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悪意の仮面

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悪意の仮面

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第1章

“悪意の仮面”の存在が明るみに出て以降、仮面に関する噂は噂を呼び、空京じゅうを飛び交っている。
 いわく、帽子と仮面をかぶった男が廃工場を選挙している。
 いわく、その廃工場では倫理観の狂った闇医者が人体実験を繰り返している。
 いわく、カップルだけを狙う傷害犯が夜な夜な現れる。
 いわく、見境なく老若男女の服をデコる暗黒スタイリストがいる。
 いわく、トラウマを与える闇討ち犯が出没する裏路地がある。
 今はまだそれぞれの事件は小規模だが、徐々にその被害は増していっている。遠くない日、空京に大きな混乱が現れるだろう、というのが識者の意見である。


「これが、その仮面というわけですか」
 つやなしの黒色だけの仮面を明かりにかざして、エッツェル・アザトース(えっつぇる・あざとーす)が呟いた。
 彼と、そのパートナーたちの住みかである。
「また変なもの拾ってきて……ネームレスが拾い食いをマネしたらどうするつもり?」
 エッツェルにもの申したのは、緋王 輝夜(ひおう・かぐや)だ。
「私が普段から拾い食いをしているかのように言うのは、やめて頂けませんか」
 ため息を吐きながら、エッツェルは何気なく、その仮面を顔にかざし、肌に触れさせた。
「あーっ!」
 いきなりなんてことを、と輝夜が叫びをあげる。仮面の奥で、ぴくりとエッツェルの眉が跳ねた。
「……不思議な感覚ですね。いつでも外せそうなのに、なんとなく外したくありません。『それを捨てるなんてとんでもない』という気持ちでしょうか」
 エッツェルは自分の心中を言葉にしながら、視線を一角に向けた。巨体のアーマード レッド(あーまーど・れっど)の肩に座ったネームレス・ミスト(ねーむれす・みすと)が、輝夜の言葉通りにエッツェルのマネをしてか、仮面を顔にかざしていた。
「何か、変わりましたか?」
「……いや」
 ネームレスも小さく首を振った。そして、仮面に関するサンプルを増やすためか、レッドの顔に仮面を触れさせた。
 仮面はぐにゃりとゆがみ、レッドの顔のサイズと頭部センサーに合わせた形状へ変化していく。
「何ラカノ ぷろぐらむヘノ指向性ガ 見受ケラレマス」
 ……と、彼は言うものの、突然武器を振り回して暴れ出すようなことはない。
「どうやら我々では仮面の効果を検証するサンプルとしてはあまり変化がないようですね」
「……本人には、変化が感じられない……のかもしれません」
「主体ガ主体自身ヲ観測スルコトハ 極メテ難シイト思ワレマス」
 ネームレスとレッドが順に答える。とはいえ、彼らの誰ひとりとして自分から仮面を外そうとしていないのも事実だ。
「まったく、何やってるんだか……」
「ここは、もう少し変化がわかりやすい人で試してみるとしましょうか」
 エッツェルが視線を動かし、やれやれと肩をすくめている輝夜に向けた。
「……えっ?」
 かくして、空京に流れる仮面の噂がひとつ増えたのであった。


 空京の大通り。その片隅で、歩き疲れたマリエル・デカトリース(まりえる・でかとりーす)は、疲労に満ちた表情で座り込んだ。
「マナ……今、いったいどこに居るの?」
 彼女のパートナー、小谷 愛美(こたに・まなみ)は“悪意の仮面”を身につけて以降、彼女の前から姿を消している。その日の夜から、仮面を着けた謎の少女がイケメンを誘拐するという事件が起きているのだ。友情とパートナーとしての責任感から、マリエルが愛美を助けようとするのは当然だろう。
 しかし、マリエルは残念ながら、守護天使であること以外はごく普通の女の子だ。がんばって空京を飛び回っても、愛美の居場所を掴むきっかけも見つからない。
「はあ……」
 さすがに疲れが溜まっていた。ため息だけが大きく漏れる。
「マリエル!」
 そんな彼女に、騒々しい声がかけられる。蒼空学園、小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)だ。
「どうしたの? ずいぶん、疲れているみたいだけど」
 美羽の隣で、コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)が首をかしげている。
「あ……
 知人の姿を見つけて安心したのか、思わずマリエルの目に涙が浮かんだ。
「ちょ、ちょっと!? ど、どうしたの!?」
 慌てて涙をぬぐおうとする美羽に、マリエルはぶんぶんと首を振る。
「じ、実は、マナが……」
 しばし、マリエルの語るところを聞いた美羽とコハクは、顔を見合わせて頷き合った。
「まかせてマリエル! こうなったら私が愛美を止めてあげる!」
「これでも、僕だって判官だから。みんなを危険にさらすような人を野放しにするわけにはいかないよね」
 ふたりがいう。思わずその場で泣き出してしまいそうな目をぬぐい、マリエルは頭を下げた。
「あ、ありがとう……ふたりとも」
「ううん。悪いのはマリエルでも愛美でもなくて、その仮面なんでしょ。それなら、仮面を壊して愛美を取り戻さなきゃ!」
 ぐっと拳を握ってみせる美羽。
「きっと、他の契約者も一緒に戦ってくれるよ。皆の知ってる情報を集めてみよう」
 と、コハク。
「そういうわけだから! マリエルは突かれてるでしょ? 後は私たちに任せて、少し休んでて!」
 そう言って、美羽とコハクは駆け出していった。
「き、気をつけてね!」
 マリエルは手を振って背を見送りながら、事件の収束を一心に願っていた。


 百合園女学院……
 暗黒スタイリストの影におびえるこの地で、冬山 小夜子(ふゆやま・さよこ)は校門に堂々と掲げられた大きな紙に呆れたため息を漏らしていた。
「どうやら、事件は拡大していっているようですわね……」
 そこに掲げられたものは、とある生徒……仮面を身につけて辻斬りを行っているというもっぱらの噂のイングリット・ネルソン(いんぐりっと・ねるそん)に当てられた手紙である。
『今夜正子(しょうし)、あなたとの勝負を望む
 シャーロット・モリアーティ(しゃーろっと・もりあーてぃ)
 どう見ても、挑戦状だ。
 短い文言のあとには、空京の一角……ちょうど、夜には人通りが絶えるあたりだ……が指定されている。
「イングリットさんは百合園生ですし……あまり、他校生との決闘を見過ごしたくはありませんわね」
 小夜子はその手紙を眺める人だかりの背後で、そうっと息を吐いた。
「見過ごすわけにはいきませんわね」