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リアクション
5.GATCHA!
彩祢ひびき(あやね・―)は一人、放課後の校舎を歩いていた。
窓の外からは橙色の夕陽が差し込んでくる。小柄な彼女が一人、夕暮れの廊下を歩いている光景は、少し寂しげにも見える。
「おーい」
フリルを多用したひらひら服を着た少女がひびきに手を振りながら近づいてくる。姫野 香苗(ひめの・かなえ)だ。
「なぁに?」
ひびきは首を傾げる。
「あなたがうわさのファーストキス泥棒ね」
香苗の言葉は、質問ではなくあくまで確認だった。
「あたしは、そのぅ、キスをしたかった訳じゃなく」
ひびきの答えは、半ば否定の入り交じったものであった。しかし、香苗はそんなことには頓着せずにひびきの手を取って飛び跳ねた。
「香苗も一緒に女の子にちゅーしに行ってあげる」
あまりにもあけすけな物言いにひびきが半歩後ずさる。後ずさった拍子に、そのまま床の上にへたり込んでしまう。
「どうしたの?」
香苗は、へたり込んだひびきに視線の高さを合わせる。ひびきは、八重歯をちらと覗かせて苦笑する。
「あは、お腹が減って力が出ないや」
「じゃあ、ボクの顔をお食べ――じゃなくて!」
香苗は、小さなバッグの中に手を突っ込む。
「ノンシュガーキャンディーとガムしかないや。両方ともパラミタコーンポタージュ味だけどどっちがいいかな?」
そのまずさ故にダイエットスィーツとして、乙女の間で密かなブームとなりつつあるパラミタトウモロコシをイメージさせるフレーバーのお菓子を差し出す香苗。
「ごめんね」
ひびきは、心配そうに自分をのぞき込む香苗の頬に片手をあてる。桜色の唇が貸さなりあう。
香苗は、一瞬だけ目を見開き身体を強張らせたあと、ゆっくりと目を閉じ少しだけひんやりとしたひびきの唇だけを感じた。
一瞬にも永遠にも感じられる時のあと、香苗の首筋にかすかな痛みが走った。
「ごめんね」
香苗が眼を見開くと、ひどく悲しげなひびきの顔が目の前にあった。ひびきの唇はかすかに、赤く染まっている。
「吸血鬼になったりしないから――」
ひびきは香苗の首筋にできた虫さされのような小さな傷跡にハンカチを当てる。
「いい感じのキスだったから全然OKだよ!」
香苗はひびきの手を取って立たせる。
「ねぇ、ちょっとは元気になった?」
香苗は自分がキスをされたこと、血を吸われたことをまったく気にしていないようだった。
「よーし、このまま学校中の女の子にキスしながら血をもらっちゃおう!」
「え、あの」
「あ、香苗は姫野 香苗。色恋以外では友情を裏切らないのがモットー! 香苗って呼んでね」
「彩祢ひびき。ひびきって呼んでくれたら嬉しいな」
吸血鬼の少女ひびきと、百合園女学院の香苗。微妙に目的は違うものの、ここに一つのチームが生まれたのであった。
教材倉庫のある、一般学生は滅多に近づかない一角。
羽鳥 浩人(はとり・ひろと)は思い詰めた表情のフィサリア・リリス(ふぃさりあ・りりす)の相談事に乗っていた。
「あのね、どうしても駄目なの」
フィサリアの声は、不安という冷気に凍らされ、今にも砕けてしまいそうなリンドウを思わせる。
偶然この会話を聞く者がいれば、まさかピーマンが苦手だと話しているとは夢にも思わないだろう。
「いつか大丈夫になるよ」
「でも、ずっと避けられるものじゃないよ……ねぇ私どうすればいいの?」
「まずは小さく――」
浩人が急に黙り込む。小柄な少女が鼻歌を歌いながら、近づいてくるのが見えたのだ。
「こんちはー」
妙に愛想良くその少女――香苗は二人に挨拶した。
「いやー……最近はファーストキス泥棒なんていうのがでるそうで〜」
テレビ番組の芸人のようにのらりくらりと喋り続ける香苗。浩人とフィサリアは顔を見合わせる。
そのときだった。誰かが階段を駆けてくる音が聞こえる。軽い音だが、速い。
香苗のしゃべりに意識をそらされた浩人とフィサリアの背後から、別の階段を使って回り込んだひびきが忍び寄っていたのだ。
ひびきは、フィサリアの肩を掴み自分の方へ向かう。フィサリアの銀色の髪が夕暮れの光の中に舞う。その美しさに心奪われながら、ひびきは飢えを満たすためにフィサリアの唇に己の唇を重ねた。
