空京

校長室

建国の絆第2部 第3回/全4回

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建国の絆第2部 第3回/全4回
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リアクション



蛇の湯

 大火山アトラスの傷跡の山麓
 荒涼とした荒地に、不似合いな白く優美な建物がある。
 古王国期から蘇った、シャンバラ女王を崇める神殿だ。
 鏖殺寺院の長臨時代理砕音・アントゥルース(さいおん・あんとぅるーす)は、わずかな部下と共にこの復活神殿に避難していた。

 幾分痩せた砕音はベッドの上に身を起こし、窓に模したモニタを眺めていた。
 そこに映されるのは、神殿の外側に設置されたカメラが捕えたライブの映像である。赤焼けた大地に、動く物はほとんど無い。
 スフィアを持つ砕音は今、ドラゴンキラー作戦の標的であり、また鏖殺寺院での地位を求めて彼を狙う寺院メンバーも出てくる恐れがあった。
 彼は本当の窓の近くに行く事はできないのだ。
 砕音は壁の窓型モニタから視線を外すと、リモコンを操作して、天井からタッチパネル付きの作業用モニタを降ろした。

 ベッドでも仕事を続ける砕音のもとに、クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)が飲物やタオルを運んでやってくる。
 神殿には、鏖殺寺院メンバー以外にも、個人的に砕音を手伝いたいという生徒が何人か滞在していたのだ。
「先生、療養中なんだから少しは休んだら?」
 少々呆れた様子のクリスティーに、砕音は困ったような笑みを浮かべる。
「目なら、さっき遠くを眺めて休めたぞ」
「目が疲れるくらい仕事してたの……。ねえ、砕音・クローディス?」
 クリスティーの呼びかけに、「ん?」と顔をあげた砕音が、見る見る赤くなっていく。
「……あ、あ、あほ! 気が早すぎるだろ、砕音・クローディスとか、いや、そんな……」
 砕音は照れて、手近な布団を意味もなくグシャグシャとまさぐる。
(おっさんが先生と結婚するって言ってたの、本当みたいだね)
 クリスティーは予想と少々異なる反応ながら、別の方向で納得する。
「先生、アントゥルース姓は早く捨てた方がいいんじゃない?」
「そうか? でっちあげの偽名でも、多少は愛着が」
「でっちあげ?!」
 砕音の言葉の途中ながら、クリスティーは思わず聞き返した。砕音はうなずく。
「ああ。もう一部の学校も掴んでるようだから話すけど、俺の一応の本名はサイオン・ルース。訓練施設の事務職員が、漢字が書けないとかアルファベット表記しか認めないとゴネたせいでそうなったんだが、俺としては母が字を当ててくれた『砕音』が本名だと思ってる。
 ルースは俺の父のファミリーネームだが、ルース家は白人至上主義で、亜細亜人の血が入った俺は、父の子供とは認められなかった。それでCIAの備品として飼われる事になったんだ」
 クリスティーは思案顔で眉を寄せる。
「じゃあ、アントゥルースという苗字は、ミスター・ラングレイと同じく、鏖殺寺院として活動するための偽名?」
「パラミタで公の身分を持って活動するには、姓名は必要だからな。あとはCIAに対する反抗、かな。我ながらガキっぽいとは思う……」
 クリスティーはよどみなく説明する砕音の様子に(これは呪いとは関係ないのかな)と考える。
(関係ないのなら、わざわざ呪いの話題に持っていかなくていいか)
 そう思って話題を、世間話に切り替えた。
「ラルクさんから指輪とかもらった?」
 ふたたび砕音が赤くなる。
「そ、そういう指輪じゃないが、まあ……って、そんな事聞くな。恥ずかしいぃ」

 そこへ噂の主が、巨体を現した。
「おっす、砕音! ん? なんだ、また仕事してんのかぁ?」
 砕音の恋人ラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)が病室に入ってくる。そしてベッドの上に降りている作業用モニタを、逞しい腕でぐっと天井に押しこんだ。
「頑張るのもいいが、根詰めすぎもよくねぇしよ。せっかくだし、少しゆっくりしようぜ!
 ヘルが温泉、掘ったって言ってるしな」
 ラルクは砕音の背をばしばしと、それでも十分以上に加減しているのだろうが、叩く。
「うーん、俺の認識だと温泉は飲むもの……」
「なら飲んで浸かれば、体の内からも外からも効くんじゃねぇか?
 ここの温泉は、疲労や病後の体力回復、切り傷や打ち身、神経痛なんかに効能があるって言うから、砕音にはぴったりだぜ。
 なぁに、入り方は俺がバッチリ調べてきたから心配ねぇって。
 それに皆で、外のフロに浸かるだけでも楽しいぜ」
「皆?」
 不思議そうな砕音に、ラルクは背後を指して答える。
「ああ、温泉の噂を聞きつけて、入りたいって来た奴らがいるんだ」
「やあ、良い温泉が出たと聞いて、呼ばれに来たよ」
 病室の入口には、黒崎 天音(くろさき・あまね)早川 呼雪(はやかわ・こゆき)が来ていた。呼雪の肩には、緑色の蛇が巻き付いている。蛇は、魔法で温泉を掘った当人のヘル・ラージャ(へる・らーじゃ)が変身した姿だ。
(にょほ♪ 【蛇の湯】温泉ホテルにお客様ご案内だよ~☆)
 ヘルのやたらと上機嫌なテレパシーに、砕音は軽く眩暈を覚えた。


