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悪意の仮面

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悪意の仮面

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第8章

 空京の深い闇の奥。暗がりに潜むように、その場所はあった。
 サルヴァトーレ・リッジョ(さるう゛ぁとーれ・りっじょ)の実験室である。
「立ち会いは強く当たって、後は流れで頼む」
 その見張りに獣人力士を立て、悪意の仮面を身につけたサルヴァトーレは新たな実験台……いや、患者……いや、やっぱり実験台のいる部屋の中をのぞき込んだ。
「服も着る金がないのか……そこまで貧乏なら、私の助けが必要だろう」
「違う! これは俺様の完璧なる肉体を世の人々に見せているためにしていることだ!」
 実験台にぐるぐるに巻き付けられた変熊 仮面(へんくま・かめん)を見下ろし、サルヴァトーレはゴム手袋を着け直した。
「ふむ? しかし、それならむだ毛は処理しておいたほうがいいな。肉体美を見せるといえばボディビルディングだが、彼らは体毛を処理していると言うからね」
「ちょ、ちょっと待て! 俺様はすでに完璧な肉体に満足して……」
「なに、遠慮するな」
 さくっ。
「ぎゃん!」
 サルヴァトーレが遠慮の欠片もなく、仮面の肌に針を突き刺した。
「何をする気だ……いや、する気ですか!?」
「この針から電気を通して、毛根を破壊するのだ。サービスで秘孔を刺激してみよう。何かが起きるかもしれん」
 すでに(どこかが)縮んでいる仮面に、サルヴァトーレは容赦のない説明を加える。
「ま、待て! ちゃんとエステで脱毛するから! それだけは……」
 叫びを上げる仮面に構わず、サルヴァトーレは自らの魔術で針に電気を流し込んだ。
「ほにゃーっ!」
 ビクン! ビクン!
 仮面が腰をがっくんがっくん上下させてもだえる。その様を、サルヴァトーレはいぶかしげに見下ろしていた。
「ん? 間違ったかな?」
 サルヴァトーレは自らの過ちを素直に認める男なのだ。
 それからしばし、彼は仮面の体にずぶずぶ針を刺して効果を試していた。
「ふーむ。筋肉のほうが絶えきれなくなってきたようだな。人体とは案外脆いものだ」
「それで済む話しじゃないと思う……」
 一部からぷすぷすと煙をあげながら、仮面はがく、と意識を落とした。
「実に心地が良いな、この仮面は。タオルミーナの海のように爽やかな気分になる」
 ひとつの実験を終えて、サルヴァトーレは晴れやかな気分で次の実験台を迎え入れた。
 進み出てくる女性……ローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)は、マスクで顔を変え、さらに腹を膨らませているように装っている。
「実は――私は空京のさる実業家の子供を身籠ってしまいまして……彼には既に妻子も居り、表沙汰になれば、きっと彼に迷惑がかかってしまいます。誰にも気づかれぬように出産したいと思いまして、その筋では名の知られたDrリッジョにお願いしに来た次第です」
 涙ながらに訴えるローザマリアにも、サルヴァトーレは表情を変えない。葉巻に火をつけ、煙をくゆらせる。
「ふむ……もちろん、それぐらいは難しいことじゃない。だが、俺に手伝わせる以上、お腹の子供で多少、発展的な行為を行わせてもらうことになるな」
「……それは、承知の上です。ですが、お金は……」
「金はいらない。そんなことのためにしているわけじゃない」
「いえ、それでは私の気が収まりません。どうか、お礼の程を……」
「しかし……」
 仮面がびくびくと跳ねる部屋の隣で、ローザマリアとサルヴァトーレが話を続けている。そう、ローザマリアが触診でも受ければすぐにバレる嘘をついてまでサルヴァトーレと面会した目的は、彼の気を引きつけ、時間を稼ぐ事にあるのだ。
 彼女の狙い通り、彼のアジトに接近した赤羽 美央(あかばね・みお)は、一気に中へ突撃した。
「やあああっ!」
 気合いの声と共に、美央は入り口に立つ獣人力士に突撃した。力士は言われたとおりに強くぶつかるが……わずかに、美央のシールドチャージのほうが勢いで勝っている!
「めんどくせーですわね。さっさと片付けてしまいなさいな」
 月来 香(げつらい・かおり)は、ため息を吐きながら、自らの体から花粉を散らしていく。それはあっという間にアジトの中に広がっていく。
「全滅させる前に……実験台と言えば、裸の女性がいるかもしれんでござる」
 椿 薫(つばき・かおる)はその念動力で下付なら身を守りながら、アジトの中を走る。能力をフルに発動させて、のぞきに全力を傾けているのだ。
 が、彼が扉の向こうに見たものは……
「ぶえっくしゅ! なんだ、くしゃみが止まらない上に気分が……ぶえっくしゅ! 動けない! ちょっと、横隔膜が限界で呼吸するのすら辛くなってきたぞ!」
 全裸でくくりつけられたまま、毒花粉の被害をもろにくらっている仮面の姿である。薫は小さなため息とともに、そっと身を引いた。わざわざ助けたいと思わなかったからである。
「さあ、ワイドショーで恥ずかしい報道をされる前に、仮面を外しておとなしくしてください!」
 中に踏み込む美央の声が、実験室に響き渡る。
「契約者か。……思ったよりも早かったな。ここはもう、捨てるしかない。行け!」
 サルヴァトーレの指示で、彼の実験台にされた病人達が立ち上がり、美央に殺到する。脅威の洗脳である。
「ちょ……っく、もう!」
 さすがの美央も、ファランクスで病人たちを薙ぎ払うわけにはいかない。まごついている間に、サルヴァトーレは裏口へと駆け出す。
「先生、待ってください!」
 その後ろ姿に、ローザマリアがすがりつく。
「離せ。私はまだ捕まるわけにはいかないんだ」
 サルヴァトーレがローザマリアを振り払おうとした、その瞬間……
「いいえ。もう捕まってるわよ」
 ローザマリアは告げ、加速装置を起動させた。一瞬の動作で、彼女の手がサルヴァトーレの仮面を掴み、引き裂く。反応する間もない。
「いきすぎた研究心につけいる隙があったわね。こうも簡単に通してくれるとは思っていなかったわ」
 ローザマリアが顎の下に手を伸ばす。その顔がべりべりと剥がされ、本来のローザマリアの顔が現れた。
「他人の仮面を見破れないほどに曇っていたか……くっ、残念だ。なかなか、良い気分だったのだがね」
「事を荒立てないようにしたまでよ。さあ、妙な改造を施した人たちを元に戻すことね」
 そのときのサルヴァトーレはあまり気乗りはしない様子だったが、後には「まあ、実験はできたし後悔はしていない」とのコメントを残している。


