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白の夜

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白の夜

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「……先程のあれは、何だったんでしょう……」
 一目見た蠢くクッキーの化け物が頭の中をぐるぐると回り続け、水神 樹(みなかみ・いつき)は辟易した様子で溜息を漏らした。彼女をパーティーに誘った佐々木 弥十郎(ささき・やじゅうろう)は、「でもあれ、どうやって作ったんだろうねぇ」と興味をそそられた様子で呟く。
 言われてみれば、確かに興味もあった。お菓子が動き出すなど、そうそうある筈も無い。次第に興味の方が勝り始めた樹は、弥十郎を横目に見遣ると弾む声音で問い掛けた。
「試しに作ってみましょうか」
「そうだね、そうしようか」
 仲良く連れ立って歩く二人は廊下を抜け、様々な色で派手に彩られた看板に導かれ、厨房へと向かって行く。辿り着いた厨房の中からは、既にわいわいと声が上がっていた。
「どうだい、出来たよ!」
 もしゃもしゃと広間から持ち込んだクッキーを食べながら、アルフレッド・テイラー(あるふれっど・ていらー)は得意げに焼き上げたマフィンを掲げて見せた。平凡なその見た目も、悲惨なお菓子の数々を目にした後では非常に洗練された形に映る。
「ま、でも俺はこれもそれほど不味くないと思うんだぞ?」
 アルフレッドの積み上げたお菓子の山には、ヴラド製のお菓子も幾つか紛れこんでいた。平然とそれらを食べていくアルフレッドに、マシュー・ハンプトン(ましゅー・はんぷとん)はやれやれと肩を竦める。
「それはアルの味覚がおかしいんだよ。ほら、こっちのマフィン焦げちゃうよ」
 お菓子を作りながらも一向に食べる手を休めないアルフレッドに不安を抱いたマシューが渋々手伝いを申し出、こうして彼らは共同でお菓子作りに励んでいた。その様子を一歩後方で眺めるヴラドは、不思議そうに首を捻る。
「私の作り方と、あまり違うようには思えませんけどねぇ」
「そこまで節穴ならいっそ見事ね……お茶会に呼んだお客を美味しいものでもてなすのは当然、でしょう?」
 溜息交じりのミレーヌの言葉に、ヴラドはうっと短く呻いた。先程アランにも指摘された内容だ。今回ばかりは、とめどなくお菓子を貪り続けるアルフレッドを指差すことすら出来なかった。
「ほらアル、焦げてる。お菓子は一旦お預け」
「えー!」
 生地へメープルシロップを混ぜ込んでいたマシューは、上がる煙を見咎めると慌ててアルフレッドへ指摘した。山のようなお菓子へ気を取られがちのアルフレッドに指示を出すと、当然の如く不満げな声が返る。
「食べるのは後! ほら、ちゃんと見てて。……まったく、これじゃ僕、アルのお守りしてるみたいだよなあ」
 なおもクッキーへ伸びたアルフレッドの手を軽く叩きながら、マシューは指示を重ねた。不満げに添えられた呟きとは裏腹に、その表情には楽しげな笑みが浮かべられている。
「ちょっとくらい……おっと、ごめんよ!」
 ぶちぶちと文句を言いながらも作業へ戻ったアルフレッドの肘が不意にお菓子の山に触れ、崩れたお菓子が隣のスペースへと雪崩れ込む。そこでは、メイベル・ポーター(めいべる・ぽーたー)たちがのんびりとお菓子作りに励んでいた。
「大丈夫ですよ、気にしないで下さいねぇ。折角ですから、これもケーキに飾ってみましょうか」
