナルの絵本を作ったらここにおかしてくれるよう、サリチェ殿には話を通してあるでござる」
 誰かに絵本に出来そうな話を作ってもらえるよう頼んでみようかと、薫は椅子から立ち上がった。
「ちょっと行ってくるでござるな。そちらは任せたからよろしく頼むでござる」
「分かった。あ、この部屋だけど……」
「しばらく誰も入ってこないようにしておくでござるよ」
「ありがと」
「ニンニン!」
 任せてくれとばかりに親指を立てて薫が出て行くと、珂慧は画材を取り出した。
 絵本そのままを複写して紙芝居に仕立てるのは簡単だけど、それでは作者に失礼な気がするし、面白くない。
 だから珂慧は絵柄だけを近づけ、構図は新たにして制作していった。こうしておけば、実際の絵本を手に取った時、珂慧の絵と本家の絵の違いで2度楽しんでもらえそうだ。
 珂慧は作者が描いた絵とそこにこめられた心をなぞり、それを自分の絵で表現してゆく作業に没頭していった……。

 完成した紙芝居は、犯行声明が貼ってあった掲示板付近で披露することになった。
 薫の呼びかけた『移動絵本読み語り』に応えて集まった学生は薫を入れて6人。それぞれの役割分担につく。
「リースさん、必ずお護りしますから、どうか安心して読み語りに専念してください」
 恋人である九条 風天(くじょう・ふうてん)に言われ、リース・アルフィン(りーす・あるふぃん)ははいと答えて頬を赤らめた。
 人通りはあるとはいえ、犯人の行動範囲にある場所で絵本の読み語りをすることは、安全とは言えない。
 絵本を読む役を引き受けたリースの身に万が一のことがあってはと、風天は護衛を申し出たのだった。
「私は高所より不審者の警戒にあたります」
 坂崎 今宵(さかざき・こよい)は近くの家に協力を求め、2階の窓から掲示板前の警戒にあたることにしていた。手にはスナイパーライフルを持っているが、中にこめられているのは殺傷能力のないゴム弾だ。
「殿の大切な人は私にとっても大切なお方。髪一筋たりとも傷つけさせぬ所存にございます」
 何かあれば携帯に連絡を、と言い置いて今宵は持ち場である家へと入っていった。
 風天はリースを見守れる場所へと身を潜め、珂慧は読み語りを聞く人々が見渡せるよう、少し離れた場所に立つ。
「読み語りかぁ。この歳になって絵本聞いても仕方ねぇよなぁ……。俺は終わるまで付近の護衛でも手伝うぜ」
 引率の護衛係として参加している鈴木 周(すずき・しゅう)は、待っている間も警備をすることにした。
 皆の位置が決まると、いよいよ『移動絵本読み語り』の開始だ。道行く人に声をかけ、絵本の読み語りをするよと呼び集める。
 人の輪ができた中で、リースは紙芝居にした絵本を読み始めた。
 それは、シャンバラ人と機晶姫の物語。物語はある人里離れた森の中、放置されていた少女型の機晶姫を男がみつけた処からはじまる……。
「その機晶姫は片足を失っていていて、1人では動くことも叶いませんでした。男はその子を自分の家に匿い、まるで娘のように可愛がりました……」
 リースの優しい声で読み語られる話に、集まった人々は聞き入った。実はリースはこの話の中身をまだ読んでいない。紙芝居を1枚1枚めくるたび、観客と同じに、続きがどうなるのかと気になって仕方がない。
 紙芝居の背景は深い森の緑。その暗い色彩に儚げな少女の機晶姫が浮かび上がるように描かれて。輪郭はしっかり描かれているけれど、男も少女もどちらの顔にもはっきりとした目鼻だちはない。けれど濃淡だけで示された顔からは、表情で示されるよりもっと鮮やかに、2人の気持ちが伝わってくる。
「ある日、彼女は外の世界を見てみたいと彼に言いました。動けない彼女の為に、彼は車椅子を作り、2人はいっしょに街に出かけたのです」
