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八月の金星(後)

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八月の金星(後)

リアクション


【一 最早未知とはいえなくなりつつある、未知の存在】

 巡洋艦ノイシュヴァンシュタイン
 その甲板上に、大勢のコントラクターを乗せた大型飛空船が着艦した。
 躯体が安定したところでタラップのハッチが開き、内から数十名のコントラクター達がぞろぞろ甲板上に降り立った。
 出迎えたケーランス提督アーノルド・ブロワーズ少将は、以前にも見た光景だと、心の中でひとりごちながらも、敬礼を送ってくるコントラクター達に答礼で応じた。
「またもや、諸君らの手を借りなければならなくなった。バッキンガムに搭載されている例のシステムに関しては、諸君らに一日の長があると聞く。諸君らの働きに、大いに期待する」
 最新鋭機晶式潜水艦バッキンガムに搭載されている例のシステム――即ち、オーガストヴィーナスの根幹を成している物理接触点生成式映像投影理論オブジェクティブ・エクステンションに関しては、シャンバラ海軍ではほとんど手の出しようがないのが現状であった。
 今回もブロワーズ提督の補佐に入ることとなったローザマリア・クライツァール(ろーざまりあ・くらいつぁーる)大尉は、対バッキンガム実働部隊の統括責任者であるルカルカ・ルー(るかるか・るー)少佐と並び立ち、ブロワーズ提督への敬礼から休めの姿勢に戻ってから、渋い表情で形の良い唇を開いた。
「バッキンガムは現在、どの海域を航行中なのでありましょうか?」
「現時点ではまだ、シャンバラの領海内に留まっている。しかし、どうにも解せん動きを見せているようだ」
 ブロワーズ提督曰く、バッキンガムは殊更に行方をくらまそうとはせず、堂々と領海内を往来しているのだという。
 その動きはまるで、何かを探しているようにも見える、という話だった。
「矢張り……バッキンガムは独自の意思で、何かの目的意識を持って行動している、という訳ですか」
 ブロワーズ提督の言葉を受け、ルカルカは顎先に親指を押し当てて、ふむ、と小さく頷いた。
 相手はオーガストヴィーナスを利用して復活したオブジェクティブの可能性が高い、と踏んでいたルカルカだったが、しかしここまでの行動を見ていると、何が目的なのかが全くといって良い程に分からない。
 であれば、とにかくひと当てしてみて、相手の動きを探る必要があった。
「ロベルトから話は聞いている。今回は少佐、君がヴェルサイユ側でコントラクター達の統轄を任されているそうだな。オブジェクティブとやらとの戦闘経験も豊富だとの経歴だから、君が最適任だとロベルトがいっていたのも頷ける」
「はっ、恐れ入ります」
 応じてからルカルカは、右手側の隊列で髭面をにやりと笑みの形に歪めているヴェルサイユ艦長ロベルト・ギーラス中佐に、目線で会釈を送った。
 今回、ヴェルサイユに乗艦するコントラクターの数は、そう多くない。
 というのも、バッキンガム突入組に編入されているコントラクターはほぼ全員、DSRVでの接近を試みるからだ。
 DSRVはノイシュヴァンシュタインの専用艦内ドックに格納されており、DSRVに乗り込む者は全員、この専用艦内ドックにて待機しなければならないのである。
 一方、ローザマリアは前回に引き続き、ブロワーズ提督の補佐に就く。
 ノイシュヴァンシュタイン艦上には彼女の他に、エース・ラグランツ(えーす・らぐらんつ)天貴 彩羽(あまむち・あやは)クローラ・テレスコピウム(くろーら・てれすこぴうむ)といった顔ぶれも見られた。
「本艦のコントラクター統轄には、テレスコピウム少尉が当たると聞いている。クライツァール大尉、君が彼に対する窓口として機能してくれ給え」
「承知致しました」
 この後、ルカルカは他数名のコントラクター達と共にギーラス中佐に同行する形でゴムボートに乗り移り、機晶式潜水艦ヴェルサイユへと向かった。
 その様子を見送っていたクローラは、タラップの左右で同じように遠ざかるゴムボートを眺めているエースと彩羽に、挨拶の握手を求めた。
「色々と、ご協力頂くことになるかと思う」
「こちらこそ、宜しくね」
 彩羽としては国軍の無計画な兵器開発に対して思うところがあったのだが、目の前のクローラがそういった内情に直接関与していないことは十分に理解している。
 現場は現場でお互いに協力し合わなければ事態の解決に繋がらないということは、彩羽の大人の知性を巡らせるまでもなく、誰でも容易に理解し得るところだろう。
「そういえば……最初にDSRVの投入を提案したのはラグランツ、君だったそうだな……まぁ上もそのつもりだったのだろうが、君の提案が後押しした格好になったのは事実だ。礼をいう」
「いやいや、それには及ばないよ。苦しんでいるひとを助けたいと思うのは、誰だって同じだと思うしね」
 幾分照れたように頭を掻いていたエースだが、再びその視線を海上に移した時には、その表情は一変して、厳しいものになっていた。
「それにしても、またオブジェクティブか……一筋縄ではいかないだろうね」
 コントラクターの千倍近い速度で思考し、行動するデジタル世界の魔物達との遭遇経験は、クローラと彩羽には皆無である。
 この中ではエースのみがその脅威を十二分に心得ているのだが、しかし今回のケースではその経験が活かせるかどうか、疑問が残った。
 オブジェクティブ・エクステンションを利用しているとはいえ、オーガストヴィーナスは明らかに別のシステムなのである。
「ま……セオリーが通用しない相手だってことは、以前から変わらない……そこだけは本当に、ブレが無い連中なんだよね」
 エースの半ば諦めに近いひとことに、クローラと彩羽は思わず、息を呑んだ。