「……」
フィサリアは方針のあまり、首筋にちくりと痛みが走ったことにすら気がつかなかった。
浩人は、突然現れた少女に攻撃を仕掛けることができず、立ち尽くしていた。
「ま、待って」
浩人は走り去ろうとするひびきと香苗に手を伸ばした。しかし、二人は廊下の角をまわってあっという間に姿を消してしまう。
「っく……こちら羽鳥 浩人チームです」
『ファーストキス泥棒捜査本部』連絡係を務めている榊 花梨に携帯で連絡を取る。緊急時以外はメールで連絡することになっている。花梨も電話に出た時点で、緊張した声で応答する。
「こちら榊です」
「キス泥棒を、取り逃がしました。女生徒二人組、校舎中央周辺に逃亡しました」
「了解しました。巡回チームを振り分けます」
優斗が通話を終え、振り返るとそこには全身を激しく震わせるフィサリアの姿があった。
「きゅきゅくいきゅくきゅく」
興奮のあまりなのか、呂律が回っていない。
「ひ、ひろとさーん!!」
フィサリアは浩人の胸の中に飛び込む。
イルミンスール魔法学園からやってきた宇佐木 みらびは、獣化したディオネア・マスキプラを背負って人気のない廊下を歩いている。
霧島 春美、セイ・グランドルの二名は光学迷彩で姿を消し、さらに距離をとってみらびを見守っている。
「――あ、誰か来たよ」
みらびの背中でディオネアが呟く。彼女は今現在、ファンシーなデザインのリュックサックという設定になっているのでほとんど動かない。
葛葉 明だ。鼻歌を歌いながら、口の中でサクランボのヘタを結んではほどく、ということを繰り返している。
「んー」
明は立ち止まって品定めをするような視線でみらびを眺める。
「ちょいと拝見」
明は無造作にみらびの胸に手を伸ばす。みらびが悲鳴を上げるように速く、セイが駆け出す。
セイはみらびの肩を掴み、後ろに倒れるようにして明の魔の手からみらびを救い出す。
「ぎゅう!」
セイとみらびに挟まれてディオネアが呻く。
「痛てえっ大丈夫か、宇佐木」
「う、うん」
春美は光学迷彩を解いて、明に指を突きつける。
「あなたがうわさのファーストキス泥棒ね!」
「んあ?」
明は、宙に伸ばしかけた手を春美に向ける。春美は半歩退きながらも呪文を唱えるべく集中に入る。
「うーん、揉むべきか揉まざるべきか――」
明は結局逃げることを選択したようだ。
「あ、待て!!」
明の背中に春美の声がぶつかった。
「追うよ!」
「うん!」
如月 正悟(きさらぎ・しょうご)は花梨から送られてきたメールを確認して走り出す。
「マナ、こっち!」
彼の僅かに前方では小谷 愛美、朝野 未沙、アリア・ブランシュが走っている。
(くくく、すっかり俺を味方だと思っているようだな)
正悟は一人ほくそ笑む。彼の視線は、愛美に固定されている。ファーストキス泥棒捕縛の混乱の最中、あわよくば愛美の唇を奪おうと画策しているのだ。
もしそうすればより有利なるなら、ファーストキス泥棒と手を組むことも辞さないつもりだ。
彼らの視線の先には、百合園女学園からファーストキス泥棒を捕えるためにやってきた東雲 秋日子(しののめ・あきひこ)らがいる。
「んー、襲われないなら襲われないで何か複雑感じ」
秋日子が囮として立てたのはパートナーのキルティス・フェリーノ(きるてぃす・ふぇりーの)。ファーストキス泥棒とおぼしき二人――ひびきと香苗の二人が駆け寄ってきたが、ある程度近寄ってきたらきびすを返して走り去ってしまった。
「さすがにあいても囮がたくさんいるってことに気付いているのかも知れないですね」
要・ハーヴェンス(かなめ・はーべんす)は友人がファーストキス泥棒に襲われずに済んでどこかほっとしているようだ。
「うまくいえないけど、何か、こう、許せない感じね。要、キルティ――私たちも追うわよ」
秋日子は香苗たちが逃げていった方向へと駆け出す。
「やっぱり、キルティくん昔――」
走りながら呟く要の口を、秋日子が併走しながら塞ぐ。
「余計なことはいわないの。乙女のプライドに関わる問題よ」
「僕、女の子の格好してる時は男の子しか好きになれないけど、なんか傷付いた」
「ほら、キルティもこう言ってるわ!」