 たくさんの人が足を止めていたけれど、口を開く人がいないから読み語りをするリースの周囲は静かだ。風天は念のためと殺気看破をかけてみたが、害意の感じられる者はいなかった。
 皆、街に出てはしゃぐ少女とそれを見守る男の物語に聴き入っている。
「それは2人にとって、永遠に忘れられない1日でした。彼はこんな幸せがずっと続けばいいと願います。しかし……そんな幸せは長くは続きませんでした。刻一刻と暗い足音は2人に近づいてきていたのです」
 そこまで読んで、リースはあっと小さく声をあげた。紙芝居にその先はない。
 山場で話を引くことになっていたことを思いだし、リースは紙芝居を伏せた。
「なんだ? なぁ、それでそれで? 続きはどうなるんだ?」
 途中で断ち切られた話に、いつしか聴き入っていた周が思わず声を挙げる。護衛の手伝いをすると言っていたのに、話が進むうち子供たちといっしょに夢中になってしまっていたのだ。
 周の声に誘われて、その先はどうなるの、早く続きを聞かせてよ、と子供たちも抗議の声を挙げだした。それに答えてリースは微笑む。
「果たして、この話の続きは、結末はどうなるのか……この続きはこの絵本をミルム図書館で読んでみてね」
 そう言いながらもリースのこの話の続きが知りたくてたまらない。
 読み語りを聴いていた子供たちは、続きは図書館で、と言われて落胆した。図書館には行っていけません、と厳しく言う親が行かせてくれるはずはない。
「がっかりするのは早いぜ。俺がばっちりお前らを護衛して、その本を読みに送って行ってやる。これでも俺は剣士だ、任せてくれよ!」
 ここぞとばかりに周が言うと、子供たちはざわめいた。行ってもいいかと親に尋ね、親はそれでも渋っている。親が心配しているのは図書館へ行く道のりではなく、図書館にいる時に火事にでもなったら、ということの方だから、送ると言われても安心は出来ないのだろう。
 送っていった後は次の場所に行って読み語りをするつもりだったけれど、行きたい行きたいと騒ぐ子供と、それを叱る親を見ているのは辛い。
「図書館にいる間は拙者が護衛するでござるよ。それなら良いでござるか?」
 見かねて薫が提案する。
「そうですね。私も続きをみんなと読んでみたいですから、一緒に行きます」
「リースさんが行くなら勿論ボクと今宵も同行します」
「僕も一緒に行こうかな。紙芝居を見てくれた子供たちと話もしてみたいし」
 リース、風天、珂慧が次々に名乗りを挙げると、親も不安はあるけれど子供がこれほど読みたがっているものだから……としぶしぶながらも図書館行きを認めた。
「おーし、そうと決まったら出発だ。あ、護衛はしっかりするけど、親御さんたちゃ自分の子とはぐれないように手ぇ繋いでてくれよ」
 周に言われるまま、親と一緒に来ている子供は手を繋いだ。そうでない子供がもじもじと後ろに隠そうとした手を、周の手が掴む。
「親御さんが来れねぇガキどもは俺んとこ来いよ。周にーちゃんが手ぇ繋いでやるからさ。へへ、照れんな照れんな」
 周は空いている片手で照れる子供の頭をぐりぐりと撫でてやった。
「早くあの続きが読みてぇな。気になるぜ」
 ミルム図書館へと移動しながら周が言う。
「あの続き、どうなると思う?」
 珂慧は逆に子供たちにそう尋ねた。
「あたしはね、何か怖いものがやってきて、ばらばらになりそうになった2人が一緒に逃げるんだと思うの」
「女の子に秘密がありそうだよ。もしかして、あの女の子は本当は悪い奴なんじゃないかな」
「えー、そんなの違うってー。俺はさー」
 それぞれに続きのストーリーを考える子供たちに、こんなのも良い刺激になりそうだと珂慧は思った。断ち切られた処から新たな話が芽吹いて、別の話になっていくのも楽しそうだ。面白い展開には続きの絵を描いてみようか。そんな気にもなってくる。
