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ふぁーすときす泥棒を捕まえろ!?

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ふぁーすときす泥棒を捕まえろ!?

リアクション



1.カフェテラスにて1 情報収集

 蒼空学園カフェテラス。
 昼休みや放課後には、多くの学生たちがここでお茶をしたり軽い食事をとったりする。テーブル同士の間隔が広めにとられ、満席になっても窮屈さを感じることなく腰を落ち着けることができる。
「おまたせしました期間限定、さくらネーロです」
 ウィング・ヴォルフリート(うぃんぐ・う゛ぉるふりーと)は、焼きたてのパンケーキの上にサクラフレーバーのアイスクリームをトッピングした期間限定スイーツをテーブルに置く。温かなパンケーキの上で、桜色のアイスクリームがゆっくりと溶ける。
 ウィングはカフェテラスでアルバイトをしつつ、うわさのファーストキス泥棒について情報を集めている。
「こちらはメープルシロップです。お好みでパンケーキにおかけください」
 勝手知ったる何とやら、で、テーブルに座っていた女生徒は、パンケーキと接して溶け始めたアイスクリームをスプーンですくって口へと運ぶ。
「んー、この冷たさと温かさとさくらの香り……おいしく――さりげなく嬉しい!」
 眼の細い女生徒は、何度もうなずく。
「これを食べると春になったんだって思うね」
 ダイエットでもしているのか、梅昆布茶をすすっていた少女が今思い出したというように口火を切る。
「んー、春っていえばさ、暖かくなると毎年変な人出るよね。しっと団とか……あとほら、あれ」
「あー、キス泥棒?」
「ファーストキスまだの人は危ないって」
「じゃあ、私は大丈夫だー」
「……まじで?」
「レモン味だった」
「MAJIDE!?」
 盛り上がる女生徒たちを尻目に、ウィングはここで集めた情報を整理する。ファーストキス泥棒についてのうわさは、女生徒を中心に広がっているらしい。ほとんど学園の七不思議のような扱いになっていて、互いに矛盾するような情報や、被害者の女性はそのまま行方不明になってしまったなどという話もあった。
 ウィングは、頭の中に自分の集めた情報を並べてみる。うわさの中で揺らぎがないのは、被害者たちがファーストキスを奪われた、犯人は女性であるという二点のみだ。
 内心で嘆息しながら、ウィングは調理場から本日百十七個目となるさくらネーロを受け取って、テーブルへと向かった。

