百合園女学院へ

薔薇の学舎

校長室

波羅蜜多実業高等学校へ

四季の彩り・新年~1年の計は初詣にあり~

リアクション公開中!

四季の彩り・新年~1年の計は初詣にあり~

リアクション

 
 第3章

 空京には、地球の様々な国から様々な企業が進出している。そのような街には、得てして文化毎のコミュニティが形成されるものだ。幼少の頃より一定の共通認識を持って育った者達が、一処に集まり生活をする。
 ロシア人コミュニティも、その1つ。
 大晦日は建物の窓からは普段よりも光が漏れ、人の営みが感じられるのに街自体は深々としている。そんな空気の中で、小さなロシア料理店もまた灯りを消さずに営業を続けていた。新年を共に迎えようという人々が豪華な料理を楽しむ店内の一角で、富永 佐那(とみなが・さな)エレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)ソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)もテーブルを囲み舌鼓を打つ。
「みんなで食事、楽しいです……♪ ハラショ♪」
 スプーンを口に運びながら嬉しそうにするソフィアに、佐那は笑顔で声を掛ける。
「好きなだけ食べてくださいね、ソフィーチカ?」
「はい。このボルシチも、ソーリャンカも、とっても美味しいのです♪ ジナマーマ、マーツィ、ありがとうございます」
 サワークリームを後入れした具沢山のスープを前に、ソフィアは佐那とエレナに可愛らしい瞳を向けて再び料理を食べ進める。ロシア版水餃子といえるペリメニ。デザートのシャルロートカ。最後には紅茶を飲みつつ、3人は穏やかな会話を交えて時を過ごした。
 佐那は半分ロシア人で、エレナもウクライナ人、ソフィアは生粋のロシア人だ。掛け替えのない家族であるパートナー達とロシアの料理を堪能しながら、里帰りの気分を味わいつつ新年を迎えるというのも素敵な年の越し方だ。
「ん……」
 うつらうつら。カップを両手に持ったまま、ソフィアは夢の中へと入りかける。それも無理のない事だろう。時刻はもう、0時に近い。
「佐那さん、そろそろ……」
「そうですね、行きましょうか」
 エレナに促され、時計を見た佐那は紅茶の残りを飲み終えて立ち上がった。
「ふゅ……家に帰るのですか……?」
 ソフィアも眠そうな目で2人を見上げて席を立つ。佐那はエレナと小さく頷き合い、ソフィアに笑いかけて店を出た。
 2人が向かうところは家ではなく――

「……ここは、公園?」
 公園にある小さな木に、点灯前のイルミネーションが飾り付けられている。今は夜闇に紛れるようにして立っているが、光り出せばそれはさながらクリスマスツリーのように見えるだろう。
 否――それは、確かにクリスマスツリーだった。
 ロシアでは、国教であるロシア正教がユリウス暦という古い暦を使っている事もあり、クリスマスは1月7日となっている。ロシア正教が信仰されている国々では新年とクリスマスは殆どセットの様に取り扱われていて、この木はヨールカと呼ばれるツリーに見立てて佐那とエレナで夕方のうちに飾り付けたものだ。勿論、公園は公共の場所なので然るべき許可は取っている。
「……7、6、5、4、3、2……」
 時計を見てカウントダウンするエレナの声を聞きながら、佐那はスイッチに掛けた親指に徐々に力を入れていく。
「……1!」
 直後、一斉に灯った細やかな光が公園を照らした。ブランコに座って見ていたソフィアは感嘆の息を洩らす。
「わぁ……」
 明るく輝く木の下には、新年の贈り物としてプレゼントが2つ置かれている。12月31日までヨールカの下に置かれるそれを、子供達が新年の夜に開けるのが一般的な慣わしだ。佐那とエレナがヨールカの両脇で待つ中で、全てを理解したソフィアは彼女達に近付いていく。迎えてくれたのは、佐那の優しい笑みだった。
「思えば、ソフィーチカが私の所へ来て、初めての新年ですね」
「初めて……」
 そう。初めてだった。ソフィアは、ずっと施設に収容されていたから。
「ソフィーチカ、新年おめでとうございます。あなたと過ごせる新しい年が、素敵な物でありますように」
 佐那側にあるプレゼントを開けると、そこには毛糸の帽子――シャプカが入っていた。混じり気のない純白は、積もりたての新雪を思わせる。
 毛糸の手触りと暖かさを実感した後、ソフィアはシャプカを頭に載せる。
 気に入って貰えたら嬉しい、と見守る佐那に、帽子の裾をちょこんと摘んだまま彼女は言った。
「ありがとうございます……似合いますか?」
「ええ。とっても似合っていますよ」
 銀色の長い髪に、白い帽子はよく似合う。嬉しそうにはにかみ、ソフィアは次にエレナ側のプレゼントを開けてみた。こちらもまた、もこもことしている。
「クマさんのぬいぐるみですね!」
「ただのぬいぐるみじゃないんですよ♪ 特殊な仕掛けがしてあって、広げて中のクッションを外すと着込むことが出来る、寝間着に早変わりする着ぐるみパジャマだったりします。こんな冬の夜は暖かく眠れますわ♪」
 ピンク色のぬいぐるみを抱いたソフィアに、エレナは明るく且つ穏やかに説明する。
「寝巻き、ですか?」
 一度瞬きし、ソフィアはぬいぐるみのもこもこさを改めて確かめる。エレナは微笑み、彼女と目を合わせて心を込めて気持ちを伝える。
「ソフィーチカ、あなたが私達の所へ来てくれた事、本当に嬉しく思います。ソフィーチカは、これからも私達の掛け替えの無い家族ですわ。ですから――何でも言って下さい。嬉しい時でも悲しい時でも、それを佐那さんと私が受け止め、みんなで分かち合いましょう」
 右手でソフィアを、左手で佐那を引き寄せて抱きしめる。冷たい外気の中で2人の温もりを感じながら、エレナは聖歌を口ずさんだ。こう見えても、オリガ大公妃の英霊であるエレナは聖人だ。
 静かな公園に、彼女の歌声が流れて消える。
 それを聞きながら、ソフィアはシャプカの下の瞳を見開いたままぽつりぽつりと話し始めた。
「私、私……こんな楽しい思い出、ありませんでした。今まで、あんなおいしい料理を食べた事も、こんな風に新年を祝った事も……あるいは、あったのかも知れません。でも、記憶が無いんです……おかしいですよね、こんなの。嬉しい筈なのに、あれ? あれ? なんで、ソフィアは泣いているの……?」
 頬を滑る涙もそのままに、彼女はエレナに顔を押し付けて目を閉じる。
「……胸の辺りが、じわりと暖かいです。これが、家族の温もりなのですね」