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リアクション
3/ 信じて、すべきこと
何体、倒した。すぐ隣で苦しげに喘ぎながら、轡を並べて戦い続けてきたそいつは言った。
数えてなんていなかったから、訊かれたってわからない。十匹はくだらない、とは思うけれども、ずっと頭の奥がガンガンして痛んでいた中での戦闘であったから、実際のところは多く感じていただけかもしれない。
「わからないよ」
だから率直に、三月は海へと言って返した。
本当は、口を開いて声を出すのすら億劫になるくらい、喉の奥がからからに乾いて痛かったけれど、多分それは訊いてきたあちらも同じであったろうから。
広いホールの片隅。あちこちに鼠の怪物たちの死骸が転がる中、壁に身を預け、ふたり気休め程度に息を整えている。
どちらも、体調は最悪に近い。たった一匹、刺されてすぐに潰した蟲から血を吸われただけだというのにここまで追い込まれるとは。そのときには、思ってもみなかった。油断していたといえば、油断をしていたのだろう。警報が鳴り響いた時点で気をつけておくべきだった。
「どうにか……僕らを追いかけてきた個体は全滅させられたみたいだけど……」
「それで終わり、ってわけには──いかない、よな。やっぱり」
「だろうね」
同じく病に罹患させられた、柚と。彼女の守る子どもたちを救うため。ふたりは熱に浮かされた身体をだましだまし、囮となってこのホールまで怪物たちをおびき寄せてきた。
ふたりで、よかったと思う。どちらか一方しかいなかったならこの体調では既にフォローしあう相手なしには、やられていただろう。
すべてを、倒しきる前に。
「やれやれ、もう……来たのか」
今目の前に現れ、ふたりを囲み始めた第二陣の獣たち、その群れを迎え撃つより先に。
一匹。二匹。三匹。……二、三十匹はいるか。まったく、なんて数だ。
「重労働だね、ほんとに」
「ああ、まったくだよ」
得物を、壁を。支えにしてふたりは立ち上がる。ひとまずはまだ、踏ん張り続けなくてはならないようだ。
*
多分、この施設内にいる人間の多くが今同じことを考えているのだろうな、とルカルカ・ルー(るかるか・るー)は思う。
明かりがちかちかと明滅する、研究室の中。閉ざされた扉のむこうを警戒しながら、後頭部を掻く。
それぞれにすべきことがあって、二手に分かれたというのに。
納得ずくのくせして、別行動中の相手が心配で警戒に身が入らないなんて、ちょっと軟弱じゃありませんかね、我ながら。──なんて、苦笑をその顔に浮かべている。
「……セレス、大丈夫かなあ」
ウイルスにも、やられていたし。勿論、だからといって鼠の怪物なんかにそう簡単に負けるようなタマじゃあないとは思うけれども。
「らしくない心配をしているな」
「ダリル」
彼女とともにこの研究室へとやってきた相棒、ダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)が、ルカルカの口からつい漏れた呟きを、そう評する。
口だけでなく、手を動かして。コンソールパネル上のキーを叩く指先はひとときだって、止めることなく。
彼は必要なデータを探し、モニターの上に目を走らせていく。
ウイルスも、それを媒介する蚊もこの施設にもともとあったもの、いた生き物たちだ。薬品とそのデータさえあれば、そこから特効薬となりうる、そうでなくとも対症薬くらいのものはつくれるはず。
ゆえに彼はルカルカをここへといざなった。彼女の警護の元、ここまで、辿り着いた。
「どうなの、首尾は」
「待て、もう少しでプロテクトを……ん?」
「なに、どうしたの」
ダリルの上げた怪訝そうな声に、ルカルカも思わず振り返る。
はたと考え込む素振りで、彼はモニターに視線を注いでいる。
「……妙だ」
「?」
どうしたのだろうか。まさか、この騒動のせいでデータが破損していたとか? それとも、これはほんとうは事故ではなかった、とか?