 おっとりと笑みを浮かべて無事を伝え、メイベルはごく普通のお菓子を眺めつつセシリア・ライト(せしりあ・らいと)へと尋ねる。軽快な手つきで生クリームを泡立てていたセシリア・ライトは、山に混ざるヴラド製の菓子を目に留めると難色を示した。
「うーん、今回は普通のケーキを作ろうよ」
「そうですね。スタンダードな味がポピュラーになる理由は、皆が好きだから、ですし」
 ヴラド製のお菓子が付着したお菓子を下手に用いれば、折角のケーキが台無しになってしまうかもしれない。メイベルは納得した様子で頷き、自身のスポンジへと盛り付けを始めた。慎重な手つきでゆっくりと、丁寧にクリームを盛っていく彼女の後姿を、ヴラドはぼんやりと眺めている。
「料理は愛情というけど、自己満足な愛情じゃ相手には受け入れられないよ」
 視線に気付いたセシリア・ライトが並行しているクッキーの生地を練りながら、聞こえるように呟いた。思う所のあるらしいヴラドは大袈裟に衝撃を受けたよう胸元を押さえ、困ったように言葉を返す。
「……独りよがりにならない、愛情の込め方が分かりません」
「ヴラドさんは、まず前提となる知識を身に付ける必要がありますわね」
 フィリッパ・アヴェーヌ(ふぃりっぱ・あべーぬ)の不意の言葉に、ヴラドは驚いたように目を向けた。上品な頬笑みを浮かべたフィリッパは、調理をする生徒達の方を示して言う。
「折角の情熱が空回りしないよう、よく見学して行かれると宜しいでしょう」
 見ていても分からない、と言いかけたヴラドは、寸でのところで口を噤んだ。メイベルが疑問気に首を傾げてはセシリア・ライトへ問い掛け、アルフレッドがお菓子に気を取られているとマシューが具に指摘を送る。その間にもセシリア・ライトの手元では幾つものお菓子が作り上げられていき、アルフレッドとマシューも様々な種類のマフィンを焼き上げていく。セシリア・ライトの助言こそ借りながらメイベルが自身の手でケーキの飾り付けを終えた所で、ヴラドは視線を逸らした。
「何か見付かりましたか?」
 ふんわりと問うフィリッパに、ヴラドは暫し黙した後に、小さく首肯を返す。
「……先に、シェディの所へ戻ります」
 そう言って駆け去るヴラドの後姿を見送ると、フィリッパは協力して楽しげに調理に取り組む一同の姿を微笑ましげに眺めた。


 広い調理場の中、少し離れたところでは、弥十郎と樹がお菓子作りに励んでいた。
 弥十郎の作ったマシュマロの元を、彼の要請のもとで樹が慎重に混ぜ合わせていく。自然と寄り添う身に互いに緊張を感じながらも、あくまで調理の為だからと気恥ずかしさを押し込めて、二人は手を貸し合いながらお菓子を作り上げていく。
 とは言え、彼らの作っているものは普通のお菓子ではない。フリルの付いたエプロンを身に付けた樹の手元では、チョコレートで接合された人型のチョコクッキー、小柄なクッキーマンのようなものが作り出されていた。今にも動き出しかねないそれを嬉しそうに弥十郎へ見せながら、樹は問い掛ける。
「どうでしょう、いつきーもんすたーです。ちょっと可愛らしくなってしまいましたね」
 手に乗るサイズのそれは、クッキーマンに比べて遥かに愛嬌のある形をしていた。困ったように笑う樹に、弥十郎は「君の方が可愛いよ」と喉まで出かかった言葉を呑み込んで、「うん、可愛いね」と当たり障りのない言葉を返した。
「ヴラドさんのクッキーマンには、魔力が篭っているのでしょうか」
 考え込むように呟きつつ、樹は魔力を込める方法を考え始めた。弥十郎も一緒になって、うーん、と唸って考え込む。
