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リアクション
●ザナドゥ:メイシュロット南西付近
アアアアアアアァァァァ!!!!
凶暴化したソレの叫びは、大地を揺るがす波紋の声だった。その獰猛な雄叫びだけで、空気が激しく振動する。
まるで巨大飛空挺のそれに負けず劣らない、強靱で巨大な体躯。闇の瘴気に包まれたソレは、視界に映るものを全て敵と見なしているかのよう、見境無く襲いかかってくるのだった。
狼の怪物。番犬と呼ぶにふさわしいその姿が、いまのナナ――ナベリウスが一人の、幼き魔族だった。
(アレがナベリウスの本当の姿か……。さすがに、地獄の番犬と呼ばれるだけはあるね)
ザナドゥに伝わる魔神 ナベリウス(まじん・なべりうす)の古くからの口伝を、アムドゥスキアスは思い出す。
もはやあれは、ナナというよりは《魔狼》である。魔族の根底にある破壊衝動が、むき出しになった姿だった。
アムドゥスキアスは、魔狼の攻撃を避けつつ、牽制を含めた矢を放っていく。むろん、たいしたダメージを与えることも出来ないが、だからこそ、ある程度は本気で戦って相手をひるませることが出来ていた。
そして――。
彼とともに戦うのは、仲間である契約者たちだ。その存在が失っては困る要人、アムドゥスキアスの護衛、援護。魔狼となったナナとの抗戦と、役割をそれぞれに分けて、彼らは戦っていた。
しかし。
契約者が何人と集まろうとも、凶暴化した魔狼の力は驚異的である。
叩きつぶされそうになって、アムドゥスキアスは飛び退いた。その懐に入ろうとして、加速する魔狼。
だが――二人の間に、《ブリザード》の激しい氷風がくい込んできた。本能的に、魔狼が距離を空ける。
なんとか危機を脱したアムドゥスキアスのもとに降り立ったのは、一人の氷柱のごとき青き髪をなびかせる悪魔だった。
「さて、どうするアム?」
「さあ、どうしようかな……」
一部で魔海侯とも呼ばれる悪魔――フィーグムンド・フォルネウス(ふぃーぐむんど・ふぉるねうす)に訊ねられて、アムドゥスキアスは苦笑した。
フィーグムンドは、彼を古くから知っている。それが余裕めいた笑みに見えても、単なる緊張と不安の裏返しでもあるということを彼女は知っていた。
(迷っているのかもしれんな……)
「…………最悪の場合、ナナちゃんを倒してしまってでも、止めないといけないかもしれないね」
「……そうか」
ためらいつつもアムドゥスキアスが言った可能性に、フィーグムンドは軽くうなずくだけだった。
彼は、いつも最善の方法を探し、自分の心を覆い隠すところがある。
それは彼の魅力でもあるが、時に残酷なまでに、自分の心を消してしまう。フィーグムンドはかつて、そんなアムドゥスキアスをたくさん見てきた。
恐らくそれは、今このときも……
「アムさん!」
「……!?」
魔狼の攻撃からアムドゥスキアスを守るために、稲場 繭(いなば・まゆ)が間に割り込んだ。
《凍てつく炎》が壁のように広がり、魔狼がその獰猛な口から吹いた闇色の炎を防ぐ。
そうして空間を作ったとき、繭は、静かに口を開いた。
「私は…………ナナさんを倒してしまうなんて……そんなのは、いやです」
「繭……」
「アムさんは、ナナさんが傷ついてしまってもいいんですか? ナナさんが、消えてしまってもいいんですか?」
「…………」
「そんなの、わたしは認めたくないです。だって、そんな……そんな勝利は…………」
氷術と炎術が混ざり合った魔法は、闇色の炎をはじき返す。そしてその間に、すぐに繭はアムドゥスキアスの傷を《命のうねり》で回復させた。傷が癒えて、アムドゥスキアスは身体に力がみなぎってくるのを感じた。
と――アムドゥスキアスの背後から、ポンと、誰かがその肩を強めに押した。
「あんたね。繭がこれだけ言ってるのに、どっちか救えたら上出来なんて思わないでよね」
「エ、エミリアちゃん……っ。私は……」
「いいから、繭は黙ってて」
繭を言葉一つで制すると、彼女のパートナーのエミリア・レンコート(えみりあ・れんこーと)は、口をへの字にしながらアムドゥスキアスを見つめた。
「魔神だったら、少しは根性ってもん見せなさいよ。そりゃ、器用になんでもナァナァでちょうど良く終わらせることだって、必要だし、時には素晴らしい方法よ。でもね。あんな姿になった幼い友達を犠牲にしておいて、戦いに勝っただなんて言わせないわよ」
エミリアは牙をむくように言う。
怒りの沸点が低くなっているのは自分でも感じていた。それほどに、苛立ちがこみ上げてきて、そして、無性に目の前の芸術の魔神だとかいう少年に腹立たしさを覚えるのだ。
それは、彼が根本では魔族という存在だからなのかもしれない。
(これだから…………魔族ってのは嫌いなのよっ!)
