空京

リアクション

魔槍グングニル・ガーティ


　……空京に来るのは、何度目だろう。
　……一人で歩くのは、何度目だろう。
　生まれてからそれほど経っていないのに、その殆どを研究所内で過ごしていて、そして戦いだけを教えられてきたから。
　だから、ケイティ・プロトワンは、ともすればそびえ立つビル群に呑まれそうで、気を抜けば立ち止まってしまいそうだった。
　お腹が空いて本当は今すぐにでもうずくまってしまいたかったけれど、行き倒れになるかもしれない。それはダメだ。
「みゃあ」
　腕の中の柔らかくて暖かい物体が鳴く。視線を落とすと、ふわふわの仔猫もまた、お腹を空かせて弱々しい声を上げていた。
「ごはん……もうすぐだからね……」
　くりくりした小さな瞳が、ケイティを無心に見上げている。
　──しっかりしなきゃ。私がこの子のママなんだから。
　ケイティはなんとか思い出した道を、ふらつく足取りで歩いていった。
　どれくらい歩いたのか分からなくなった頃──実際はヒラニプラと空京を繋ぐ駅を出てすぐの処にあったのだが、道に迷った上ぼーっとしていた──その店にたどり着いた。
　場所の正確な位置は定かでなくても、犬と猫が寄り添っている形に切り出したモスグリーンの看板で、一目でそこがペットショップだと分かる。ここには友達に仔猫を貰ったとき、準備が必要だからと連れてきてもらったことがあった。
　けれど、ケイティの肩に背負った荷物の中の財布には小銭が少々あるだけ。教導団にいた頃は殆ど買い物の必要がなかったから、お金を貰うことも使うことも無かったのだ。
　ぐー。お腹の音が鳴る。
　ショーウィンドウの向こうにいる犬や猫たちは元気に走り回ったりまどろんだりしていたが、みんなご飯は貰っているのだろう。
「お願い……して……みよう？　お店の人……ミルク……くれるかも……」
　そうして店のガラス戸を押し開けようとしたとき、ガラスに映る自分の肩越しに知っている顔を見付けて、ケイティは振り向いた。
「見付けた！」
　半分は知っている顔。もう半分は……知らない顔。
「門番さんに聞いて探したんだよ。空京に行ったっていうから、きっとここじゃないかと思って。お腹空いてる？　やつれてるよ？　ごはんにしようか、奢るよ？」
「奢っては駄目ですわよ」
「そうだった、ごめん。……ええっと、これは貸しね。今度ご飯食べるときはケイティさんの奢りね」
　百合園のマリカ・ヘーシンク（まりか・へーしんく）はテレサ・カーライル（てれさ・かーらいる）に謝って、ケイティににっこり笑いかけ、それから再び、見たことがない顔を振り向いた。
「こちらは教導団の……あっ、もしかしたら知り合いかな？」
「琳　鳳明（りん・ほうめい）だよ。戦場は一緒だったけど、話す機会はなかったよね」
　ケイティは首を傾げる。見た覚えことはあるのかもしれないけれど、あの赤くて首の回りにもこもこが付いている制服ではなく、シャツとジーンズといった私服だったから、余計に分からなかった。
　けれど、分からない方が今の鳳明には都合が良い。
　彼女は背中に回した手を振って、距離を置いて付いてきたセラフィーナ・メルファ（せらふぃーな・めるふぁ）に合図した。セラフィーナは牽引していた小型飛空挺に跨ると空に舞った。
「ケイティくんには気付かれない方がいいかもしれませんね。もしも教導団や博士から狙撃命令が出ていることを知ったら、作戦を防ぐ前に真っ黒になってしまうかも」
　眼下のケイティ達は近場の飲食店に入っていく。店の中に猫は連れて行けないから、テレサだけは入り口近くで抱えて待っている。
「店内は頼みましたよ」
　セラフィーナは呟くと、狙撃ポイントに使えそうな建物を探して空を旋回する。周囲は繁華街、高層ビルばかりでどこから狙撃されてもおかしくない。ただ、逆に遮蔽物が多いとも言える。一番高いビルを目指し彼女は飛空挺の高度を上げた。

