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リアクション
序章
まだ朝焼けが空を群青色に染め上げている冬の一幕。
次第に夜が青く溶け差し込む白い光は、今坂 朝子(いまさか・あさこ)と西守 勝彦(にしもり・かつひこ)が揃って立つコンクリートの床までをも照らしはじめた――朝がきたのだ。
「It’s been a pleasure doing business with you(話がまとまって嬉しいですよ)」
「The pleasure’s all ours.Thank you for coming(こちらこそ。来てくれて有難うねぇ)」
朝子が相手の言葉に応え、金髪の大柄な青年と握手をしたのが手続き終了の合図だった。褐色の肌をした男は、無骨な手を軽く動かす。その仕草が指示であったらしく、背後に控えていた人々は、整然とナッツチョコが詰め込まれているコンテナの扉を閉めていく。
「後はよろしくね」
二つばかり現物を鞄へとしまいながら、朝子が今屋の従業員に振り返った。女主人に頷き返しながら、従業員がトラックの荷台へとコンテナを積み込んでいく。それをしばし見守った後で朝子と勝彦は、人目をはばかるように辺境で行われた取引の会場を後にした。
「だけど、どうしてあんな人目をはばかるような場所で商談を?」
そろって始発電車へと乗り込み、閑古鳥が鳴く車両の扉が閉まった時、勝彦が尋ねた。
既に日は高くなり始めており、白い陽光が車内を照らし出している。
「伝票の仕入れ値を見ると、市場に出回っている同一品より、やけに一箱一箱の値段が高いような……」
無論勝彦の脳裏にも、江戸時代から連綿と続く今屋が、裏の顔を持っている事は浮かんでいた。パートナーである勝彦の言葉に、朝子は薄く笑いながら、二人しかいない電車内の椅子の真ん中に深々と座った。堂々と背を預けながら、肩を竦める。そうして彼女は、ポケットから、先程のコンテナに積んであったものと同種のナッツチョコを二つ取り出した。
「これは純正のコロンビア産だからねぇ」
そう告げ朝子は、チョコを静かに歯で割った。中が空洞になっていたその甘い茶色の合間からは、白い粉が静かにこぼれる。指でそれを掬った彼女は、鼻へとそれを近づけ、じっくりと吸気した。
「トラックに積んだ分は末端価格で2000万くらいかなぁ。ん――はぁ」
彼女は深く味わうように鼻梁を傾け匂いを嗅いでいる。
「やっぱり純正はちがうわ」
それから朝子は、勝彦に向き直った。
「一つあげようか。なにせ、今日は聖バレンタイン・ディだからねぇ」
凛々しいながらも色気のある朝子は、瀟洒な外套のポケットから一枚の広告を取り出しながら、口にした。先日街頭で貰ったチョコ作り教室及び、氷像展示会のチラシである。主催は、『AMOR CAFE』となっている。もうすぐ二人の乗った電車が、そばを通り過ぎる空京の一角が会場だ。そのカフェの上階には、まだパラミタでは数少ない点字の書籍などを作製・蒐集している私設図書館などもある。
「いや、ガチで結構です」
勝彦が、間髪いれずに断った。勝彦の将来の夢は、平穏に暮らす事である。その為断りながらも、勝彦は朝子が持つチラシを覗き込んでから、窓の外を見た。すると遠目に、いくつかの氷像が見て取れる。開始時刻までには、未だ時間があるようだから、先行の展示物なのだろう。
――仮にこの時勝彦が、断らずにチョコを口に含んでいたならば、彼らも会場で起きている異常に気づいた事だろう。
勝彦が断った、丁度数秒前の事。
「ちょっと、待っ――!!」
氷像の展示会場の裏手にある地球風なお言えば欧風の建造物の二階では、少年のそんな声が響き渡っていた。彼の首元では、鮮やかな色合いのマフラーが揺れている。三階には図書館があり、二階のその場所はアトリエじみた場所だった。辺りには、氷が砕け散るような、激しい音が谺する。
呆気にとられて、砕け散っていく展示予定物を見守っていたのは、猫を追いかけてきた新である。彼が全速力で抱き留めようとしていた猫のアリスはといえば、パズルのピースと化して階下へ散っていく肖像画の破片を不思議そうに見守っていた。
氷のパズルで創られたその肖像画は、本日の展示会のメインオブジェであると、大々的に宣伝されていた品だ。冬の女王の姿が、色鮮やかに描かれていた代物だったのだが、アリスの体当たりにより、主に顔の部分をはじめとして、オブジェはゆっくりと瓦解していく。
眼前にあったはずなのに無くなってしまったソレに対して、不思議そうにそして探すかのようにアリスは挙動を止めたまま、首だけを動かしている。
慌てて駆け寄った新は、猫を抱き留め捕まえて両腕で抱えた。
そうしながら、展示会場に決定する以前からカフェのオープンテラスとして点在する、階下の席の数々を見守った。既に展示されているいくつかのオブジェを観覧しているのか、はたまた誰かとの待ち合わせなのか、そこには幾人もの姿が見て取れる。
そこにいる人々の元に、氷で出来たパズルのピースが降っていくのだった。
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