機晶姫のロートラウト・エッカート(ろーとらうと・えっかーと)が控えていた地点にも、ひびきと香苗のコンビがやってきた。
すでにキス泥棒が二人組の少女であるという情報を得ていたロートラウトは、両手を広げて立ちふさがる。
「ここは通さないからね!」
ロートラウトは一目で機晶姫と知れる。吸血鬼であるひびきとしては、彼女にキスをする必要は感じない。
「よーし、いくぞー!」
香苗はやる気満々だ。かわいい女の子とキスする、というのが香苗の目的なのだ。女の子であれば、機晶姫でも問題ないらしい。
「うーん――」
思い悩みながらも、ひびきは背中の日本刀を一息に抜き放つ。
「そこまでにしてもらいましょう。刀を抜くなら俺が相手をしましょう」
エヴァルト・マルトリッツがパートナーの背後から姿をあらわす。
「うーん、あー……ちぇすと!」
ひびきが日本刀を上段から振り下ろす。エヴァルトがひるんで後退する。とても受け流せるような太刀筋ではない。銃で受ければ、その銃が使い物にならなくなるだろう。
「拙者の出番でござる!」
天井に張られた張られた石膏ボードを突き破って風間 光太郎が廊下に降り立つ。
忍者志望の光太郎は、天井裏に設けられた高さ三十センチほどの配線スペースを這って移動していたのだ。すべては、忍者っぽく登場するため。
「これぞ、風間流忍法瞬天動の術でござる!」
ひびきを含め、その場にいた全員が突然現れた光太郎に視線を向ける。
否、ただ一人だけ己の目的にまっすぐな少女がいた。姫野 香苗は石膏ボードの粉まみれの光太郎には目もくれず、一直線にロートラウトへと駆け寄る。
「んちゅっ」
「っむ」
ロートラウトの唇に香苗の唇が重なる。
「はて……」
ロートラウトは、まったく動じず香苗を抱きしめるようにして捕まえた。
住人ほどを相手に大立ち回りを演じていたひびきも、香苗が捕縛されたのに気付くと、日本刀を捨てた。
武器を捨てたひびきに駆け寄るものがあった。
パラ実生の葛葉 明だ。ここにいるメンバーには『ファーストキス泥棒捜査本部』で突然鼻血を出した人、として認識されている女性だ。
「まだ青いか……だが案ずることはない。毎日わたしがもんでやれば直に大きくやわらかに育つさ」
明は、血走った目でルミーナとひびきを見ていたのと同じ人物とは思えないイイ笑顔でひびきを見つめる。ただし、その両手はひびきの未成熟な胸をまさぐっている。
「うらやまし――もとい、最低だ!」
如月 正悟が叫ぶ。ようやくファーストキス泥棒を捕縛できたと思ったら、今度は乳もみ犯が現れた。今度は明を捕まえようと探偵たちが殺到する。
どさくさに紛れて愛美にキスしようとする正悟。
正悟をコブラツイストでロックする朝野 未沙。
未沙の技の冴えに、心からの拍手を送るアリア・ブランシュ。
細かくなって煙幕のようになった石膏。煙幕に紛れて自分に抱きつこうとする何者かを光条兵器のハリセンでひたすらにはたき落としていく桜井 雪華(さくらい・せつか)。
雪華は、かつてキスをしないと不幸になるというチェーンメールを友人に送っていたことがあった。
(無関係だったから良かったけど!)
メジャーリーグのスラッガー顔負けのスイングで、また誰かを張り飛ばして雪華は小さく溜め息をつく。手にハリセンマメができなければいいが。
メイ・アドネラ、クコ・赤嶺の二人も、完成されたコンビネーションで次々と不届き者を制圧していく。メイの殺気感知であやしい者を見つけ出し、クコのトミーガンで狙い撃ちにしていく。
「あわわ――」
アイリス・零式はおろおろと辺りを見回す。しかし、あたりは真っ白な石灰の粉に包まれなにもわからない。
「やれやれ――」
赤嶺 霜月はなぜか自分の胸をまさぐる男の腕を掴み、背負い投げの要領で吹き飛ばす。
大混乱の果てに、光太郎が突き破った石膏ボードのせいで、全員が真っ白になりながらも、その場のにいた全員が『ファーストキス泥棒捜査本部』へと集まることとなった。
「ロートラウト、大丈夫か」
エヴァルトは皆がいなくなったあとも床にへたり込んだロートラウトを助け起こす。
「なんだか。よくわからないけれど――立ち直れなさそう」
ロートラウトは肩をがっくりと落として呟いた。