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それを弱さと名付けた(第2回/全3回)

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それを弱さと名付けた(第2回/全3回)

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chapter.7 訪問 


 タウン内で生徒たちがタガザについて調査している頃。
 空京にあるビルの一室の受付では、レン・オズワルド(れん・おずわるど)が何やら受付の女性と揉めていた。
「だから、冒険屋としてタガザの身辺警護を請け負うと言っているんだ」
「いえ、ですから弊社は彼女の事務所ではなくただのネットコンテンツに携わっている会社ですから……」
「だとしても、彼女の動画を流したのなら彼女と連絡くらいは着くだろう。もちろん費用はいらないから、彼女を守らせてくれ。このままでは、彼女が危ない」
「危ない、と言いますと……?」
 ややおどおどしながら、受付嬢が尋ねる。
「今ネット上では、タガザについて良くない噂がちらほらと流れている。その噂から、暴力行為が派生しないとも限らない」
 レンは、心配だった。ただしそれは、どちらかと言えばタガザが、ではない。一連の失踪事件からタガザを怪しみ、彼女に接触を試みようとする生徒たちが、である。
 もしそういった生徒がタガザに絡んだ結果、彼女が「襲われた」とでも証言したら?
 追いつめられるのは、学生という身分である契約者たちの方だ。それを未然に防ぐため、レンは護衛を申し出た。そうすることで、事件の真相に迫りつつ暴走と捉えられてしまいそうな学生も保護できると考えたのだ。
「安心してください! 私たちが変な人たちからタガザさんのことを守りますから!!」
 レンに続けとばかりに身を乗り出し言ったのは、パートナーのノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)だった。
「センピースタウンでタガザさんのことを知って以来、すっかりファンになってしまったんです! もうタガザーなんです!」
「あ、もしもしすいません、今ですね、受付のところに変な人が2名……」
「違います! 私たちが変な人なんじゃありません!」
 電話をかけようとした受付嬢を、慌ててノアは止めた。これにはレンも、若干困り顔である。
「参ったな……個人ではなく俺たちのような営利団体なら接触できると思ったが、厳しいか……」
 レンの敗因は、タガザの所属事務所を完全に把握したと思い込んでしまったことだろう。もっとも、仮にタガザと会えたとして、彼女が護衛の申し出を受け入れるかどうかも不明ではあったが。
「レンさん、私たち、会えないんですかね……」
「いや、俺は諦めない。諦めたらそこで調査終了だからだ」
 しかし程なくして、受付嬢が涙目になるのを見ると申し訳なくなり、彼らは止むなくビルから出て行った。

