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第1章 紅のアタマと白のキャプテン

 同じ頃。放課後の蒼空学園キャンパス。
 中庭の一画に設けられた天幕の下、

             「第一回蒼空杯サッカー大会
                参加選手及び実行委員受付窓口」

という立て札が下げられている。
 その前を通る生徒達は、ある者はちらりと一瞥し、ある者は長机に並んでいる受付用紙やサッカー大会告知のプリントを手に取ってすぐに戻す。
 選手として参加しようという者はなかなか現れなかった。
(実行委員なら……もう何人か出てるんだけどなぁ)
 窓口に座る影野 陽太(かげの・ようた)は、欠伸をしながらそんな事を思った。
 地味な仕事だけど、裏方というのはやる事はいっぱいだ。だから、力を貸してくれる人がいるのは素直に有り難い。
(でも、選手ゼロなんてことになったらどうなるだろう?)
 ――大会当日、ただでさえだだっ広いフィールドに、審判の自分だけがポツリと立つ光景。想像するだけでゾッとした。
 その長机の前に、本日何十人目かの生徒が立ち止まり、告知のプリントを手に取って「うわぁ」と声を上げた。
「こんなサッカー大会なんてやるんだぁ」
 少しばかり感嘆しながらプリントを眺める、背の低い女の子は芦原 郁乃(あはら・いくの)だ。
「あらあら、郁乃様。サッカー大会がどうかしました?」
「これこれ。見てよこのルール。何かスゴそう」
「どれどれ?」
 郁乃に促されて、その手のプリントを覗き込むのは秋月 桃花(あきづき・とうか)
「まぁ。これは、その、何と言ったらいいのでしょう?」
「戦闘するなとか書いてあるのは、一応『手加減しろ』、って事だろうけどさ。ちょっと、こう……」
 芦原郁乃は少し唸った。
「その……どんなサッカーになるのか、って……ねぇ?」
「そもそも、サッカーになるんでしょうか?」
「だよねぇ。選手やる人、絶対無事じゃ済まないよ」
「でも、面白そうではありますよね。郁乃様、参加してみます?」
「えー。わたしが運動にぶちんなの知ってるでしょー?」
「そこはスキルでカバーするんですよ。意外と大活躍するかもですよ?」
「えー」
「何なら私も一緒に出て、手伝いましょうか?」
「えー。どうしようかなー」
 ……また始まった。
 影野陽太は溜息をついた。
 こういう風に、カップルなり友達連れが足を止めることも十何回目かの事だ。
 だが、この後の事は十分予測がつく。
 特別ルールの事や参加するしないでしばらく盛り上がった後、プリントを戻してこの場を立ち去っていくのだ。
 見飽きたパターン。まぁ、やる事もなくずっと椅子に座ってばかりよりはまだマシかも知れないが――。
 そこに、「ヒャハッ、あったあった」とパラ実訛りの台詞が聞こえてきた。その台詞を口にした者は、プリントを手に盛り上がるふたりの横から「すまねぇがちょっと退いてくれや」と声をかけて、長机の前に立った。
「おゥ、選手参加の窓口ってのはここかい?」
「あ、はい。そうですが」
「蒼空学園じゃなくても参加できるんだよな?」
「ええ、もちろんです」
「何かに名前書かなきゃとかするんだろ?」
「はい、こちらの書類に、名前と所属と、あと、念のために連絡先を……」
 差し出された書類に、パラ実訛りの男――でも制服はイルミンスール魔法学校――は手早く必要事項を記入していく。
マイト・オーバーウェルム(まいと・おーばーうぇるむ) イルミンスール魔法学校」
 そして、備考欄にも「紅」と書いて、ペンを置いてニヤリと笑う。
「所属はイルミン心はパラ実、栄光の波羅蜜多タイタンズナインがひとり、イルミン武術部主将マイト・オーバーウェルム見参!」
(いや、別にそこまで訊いてないです)
 影野陽太は内心でツッコんだ。
「はばかりながら蒼空杯サッカー大会紅チームのアタマ張らせてもらうぜ! 文句はないな?!」
「歓迎します。是非、紅チームを引っ張っていって下さい」
 影野陽太は思わず立ち上がり、身を乗り出してマイトと名乗る男に握手を求めた。待望の選手参加だ。やたらテンションが高くてうっとおしく感じられていたのが、一転して実に頼もしく思えてくる。
