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桜井静香の冒険~帰還~

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桜井静香の冒険~帰還~

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第6章 静香の告白


 備え付けの医務室だけではとても場所が足りず、急ごしらえの救護室となった食堂では、机や椅子の殆どが隅っこに片付けられ、マットレスがあちこちに敷かれていた。殆どの怪我人は白鳥ゆる族の船員だ。契約者ではないため、真っ正面から戦わなくとも、流れ弾でも場合によっては致命傷になる。
 窓には外から見えないようにカーテンが引かれ、厨房では湯が沸かされている。
 部屋の中央では、白いエプロンを付けた桜井静香が指揮を執っていた。
「皆様、こちらに並んで検診をお待ち下さい」
 フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)が軽傷の船員を隅に並ばせて、医師の診察を受けさせている。
 医師の横ではアリス・ハーバート(ありす・はーばーと)が看護婦を務めている。医師の指示を受けて、医務室から持ってきた包帯や医薬品で、応急手当と簡単な治療をする。
「これで終わり。お大事にね。……次の方どうぞ!」
 アリスの額には汗が浮いている。今までも手当の勉強をしてはきたが、実践で実戦だと余計に緊張する。
 診断とアリスの手当では難しいと判断される船員には、フィリッパが隣の列を案内する。
「指示を受けた方は、こちらの線でお待ち下さいね」
 床に貼り付けたビニールテープを示す。別の列の先には、メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)セシリア・ライト(せしりあ・らいと)が待ち構えており、“ヒール”で怪我人の傷を癒していた。
「二人とも大丈夫? 疲れたなら交代の人を呼ぶよ」
 静香がやって来て、そう訊ねる。そう言う彼女自身も汗をかいている。
「私は大丈夫ですぅ」
「うん、任せて!」
 メイベルはにっこり笑い、セシリアは胸を叩く。そこには静香への好意があった。今まで悩んでいた風な彼女が、自らやりたいと言い出したことだから、できるだけ助けになってあげたいと思っているのだ。セシリアなど、まだまだだから自分がお手本になるんだ〜、というお姉さん気分もある。メイベルに対してもそうだが、元々お姉さん気質なのだろう。
「ありがとう。何かあったらすぐに言ってね」
 静香はぱたぱたと、マットレスの方に駆けていった。
 その姿をチラ見して、厨房では山田 晃代(やまだ・あきよ)が張り切って食事を作っている。校長が頑張るなら、ライバルとして負けてられないっ!! と、精の付くもの──何とか見よう見まねで味が近づいた越前屋特製焼きビーフンとスープを、台に並べていく。麦茶も仕込んで冷蔵庫の中だ。
「僕にできる事って、これくらいだし……みんな、頑張って……っ!」
 生徒や船員が、食堂の隅でそれらを平らげるのを嬉しく思いながら、彼女は鍋を振るい続けた。もう夜中も近いし、腹が減っては戦はできぬ、と古来から言われている。兵糧もとい補給も、勝利には重要な要素だ。ヴァイシャリーの人間は余所よりもグルメが多い気もする。
「こっちはどうなってる?」
「はい、今のところは順調です」
 静香に聞かれて、高務 野々(たかつかさ・のの)は“ランドリー”の洗濯機から吐き出されたふんわり仕上げの洗濯物の束を抱えてみせた。校長であり尊敬するメイドとして、野々は静香の指示に従う心づもりでいた。