 そうしている間にも、弥十郎のマシュマロが出来上がった。様々に味付けのされたそれを人型に作り上げていく弥十郎の横顔を覗き込んだ樹は、ふと目元を緩める。
「弥十郎さん、付いてますよ」
 マシュマロに味付ける際に付いたのだろう、弥十郎の口元に付いたチョコレートを指先で掬い取り、それを自分の口へ運びながら樹は微笑んだ。照れたように苦笑した弥十郎は、指に付いたチョコレートを控え目に舐め取る樹の姿にどきりと鼓動を高鳴らせる。
「ありがとう。……ああ、この感触って何かに似ているね。何だろう」
 手元のマシュマロへ指を滑らせた弥十郎が、おもむろに呟きを零した。疑問気に顔を寄せて覗き込む樹の唇へ、予告もなしに口付けを落とす。
「これかな」
 不意に行動に真っ赤になって目を瞬かせる樹へ、弥十郎は悪戯っぽく笑いかけた。その瞬間、樹の両手に収まっていたいつきーもんすたーがぴょこんと跳ねて動き出す。そのままメイベルたちの方へと駆けていったいつきーもんすたーは、大きく跳ね上がった拍子に天井へぶつかり、生クリームの入ったボウルへ飛び込んでしまった。
 呆気に取られていた一同から、一拍置いて一斉に笑声が零れる。恥ずかしさと嬉しさで何も言えずに弥十郎を見詰める樹に、弥十郎は「愛情は最大の魔法みたいだね」と冗談めかして笑った。


 ヴラドが広間に戻ると、準備が進められていた一角は立派な茶会場となっていた。
 ルカルカの手招きで、ヴラドもシェディの隣へと腰を下ろす。エオリアの差し出した紅茶を受け取り、並べられた様々なお菓子を見回す。
 エオリアの作ったタルトにチーズケーキ、ダリルの作ったクッキーケーキ、ブラウニー、トリュフ、フルーツゼリーのタルト、そして持ち寄られたたくさんのお菓子で、テーブルは色とりどりに彩られている。そしてアランのバイオリン演奏に合わせ、クリストファー・モーガン(くりすとふぁー・もーがん)クリスティー・モーガン(くりすてぃー・もーがん)の即席の歌声が優雅な雰囲気を盛り上げていた。ヴラドの姿に気付いた二人は、一曲を歌い終えると周囲へ礼をしてから歩み寄る。
「ヴラドさん、シェディさん、久し振り。招待してくれてありがとう。これ、お礼だよ」
 笑顔で挨拶するクリスティーから手渡されたキャンディの包みを、ヴラドは嬉しげに受け取った。次いでクリストファーから渡されるリコリス菓子を受け取ったシェディは、疑問気にそれを眺める。
「これ……は?」
「リコリス菓子っていうんだ。ボクの好きなお菓子……なんだけど、ボクは食べられないんだよね」
 寂しげなクリスティーの言葉にシェディはきょとんと双眸を瞬かせ、首を傾げる。「ごめん、こっちの話」と困ったように笑みを浮かべるクリスティーに、シェディは未だ疑問気な様子ながらも頷いた。
「……感謝する」
 そのまま二人も席に付き、なごやかに茶会は開始された。広間で自由にお菓子を食べていたミゲルも、気まぐれに立ち寄ってお菓子を食べては「ムイ、リコ! ま、ドミニクの菓子も負けてへんけどなー」などと楽しげに言い放ちひょいひょいと他のテーブルへ向かって行く。
「どう?」
 嬉しげに食べるクマラの様子に惹かれたヴラドがフォークを手に取り、用意されたクッキーケーキへと手を付ける。口へ運んだそれは蕩けるように甘く、元の材料があのクッキーマンだとは到底思えなかった。感動した様子でフォークを咥えたまま動きを止めるヴラドへルカルカが問い掛け、ヴラドはただただ頷きを返す。
「貴方一人ではゴーレムみたいになっちゃったけど、皆で力を合わせればちゃんと出来るわ。それは、学校生活ではとても大切なことよ」
