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争乱の葦原島(前編)

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争乱の葦原島(前編)

リアクション

   五

 丹羽 匡壱は一般人ではなく、役人を始めとした侍らを抑える担当だった。
「取り押えるべき役人までもが暴れ回ってるんだから、何をしてるんだか……」
 武器を持っているから、少々乱暴なことをしても構わないぞと言われ、柊 恭也(ひいらぎ・きょうや)は嬉々として臨んだ。
「ところが、武器はねぇんだよな」
 屋根から暴徒の様子を観察していた恭也は、がりがりと頭を掻いた。教導団へ戻るつもりだったので、武器も梱包して飛空艇に乗せてしまったのだ。貨物便なので、既に出発している。送り返してもらうにも時間がないし、そもそもこの暴動で飛空艇は動いていない。
「そんじゃ、ま」
 恭也は屋根から呼びかけた。
「あーあー、諸君に警告だー。直ちに暴れるのを止め、速やかに原隊復帰しろー。既に鎮圧部隊の戦車も投入されているので抵抗は無意味だー」
 返答があった。
「仕事の邪魔するな!!」
 彼らは全員、己の意思はあるようだった。民や浪人は米屋や質屋を襲い、役人はそれを取り押えようとしている。問題なのは双方共に手加減がないことで、既に怪我人が多数出ている。治療するにも、まずはこの場を抑えねばなるまい。
 ともあれ、そんな状況であるから、
「口で言ってやめる訳無いわなー。そんじゃ出て来いお前等! 餌の時間だぞぉ!」
 恭也が地面に飛び下りるや、彼の影から三メートルはあろうかという黒い狼だった。それが八匹、突然現れた。
 ひっ、と息を飲むのと同時に、叫び声が響き渡った。一斉に、民も侍もなく、皆が恭也から逃げ出す。
「ほーれほれほれ、逃げないと食われちまうぞー?」
 どこか楽しげな口調で、恭也は腕を振った。黒狼たちが走り出す。黒狼たちは心得たもので、ぎりぎりのスピードと距離を保って人々を追い回した。
「恐怖の上書きってやつだ」
 うんうん、と恭也は頷いた。確かに暴動は沈静化した。その場にいた人々は恐怖の余り家に引きこもり、しばらく出て来なかったのだから。しかし、
「――何やってるんだ、あいつ……?」
 遠くで叫び声と泣き声を聞いた匡壱は、何が起きているか分からず青ざめたという……。


 戦部 小次郎(いくさべ・こじろう)は考えた。
 そもそも、漁火の最終目的は「ミシャグジの復活」であり、葦原島の滅亡でない。よしんば、葦原島が滅亡しても、それは結果に対する付随であり、主目的ではない。
 この騒乱が漁火の仕業だとするなら、それはミシャグジ復活のためと考えるのが妥当だ。となれば、可能性があるのは宝物庫の「風靡(ふうび)」か、洞窟でミシャグジを封じている「」が目的だろうと小次郎は考えた。ハイナたちの目を逸らし、どさくさ紛れに手に入れるつもりかもしれない。それなら、筋が通る。
 というわけで、小次郎はこっそり宝物庫へ向かった。ハイナには内緒である。案の定、警備の人間はいなかった。暴動の鎮圧に駆り出されたか、自分たちも暴徒と化したか。
 小次郎は宝物庫から少し離れた廊下の天井裏に隠れ――ちなみに紫月 唯斗からいい場所があると教わった――、念のため、【迷彩塗装】と【カモフラージュ】で姿を消した。
 張り込んでから六時間後。
 うとうとしていた小次郎は、物音にはっと目を覚ました。
「まずいまずい……」
 頭をぶるりと振って、周囲の気配に耳を澄ます。
「――ここだぜ」
「さぞ豪華な――」
「畜生、ハイナの奴――」
「――頂いちまおう」
 ――予想と違うな、と思ったものの、取り敢えず、待ちに待ったお客さんである。小次郎は天井裏から飛び降り、【兵は神速を尊ぶ】で彼らの間に飛び込んだ。
「な、何だ!?」
「わっ!」
「ぎゃあ!」
 相手が何かする間もなく、小次郎の「機晶スタンガン」が首筋に当てられ、光と共に男たちは崩れ落ちた。
「……漁火じゃないですね」
 小次郎は、一番最初に漁火と接触した一人だ。あの時と今の彼女の姿が異なることは知っている。その新しい彼女は<漁火の欠片>を持っているらしいが、目の前の男たちが漁火だとは思えない。あまりに簡単すぎる。
 ただの暴徒だろう、と小次郎は判断した。ハイナ憎しの余り、明倫館の宝物庫を狙ったのだろう。チンピラかもしれないが、ただの町民という可能性もある。
 取り敢えずは縛り上げ、適当な部屋に叩き込むと、小次郎はまた張り込みを続けた。


