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桜井静香の冒険~帰還~

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桜井静香の冒険~帰還~

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 白鳥の甲板で。
「この動きは……?」
 櫂の動きがおかしいことに、藍澤 黎(あいざわ・れい)は気付いた。
 二羽が、アヒルの甲板に魔法が届く範囲にまで近づいたところで、アヒル動きが不安定になったのだ。規則正しく突き出ている櫂のあちこちが円運動を停止している。
 理由は不明だが、この機を逃す手はない。彼は氷術を、櫂の支点に向けて放っていった。櫂を固定して機動を奪う作戦だ。
 黎のパートナーフィルラント・アッシュワース(ふぃるらんと・あっしゅ)も加わる。櫂の支点は、漕ぐために空いている穴の中だから、届きにくい。何とか3本凍り付かせたところで、疲労を覚える。
 凍りやすいようにと櫂に向けてバケツの水をかけていたエディラント・アッシュワース(えでぃらんと・あっしゅわーす)が、
「フィルラにーちゃん、れいちゃん、今行くからね」
 少しかがんでフィルラントの白い頭頂の旋毛に、黎には跪いて指先に、キスをする。原理は不明だがアリスの魔法のキスだ。
「そこにされんのはイヤやなぁ……」
 低身長のフィルラントがぼそっと文句を言いながら、再び氷術を放つ。動きをもう3本止めれば、これで魔法も撃ち止めだ。
 白鳥はますます動きの鈍るアヒルに寄り添うように動き、そして、船首部分を軽くぶつけた──衝撃。
 こちらも黎のパートナー、ヴァルフレード・イズルノシア(う゛ぁるふれーど・いずるのしあ)が彼の袖を引っ張る。
「敵襲」
 ──いや、こちらからの反撃だろうか。
 ヴァルフレードが、ロープを担いで船首に走る。かぎ爪の付いたロープを敵船の船縁の手すりに引っかけ、こちらの船と繋ぐ。
 船首にはフェルナンがおり、船員が板を敵船に渡し終えたところだった。黎は彼の姿を認めると、乗り移るヴァルフレード達を見送りながらも、詰め寄った。
「フェルナン・シャントルイユ!」
 普段から厳しい雰囲気のある彼だが、今はいつにもまして険しい表情だ。
「……何か御用ですか」
「貴殿のやり方は車窓からの景色が寂しいからと其処に造花を無理やり植えるようなもの。遠くから見つめればさも、華やかなものがあるように思えるが、そこは風雪に耐えた健気さもやがて枯れ行き土に還る風情も何も訴えてはこない、虚ろなまやかしの花園だ」
「それは百合園生に事件を解決させる、そのことを仰っているのですね?」
 今日の賭場の件もそうだし、不可抗力とはいえ湖賊にしてもそうだ。“偶然”“百合園生”の“能力者である地球人”が周辺を困らせる事件を解決するという“美談”がフェルナンの狙いのひとつであったから。
 もうひとつは、ヴァイシャリーに到着する前に、じきに成功するか失敗するか決まるだろう。
「そうだ。そこには心なくして、ただ策のみがある。そんな貴殿のやり方では人の心を繋ぐ事は出来ない。パラミタ人と地球人の共栄に繋がらないのではないか?」
 日本とブルガリアのハーフの黎は、どちらの国にもすんなりとは受け入れられなかった。理解を得るために努力をした。だから、卑怯な行為で地球人を受け入れさせようなどということが許せない。
「正義感が強いのですね。それとも流石に薔薇の学舎の生徒、美意識に反するのでしょうか」
 フェルナンは顎に手を当てると、自分とほぼ同じ高さにある黎の目を見返した。
「非難を受けるのは承知の上です。ただ、私は花壇を囲む煉瓦の見栄えを整えただけのつもりですよ。花園も花々もまやかしではないと──そう信じたいですね」
 フェルナン自身は、ラズィーヤの方がよっぽど腹黒いと思ってはいるが、それは言わないでおく。尤も、ラズィーヤ自身は自分が腹黒いなどとこれっぽっちも思っていなさそうだが……。
「それに、真心だけではどうにもならないことが多すぎます。地球の国家間でも、植民地支配にプランテーション……未だに搾取は続いている。核をどの国が持てるか決めるのも大国ですし、平和や環境問題のお題目も、利用するだけの人間は多い。だから私は、結果が目的に添えばいいと思っているんですよ。清くも正しくも美しくもないかもしれませんが」
 フェルナンは槍を握り直す。
「さて、私はここで守りを固めます。どうぞご無事で」
 黎は彼が今はこれ以上話すつもりはないのを察し、パートナー達の後を追って、アヒルに乗り込んでいった。
 アヒルに乗り移り、白兵戦を挑む生徒達がいる一方で、渡された橋の側で援護射撃を行っているのは永夷 零(ながい・ぜろ)だ。アーミーショットガンで、逆に乗り込みをかけようとしてくる湖賊を牽制していく。
「こんなことするつもりなかったんだけどなぁ」
 元々ウェイターのバイトをするつもりで乗船したから、武器など持ってきていなかったのに、いつの間に用意していたのか、パートナーのルナ・テュリン(るな・てゅりん)に差し出されてはしょうがない。ずだ袋に銃を入れてきたなんて想定外だ。
 ルナの指には“光精の指輪”が輝いている。呼び出した光はアヒル側の橋の上を中心に湖賊の密集地帯を照らし、零が狙いやすいように気を配っている。こちらにも弾丸は飛んでくるが、零の射撃のおかげで大分しのいでいた。一発一発の弾丸は、高潮 津波(たかしお・つなみ)の“パワーブレス”で強化されていた。
 零が度々目をこする。それに気づき、津波は彼の肩に手を当てる。パートナーから得た機晶石の光がぼんやりと零を包む。零の意識がはっきりと戻ってくる。
「悪ぃな」
「いいえ、悪いのはあっちです!」
 彼女は勢いよく言い切った。
 津波は怒っていた。昼間の賭場で、三人で賭をしたのだ。勝った人間のお願いをきくという賭け。それに勝って、船旅の間は零が恋人のように過ごしてくれるという約束を取り付けたというのに──。
 腕を組んで夕方の甲板を散歩したり。一緒に夜空を眺めながら食事をしたり。そんな夢は湖賊の襲撃で木っ端微塵だ。
「ゼロ、頑張って早く終わらせたいでございます。早く家に帰って、お風呂に入ってぐっすり寝たいのでございます」
 そんな乙女心を燃やす津波に聞こえるように、ルナが零に向かって話しかける。
「この船ではゼロから体をゴシゴシしてもらえないので、お風呂に入った気がしないのでございます〜」
 確信犯だ。凍り付く津波の表情を、ルナは横目で見て内心でにやにやしている。
「……は、早く終わったら……私と……」
「俺はアルバイターだからな、デートごっこなぞしてられねーんだよっ」
 がーん、と音が聞こえそうな勢いで、津波が涙目でくらりと傾く。流石に悪いと思ったのだろうか。零は彼女だけに聞こえるように告げる。
「……ま、空いた時間が出来たらこっそり会ってやってもいいが……ルナが居ねーとこでな」
「は、はいっ!」
 空いた時間を作るため。津波はぎゅっとメイスを握り直す。今なら軽々と振り回せそうだった。