 真白い湯気の向こう、視界の遥か上では、火山から噴き出される黒と灰の噴煙が青空にたゆたっている。
「腐った卵の匂い」とも称される温泉の匂いをかぎながら、魔道書秘伝 『闘神の書』(ひでん・とうじんのしょ)は岩の上に仁王立ちしていた。
 辺りを覆う蒸気と硫黄の匂いの中、筋骨逞しい彼の立ち姿は仁王像そのものだ。
「何かあるといけねぇから、我は監視をしてるぜぃ!
 危険因子があるといけねぇからよ!」
 そう言い切って『闘神の書』は砕音たちが温泉に入る間、周囲の警戒を買って出たのだ。しかし。
 『闘神の書』は足元の温泉をちらりと見た。
 あふれ出た湯はくぼ地に小さな温泉を作りながら、湯の川となって、なだらかな稜線を下っていっている。
 足元にいた犬が、彼を見上げる。
 見張りをするなら、とブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)が貸した犬だ。
 犬はそわそわする『闘神の書』を、不思議そうに見上げる。
「ん、ん? なんだってんだ?
 は、入りたいわけじゃあねぇぜ!? 江戸っ子の血が騒ぐだけでぃ!!」
「わうぅ~」
「てやんでぃ! こうなりゃあ温泉入りながら見張ってやるぜぃ!
 それだったら問題ねぇだろうが!」
 『闘神の書』は、ざんぶと温泉に飛び込んだ。
「ふぅ~ッ やっぱ熱い風呂は最高でぇ。極楽、極楽」