 受付で彼らがちょっとした騒ぎを起こしていた時、久世 沙幸(くぜ・さゆき)は同じビルの別室にいた。
「お話、聞けるといいなぁ」
 応接室のようなその部屋に配されたイスに座り、沙幸はそわそわと落ち着かない様子だ。そのせいか、彼女は独り言をぽつぽつと漏らしていた。
「っていうか、本当にいるのかな……」
 少しして、ひとりの男が入室してくる。中年で、ヒゲを生やした男性だ。
「こんにちは。君かな? 芸能人デビューしたいというのは」
「は、はいっ」
 慌てて沙幸は立ち上がり、ぺこりとお辞儀をした。
「あの、私、タガザさんに憧れてて……あの人みたいになりたいんですっ!」
 そう、沙幸が先ほど呟いていたのは、タガザについてだった。沙幸はタガザに会いたい一心で、彼女の動画をネットに配信した会社を突き止め、単身乗り込んでいた。
 と言っても、沙幸の願いは半信半疑でもあった。
 センピースタウンでの彼女の活躍を聞いてからというもの、沙幸の頭にはひとつの疑問がずっと浮かんだままだった。
「タガザさんって、ネットではよく見るけど、実際に人前に姿を現したってニュースは流れてないんだね。目撃情報も噂ばっかりだし、会ったことあるモデルさんたちも引退してるって聞くし……」
 それは、沙幸がタウン内でタガザの動画を見ている時の話。
「あんまりこんな考えしたくないけど、まさか、ヴァーチャルな存在……なんてことないよね?」
 奇しくもそれは、コトノハが立てた予想と似通っている観点だった。ふたりとも、タガザが実在するモデルであることを疑っていたのだ。
 もちろん、たぐいまれなる美貌と才能を併せ持ち、沙幸が憧れたこともまた事実である。しかし皮肉にも、その憧れが「会いたい」という欲求に昇華したと同時に、彼女は疑念を抱いてしまったのだ。
 動画や画像、ネット上の噂でしか出てこない彼女は、本当にいるのか。
「うーん……そう言われても、ウチもタガザさんを直接雇ってる芸能事務所ってわけじゃないからねえ。ウチはあくまで動画の放送権を持っていて、それを流しているだけだから。ま、動画コンテンツ自体の運営はやってるから、面白い人材がいたらウチから映像を発信することくらいはできるけど」
 ただ、と男は付け足した。
「タガザさんのようなモデルを目指すには、ちょっと身長的に厳しいかなっても思うよ」
 沙幸の足から頭まで視線をスライドさせ、男が言う。しかし沙幸は食い下がった。
「え、えっとじゃあ、モデルが無理でも、グラビアアイドルくらいだったらっ……!」
 すべてはタガザに会い、胸の中に湧いてしまった想像が間違いだと証明するため。沙幸は自らの体を露出させることも厭わない覚悟で頭を下げた。が、目の前の男は無言を貫いたまま、反応しない。
「……あ、あのっ」
 不安になった沙幸が顔を上げると、そこには仏頂面の男がいた。
「!?」
 急に不機嫌になった目の前の男に、思わず沙幸はびくっと肩を震わせた。男が、ゆっくりと口を開く。
「本気で言っているのか」
「え? えっと、その……」
 まさか、怒られるとは思っていなかった沙幸は、とりあえず頭を下げなければ、と思った。安易に体を晒すようなことを言ってしまった。確かに両親にも申し訳ない。そう反省し、謝ろうとした矢先、男は沙幸の想定外の叱責を始めた。
「くらい? グラビアアイドルくらい、だと?」
「……え?」
 私の体や身の上を案じて怒ってくれたんじゃ。沙幸が口を挟もうとするが、男はそれを許さない。
「君、グラビアアイドルがどれだけ過酷な仕事か分かっているのか!」
「ひうっ」
 男の迫力に、沙幸はすっかり涙目だ。しかし男は気にせずグラビアアイドルについて熱く語り出す。
「いいか、グラビアアイドルというのはそんな簡単になれるものじゃないんだ。デビューするまでには、地方のヨゴレ仕事しかさせてもらえない。糞みたいな薄給で、長時間の移動・現場仕事なんて当たり前だ。運良くデビューできたとしても、うんざりするほど握手会やサイン会が待っている。しかもデビューしたてのアイドルなんぞ、そうそう集客力もない。がらんとした会場で、淋しさと戦いながらめげずに笑顔を振りまかなきゃいけないんだ。そもそもアイドルになるためには、お金がかかる。日々のレッスン代はもちろん、可愛く見せるための洋服や美容代もすべて自腹で賄わないといけない。出たてのアイドルなんて、兼業がほとんどだ。さらに言おう、グラビアアイドルというのはそもそも……」
「はい、はい、すいません……」
 人の怒りのスイッチとはどこにあるか分からないものである。沙幸は、ひたすら頭を下げるしかないのだった。