「猫ちゃんに名前はもう付けたの？」
　もくもくと大盛りチャーハンを口に運んでいたケイティは、れんげを持つ手を休めた。
「まだ付けてない……」
「じゃあ今に決めちゃおうよ、ねっ？」
　明るく勧める鳳明だが、“殺気看破”で周囲の警戒は怠らない。何かあったら“ディフェンスシフト”で庇うつもりだ。
　……彼女にはスフィアを持っているという噂がある。もしかしたら狙われるかもしれない。ケイティを見かけたのは偶然だし、彼女と特別親しいわけでもないけれど……動物に好かれる人に悪い人はあんまりいないから守ってあげなきゃ。
　鳳明は基本、お人好しだった。それに捨て子だったから何となく通じるものがあったのかもしれない。
「うんと……まだ決めてない……白猫だから……ハクにする……」
「ハクちゃんね。ねぇケイティさん、博士がケイティさんを教導団から放校したのは……うん、きっと親離れしろって事なんだよ。これからは槍に頼らなくっても一人でやってかなきゃね」
「……親離れ？」
「なんたって、ケイティさんが今は猫ちゃんのママなんだから！」
「…………」
「だけど、いきなり一人で何もかもやるのは難しいよね？　これから何をしたいか、一緒に考えよっか？」
　聞いていたマリカがそうだね、と頷く。
「まずは仔猫をお世話する場所が必要だよね。寒いところだと良くないし、お家があればいいんだけど……そうだ、携帯の番号交換しよっか。何か分からないことがあったら電話してね」
「うん」
　三人で、携帯の番号とメルアドを交換する。
　お腹もふくれたところで、ケイティは思い出したようにポケットから小さな玉を取り出した。スフィア──マリカが見るのは二度目だ。
「そういえば……スフィア……磨いてたら……きれいになった」
「ほんとだ」
　友人達に言われた通りに、ケイティはあれから毎日スフィアを布で磨いていた。以前見たときは黒ずんでいたスフィアは殆ど透明になっていた。
　それも眺めている間に透き通って、ケイティの指を透かせている。そしてどこからか集まってきた光がちらちらと舞い込んで、ケイティのスフィアを輝かせていったのだ。
　これなら一安心だね、とマリカは心の中で頷いて、
「ねぇ、みんなでドージェさんのところに見に行ってみようか？　ケイティさんの探してる強さっていうのがあるかもしれないよ」
「そうだね……あれ、着信だ」
　同意した鳳明が携帯を開くと、耳に当てるまでもなくセラフィーナの大声が聞こえてきた。
「鳳明様、関羽様が！」
　セラフィーナの眼下には、赤兎馬で空京を駆ける関羽の姿があった。


「はあああああっ」
　気合いと共に跳躍したフレッカ・ヴォークネンが手にした魔槍グングニル・ガーティを一閃すると、空中にぶら下げられたオークの人形の心臓部が粉々に砕け散った。一体、二体、すれ違いざまに槍を貫く。
　跳躍の頂点に達したところで穂先を下に向け、彼女のしなやかな肢体が槍と共に急降下する。
　地面に着地する瞬間に薙ぎ払う。ガランガランと盆をひっくり返したような音と共に、こちらはゴブリンの人形の脚部が砕けた。その音と舞い散る破片を貫いて、着地した彼女を銃弾が挟撃する。
　フレッカは羽を広げると、両脚をばねにして立ち上がった。くるりと回した槍の穂先と石突きが銃弾を跳ね返す。
「──止め！」
　銃を手にした技術科の兵士の一人が声をあげる。中年の下士官は息を整えるフレッカに近づいた。
「どうだね、調子の方は？」
「通常の戦闘に問題有りません。少々扱いが難しい性格のようですが……」
　フレッカは槍を身体に引きつけ、穂先を眺める。素人目にも禍々しい気を発していた。
「そうか、では訓練を続けよう」
「はい」
　頷きかけたフレッカは──だがその口から血を吐いた。
「……あがっ！」
「何だ……何だこれは！」
　下士官は叫んだ。
　フレッカの見開かれた両目は見る間に血に染まり、口からは止めどなく大量の血が吐き出される。異様なのは、彼女の皮膚が波打っていることだった。極太の血管かチューブを差し込まれたようだ。やがてその血管は皮膚を突き破り──否。魔槍から伸びたコードが、服と皮膚を突き破って差し込まれているのだった。
　魔槍の穂先から伸びたもの、それは触手とコードを掛け合わせたような物体だった。
　コードがフレッカの身体の中を暴れ回ったために、踵が宙に浮いている。がくがくと壊れた操り人形のようにフレッカの全身が揺れる。コード自体も何かを吸い取っているかのように、表面が波打っていた。
「あああああああああああああ」
　フレッカの口から悲鳴とも苦悶ともつかぬ声が迸るも、技術科の兵士達は為す術もなく見守るしかなかった。中年の下士官も倒れずに後ずさるだけで精一杯だ。
　ひとしきり彼女を喰らい尽くすと、魔槍はしゅるりとコードを穂先に収めた。何事もなかったようにごとん、と床に転がり落ちる槍。一拍おいて、フレッカの身体が崩れ落ちる。床と抱き合った彼女の瞳はもう何も移していない。
　下士官はおそるおそるフレッカの脈をとったが、既に彼女は事切れていた。
「博士を呼べ！　早く！」
「は、はいっ」
　やがて騒然とする訓練場に、部下の報告で駆けつけたカリーナ・イェルネは、放置されたままの魔槍を恐れもせずに手に取った。
「博士、それは危険では……」
「まさか……レゾネイターとしてはケイティの方が優秀だったと言うの……？！」
　制止する部下を気にもせず、彼女は呆然と自ら放校した部下の名を呼ぶ。
　しかし驚愕を浮かべたその顔はすぐに笑みに取って代わった。カリーナの手の中で、魔槍が小刻みにカタカタと動き始めたからだ。
「魔槍が己に相応しい主を呼び始めたようね」
　カリーナは小さく呟き、ほくそ笑んだ。
　その言葉の意味を解さぬまま、部下達は空気に呑み込まれ動けずにいた。　