むろん、彼女も魔族の一種族『吸血鬼』である。
自分の性根も、彼らと同じものがあるかもしれないのだ。同族嫌悪に似たものが、いつの間にか彼女にアムドゥスキアスの目をのぞき込むような形をとらせていた。
「ボクは、可能性も考慮しないといけないって言ってるだけで……」
「ふざけたこと抜かすんじゃないわよ! 可能性? なによ、それ。魔神としての責任ってヤツなの? 魔神がなにっ!? 魔族がなにっ!? そんなことの前に、一人の友達でしょうがっ! あのナナってのは、あんたの、アムドゥスキアスってヤツの、友達じゃなかったの! だったら、彼女のために必死こいて救おうとするのが、本当の友達でしょ!」
エミリアは一気にまくし立てた。
荒くなった呼吸が後に続き、ぜいぜいと漏れる。深呼吸してそれを整えると同時に、彼女は自分の心も落ち着かせた。
「……ワタシはね、繭があんたのために力になるって言うから、仕方なく協力してあげるのよ。繭はあんたの友達ではあるけど、ワタシの大切な友達でもあるの。もし、繭を哀しませるようなことしたら……魔神だって許さないから。その点、よく分かっておいてよ」
釘を刺すように言って、エミリアは話は終わりだとばかりにアムドゥスキアスから目を離す。
そして、火術と雷術を片手ずつに唱えた。炎と雷が、鎧のように腕を纏う。
「魔族に手を貸すのは今回だけだかんね……!」
そして彼女は、地を蹴ってナナと戦う仲間たちの援護に向かった。
(友達のために……?)
取り残されたアムドゥスキアスは、戸惑うような表情を浮かべる。
「くるぞ、アムドゥスキアス!」
「っ!」
思考に気を捕らわれていた隙に、魔狼の攻撃が飛び込んできた。
フィーグムンドの声を頼りに、なんとかそれを避けるアムドゥスキアス。
闇色の炎、激しく打ち振るわれる腕、牙をむき出しにして津波のように相手を飲み込もうとする口。魔狼の多彩な攻撃から身を避けつつ、しかし――。
アムドゥスキアスの思考は先ほどのエミリアの言葉を何度も繰り返していた。
と、そのとき――魔狼の攻撃から彼を守る刃が現れる。鋭利なカタールの刃は、魔狼の大口から放たれた炎の球を切るようにして防いだ。
アムドゥスキアスの護衛として戦いに参加していた御影 美雪(みかげ・よしゆき)である。
彼は、ちらりとアムドゥスキアスを見やった。
「確か……アムドゥスキアスって言ったよね?」
そして、おもむろにそんなことを訊ねる。
「そうだけど……?」
「なんかさ…………初対面でこんなこと言うのも悪い気はするけど、俺も、エミリアさんと同じように思ってるんだ」
続けざまに飛んでくる炎から、二人は同時に逃げ出す。それでも、言葉は続いた。
「もちろん、戦って、そして、誰かを倒してでも進まないといけない時っては確かにある……俺もそう思うよ。だけど、戦うってさ。刃を交える事だけじゃないだろ……?」
「刃を交えることだけじゃ……?」
「ああ。もしも、あのナナって娘が変わってしまった理由があるんだったら、それを解決する手段がきっとどこかにあるはずさ。彼女の……心を取り戻す手段ってやつがね。だったら、そのために全力を尽くせばいい」
「……全、力……」
「そうですよ」
呆然と声を漏らしてうつむいたアムドゥスキアスに、美雪のパートナーである風見 愛羅(かざみ・あいら)が言った。
「大事な人くらい、自分で護って見せたらいかがですか」
彼女は素っ気なくそう言い残すと、それ以上に言うことはないとばかりに、美雪のバックアップへ向かった。
(まったく、美雪らしいと言いますか……要らない事に首を突っ込んで。自分まで危険な目に合わせるのですから……)
心中、呆れるように思う。
(帰ったら、お説教ですね)
そう決定して、しかし今は、そのためにも全員で帰るために最善と尽くそうと誓った。
とはいえ、攻撃を仕掛けては、危ないことはするなと美雪に怒られてしまうだろう。そうでなくとも、自分程度では足手まといになるかもしれない。ならば、自分の出来ること――傷ついた彼を《ヒール》で癒やすことが、彼女の役目だった。
(とても、まっすぐだな……人間は……)
アムドゥスキアスは契約者たちのことを考えて、しばしその場に立ち尽くした。
と――
「師匠! 人が悪いぜ!」
遅れてやってきた天空寺 鬼羅(てんくうじ・きら)が、上空から勢いよく落下すると同時に魔狼へ向けて強烈な拳を放った。その拳に装備されたかぎ爪が、魔狼をはじき飛ばす。その姿は、魔鎧であるパートナー、妖甲 悪路王(ようこう・あくろおう)を装備した姿だった。
「あ、いや、この場合、悪魔が悪いっていやーいーのか? …………あああぁ、そんなことどうでもいいやっ! 師匠!」