 そして、そのビルの出入り口付近では、比賀 一(ひが・はじめ)七枷 陣(ななかせ・じん)、そして陣のパートナーの仲瀬 磁楠(なかせ・じなん)が時折ビルの上方を眺めながらうろうろとたむろしていた。
「なあ陣、このビルに入ってったヤツが言ってたことは間違いないのか?」
「ああ、オレはこの耳でしっかり聞いた。それに、ネットで見た情報から考えてもここで間違いないはずや」
 一の疑問に答えつつ、陣は手持ちのノートパソコンを開き、ひとつの画像を表示させる。そこには、タガザのインタビュー動画の最後をキャプチャした絵があった。
「さすがにタガザ自体を尾行はできんかったけど、この動画のクレジットにある会社を調べることはできたからな。社名、所在地共にここで合ってる。しかも……」
「さっきこのビルに入っていった男が携帯で話してる声を聞いたんだろ?」
「おう。確かに『やっとタガザの新作動画が制作されるのか』って言ってたからな。ここからタガザに辿り着けるはずや」
「今のところ、動きはないみたいだけどな」
 一が、陣のパソコンに見向きもせず言う。それはどこか、意図的にパソコンを視界に入れるのを拒んでいるようにすら見えた。
「……もしタガザに会ってクロだってことが分かったら、ぶっ倒して捕まえんとな。証拠の確保にビデオカメラ回すのもアリか。いや、どうせならネットで隆盛を極めたんやし、ネットで衰退させるってのも良いかもな。動画配信サイトで晒す……センピースタウンのシアターなんかで流れたら、炎上するのが目に浮かぶぜ」
 対照的に、陣はセンピースタウンを見ながらこれからの構想を口走り、笑みを浮かべる。陣はタガザの周囲でも失踪者が出ているという不穏な噂を聞いてから、彼女に疑いの目線を向けていた。タガザが「歳の割に若々しく美しい」ことも、彼の疑惑を引き起こした一因である。
 愛美が老衰したような事態になったことを聞いた陣は、女生徒失踪事件とも絡めた上で、犯人の目的が「若さを吸い取ること」ではないかと予想を立てた。そうなると、タガザの外見は陣を疑わせる材料に成り得るのである。
「尻尾掴ませてもらうぜ、タガザ・ネヴェスタ……!」
 意気込む陣。が、隣では一が「早くパソコン閉じろ」とジェスチャーをしている。
「なあ、さっきからなんでパソコンを避けるようなマネを……」
「知らないっ、知らないぞ俺はセンピースタウンなんて。シアターさんて……!」
 数歩後ずさりながら一が言う。それはまるで、パソコンを、センピースタウンを怖がっているようにも見える。陣はその様子を見て、ピンと来た。
「もしかして、ウェブマネー使いすぎてネットが嫌になったとか」
「ええ? そうだよ、有料コンテンツなんて知らずシアターで動画見まくった結果今月スッカラカンだよ。悪いかよ」
 なぜか逆ギレ気味に一が捲し立てた。お陰で陣は、その後彼を少し慰めるはめになる。
「ま、今月分の小遣いもどうせもうないなら、暇潰しにこういうことやるのも悪くないかもな」
 ちょっと元気を取り戻したのか、一は気を取り直し張り込みを再開する。
「そうそう、そんな感じで気合い入れてレッツストーキング、ってな」
「ストーカーとか言うなよ。追跡だ追跡」
 はたから見るとそこまで乗り気には見えない一だったが、彼なりに思うところはあった。
 学園でも、センピースタウンでも、度々登場する話題。美貌と才能を持った人気モデル。好奇心も相まって、彼女を追ってみたいという気持ちが彼には芽生えていた。どこまでも「完璧」である彼女。その完璧さには、裏がある。そう睨んだ一は、決意を新たに口を開く。
「俺も、あいつの尻尾を掴みにいく。待ってろよ、タ……えーっと、タカサ? タカス?」
「それモデルやない、クリニックや」
「ア、アガサ?」
「それはネヴェスタやなくてクリスティの方や! それを弱さと名付けたじゃなくて、そして誰もいなくなったの方や」
「インテリだな」
「いや、そこは突っ込まなくてええ」
「ま、何でもいいや」
「何でもいいのかよ!」
 一と陣がそんなやり取りをしていると、ビルからひとりの男が出てきた。先ほど沙幸を思いっきり叱った男だ。男の後ろからは、しょんぼりした沙幸が出てきた。どうやら無理矢理帰らされたようである。
 が、それを目撃した陣、そして磁楠はうっかり勘違いをしてしまった。
「おい、アレって、まさに女生徒が誘拐されている現場じゃ」
「なるほど、差し詰めあの男はタガザの手下というわけだな、小僧」
 ここからは自分の出番だ、とばかりに磁楠は男へ駆け寄り、問答無用で攻撃態勢に入る。
「私が捕縛してやろう」
 言うが早いか、磁楠は魔弓の矢を空へ放つ。
「炎天よ、崩落しろっ!」
 直後、身動きを奪うような衝撃が男の動きを封じ、生み出された炎は男の周りを囲んだ。
「う、うわあっ!?」
 その隙間を縫って、陣が男に駆け寄り身柄を抑える。
「どうや、誘拐犯!」
「ゆ、誘拐犯!?」
「待って、その人は違うの!」
 沙幸が慌てて声をかける。陣と磁楠は同時に振り返った。
「……え?」
 よく見ると、男の首からはネームプレートがぶらさがっている。そこには「通信コンテンツ部 シーン・ドディー」と書かれていた。
「……人違いだったな、小僧」
 その後彼らは、菓子折りを持って謝罪に赴いたという。なお当然ながら、彼らがタガザに接触することは叶わなかった。