 ウィングがカフェテラスで情報を収集しているそのころ、蒼空学園の第七ミーティングルームでは『ファーストキス泥棒捜査本部』が開かれていた。部屋の入り口には、テレビドラマで見かけるような筆書きの看板が据えられている。
「皆さんのお力で、このような事件の再発を防いでいただきたいと思います」
 ルミーナ・レバレッジ(るみーな・ればれっじ)が部屋に集まった学生たち一人一人の顔を見ながら口を開く。
 蒼空学園の生徒だけではなく、学校の代表者同士は仲の悪いイルミンスール魔法学の生徒の姿も見える。
 最前列の席には小柄な少女が腰掛けている。その少女の名は彩祢ひびき(あやね・―)。鞘に収めたれた刀をひざの上に置いている。ファーストキス泥棒に対する憤りのためなのか、その顔は若干青白い。
 風間 光太郎(かざま・こうたろう)が忍者っぽく立ち上がる。
「拙者は監視カメラの設置を提案するでござる」
 忍者っぽい口調の光太郎は、その服装もすごく忍者だ。
「監視カメラを設置すれば、模倣犯の動きを牽制できるし一石二鳥でござる」
 光太郎の意見に御神楽 環菜(みかぐら・かんな)は頭を振る。
「この事件にためだけに監視カメラを付けるのはナンセンスよ。それともあなたが監視カメラ代を出すの?」
 環菜の鋭い眼光に、光太郎が思わずひるむ。
「確かに、監視カメラを無制限に設置するというのはプライバシーの問題もありますし――通用口を含めた要所には、すでに監視カメラが設置されています。犯行当日、外部からの侵入者があった可能性はほぼ除外して良いかと思います」
 取りなすようなルミーナの言葉に、光太郎は黙ってうなずく。
 騎沙良 詩穂(きさら・しほ)はかねてからの疑問を環菜にぶつける。
「……ん、幼染みとのキスくらい当たり前ということは……環菜お嬢様は山葉 涼司(やまは・りょうじ)さんとキスで挨拶していたんですね」
「さあ、どうだったかしら」
 詩穂の問いに対して、環菜は首を傾げてみせる。
「まぁ、頬にはしたかもしれないわね」
「花音お嬢様に告げたら面白そうです、ふふふ」
 詩穂は邪悪な笑みを浮かべる。
「とにかく、犯人を捕まえて女の子たちに謝らせなくちゃ!」
 なにやらテンションが高まってきた小谷 愛美(こたに・まなみ)が両手で拳を握って立ち上がる。
 周囲の女子もそれに同調する。
「女の子の唇を力尽くで奪うなんて、許せないぜ!」
 メイ・アドネラ(めい・あどねら)も拳を振り上げる。
「まさに女の敵。再起不能にしてやりましょう」
 ジャタ族のクコ・赤嶺(くこ・あかみね)は静かな闘志をみなぎらせて呟く。彼女の狐耳もピンと張り詰めている。
 機晶姫であるアイリス・零式(あいりす・ぜろしき)は首を傾げる。
「ファーストキスとは何でありますか?」
 赤嶺 霜月(あかみね・そうげつ)は、腕を組んで首を傾げつつ答える。
「読んで字のごとく、初めてのキスのことで……キスっていうのはわかりますか?」
 霜月の問いに、アイリスは小さく頷いて答える。
「なぜ、クコとメイはあれほど憤ってるのでありますか?」
「うーん、それは……」
 霜月は鼻の頭を掻きながら思案する。うまく説明できる自信がない。強いていえば、自分というものが他者に侵略されるということに対する憤りか。
「被害者の共通点はなにかないのかぁ?」
 小さなメモ帳を開いて何か書き付けていた筑摩 彩(ちくま・いろどり)がシャープペンシルを唇に当てて考え込む。
「一度整理してみましょう」
 ルミーナがホワイトボードに被害者たちの情報を書きだしていく。氏名や在籍するクラスなどの個人情報は伏せられている。
「一日一回ペース、ということなんだね……被害にあった女の子たちは、何か共通点はないのかな」
 彩はメモ帳に『日課? ノルマ』と書き込んでアンダーラインを引く。
「性別と身長がやや低めであることをのぞけば、クラスや部活などなんの接点もないようです」
「それでは、その身長は手がかりになりませんか? たしか、犯人は小柄な少女だという証言は一致していたはずです。被害者全員が小型な少女だと判断したなら、身体測定のデータから犯人を絞り込めませるのでは?」
 イグテシア・ミュドリャゼンカ(いぐてしあ・みゅどりゃぜんか)が提案する。
「ねぇ、犯人て女の子なの」
 イグテシアの言葉を聞いたメイがパートナーの霜月に小声で耳打ちする。霜月はうなずく。
