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白の夜

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白の夜

リアクション

 『まかろん』の扉を前に、如月 空(きさらぎ・そら)はごくりと唾を呑んだ。ここに来るまで全く障害がなかった事が、何とは無しに疑わしく思える。しかし、それは他の扉も同様だ。
「入らないのかい?」
 傍らのレティス・ヴィルギニス(れてぃす・う゛ぃるぎにす)の穏やかな問い掛けに、空は重々しく頷いた。意を決した空が扉を開くと、一歩後方で周囲を警戒していた不知火 白夜(しらぬい・びゃくや)が誰よりも素早く室内へ忍び込む。無表情のままに安堵の吐息を零す白夜の様子を不思議そうに眺めた空は、次いでその理由を知ることとなった。
 部屋の中央に金色の台が置かれ、その上に「あたり」と書かれたプレートの添えられたポッキーが一本仰々しく置かれている。背中で扉の閉まる音を聞きながらぽかんとそれを眺めた空は、遅れて部屋に入ったレティスがそれを摘まみ上げる姿をじっと見詰めていた。
「ふむ……これは、やれってことかな?」
「やれって……まさか、ポッキーゲーム?」
 ポッキーの置かれた台の上には、ご丁寧にも両端の位置に人間の唇らしきものが描かれていた。軽く頷いて誘うようにポッキーを揺らすレティスに、空は躊躇いもなく首肯を返す。その様子にどこか違和感を感じながらも、相変わらず無表情の白夜が見守る中、レティスはポッキーの片端を咥えた。
 それに応じて反対端を咥える空の面持ちには、恥じらいとはかけ離れた意気込みが浮かんでいた。怪訝と細められるレティスの視線の先、空は白夜へ「合図お願いね」と軽い口調で要請する。
「よーい……どん」
 ぼそりと発された白夜の言葉を皮きりに、空はぱくぱくぱくぱくと素早くポッキーを食べていく。呆然と目を丸めたレティスが思わずポッキーから口を離すと、それすら空の口へと収められてしまう。
「完食! まだまだだね、レティス」
 得意げに胸を張る空の姿を暫し困ったように眺めた後、レティスは「どうやらこれは、僕の知るポッキーゲームとは違うようだ」と呟いた。気にも留めず嬉しげに拳を突き上げる空へ、白夜が無感動にぱちぱちと拍手を送っていた。


 『まかろん』の扉を開いたミレイユ・グリシャム(みれいゆ・ぐりしゃむ)をさり気なく庇うよう、彼女よりも一足早くシェイド・クレイン(しぇいど・くれいん)は無人の扉へと踏み込んだ。彼女たちは知り得ない事だが、それぞれの扉は幾つかずつ存在しており、人が入ると掛けられた看板が消えてただの扉になる仕掛けがあった。
 二人の後に続いてケイラ・ジェシータ(けいら・じぇしーた)バシュモ・バハレイヤ(ばしゅも・ばはれいや)も室内へ入り、そこで静かに扉の閉まる音がした。しかし、彼らの視線が背後を向くことは無い。全員の目に映る黄金の台が、この部屋は当たり部屋だとうるさい程に告げていた。
「それがスペシャル菓子ー?」
 疑問気なバシュモの言葉に、「そう……かな?」と半信半疑のミレイユが答えた。やや警戒しながらもポッキーを手に取ったシェイドは、そこに描かれた絵とポッキーを目にした途端、スペシャルの意味に気付く。苦笑する彼の様子からその意味に気付いたケイラも、にやりと楽しげな笑みを浮かべた。
 状況の掴めないミレイユは、きょとんと首を傾げる。困惑を表情に滲ませた彼女とポッキーを見比べたシェイドは、視線でケイラへと助力を求めた。「あれうまいんかー?」と未だ不思議そうなバシュモを宥めるようにぽんぽんと頭を撫で遣ると、ケイラはミレイユの耳元へ口を寄せた。わざと囁くようにポッキーゲームの内容を教える。
 そのようなゲームを全く知らなかったらしいミレイユは、感心したように嘆息を漏らした。しかし説明に続けて「折角だからやってみなよ」と勧めるケイラの言葉には、驚いたように目を見開く。
「え、私とシェイドが、その……ポッキーゲームを?」
 困ったように視線を彷徨わせるミレイユへ、微笑ましげにケイラは頷いた。戸惑いを露にミレイユがシェイドを見遣ると、シェイドもまた困り顔で微笑む。
「ポッキーゲームー!」
 嬉しげに囃し立てるバシュモの言葉に、それでもおろおろと辺りを見回していたミレイユは、「折角のスペシャルお菓子だし、思い出になるんじゃない?」と笑顔でケイラの添えた言葉に、ようやく意を決して頷いた。
 控え目にポッキーの端を咥え、ミレイユはシェイドへ向き直る。困惑気味だったシェイドも、ミレイユが覚悟を決めたのを見ると素直に反対端へ口を付けた。間近な瞳に目を合わせられず、頬を赤らめて固く目を瞑るミレイユの頭を、シェイドは優しく撫で付ける。
「大丈夫です、落ち着いて。そう、ゆっくり私を見て下さい」
 頭部に与えられる心地好い掌の感覚と、穏やかなシェイドの言葉に促され、ミレイユは恐る恐るに目を開けた。やはり間近で微笑むシェイドの赤眼が視界に飛び込むものの、幾らか落ち着きを取り戻したミレイユは静かに頷く。それを確認したシェイドが安心したように手を離し、二人はどちらともなくポッキーを齧り始めた。
 静かな室内で、やはり気恥ずかしさの拭えない頬を上気させながらも、ミレイユはほんの僅かずつポッキーを食べ進めていく。微量ずつ近寄っていく互いの瞳を真っ直ぐに見詰め合い、高鳴る鼓動を抑えられないまま、二人は均一にポッキーの中心へと向かっていく。
 しかし、不意にぱしゃりと音が響いた。何事かと二人の向けた視線の先では、ケイラが両手でカメラを掲げて微笑んでいた。
「!」
 ぼきり。息を呑んだミレイユは、折れるポッキーも気に留めず素早くケイラへと手を伸ばす。しかしそれを見越して掲げられたカメラに、ケイラに比べて身長の低いミレイユの手が届くことは無かった。ポッキーを咥えたままうんうん唸りながらもぴょんぴょん跳ねては手を伸ばすミレイユへ、ケイラは「現像したら二人にもあげるわね」と上機嫌に返す。
「……ミレイユ」
 見兼ねたシェイドが声を掛け、顔を真っ赤にして目を逸らすミレイユの頭を柔らかく撫でた。何度も落ち着きを与えられてきたその暖かな掌の感覚に、ミレイユは緩慢な動作で顔を上げる。窺い見たシェイドの表情に浮かぶ穏やかな笑みに安心したように小さく吐息を漏らす彼女へ、ケイラは宥めるように声を掛ける。
「この写真も思い出も、永久保存版ね」
「……嫌でしたか?」
 結局最後まで到達することは無かったものの、ミレイユの酷く照れた様子に、シェイドはやや不安げに声を掛けた。その言葉に素早く顔を上げたミレイユは、ぶんぶんと勢い良く首を横に振る。
「嫌じゃなかったけど、ただ……恥ずかしいだけ」
 恐らく自分自身も押し寄せる気恥ずかしさに思考が追い付いていないのだろう、混乱した様子のミレイユの言葉に、シェイドはどこか嬉しげに目元を綻ばせた。何度も何度も、彼女の頭へ繰り返し掌を伝わせる。過度の羞恥にのぼせたミレイユがやがてふらりとシェイドへ倒れ込むんでも、彼女を優しく受け止めながら、シェイドは撫でる掌を止めなかった。