「……あ」
　マリカが、小さな声を上げた。
　ケイティの掌に乗っている透明なスフィアが霞がかってきて、その霞が少しずつ雨雲のような色を帯び始めたのだ。
「どうしたの、ケイティさん？」
　ケイティは無表情で席を立った。覚束ない足取りで出口へと向かっていく。
「……グングニル・ガーティが呼んでる」
「待って！　……ああっと、お会計お会計。鳳明さん先に行ってて」
「うんっ」
　ケイティの背を鳳明が追い、マリカも慌てて会計を済ませて後を追う。
「何処に行かれるのですか？」
　目がうつろなケイティが出てきて、テレサがびっくりして問いかける。
　元々無口で、カリーナや魔槍、戦闘のこと以外は引っ込み事案で表情に乏しい彼女とはいえ、今のケイティの様子は明らかに異常だ。
「そうか……グングニル・ガーティには……私がママなんだ……いま行くからね……」
　彼女が向かおうとしている方向には、空京の仮設屯営がある。
　何があるのかは分からないが、色々な意味でまずい。スフィアは黒くなってくるし、魔槍はケイティの求める力には相応しくないと思っていたし、何より今教導団に行って、手に持っているスフィアを見られでもしたら今度こそ狙われる。
　呼びかけても反応しないケイティの腕を引っ張ったとき、彼女の目の前に影が立ちふさがった。
「待たれよ」
　それは、赤兎馬に跨った関羽・雲長（かんう・うんちょう）だった。
　鳳明の顔に戸惑いが浮かぶ。本来の用件は、関羽の捜索──そして団長から命が下っている以上、形だけでも追撃する必要が有りや無しや。
　関羽は足を止めたケイティを一瞥し、
「それがスフィアか……元技術課所属ケイティ・プワトロン、お主の行くべき処はあそこではない」
「……邪魔、しないで」
「正気に戻られよ」
　関羽は赤兎馬を手で押そうとするケイティに向かって、手の中の青龍偃月刀をかざした。
「ふん！」
　ぶわっ。
　関羽の気合いと共に、刃の部分から、見えない衝撃波がケイティを襲った。それをまともに受けたケイティはゆらり、前方に傾く。
　彼女の肩を関羽は伸ばした手で抱き留めると、駆け寄ってきた彼女たちにそっと渡した。
「念のため来たが、娘は本当に作戦の標的にはなっておらぬようだ。お主達で充分守れるだろう。しかし……」
　どうやら関羽は言葉通り、スフィアの持ち主を守るためにやって来たようだ。
「あの魔槍には薄気味悪さが漂っておったが、つい先日ソレに説明が付いた」
「と、仰られますと」
「あの槍には闇龍と同じ力、悪しき意志を感じる。私にできるのはここまで。この娘がそれに惹かれ取り込まれぬよう、お主達で守ってやってくれ」
　馬の腹に蹴りを入れ、関羽は来たときと同様、風の速度で去っていった。
　小さなうめき声を上げて、目覚めたケイティの目には正気の光が戻っていた。