 さらに深い闇の中で、坂上 来栖(さかがみ・くるす)は事件をじっと見つめていた。
「サルヴァトーレ・リッジョのケースも失敗、と。やはり、仮面をつけた事で身体能力も、思考能力も上がるわけではないのですね」
 冷静に事件の流れを見つめ、その様を書き記している。仮面を着けたものの共通点、特徴的な行動、契約者の対処の仕方……そういったものを、来栖は記し、分析しているのだ。
「……そうして調べて、どうするつもりだ?」
 かつ、と固い靴音が彼女のそばに響いた。
「君こそ、こんな無力な私に何の用事かな?」
「我は蒼い空からやってきて、悪意を叩き砕く者! 仮面ツァンダーソークー1! 貴様からは強い悪意を感じる。まさか……この事件を調べ、悪意の仮面と同じようなものを作り出そうとしているのではあるまいな?」
 独特のスーツとマフラーを着た風森 巽(かぜもり・たつみ)がびしりと指を突きつける。ふっと、来栖は詰めた笑みを浮かべた。
「だとしたら、どうしますか?」
「見過ごすわけにはいかない。その研究内容を渡してもらおう」
「渡すと思いますか?」
「そうするつもりがないなら、力づくで奪う!」
 巽が、いやソークー1が両足で地面を蹴る。その力のベクトルは空中で複雑な軌道を描き、彼の体得した青心蒼空拳の奥義により、通常の蹴りの何倍もの威力を生み出すのだ!
「ソゥクゥ! イナヅマ! キィィィックッ!」
 その蹴りに対して、来栖は薄い笑みを浮かべ……かわしもせずに、まともに受ける!
「何……!?」
 蹴りを放った巽が驚くほどの改心の一撃だ。巽の軽い体は吹き飛び、その背後に流れる川へ、派手に水柱をあげて落下した。
「本当なら、爆発してあげたいところですが、今日はノリよく付き合う準備をしていられませんので。これで失礼しますよ!」
 全身にダメージを受けながらも、来栖は川の流れに身を任せて流されていく。まんまと資料を持ったまま、巽から逃げおおせたのである。受けた傷は体重のせいであまり重くはない。呪術的な治癒に任せる算段である。
「何という奴だ……仮面などなくても、あんな奴がいる、のか……」
 去っていく来栖を口惜しげに見やりながら、巽は心中呟いていた。