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リアクション
■■第一章
1
「マグロを食べたい!」
ウルス・アヴァローン(うるす・あばろーん)のその言葉に、テスラ・マグメル(てすら・まぐめる)は、サングラスをかけ直した。夏だからではない。テスラは、生来視力が弱いため、屋内外を問わずサングラスをしているのである。
「マグロ?」
音楽家として名高いテスラが、その流麗な声で問い返すと、蒼空学園の学食で横須賀からきた寿司専門の板前・アル・ハサンが配っていたフライヤーを手に、ウルスが声を上げた。
「そうだぜ、マグロ! 浦賀で取れるらしいんだ!」
「浦賀でなくとも取れると思いますが……」
「思い立ったら即吉日。早く行こうぜ」
「え、ちょっと――」
虎の姿になったウルスの勢いに乗せられるがまま、テスラは、こうして夏の一時を、地球は日本――横須賀の土地で過ごす事になったのだった。
その頃、蒼空学園同様、様々な学園食堂でマグロ料理のフライヤーを受け取っている生徒が各地にいた。
多くの生徒達が、観光と美食を求めて、地上へ降りようとする。
――ただ一人を除いては。
多比良 幽那(たひら・ゆうな)は、受け取ったチラシを、目を細めて見据えていた。
彼女の赤い瞳が、波打つ緑色の髪の下で煌めきを増している。
「浦賀港――港と言えば市場! つまり新鮮な海の幸よね!」
そう断言した彼女の言葉は、反して敵意に溢れていた。断じて、海の幸から見た敵意であり、彼女の意見は素晴らしいとも言える。――農家は農家! 海の幸に挑戦だ!!
幽那のそんな思いは、愛しいモノ達への眼差しに含まれる。
「私の可愛い植物なら負けないはず、例え海で海鮮丼に対抗しても!!」
846プロ――俗に言う芸能事務所に、所属し、農家系アイドルとしても活躍中の彼女は、美しい容に闘志を燃やしながら、断言した。
「私の人生は植物達の為にあるのよ」
ツンデレドSと表される事もある彼女の闘志に、果たして海の幸が生き残る事が出来るのかは、この説話の評すべき見所である。
このようにして、短冊を見た者、あるいは、宣伝を聴いた者、そして偶然にも観光で浦賀を訪れた者達は、一堂に会した。
無論偶然は観光に限らず、他の理由があってその土地を訪れた者もいる。
例えば、マホロバの喧噪の最中、幕藩体制の中のある一国――暁津藩の複数いた老中の座を、家系ゆえに継ぎ、退いて他の老中達へと任せ、地球への短期遊学へと向かおうとしていた継井河之助という少年もまた、その一人だった。
彼は、カワイツグノスケという名の日本の歴史上の人物によく似た名前をしているが、英霊ではない。偶然である。あくまでも偶然であり、マホロバで、幕末によく似た歴史的事件が起こったからといって、長岡藩の英霊として生じたわけではない。Nyarlathotepが、ナイアーラトホテプなのか、ホテップなのか、ニュルラトホテプなのか、その他なのかといった議論を越え、Cthulhuの読み方が、クトゥルゥっぽい、という噂以上に広まっているクトルゥフという呼び名のごとく広まっている、『そういう音もあるかも知れない』程度を軽く凌いだ、『適当』――即ち、それが良いという判断で名付けられた、何の縁もない、暁津藩のある、老中を排出している家の息子として生まれただけの少年である。その為彼は、暁津藩の老中の一人としての地位を継いだが、諍いの絶えないマホロバの地で、職を辞し、遊学へと出る事にしたのである。その為、藩と家の資金がない事もなかったが、ごく一般的なマホロバ人として、ミスカトニック大学などへ短期留学する為に、日本の地へと降り立ったのだった。
彼にしてみれば新天地である。
そういえば、故郷では紳撰組や朱辺虎衆と言った、マホロバにまつわる出来事もあったなぁという――成長の早い子供が見せる諦観・達観を、当該の地への思い出として頂いているに過ぎなかった。
が。
「相変わらず、ご家老――地味っスね。服装とか」
そこで、南臣 光一郎(みなみおみ・こういちろう)が肩を叩いて見せた。
実はマホロバでの喧噪の最中、光一郎と継井は、若干の関わりがあったのである。
どこから遊学を聞きつけたのか、はたまた偶然か、浦賀沖にて、継井河之助と光一郎、そして、光一郎のパートナーであるオットー・ハーマン(おっとー・はーまん)は、一緒にいた。
勿論薔薇の学舎でも、マグロのチラシは配られた。
強いて言うならば、喧噪の地にあった暁津藩の方に、マホロバにある幕府から宣伝がまわってくる余裕がなかったという方が正しい。
――鮪を食べたいが先立つものがない。そういうときはお金持ちなお友達や貸しがある先にたかるのが常道。
そんな想いを胸に抱きながら、光一郎が、不良っぽいと評する事がふさわしい褐色の肌のもと、目と唇で微笑んだ。
「マグロ丼楽しみだぜ」
「何故ここにいるんだ? 帰れ」
「帰れって……」
光一郎が不服そうに眉を顰めると、継井少年が腕を組んだ。
「マホロバは――我が退いても危機ではないが、主のように力在る者がいなくなっては困難だろう。今までも、そしてこれからも。様々な制度の足がかりとなる輸送船団の構想等」
「あーあー聞こえない」
「黙れ」
「マホロバを想うんなら残れば良いんじゃん? でも、違う。あの名高いミスカトニック大学に行くんだろ?」
「……――我は、鬼城将軍家の、そして世界の苦痛と広さ、その懐の広さを知らない。幕末の京都じみたと聴く扶桑よりも更に広い、世を学びたい」
二人のそんなやりとりを見守っていたオットーは、真面目そうな黒い瞳を海へと向けた。
「それがしは、平和な海が訪れると良いと思うのであるよ」
ドラゴニュートであるオットーのその言葉は、あるいは今後起きる喧噪を予期していたのかも知れない。
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