 静香が彼女に頼んだのは、手の空いた船員を指示しつつ、部屋の衛生を管理することだった。汚れたシーツやタオルの替えに、部屋のお掃除などなど。彼女は手の空いた船員にタオルやシーツの行き先を指示する。
「高務さんがいてくれて助かったよ。やることいっぱいあるもんね」
 おかげで手羽先スープをつくる余裕はなさそうだったが、終わったら水炊き大会を……などと思考があっちに行きそうなのを彼女は留めつつ、
「いいえ。それより校長、この前、嘘をついてるって仰ってましたよね? そのことなんですけど……」
 静香が、黙って続きを促す。顔に緊張が浮かんでいる。分かりやすい人だ。
「嘘をつくのに後ろめたいことなんて何もないんですよ。嘘をつきつづけるのが苦しかったら、知ってる人に寄りかかればよいのです」
 野々は嘘つきだ。でも、彼女にとって嘘は、正しく“本当”。3割くらいは“ほんとー”が占めているから。
「本当のことで傷つくことだってあるんです。嘘は、クッションになってるんですよ」
 静香にとっては、隠すことによって、裏切っているという感覚がどこかつきまとっている。ぶたさん貯金箱の一件で、それが更にはっきりした。
 作業に戻る野々に代わり、いつものように巫女装束の橘 柚子(たちばな・ゆず)木花 開耶(このはな・さくや)もやって来て、
「嘘は突き通せば真実になりますえ。少しずつ、頼られる校長になりなはれ」
「静香はんは校長であり友人や。手を貸したいと思うんは、静香はん自身のお人柄や。悩む必要なんてこれっぽちもないと思うんよ」
「ありがとう。みんな優しいね……」
 彼女が更に言葉を続けようとしたとき、
「みなさん、伏せてください!」
 救護室の白一点、薔薇の学舎生の清泉 北都(いずみ・ほくと)が叫んで、静香の前に飛び出した。顔の前で両手をクロスさせ、防御姿勢を取る。
 北都の“禁猟区”が危険を察知したのだ。彼や一部生徒達の懸念は当たったと言える。
 重傷者の介護をしながら静香をさりげなく取り囲んでいた面々が、武器を手に構えを取る。
 悪意の主の姿は見えない。が。何もないはずの空間から、火炎が吹き出て──予定外の相手を襲った。
 それはマットレスに横たわる船長だ。船長もまた指揮取りに一時甲板に出た時に、湖賊に襲われたのだった。
「ん……おっかしーな」
 やろうと思っていた“弾幕援護”の方法を何故か忘れ、“彼”は呟いた。が、こまかいことはどうでもいい。
「ヒャッハー! 油断大敵だぜ。蜂の巣にしてやらぁ」
 火に巻かれた船長の悲鳴があがる。
「せ、せんちょうが、やきとりにー!」
 怪我人の手当をしていたテレサ・エーメンス(てれさ・えーめんす)が、重い身体を引きずって駆け──歩み寄る。船酔いでふらふらなのだ。冷却用のバケツをひっくり返し、船長に水を浴びせて消火すると、涙目で“ヒール”をかける。ぷすぷす煙を上げる着ぐるみ。
「大丈夫よ、しっかりして!」
「うう、まだ生きてる……のか」
「よかった、せんちょう生きてるー」
 テレサの声に一安心する一同。だが、敵の姿は見えない。
 “光学迷彩”なのは間違いないが、どう対処すべきだろうか──北都は頭の中に考えを巡らせていたが、厨房に目を付けた。
「そこの女の子達、校長先生を頼むねぇ」
 ロザリンド・セリナ(ろざりんど・せりな)は慌てて頷く。
「は、はいっ」
 元より静香の後ろにぴったりと──カルガモの親子のように──くっついていたロザリンドだ。何があっても離れるつもりはない。静香のエプロンの中に盾を挟もうとした猛者である。静香が怪我人を運びに甲板に出たときも一緒だし、トイレの前でも一緒だった。
「静香さまは絶対にお守りします!」
 固い決意を込め、真口 悠希(まぐち・ゆき)も頷く。
 北都は厨房に駆け込むと、晃代にこれ借りるねぇ、と断って、戻ってきた。
「硝煙臭いのは嫌われますよ!」
 片手にケチャップ、片手にソース。蓋を開けてぶちまけたそれが、姿を隠した“彼ら”の姿を顕わにさせる。