 その頃広間では、惚れ薬の効果の切れたあちこちで惨状が巻き起こっていた。
 全裸のオウガは「主、わざとやったんだな! やったんだな!?」とラルクへ詰め寄り、アインは広間の隅へしゃがみ込んで「俺としたことが……」と酷く気落ちした様子で呟いている。
 ほうほうの体で天音の元へ駆け寄った尋人は、その後何とか手に入れたポッキーを天音へ差し出し「黒崎! オレとポッキーゲームをしてくれ! 黒崎を助けるためなんだ!」と真剣な面持ちで訴えかけるが、薬の解けた天音に「馬鹿じゃないの」と切り捨てられる。がくりと肩を落とす尋人を暫し眺めた天音は、おもむろに尋人の持つポッキーを彼自身の口へと差し込んだ。
「な、何で止めないんだよぉ!?」と赤面した北都に迫られたクナイは、「お望み通りにしただけですよ」と悪びれずに答える。言い訳のできない北都が言葉に詰まり、ぴょこりと力無くその尾が垂れるのを目に留めると、クナイは宥めるように笑顔のまま「済みませんでした」と謝罪を述べた。
 頭を抱える梓へ、カデシュは何度も謝った。「ゆっくり、と思っていたのですが……」と添えられる言葉にも、ひたすら恥ずかしさに苛まれる梓は言葉を返せない。「忘れよう……」と零された梓の呟きに、カデシュは彼へお菓子のことで説教をしようとしていたことも忘れ、申し訳なさげに頷いた。
「アイザック、お前ってヤツは……!」
 拳を震わせる響の言葉に、アイザックは「誤解だ、今回は知らなかったんだよ!」と慌てて弁明する。事実それと知らず手にしたものながら、前回の事もあって疑いの消えない響は、「歯を食い縛れ!」と怒声を上げてアイザックを殴り付けた。彼の真摯な告白にほんの一瞬心が揺らいだのは気の所為だ、と、倒れ伏すアイザックを見下ろしながら響は自分自身に言い聞かせた。
「おーい! 陽ー!」
 薬が解けて我に返ったテディは、一先ずリナリエッタへごめんなさいと頭を下げるや否やどこにも見当たらないパートナーの姿を求めて会場を駆け回る。ぶつかる勢いで出会ったベファーナに陽が会場を去ったことを聞かされると、テディは矢も楯もなく屋敷から駆け出して行った。


 やがて用意されたお菓子もなくなり、周囲の賑やかな喧騒を眺め回したヴラドは、満足げに手を打ち鳴らした。一斉に向けられる視線を受けて、高らかに声を上げる。
「皆さん、今夜は素敵な時間をありがとうございました! 非常に名残惜しいですが、この辺りでパーティーはお開きにしましょう。この後は、是非大切な方とお過ごし下さい……」
 その言葉を受けて、生徒達は屋敷を後にし始めた。真っ暗な森の中を、あるいは元気良く駆け抜け、あるいは手を取り身を寄せ合って各々の場所へと返っていく彼らの姿を見送りながら、ヴラドは傍らのシェディへ嬉しげに呟いた。
「こうしていると何だか、私も彼らの仲間になれたように感じますよ」
「……もうすぐ、だ。俺が、必ずおまえを薔薇の学舎に入れてやろう」
 根拠は何もない。しかし力強く断言された宣言に、ヴラドは嬉しげに頷いた。外気の冷たさを避けるように、自然と、二人は寄り添い合う。桜の咲く頃に、そう告げられた言葉が頭の中でこだました。


 様々な余韻を心に残し、感情渦巻く白の夜は明けていく。
 木々の間から差し込み始めた朝の光に、ヴラドは眩しげに双眸を細めた。