「そうじゃない。何者かが、ウイルスや薬品についてデータをコピーして、抜き出していった形跡がある」
蚊に投与されたウイルスだけでなく、この施設で管理されている病原菌や、新薬や。そのほぼすべてについて。
「え、それじゃあ、ワクチンは? 薬は?」
「一部には消去されたデータもあるようだが……誤差の範囲内だな。改竄はなさそうだ。大丈夫、問題ない」
「そう──そう、よかった」
ダリルの言葉に、安堵の息を吐く。
「最低限のデータさえ残っていれば、完成させてみせる。任せろ」
そうね、セレスだって、待ってくれているんだしね。自信をみせるダリルに頷き返し、再びルカルカは視線を扉へと向ける。手の内には、ここにやってくるまでの間に叩き落とし、捕らえたウイルス媒介者の蚊を収めた小瓶。こいつが、役に立つということだ。
「……でも」
こんな状況の中、データに不審な部分が、抜き取られたと思しき部分が見つかったというのは不穏だ。
それが原因か。あるいは、単なる火事場泥棒的な犯行か。
一体、誰が。──今は考えても、詮無きことだが。
「ルカ?」
「ううん、なんでもない」
よーく効くやつ、お願いね。自らの疑念を振り払うように首を左右させ、ルカルカは目の前のことに集中するのだった。
*
幼い女の子が、泣いていた。
幸いまだ、蚊には刺されていない。ウイルスには、侵されていないようだ。
「コルセア、この子を頼むであります。蟲たちを、近付けないように」
「オッケー。任せて」
装備した火炎放射器を片手に、もう一方の手で女の子を抱き寄せるコルセア・レキシントン(こるせあ・れきしんとん)へと背後のことを頼んで。
葛城 吹雪(かつらぎ・ふぶき)は、目の前の敵へと向かう。愛刀、絶空を振りかざし。
「しっかし、ほんとに割に合わないバイトになった──で、あります!」
頭上から振り下ろされる爪の軌道を読んで、跳躍。天井を蹴り、背後に着地をする。
「遅いでありますっ!」
施設の、通路のあちこちで蟲の媒介した病に倒れた者たちを見てきた。その病ゆえ、狂暴化し異形へ姿を変えた鼠たちに対抗しきれず、傷ついた者たちも少なくはなかった。
だが、吹雪たちは違う。
「生憎と、こちらはぴんぴんしているのであります!」
その者たちの無念を晴らす、というわけではない。今のところ死者は、吹雪は確認していないから。
吹雪がするのは、この鼠の怪物たちから皆を守ること。確認していない死者を、改めて自分の手で出してしまわないように。
アルバイトとはいえこの施設に雇われた警備員として、それが義務であり任務であると心得る。
異形と化した実験動物を気の毒とは思うが、躊躇することなく刃をその胸の中心に突き立てる。
くずおれる、巨体。それを一瞥もせず、刀を引き抜き振り返る。
「やれやれ、まったく。追加料金くらい、とってもバチが当たらないと思うでありますよ」
ぼやきつつ、保護した少女と、パートナーのほうに向かう。
幸い、通路のすぐ向こうは医務室だ。柚が、負傷者や子どもたちとともにそこで待っている。
「もう、大丈夫だからね。みんながいるところに一緒にいこうね」
彼女も、そこに連れていこう。それがさしあたっては一番安全で、安心だろう。まだまだ、施設内に救助を待っている人はいるはずだ。少女を柚のもとに預けて、自分たちは捜索を続けよう。
囮となるべくひと足先に別行動をとっていった、海と三月も心配だ。
「!?」
──と。
ざくり、と、靴底が割れたガラスを踏む音を聞いて、咄嗟に吹雪は刃を構える。
靴音ということは、鼠ではない。人間。しかも少なくとも、立ち歩く元気のある。
「誰でありますか!? 姿を見せるであります!」
音の正体を探して、やがて正面ホールへと続く通路の角に、敵対や抵抗の意志がないことを示すかのように両手を挙げて、男がひとり出てくるのを目にする。
「──ストップ。俺は見てのとおり人間だよ。鼠の化け物じゃない。投げるなよ、それ。こんな状況下でやりあう気もヒマもないだろ、お互い」
「っ」
その男は、面倒くさそうな声と表情とで、吹雪に向かい言った。柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)。彼は拳銃も抜かず、肩からさげたマシンガンも構えることなく、敵意の無さを吹雪にアピールしてみせていた。
「……これは失敬」
あとから思い起こせば、その反応自体がよくよく考えると不自然ではあったのだ。
まるで自分がこの施設内において、敵意を向けられておかしくないことを自覚しているような──それに予め備えていたかのごとき、そんな淀みのない釈明と無抵抗の表現をあっさり、この緊急事態にもかかわらず身体全体で彼はやってのけたのだから。
「俺はただ、どうにか出口を探したい。それだけだ。そっちが子どもたちを助けて回っているのは知っている。別に邪魔はしないから、この先に行かせてくれ。いいだろう?」
まるで、監視カメラの映像でその光景を逐一見て来たかのように、彼は吹雪へと言った。これもまた、後々思えば不自然であった。
だが、不安げな女の子を連れたこの緊急時である。そこに気付く余裕など、あろうはずもなかった。
吹雪は、恭也の言に頷いた。
そして彼に背を向けたし、彼が背を向けて自身と異なる方向へ歩き出したことに、疑問を挟みはしなかった。
それよりも大事なことを、今の彼女たちは抱えていたから。