「――女の子を殴るわけにはいかないな」
 メイは拳を顎に当てて考え込む。
「まぁ、そのときになったら考えればいいや」
「戦わないですむかの知れないのでありますね」
 アイリスが小さく笑む。
「――なので、身長から犯人を絞り込むのは少々難しいかと思います」
 メイが考え込んでいる間に、ルミーナは証言から犯人を絞り込むことは難しいという結論を述べていた。蒼空学園の生徒数は多い。平均より小柄だといっても、その母数が大きすぎるために容疑者を絞れないというのが論旨であった。
「それでは、具体的にどのような手段を?」
 イグラシアは若干いらだちを含んだ声音で問う。
「囮捜査よ!」
 なぜか世紀の大発見をしたような自信に満ちあふれた環菜の声が響いた。
「しかしそれでは皆さんに危険が」
 ルミーナの背後で白い翼が羽ばたく。表情はいつも通りに落ち着いた者だが、内心はかなり動揺しているようだ。
「どうかしら? ここに集まったあなたたちは、人が卑劣な犯罪に巻き込まれるかも知れないのに、自分たちは安全な場所に引きこもっているなんてこと、できるのかしら」
「よーし、マナミンもがんばるよ」
「じゃあ私はマナと一緒に行動するわ!」
 朝野 未沙(あさの・みさ)が勢いよく立ち上がる。愛美と未沙の視線が絡まる。
「――」
「――」
 見つめ合う二人。二人に共通する唇に関する思い出が脳裏に巡る。未沙は自分でも気付かぬうちに唇をぬらす。
 不思議な沈黙が支配するミーティングルームに、乾いた咳払いが響いた。エヴァルト・マルトリッツ(えう゛ぁると・まるとりっつ)だ。
「囮捜査に異論のあるものはいないようだが、場所については? 人数が限られている以上、配置についてここで決めた方が良くはないか」
「そうですね――」
 ルミーナが端末するとホワイトボードの上に学園の見取り図が表示される。
「階段の踊り場、廊下の曲がり角――夕方以降になると人通りがかなり少なくなる場所です」
「結構ばらけてるね」
 彩はメモ帳に見取り図をそのまま写そうとして、眉をひそめる。
「あたしが連絡係引き受けようか」
 榊 花梨(さかき・かりん)がいつも連れている猫の背中をそっとなでながらいう。
「そうですね、榊さんには、私と一緒に情報の整理と、皆さんへの連絡をお願いします」
 ルミーナと一緒ならばどこにいても携帯電話を使用できる。
「それでは、善は急げです。行動を開始しましょう」
 ルミーナの言葉に学生たちは一斉に立ち上がる。
 最前列の彩祢ひびきも立ち上がるが、貧血でも起こしたようにふらつき、近くにいた詩穂に倒れかかる。
「あらら、大丈夫ですかぁ?」
 詩穂は自分の胸の間に埋もれる小柄なひびきをそっと支えてやる。
「ちょっと、お腹が減っちゃった」
 ひびきは八重歯を少しだけ覗かせて笑う。
「ダイエットですか? いまのままでもあなたはとってもすてきですよ」
「いや、ほんとに食事が――」
「じゃあ、これをプレゼントですよ」
 詩穂はひびきのやわらかな頬に唇を押し当てる。ひびきの頬に赤みが戻る。気恥ずかしさだけではない。詩穂の『アリスキッス』の効果だ。
「おい、大丈夫か!?」
 ひびきとルミーナの会話を遮るように、エヴァルトの声が響く。彼の視線の先には、大量の鼻血を流す女性がいる。その女性は、血走った目でルミーナとひびきを見つめている。
「蒼空学園は――楽園――か」
 葛葉 明(くずのは・めい)は、自分の身体から失われていく血液にはまったく気付かぬようにふらふらと立ち上がる。彼女の口はもごもごと動いている。
「ここにはまだ誰も手を触れていない双丘があたしを待っているのね」
 明は口の中で結んだサクランボのヘタを満足げに見やると、とりつかれたような足取りで外へと出て行った。
 ひびきは鼻血を流しながら女性に見つめられたのがよほど衝撃的なことだったのか、真っ青な顔で立ち尽くしている。
「ルミーナさん、あの人捕まえた方が――」
 赤嶺 霜月が提案する。
「あの方は、パラ実の生徒さんですからファーストキス泥棒ではないはず――ですので」
 答えながらも、ルミーナは危険な存在を招き入れてしまったという予感に小さく身震いした。
 ひびきはいつもは背負っている日本刀を杖代わりにして気丈に立っている。
「と、とりあえずファーストキス泥棒を捕まえるでござる」
 風間 光太郎は声に、学生たちは不揃いな鬨の声を上げるのだった。