鬼羅は、自分よりも上の岩場にいるアムドゥスキアスを見上げる。
呆気にとられている彼に、鬼羅は気概良く不敵な笑みを浮かべた。
「先に行くなんて水くせーぜ! 今のオレじゃぁ、胸張って師匠と肩並べて戦えねぇが……命賭けて師匠と一緒に戦う覚悟だ!」
「そ、それは……ありがたいけどさ……」
「だからよぉ…………あのナナって子を助けてやろうぜ!! 魔神アムドゥスキアスにできねえことはねえ! そうだろっ!」
「…………そんなこと……一言も言った覚えはないんだけどなぁ……」
苦笑しながらアムドゥスキアスは頬をかく。しかし、不思議といやな気分はしなかった。むしろ何かが、火を灯したような気分だ。背中を後押しされて、一歩歩き出すことに似ている。
「あ、そだそだ、師匠」
「ん……?」
「もう一人、落ちてくるぜ」
「え゛」
思わず上を見上げると、キーーーーーンという不吉な音と、徐々に大きくなる影。
「ギャーーーーーー!! とまらーーーーーんっ!」
「どわあああああぁぁぁ!!」
影はフルスピードで落下してくると、アムドゥスキアスのいた岩場を巻き込むようにして地面にぶつかった。
「ふにゅうううぅぅ…………き、鬼羅はん……カノコさん、もうダメぇ……」
落下してきたのは、《強化光翼》で飛んできた一人の女性契約者だ。
ぐるぐると渦巻き状に目を回して、彼女はバタンと倒れた。いったい、何しにきたのかサッパリである。
「おいおい、しょうがないやつだな。ったく」
鬼羅が呆れたように言う。
むろん、普段の彼も人のことはあまり言えないわけだったが。
「コレって…………」
「アーーーーーーッ!!」
と、アムドゥスキアスがその人物にかすかな見覚えに近いものを感じたところで、悲鳴のような少年の声が響き渡った。
振り向くと、そこにいたのは共に戦ってくれていたアムトーシスの住人、ロクロ・キシュ(ろくろ・きしゅ)である。彼は、慌てて契約者のもとに駆け寄った。
「カ、カノコさん〜……なにしてるんですかぁ〜」
恥ずかしい家族を見られた気分で、ロクロは彼女を介抱する。
(そうか、この人が…………ロクロがパートナー契約を結んだ契約者、由乃 カノコ(ゆの・かのこ)さんなのか)
ロクロから話だけは聞いていたアムドゥスキアスは、そこでようやく女性契約者の正体を知った。
いまだに渦巻きになった瞳で目を回しているカノコは、意識もうつろに声を漏らす。
「ロ、ロクロさん、カノコはもうあかん……あとは任せた……」
ガクリ。意識は途切れる。
「カ、カノコさーんっ!?」
「いや、まだだ、まだ終わらんよっ!」
しかし、回復は早かった。
「ナベリウスの娘っ子を……ナナちゃんを救わんかぎり…………カノコに平穏無事な観光は訪れんのやぁっ! 友達の友達はそのまた友達っ! カノコはやるっ! やってやるでええええぇぇ!」
カノコはガバっと起き上がって、激烈に熱い気合いを入れる。
その様子を見て、アムドゥスキアスはしばしポカンとする。だが、やがて、それは羨ましそうな表情になった。
「ねえ、ロクロくん」
「は、はい、領主様っ!」
「ボクもいつか、大切な友達のために、泣いたり、怒ったり、迷うことなく立ち向かっていったり、出来るようになるかな? こんな、ボクでも……」
「領主様……」
ロクロはアムトーシスにいた頃、時々、アムドゥスキアスが寂しそうな表情を浮かべていたのを思い出した。
それは、もしかしたらずっと、今のようなことを考え続けていたのかもしれない。ずっと、魔族である自分を……。
「はいっ! きっと……きっと領主様なら、大丈夫ですよ! だって、『壊れたものは元に戻せる。そうでなくても、新しいものに、作り替えられる』――ですから!」
「……うん…………そうだね……!」
アムドゥスキアスは、顔をあげた。
今度こそ、迷いなく彼は、魔狼の姿を見据える。
「さあ、やろう! ナナを助けるよ! ロクロくん、それと…………えーと、弟子1号! 頼りにしてるからね!」
「は、はいっ!」
「師匠おおおおおぉぉぉ!! やっと、弟子って認めてくれ――」
「あ、間違った。えっと、弟子見習い」
「ノオオオオオオオオオォォォ! …………でもまあ、あ、あと一歩……」
ロクロと、あきらめることを知らない契約者はアムドゥスキアスに続いて戦いの場に再び戻る。
そして――
「カノコは……カノコはあぁぁぁ…………」
由乃カノコは存在を忘れられてしばらく放置されたままだった。
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