     * * *


 ノイシュヴァンシュタインでの部隊編成指示、及び任務説明を聞き終えてヴェルサイユへと移動したリカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)シルフィスティ・ロスヴァイセ(しるふぃすてぃ・ろすう゛ぁいせ)のふたりは、セイル直下の入艦口からあてがわれた個室へと向かう途中、ギーラス中佐を捕まえてオブジェクティブの何たるかについて一所懸命に説明を加えようとしているアキラ・セイルーン(あきら・せいるーん)の姿を目にした。
 アキラの傍らでは、ルシェイメア・フローズン(るしぇいめあ・ふろーずん)アリス・ドロワーズ(ありす・どろわーず)が幾分、手持無沙汰な様子でアキラの説明が終わるのを待っている様子だった。
「どうかしたの?」
 何となく興味に駆られて声をかけたリカインだったが、ギーラス中佐は、必死になってあれこれ説明を加えた上で、更に今後の対応について自説を披露しようとしているアキラに苦笑を浮かべるばかりである。
「折角色々と説明して貰って申し訳ないのだが、君が詳しく語ってくれた内容は既に、ある人物からの集約情報提供によってほぼ理解している。少なくとも、君が持っている知識と我々が得た情報には、然程の誤差は無いものと認識しているよ」
「その人物ってのはもしかして、マーヴェラス・デベロップメント社のひとですかねぃ?」
 アキラの問いかけに、ギーラス中佐は尚も苦笑を浮かべたまま、小さく頷き返した。
 その社名を聞いた瞬間、リカインは情報提供者が誰であるのかをほとんど瞬間的に察した。
「もしかして……エージェント・ギブソン?」
 リカインがギーラス中佐に確認した人物は、マーヴェラス・デベロップメント社のテクニカルエージェント、ジェイク・ギブソンである。
 横から割り込む形となったリカインだが、アキラもギーラス中佐も別段気分を害した風も無い。
 そしてギーラス中佐は、リカインからの指摘に対して矢張り同じく、応と頷いた。
「あのひとが出てきたってことは……やっぱり、オーガストヴィーナスが放つ物理接触点持ちの映像体ってのはオブジェクティブと同型か、或いはその亜種だと考えた方が良さそうね」
 数々のオブジェクティブと交戦してきたリカインは、驚いた様子こそ見せなかったものの、うんざりした表情で小さく肩を竦めた。
 またあの厄介な連中と一戦交えねばならないのか、という厭戦的な気分が伺える。
 そんなリカインに、ルシェイメアが神妙な面持ちで問いかけた。
「連中に対し、フラワシは効果がありそうかの? 物理接触点を持つ映像体という原理には、極めて近いと思うのじゃが」
「ひとつだけ、決定的な違いがあるね……それは、スピードだよ」
 リカインの代わりに、シルフィスティが応じた。
 オブジェクティブはナノ秒単位で処理が進む超高速CPU内で誕生したデジタルの怪物であり、物質化した映像体でも、その圧倒的な速度は保持したままなのだという。
 その速度ダウン効果を持つ能力として、オブジェクティブ・オポウネントと呼ばれる認証型の電子干渉脳波が存在し、その能力を持つコントラクターは複数名居ることには居る。
 だが今回もオブジェクティブ・オポウネントが通用するかどうかは、現時点では不明であった。
「生憎だけど、フラワシ程度じゃ能力が発現する前に攻撃を浴びて、ジ・エントってところね」
「アララ、そうなのネ。んじゃあ、大人しく潜水艦の補助に廻る方が賢いカシラ?」
 リカインの推測を受けて、ルシェイメアの代わりにアリスが残念そうにかぶりを振った。
 もともとルシェイメアは然程の期待を抱いていた訳ではなかったらしく、リカインに否定されても尚、気落ちした様子は見せていない。
 恐らくはアキラやアリス同様、最初からヴェルサイユのサポートを主目的としていたに違いない。
 単純に彼女は、あわよくば的な発想で訊いていたに過ぎないだろう。
「以前の対オブジェクティブ能力は、あまり当てにしない方が良いかもね。だから私は、別の方法で対抗してみようと思うの。成功するかどうかは甚だ疑問、なんだけどね」
 自嘲気味に笑うリカインを、アキラ達とギーラス中佐が不思議そうに眺める。
 結局のところリカインとシルフィスティも、オブジェクティブへの直接攻撃ではなく、ヴェルサイユが対バッキンガム戦に打って出なければならなくなった際のサポートをメインに考えている様子であり、そして同時に、ある種の特別な思いを抱いていたりもした。
「君は……バッキンガムを破壊すべきではない、と考えている様子だね」
「あらら、顔に出てました?」
 ギーラス中佐の指摘を受けて、リカインはとぼけた口調で自身の頬を撫でてみた。
 だが、前回のDSRVによる脱出の際、敵はコントラクターを襲うというよりも寧ろ、早くバッキンガムから脱出させる為のきっかけを与えることだけに専念していたようにも見えた。
 少なくともリカインは、そのように理解している。
 であれば、まずは問答無用に撃沈へと走るのではなく、もっと深いところまで調べてから、という思いがリカインの中に強くあった。
 尤も、そうもいっていられない状況になってしまえば、リカインは己の持論をさっさと捨て去る心構えも用意していたのであるが。
「まぁね、仮に向こうが魚雷とか撃ってきても、フィスが何とかするから大丈夫」
 シルフィスティの自信満々な言葉に対し、最も疑わしそうな視線を向けていたのは皮肉にも、パートナーであるリカイン本人であった。