 マイトは力強い笑顔で、影野陽太と握手を交わした。
「よし、じゃあついでにこいつも配ってくんな! 栄光有る紅チームの勧誘ビラだ!」
 長机の上に、どん、と置かれるB5サイズの紙の束。そこには勢いに充ち満ちた筆致で
「紅チーム募集! 根性有るのはマイト・オーバーウェルムまで! みんなオレについて来い! ヒャッハー」
なんて書いてある。しかも横にはひっそりと「連絡時にもらった個人情報はチームメンバーの管理にしか使わねぇ! 誰かに洩れたりした日には、その場でオレは腹を切る! 漢・マイトの約束だ!」という個人情報保護についてのコメントもあり、意外と気配りも利いている。
「もひとつついでに告知プリントをガメさせてもらうぜ! イルミン中にベタベタ貼って、この事みんなに知らせてやる! 蒼学のやらかす祭りにイルミンスールもきっちり巻き込んでやらあ! 大会当日は期待して待っていろ!」
「あ、はい! よろしくお願いいたします」
「おう、任せとけ! ヒャーッハッハッハッハ……ん?」
 新たな紙の束を小脇に抱え、高笑いとともに立ち去ろうとしたマイト。
 この時彼は、初めて横にいたふたりの顔を見た。
 ふたりとは、無論、芦原郁乃と秋月桃花の事だ。彼女らは、突然出て来てまくしたててきたマイトのテンションに、すっかり呑まれてしまっている。
「……っと、いきなり割り込んで来て悪かったな」
「あ、いえ……」
 芦原郁乃がちょっとだけ頭を下げる。
 マイトは、芦原郁乃の手にある告知プリントに眼を止めた。
「何だ、あんたらも選手参加希望か?」
「え? いや、どうしようかな、って考え中です」
「そうか。悪い事は言わねぇ、やめておけ」
 今までとは打って変わった神妙な様子で、マイトは首を横に振った。
「……はい?」
「ルール見ただろう? アレすんなコレすんなとか言ってるけど、魔法やスキルが飛び交いだしたらどうなるか分かったもんじゃねえ」
「やっぱりそうですよねぇ?」
 答えながら、芦原郁乃は秋月桃花と顔を見合わせた。
「そうじゃなくてもサッカーは激しいスポーツだ。見た感じ何かスポーツの類もやってそうじゃないし、そんな小さい体じゃ当たり負けしちまうぜ?」
(……え?)
 芦原郁乃の顔が強張る。
「ンなちびっこくてヒョロい体じゃあ、スキルの載ったシュートやパス喰らったらボールに体が吹っ飛ばされちまう」
(……何て言った?)
 芦原郁乃の口元が引きつり始める。
 その顔を見ている秋月桃花は「しまった」と気付いた。
「俺は以前、もっとヤバい競技をやった事がある。いま思えば、生きて帰れたのは運が良かっただけなのかも知れねぇ……まぁ、あんたらは大人しく観客席でラッパでも鳴らして――」
「ねぇ……何て言ったの?」
 芦原郁乃の口から、恐ろしく低い声が洩れた。秋月桃花も滅多に聴いた事のない声だ。
「? ああ、俺は前に、もっとヤバい……」
「その前!」
 芦原郁乃が怒鳴る。
「その前、お前、何て言った!?」
(い、郁乃様!?)
 相手を「お前」呼ばわりするなんて、秋月桃花も初めて見る芦原郁乃の姿だった。
 突然の剣幕に気圧されながら、マイトは自分の台詞を思い出す。
「あー、ええと……ちびっこい体じゃ、スキルの載った……」
「言ったなあ! 三回も言った! 小さいとかチビとか、三回も言った!」
「郁乃様、郁乃様。こちらの方も、決して悪気があったわけでは……」
「すみませんっ!」
 芦原郁乃は物凄い形相で長机に身を乗り出した。たじろぐ影野陽太。
「は、はいっ!?」
「私も選手で参加したいんですけどっ! この紙に名前とか書けばいいんですよねっ!?」
 影野陽太が答える前に、芦原郁乃はペンと用紙をひったくり、その欄の中に必要な事を書いていく。筆圧が凄まじく、文字のそこそこでペン先が用紙を突き破った。
「蒼空学園所属、芦原郁乃! サッカー大会に参加します!」
 そして、備考欄への大きな文字と、腹の底からの大きな声とで
「チームは白!」
と宣言した。
 気迫に完全に呑まれたマイトは、助けを求めるように秋月桃花に訊ねた。
「……俺、何かいけない事言ったか?」
「言い方に問題があったんですよ……」
 秋月桃花が溜息をつき、頭を横に振った。