「……ええ、そのようですね」
 ヴラドの頭には、調理場で協力し合い料理を行う生徒達の姿が浮かび上がった。分からない所を助け合い、楽しげに調理を進めるその姿を思い返しつつ、ヴラドは感慨深げに頷く。
「桜満開の頃に、学校で会えると良いね」
 紅茶を片手に笑みを向けるエースに、ヴラドは深々と頷きを返した。学校で。彼の身に纏う制服が意味するその内容に、ヴラドはシェディを見遣る。シェディもまた、無表情ながらやや早いペースでケーキを口へ運びつつ首肯した。
「企画お疲れ様。……お菓子はああなってしまったようだが、感謝の気持ちを持つ事は素晴らしいだよ。またそれを行動として現そうとするのも素敵な事だね」
 同族であるメシエの褒め言葉に、ヴラドはやや照れたようにはにかんだ。「春に学舎で、また」と添えられる言葉に、「楽しみにしています」と嬉しげに返す。
「……食べないのか?」
 その隣では、手を伸ばし掛けたフィッシュ&チップスをクリストファーへ押し遣るクリスティーへ、シェディが怪訝と言葉を掛けていた。「油が合わないんだ」としょげたように返すクリスティーの傍ら、クリストファーは紙ナプキンで手を拭いながらそれらの甘味を次々口へ運んで行く。
「あんまり食べ過ぎるともたれるよ」
「ああ、そうだったな」
 クリスティーの指摘にはっと手を止めたクリストファーは、苦笑交じりに食べる速度を緩めた。どこか不思議な二人の会話に、やはりシェディは首を捻るものの、言及はしなかった。
 その間に、調理場からも人々が戻ってくる。アランはテーブルのお菓子へ飛び付いていた翔太を見付けると、籠に盛ったスコーンを手に彼へと歩み寄って行った。
「どうぞ。以前お約束していましたよね」
「あ! わーい、ありがとう!」
 満面に笑みを浮かべて手を伸ばした翔太は、幾つもの種類があるスコーンを前に充分に吟味を重ね、結局すべての種類を一つずつ手に取ると嬉しそうに礼を述べた。既に大量の菓子をお腹に収めている筈の彼は、しかし平然とそれを口に運ぶ。
「うん、おいしい! おいしいお菓子がいっぱいで幸せだよー」
 ほわほわと微笑む翔太に笑みを返し、アランは再びバイオリンを手に取った。穏やかな旋律が流れ、同じ頃広間に戻ったメイベルがそれに乗せて穏やかな歌声を奏で始める。お茶会に相応しい落ち着いたハーモニーにシェディはさり気なく拍手を送り、ヴラドは「アランからだ」とアーサーに差し出されるチョコレートを両手で受け取った。たくさんの贈り物を袋に収めたヴラドは、上機嫌に広間の様子を眺める。気付けばたまの前にもメイベル手製のケーキが置かれており、たまは嬉しげに鼻先を突っ込んでそれを食べていた。
「そう言えば、ダリルもデートしたのよね?」
「エレーナとは、まだそんな関係では……」
「まだ、ね」
 茶会の一角ではルカルカとダリルが微笑ましい会話を繰り広げ、カルキノスが半信半疑の眼差しを向けている。
「生殖の必要のねぇ兵器に、真の感情があるものなのかねぇ……っと、仲間をそんな目で見ちまうとはな」
 独り言の途中でヴラドの視線に気付いたカルキノスは、尻尾を垂らして苦笑を滲ませた。ヴラドは暫し悩んだ後に、「恋愛というのは、何も生殖のために限ったものではないと思いますよ」と眉を下げて返した。事実、そうでなければ自分とシェディとの関係に示しが付かない。
「まあ、そういう考えもあるってことだ。長く生きんのも良いことばかりじゃねぇな」
 困ったように笑うカルキノスに、ヴラドは眉を下げた笑みを返した。
 旋律は響く。パーティーの夜は更けていく。