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リアクション
「僕は鮪を盗みたいんじゃない。奪いたいんだ」
海原に数多の黒船が見える。
一時の凪が、フィーア・四条(ふぃーあ・しじょう)の立つ甲板の周囲にも無風をもたらしていた。
ぼさぼさの銀色の髪が、風に弄られる事なく重力に従う。
フィーアはその時、緩慢な仕草で紺碧の空を見上げていた。深く濃く夜空に似た雲の無い宙は、今のように穏やかな海の表情も、時化も、内包し映す海の鏡のようである。
嵐の前の静けさ――そんな気配が、辺りに薫る。
「星を見て……おるのか?」
黒船の上で、フィーアへと歩み寄ってきた戸次 道雪(べつき・どうせつ)が、声をかけた。
ボブカットの青い髪が静かに揺れる。
唇に扇を宛がった道雪の問いに振り返ったフィーアは、パートナーの黒い瞳をまじまじと見返しながら、唇の片端を持ち上げた。良い声が響く。
「星はいい。何事にも動じず、いつもじっと同じ場所で瞬き続け、僕たちを見守ってくれる」
フィーアのそんな返答に、道雪は厳しい眼差しを浮かべたまま、扇を閉じた。
「今は真昼間じゃが、のう……」
■□■咆哮する黒船
■■序章
浦賀港を覆う影――あるいは、ペリーの航海日誌を元にした≪星の智慧派≫の信徒の記録。
一九二七年から翌年にかけての冬のあいだ、連邦政府の役人たちが、マサチューセッツ州の古びた港町インスマスで、ある種の事情について尋常ならざる極秘調査をおこなった時点を境に、遡る事七十四年の歳月。そうあれは、嘉永六年。東インド艦隊所属の『サスケハナ』――ペンシルベニア・ニューヨーク・メリーランドの三州にまたがる同名の川から名を冠された黒船が、浦賀へと来港し、日本に開国を迫ったのは、輝くトラペゾヘドロンの名を、ロバート・ブレイクが『一八四六年――はじめて人の口にのぼる』と一枚の紙片上で目にした記述から換算すると七年後、一八五三年の事である。
なおその航海日誌には、日本開国の為の勅命の他に……アルトベルク=エーレンシュタイン伯爵、ならびにドイツ帝国海軍少佐にして、潜水艦U29の艦長を務めたカルル・ハインリッヒが、一九一七年八月二十日にしたため、ユカタン半島沿岸で発見された手記にみられる、プロイセン人でも耐えがたいだろう苦難に直面し、闇が跋扈する忘却の海底にて、妄執にかられ、原初の神殿、測り知れぬ深みで無量の歳月を閲する沈黙の神秘のただ中へと足を踏みこもうとした記録、あるいは嘗てHPL――ハワード・フィリップス・ラヴクラフトとダーレスが『ファルコン岬の漁師』と題したイーノック・カンガーに対する記述の中で、彼の弁による「人魚なんかじゃねえ。足と手があったからな。けど、足にも手にも水かきがついていた。顔の皮膚はおれとおんなじみたいだったが、体は海の色をしていた」という噂話、もしくは≪ダゴン秘密教団≫と密接な関わりのあるマーシュ家の血縁である若者が夢の中で、インスマス沖にある悪魔の暗礁の深淵で『深きものども』の一員となり八万年前からイハ=ントレイに住み続けている祖母の祖母と邂逅したおりの以後記した『父なるダゴン』と『母なるハイドラ』、そし『ショゴス』を見た記憶を綴ったもの、名伏しがたい暗澹たる異質な深淵に聳える藻草のこびりついた海底の禍々しい神殿での慄然たる祈りについて言及した逸話、そして二○○六年五月以降、全密巴が震撼したポッ○→アジ→アジョットへの進化を遙かに凌駕する、そう魚が頭部にあり、首からが『生物の一種であり、動物界後生動物亜界脊索動物門羊膜亜門哺乳綱真獣亜綱正獣下綱霊長目真猿亜目狭鼻猿下目ヒト上科ヒト科ヒト下科ホモ属サピエンス種サピエンス亜種に属する』即ち『ヒト』の肉体を有したポ○モンに似ているようで異なる、糜爛した肌と尾びれを持つ悍ましい魚人、鱗に包まれた巨大な腕をした、太古の海洋部族――ピルトダウン人やネアンデルタール人の最初の祖先が誕生する遙か前に最後の子孫が死に絶えてしまった部族――の想像上の神々に過ぎないものと思われたかに見えて違う、現代に至るまで語り継がれる、猖獗をきわめる種族、渺茫たる歳月を歩んできた『海から来るものども』との接触に関する任務が、そこには記されていた。
そう、ペリーは、旧支配者と呼ばれる神々(?)を崇拝するダゴンに似た、深海の蕭然たる未知のモノとの接触もまた意図して黄金の国近海へと船を進めたのである。
――米軍と、伎倆と雅量でもって嘗て地球を治めた種族を崇拝する者達は、果たして邂逅を果たしたのか。
それは分霊である魚人・ペリーの姿を見れば、パラミタに至った者の幾人かは知る事が出来よう。その者青き鱗を纏いて、陽光に照らされて金色の野に見えない事もない海原へと降り立った。
現代。
神奈川県横須賀市東部――浦賀湾、沖。
砲撃を始めた黒船『サスケハナ号』の上で。
アメリカ英語なまりの日本語が、響き渡る。
「浦賀ニ黒船ガ集マル。……最後ニ残ッタ黒船ニヨッテ、“開国”ガナサレル!」
それは、魚人と化した英霊・ペリーの言葉だった。
浦賀に響きわたったその声を直接耳にした者は、果たしてどれだけいたのだっただろうか。
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