 湯気の向こうには、優美な富士山とはいかなかったが、噴煙をあげる雄大な火山がそびえている。
「こうして入ってみると、屋外で皆で風呂にするとというのも、いいもんだな……」
 露天風呂につかり、砕音はほのかに頬を赤らめながら認めた。
「なっ? 気分爽快だろ。くーっ」
 ラルクは気持ち良さそうに、両手で顔をこする。
 やはり温泉は、普通の湯とは異なり、体全体から暖められる。
 汗ばんだ砕音の横顔をながめ、ラルクは彼を温泉に誘ってよかったと思う。
 カテーテルの挿入口などから体内に湯が染み込まない様に、ラルクが厳重にテーピングしている。砕音がこそりと耳打ちした内容によれば、彼は体調不良で落ちてしまった肉付きを気にしているらしい。
 ラルクはさりげなくテープを厚巻きにする事で、それを目立たないようにしていた。
「そんでも気になるなら、おっさんの背に隠れてばいいぜ」
 ラルクはそう言って、砕音と生徒の間に位置を取る。ラルクの方は、立派な身体をタオルで隠す事もない。
 二人の様子に、黒崎 天音(くろさき・あまね)がちゃかす。
「ふぅ、おアツいねえ」
(後はおっさんたちに任せて、僕たち若者は引っ込もうかー?)
 ヘルまでのってきた。蛇は湯の水面を、くねくねとすべるように泳いでいる。
(温泉は楽しいんだけどさ。人型を取れたら、もーっと楽しいんだけど)
 ヘルは横目でちらちら早川 呼雪(はやかわ・こゆき)を見ながら、テレパシーで言う。
 ブルーズ・アッシュワース(ぶるーず・あっしゅわーす)は呆れた様子だ。
「おまえは教導団のドラゴンキラー作戦で狙われる身なのだぞ?」
(むうぅ。……でも、あれは大げさな気が)
 蛇が尻尾の先で指した方向に、数人の人影が立っている。
 ネクロマンサーのブルーズが連れる、三体のグールに、一体のレイスだ。
「奴らならば弾の影響はあるまい。最悪、射撃を受けた際の肉壁として最適だろう」
 とは言え、「死臭が匂うから風下においてよ」という天音の一言で、グールはすべて風下に移動させられたのだが。
 硫黄の匂い漂う蒸気の中に、グールや仁王像がいる……このちょっとした地獄にみだりに近づこうという者は、そういないだろう。
「僕の狼も忘れないでねっ」
 ビーストマスターのファル・サラーム(ふぁる・さらーむ)が、犬かきで湯船を泳ぎながら言う。
 二頭の狼は岩の上で静かに控えているが、マスターの命令があれば果敢に敵に襲いかかるだろう。
(安全なのは助かるけど……呼雪としっぽりイイ雰囲気にならないよ~)
 ヘルが見ると、グールたちは腐った眼球でどんよりと彼らを見つめて(?)いる。
 呼雪はふぅとため息をついた。
「教導団の作戦には失望している。人が嫌になるな……
 人の心を蔑ろにすれば、古王国と同じ道を辿るというのに」
(でもヒダカがスフィア書き換えをしてくれるから、なんとかなるかもしれないよ)
 ヘルの言葉に、天音も続ける。
「その為の手筈は、ジェイダス校長が今、整えているそうだよ」
 天音はイエニチェリとなった事で、校長と話す機会も増えた。その際に、先日ヘルに頼まれた情報も伝えている。
 砕音が難しい顔で聞いた。
「……薔薇の学舎では、イエニチェリは教師より上位の存在。と言う事は、それに沿った口調に改めた方がよろしいでしょうか?」
 天音は失笑し、それから妖しいほほ笑みに変える。
「騙そうとしてるようにしか聞こえないよ。それに、もう教師の身分じゃないだろう? ……でも、そういう趣向も面白そうだね」
 ブルーズが「なんの趣向だ」とブツブツ言う。その呟きは水音にかき消されてしまったが。
「ねえ、それは何?」
 唐突にファルが聞いた。指差した岩の上に、小さなカボチャが乗っている。見たところ、何の変哲もないカボチャだ。
 それを持ってきた天音が、ファルの疑問に答える。
「調査に行くなら持っていくといい、ってジェイダス校長に渡された物だよ。
 意図は分からないけど……誰かへの皮肉かもしれないね」
「ふうん」
 ファルは小首をかしげる。
「校長からの預かり物だ。おやつにはしない方がいい」
 呼雪が相棒の考えを予想し、先手を打っておく。
「はぁ~い」
 ちょっぴり残念そうなファルの様子に、皆が笑う。
 ラルクが大きく腕を伸ばし、気持ちよさげに言う。
「いやぁ、いい湯だ。こーしてると……闇龍とかスフィアかと神子とか、なーんも関係ない気分になっちまうよなー」
「……ラルク、さっき神子って何だろうな、とか言ってなかったか?」
 砕音が聞く。真面目な恋人の言葉に、ラルクは苦笑する。
「ひとっぷろ浴びてると、世の中のゴタゴタが遠いような気がすんなー、って事だぜ。
 必死こいて探している神子も、案外、この中の誰かが実はそうでした、とかあるかもしれねぇ。
 ま、難しく考えすぎるなってこった。うりゃ!」
 ラルクはやにわに、温泉の湯を両手ですくって砕音の顔にぶちまける。
「ぷ! ……やったな」
 砕音はじゃぶじゃぶと湯をかけ返して応戦する。
「はっはっは、そんなもんじゃ、おっさんビクともしないぜ」
 ひとしきり湯をかけあった後で、砕音はハッとする。
 天音や呼雪が困ったような笑顔で彼らを見ていた。砕音はあわてて湯の中に座りこむ。
「ま、待て待て、ラルク。ほら、他の人の迷惑になる」

 呼雪がすかさずフォローを入れる。
「いや、普段は真面目な先生が、恋人の前では童心に返ってはしゃぐのも良いんじゃないか?」
 だが、はしゃぎっぷりを見られた砕音は逆に真っ赤になって、ラルクの背に隠れてしまった。
「む?」
 水しぶきが納まった事で、ブルーズが湯船に浮いている蛇に気づいた。
(む~ふ~ふ~僕は幸せだよ~~~)
 なんだか様子がおかしい。呼雪が心配になって彼をすくい上げる。
(堪能ぅ~。この勢いで、空京をビンビンのギンギンに護っちゃうよ~。空京を護る思いは僕に集まれ~)
 ヘルは自分のスフィアに力を集めるように、尻尾を高くあげて、ふりふりと振るう。
「……どうやら、のぼせただけのようだな。まったく世話の焼ける……」
 ぼやきつつも安心した様子の呼雪に、ヘルが応える。
(だって、君や皆と旅行に行くの、僕の夢だったんだもーん)