「……あのさ、何でフィーネさんがついてきてるんだ?」
 遊馬 シズ(あすま・しず)は、背後のフィーネ・アスマ(ふぃーね・あすま)に聞こえぬよう、声を抑えて尋ねた。
「愛ゆえに?」
 東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)は、寸の間考えて答えた。「というか、あんまり私に近づかないでくれる? フィーネさんが睨んでるから」
 シズはこっそりと振り返った。その瞬間、フィーネはパッと笑顔を浮かべる。その前にどんな顔をしていたかは見えなかったが、おそらく、鬼のような形相だったに違いない。シズは内心、頭を抱えた。
「にーさま」
 微笑みを浮かべて、フィーネが呼びかけてきた。ぎくり、とシズの心臓が止まりそうになる。
「な、何だ?」
「にーさまが町の人を助けたいと仰るのなら、微力ながら協力したいと思います。ところで、先程からお二人が話している漁火さんというのは、どのようなお方なのでしょう?」
「どんなって……まあ、謎の女だな。この葦原島の本体であるミシャグジを復活させようとしてるんだ。今回の暴動は多分彼女の仕業だろう。妖怪の山の妖怪たちが今まで以上に殺気だってるって話から推察すると、山を中心に、各地に『負の感情』を必要以上に高める『何か』がばらまかれてるとしか思えないんだが……」
「謎の女、ですか……」
「ゴメンね」と秋日子はシズに謝った。「遊馬くんの考えも分かるんだけど、やっぱり城下町には総奉行もいるし、ここが要だと思うんだよね。離れるわけにはいかないよ」
「謝るようなことじゃないって。ここに『何か』があるなら、それを止めればいいし。俺は呪詛の類だと思うんだが、だとするとまずは術者を見つけないとな……」
「漁火がいればいいんだけど。平太くんのためにも」
 無傷というのは無理だろうけど、と呟いた秋日子は、全身が泡立つのを覚えた。すわ敵かと「【炎楓】黒紅」と「【凍桜】紫旋」を抜きながら振り返ったが、誰の姿も見えない。殺気も消えた。
「にーさま」と、またフィーネが言った。「私は、にーさまに楯突く方は誰であろうと容赦しないつもりです。『何か』の影響を受けているだけなのかもしれないですけど、それとこれとは話が別です。にーさまの邪魔をする人はすべて排除します」
 いいですね、と念を押され、秋日子とシズは慌てた。
「普通の町の人もいるんだから……」
「そうっ、それに別に俺に楯突いてるわけじゃ……」
 フィーネは二人の言葉など聞いていなかった。「ブーストソード」を抜き、穏やかな笑みを浮かべたまま、
「もし、その漁火という方がいたら、どうしますか?」
「どうって、もちろん、なるべく無事に捕まえ――」
 そこで、シズは言葉を飲み込んだ。フィーネの目は笑っていなかった。青い瞳は冷たく、シズの胸元を刺している。
「にーさま」
 すうっと、フィーネはシズの傍に近寄り、彼の胸に手を置いた。
「浮気はしないでくださいね。もし、そんなことをしたら……」
 ――縊り殺しちゃいますよ?
 言葉にはならなかったが、フィーネの口元は確かにそう動いた。シズは声にならぬ悲鳴を上げ、秋日子は思わず二人から距離を取ったのだった。