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リアクション
雨はまだ小さくぱらついているが、歩くには支障がない。
それに、小雨の中の散歩というのも悪くない。晴れた日とは一味違った景色を楽しめるだろう。
のんびり歩いて訪れたのはフランスエリア。
象徴のように立つ大聖堂のファサード(建築物の正面のデザイン部分。この大聖堂の場合は双塔を構成している部分)の前で足を止める。
荘厳で美しい寺院に結崎 綾耶(ゆうざき・あや)から感嘆の息がもれた。
「ここに来るのは三回目ですけど、やっぱりいい場所ですねぇ」
「なんで……」
大聖堂なんだ、と匿名 某(とくな・なにがし)は問おうとして……やめた。
よくわからないが、それを聞いたら何かに負けてしまうような気がしたからだ。
綾耶もニコニコするだけで答えようとはしなかった。
言えない理由というわけではない。
ここは、二人が模擬結婚式を挙げた場所で、ささやかだったがその一周年祝いもした場所だから、七夕祭りもここでと思ったのだ。
大聖堂前の広場にはたくさんの笹が掲げられている。
「私達も短冊を飾りましょう」
「いいのか? てっきり模擬結婚式を見に行きたいって言うかと思ってたけど」
「そ、それも……気になりますけど、今回は七夕が優先です」
「ふぅん」
「何ですか、その目は……」
某の含むような眼差しにたじろぐ綾耶。
彼は薄く笑って「何でもない」と言う。
「べっ、別に羨ましくなってるわけじゃないですよっ。だって、一度やりましたし。ねっ」
「俺、何も言ってないけど」
自分の失態に気づいた綾耶が言葉にならない何かを叫んでいるのを横目に、某は短冊に願いを書き込む。
それに気づいた綾耶は「ずるいですっ」と大声をあげて、某の邪魔をしにかかった。
「うわっ、お前、何てことを! もうちょっとで大惨事になるとこだったぞっ」
「今は私の心の中が大惨事ですっ、誰かさんのせいでっ」
「八つ当たりはよせよ」
「どこまでしらばっくれるつもりですかー!」
二人はしばらくじゃれ合うように騒いだが、最終的には某が宥めて落ち着いた。
今度こそ、静かに短冊に願い事をしたためる。
『どんな時でも大切なものを護れますように』
書いた後、某はペンの尻でこめかみのあたりを軽く掻き、小さく唸る。
願い事というより誓いの言葉に見えたからだ。
が、いくら首を捻って考えてもこれしか出てこない。
つまりこれが、願いであり誓いなのだろう。
某は自分に特別な力などないと思っている。
契約者として一般人よりはできることは多いが、それもたかが知れている、と。
(だからこそ、これだけはきっちり守りたいんだ)
書き直す必要はないな、とペンのキャップを閉じる。
ふと隣を見れば、綾耶も書き終わっており、願いをこめた短冊を真剣な目で見つめていた。
覗き見するとまたうるさいかも、と視線は立ち並ぶ笹へ。
「つるすか?」
「ええ」
どの笹にしようかと見て回るが、どれもすでに飾りで賑わっている。
「来るのが少し遅かったか……?」
「あっ。あの笹はどうですか?」
綾耶が指差した笹は確かにまだ余裕がありそうだ。
無事に短冊をつるすことができた綾耶はにっこりして笹を見上げると、次に某を振り返り握り拳を突き出した。
首を傾げる彼の目の前で拳を返し開くと、手のひらにはペリドットの指輪。
「左手の小指にしてください」
「いいけど……変わったところを希望するんだな」
そう言いながらも某は素直に指輪を左の小指へ。
それを確認した後に綾耶は言った。
「愛を深める意味があるそうですよ」
ピタリ、と指輪をはめこんだ某の手が止まる。
綾耶はニコニコしながらその手を覗き込んでいた。
某は、乾きかけた口の中で無理矢理唾を飲み込み、俯きがちにぼそぼそと言い始める。
「……そ、そういう意味があったのか。い、いや〜、そう聞くとすっげぇ恥ずかしい……」
後は「あー」とか「うー」になってしまっていた。
これだけ近い距離にいるのだから、無駄とわかりつつも赤くなっているだろう顔を見られたくなくてそっぽを向く。
綾耶は無理に某の顔を見るようなことはせず、幸せそうに微笑んでいた。
ブーケ作りでも見に行こう、と二人がその場を立ち去っていく時。
短冊に通していた紐の結びが弱かったのだろうか。
綾耶の書いた短冊の紐がするりとほどけて、短冊はひらりと地に落ちる。
『この幸せが続きますように』
そう書かれた短冊に、じわじわと雨が染みていった。
少し前のこと。
とうとう居ても立ってもいられなくなった紗月は、誰かに携帯を借りようと決意した。朔の番号は暗記している。
そして会場内を見やれば、楽しそうにブーケを作っている人達の様子が目に入り、邪魔をするのが申し訳なくなったがこちらも朔が心配でたまらないのだ。
紗月は一番近くのテーブルにいた秋月 桃花(あきづき・とうか)に話しかけ、事情を説明した。
「それは心配ですね。雨はまだ……ああ、ずいぶん降ってます」
桃花はちらりと窓の外を見て、表情を曇らせる。
そして、バッグから携帯を取り出すと、紗月へ差し出した。
「どうぞ、使ってください」
「ありがとう!」
パッと顔を輝かせた紗月は、朔の携帯番号を素早く押す。
紗月は桃花に軽くお辞儀をして扉のほうへ移動した。
数コール目で繋がった携帯に安堵した紗月は、その反動でやや声が大きくなってしまった。
「朔か? 大丈夫か? 今どこにいる?」