 そう、物語の結末は1つでなくてもいいんだろうから。


 利用者が減れば図書館からは活気が失われ、活気を失った場所からは人は一層離れてしまう。そして一度繋がりが切れてしまえば、元に戻るには時間がかかる。
 本の回収をしながら、あるいは移動絵本読み語りをして。
 絵本と街の人との縁が切れてしまわないよう、ミルムから離れて行こうとする人々を学生たちは繋ぎ止め続けた。
 そうしているうちに、きっと事件の解決に動いている学生がこの不穏な事件に終止符を打ってくれるはず。そう信じて。

 そんな働きかけもあって、事件が色濃く影を落としている今も、ミルム図書館を訪れる人は途切れていなかった。
 自分も本や図書館が好きな皆川 陽(みなかわ・よう)は、こんな時でも来てくれるほど本が好きな子供たちに、何かしてやりたいと考えた。
「サリチェさん、子供たちの安全確保も兼ねて、絵本の読み聞かせとかをするのはどうかな?」
 開館した時は多く行われていた読み聞かせも、今は警備や回収、事件の捜査に人手が必要な為、一時中断されている。けれど逆に、読み聞かせをして集めることによって、すぐ手の届く処に子供たちを置いておくことが出来る、という利点は捨てがたい。
 陽が提案すると、サリチェはそうねぇ、と頬に手を当てた。
「子供たちも喜ぶから、私も読み聞かせは続けたいと思うの。でも今はちょっと手が回らなくて……」
 文字の読めない子供も多くいるから、読み聞かせをしてもらえるのは有り難いけれど……と言うサリチェに、もとより協力するつもりだった陽はすぐさま申し出る。
「それならボクがやるよ。子供たちにまた来たいと思ってもらえるように頑張るから」
「それならお願いできるかしら。読み聞かせをする為の子供部屋があるからそこを使ってね」
 サリチェに示された部屋に、陽は来館している子供たちを誘った。子供たちの親は、警備をしている学生は戦う能力を持っているから大丈夫だと説明し、万が一の時には読み聞かせをしている子供たちを守って避難しますから、と約束もして安心させる。
「今日のお話は、白鳥の中のカラス。綺麗な鳥の中で自分が浮いているんじゃないかと悩むカラスの話だよ」
 陽が面白おかしく語る話に子供たちは聴き入った。

 来館者の減った図書館を堪能している者もいた。
 一条 アリーセ(いちじょう・ありーせ)は絵本図書館の手伝いに来ているのではなく、純粋な利用客だった。子供が多かった以前よりも今の方が読書するのには向いている。
「静かでいいですね」
 空いているのをいいことに、お気に入りの椅子やクッションも持ち込んで、アリーセはゆっくりとくつろいだ気分で絵本を広げた。これなら何時間だって本の世界に没頭できる。そう思ったのだけれど……。
「そこ、書架によじのぼらないように。本が汚れますし、倒れてきたら危険です」
 やんちゃな子供が気になって、つい注意する。汚れた本を読まされたくはないし、自分まで書架に潰されるのもごめんだ。
 注意された子供がいたずらをやめて行ってしまうと、アリーセはまた読書に戻る。けれど。
「……どうかしたんですか?」
 困った様子で書架を見上げている子供がいると、つい聞いてしまう。
「くまさんの絵本が見たいのに、どこにもないの」
「探す処が間違っています。動物関係の絵本はあちらの……ああ、いいです。説明しているよりも行った方が早いですから」
「ありがとう!」
 遂には書架案内までしてしまう始末。嬉しそうに本を選ぶ子供を残して席に戻ると、アリーセはまた絵本を広げた。
 不穏な噂が立っている図書館に来てくれる子供がこれだけいるのなら、多少の面倒をみるのは致し方ないのだろう。そんなことを思いながら。