『紗月……!? え、だって、どうして?』
驚き戸惑う朔に、紗月は身に降りかかった災難について話した。
『ああ、それで繋がらなかったんですね。でも、無事でよかった』
「お互いにな」
『お互い……。そうでもないですよ。私、私……紗月にいただいた浴衣を……ごめんなさい』
「急に降ったんだから仕方ないって。けっこう濡れたんだろ? いつまでも外にいたら風邪引いちまうな」
『雨はもう上がりました。今、そっちに向かってます』
本当に、と扉を開く紗月。
確かに雨はやんでいた。まだ雲がかかっているが。
「着替えはこっちで用意してもらえるから安心して。浴衣も、どうしても気になるシミが残っちゃったら、ショート丈にして下にスカートを合わせても可愛いだろ」
『ええ……』
「待ってる」
『──はいっ』
携帯の向こうで朔が笑った気がした。
通話を切った紗月は礼を言って桃花に携帯を返し、大まかに結果を告げた。
よかったですね、と微笑む桃花に見送られ紗月は外へ。
しばらくして、息を切らせた朔が水気の残る地面を蹴ってやって来た。
紗月も屋根の下を出て朔に駆け寄る。
「紗月──っ!」
朔の口が『ごめんなさい』を紡ぐ前に紗月が抱きしめる。
「寒くないか? 怪我は?」
「大丈夫です。……ねぇ、紗月。小舟がなくても、カササギがいなくても会えましたね」
恋人にようやく会えた喜びに微笑む朔を見た紗月は、ふと瞳をきらめかせると空を指差す。
つられて顔を上げた朔は、そこに広がるものに息を飲んだ。
降るような、星空。
少し走っている間に雲はどこかへ行ってしまったようだ。
「天の川が……」
「ああ。綺麗だな」
二人が会えたように、織姫と彦星もきっと会えている。
朔と共に戻ってきた紗月の姿にホッとする桃花。
そんな彼女をちらちらと盗み見している芦原 郁乃(あはら・いくの)。
紗月と朔に起こったハプニングは決して他人事ではなかった。
今回は雨だったからいいものの、もしこれがもっと深刻な事件によって桃花と連絡のつかないような事態だったらと思うとゾッとする。
作り途中のラウンドブーケをそのままに、会場スタッフと話している紗月達を見る桃花は嬉しそうだった。
二人がちゃんと会えたことを喜んでいるのだろう。
こうしてはぐれることなくブーケ作りを楽しめている現状に、郁乃は改めて幸せを感じた。
たった今完成したコサージュを指先で遊びながら、結婚式も間近かなと頬が緩む。
いつか結婚式を、と約束したのは春だった。
紗月達が見えなくなって、ブーケ作りを再開した今も、桃花は思い出したように微笑む。
それは、紗月達を見ていた時とは違った、甘さを含んだ微笑みで。
もしかして、ブーケを作りながら同じことを考えていたのかな。
そうだったら嬉しい、と郁乃は思った。
桃花は、ブーケの基部に一本一本丁寧に花や葉を差し込みながら夢を見る。
ウェディングドレスもティアラも結婚式で使うものは全て自分で作ったもので揃えている。
宣誓の祭壇の前に立つ。
隣には、郁乃。
共に歩み、将来の約束を交わした相手。誰よりも大切な人。
きっかけは自身の封印を解いてくれたからだったかもしれないが、今はその時の何倍もの想いがあふれている。
いつか、実現してほしい。
(それは、おかしな夢ではないですよね……郁乃様)
そっと視線を向ければ、何故かほぼ同時に郁乃もこちらを見て、桃花の夢を受け取ったかのように愛情に満ちた笑顔で言った。
「いつか……ね?」
じわじわと頬に熱が広がっていき、桃花は思わず目を伏せてしまうのだった。
すっかり雨が上がり迫るように広がる星空の下、郁乃と桃花は夜風に吹かれながらのんびり歩いていた。
それぞれの作品を持って。
郁乃の頭にはティアラが、胸にはコサージュが、庭園の明かりを淡く反射させている。
一方桃花はラウンドブーケを手に、ブートニアを胸に。
今は自分で作ったものは自分で持っているが……実際の式ではどうしようか?
想像すると華やいだ気分がふくらんでいく。
一度ふくらんでしまったそれはなかなか静まることを知らず、郁乃も桃花も無言のままになってしまう。
せっかく満天の星空の下、二人きりでいるのだから、もっといろいろ話したいと思うものの、このまま時がゆっくり流れるのを二人で感じていてもかかもと思ったりもする。
ふわふわとした沈黙をやぶったのは郁乃だった。
「桃花。作ってる間、結婚式のこと考えてたでしょ」
お見通しよ、とニヤリとする郁乃に、庭に出る前に引いたはずの桃花の頬が再び熱くなっていく。
桃花は無意識にブーケで顔の半分を隠してしまったが、やがて視線だけを郁乃に向けて言った。
「郁乃様こそ、気づいていたのですから同じこと考えてたんですよね?」
郁乃の照れた顔も見てみたいと思っての言葉は、しかしあっさり肯定されたことで空振りに終わってしまった。
「そうだよ。だって、約束したんだもん。ね?」
桃花とずっと一緒に、幸せに暮らす──願いを瞳にこめて桃花を見つめる郁乃。
いつもより積極的な行動に出られるのは、左手の人差し指にあるガーネットのおかげだろうか。それとも、桃花の左手の小指にあるショールトルマリンが何らかの力を発揮しているのか。
一歩近づき、ラウンドブーケをほんのわずかずらし、触れるくらいのキスを贈る。
お互い少し照れながら、幸せいっぱいの笑顔を交わし合った。
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