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第10章 そうして秋の日は落ちて


 黒いぼさぼさの髪の下からトレードマークのビン底眼鏡を光らせて、イルミンスール魔法学校のブルタ・バルチャ(ぶるた・ばるちゃ)は呟いた。
「なんだろうね、今まさにボクという存在の欠落が残念だと叫ぶ風呂桶の断末魔を聞いた気がするよ」
 そんなブルタを、パートナーの美貌の悪魔ステンノーラ・グライアイ(すてんのーら・ぐらいあい)が、いつものように軽くあしらう。
「寝言くらいはせめて寝てから仰って下さい」
 彼らは館の裏門近くの茂みに隠れ、館に忍び込む隙を狙っていた。
 表の門は、乙女達が館に入ると同時に閉ざされ、門番メイドの代わりに、メアリに雇われた用心棒だと名乗るガラの悪い男が立ち塞がり、無理に侵入しようとする者に容赦無くアンデッドをけしかけてきた。
 何度か小競り合いはあったものの、男が深追いしてくる事はなかったので、館に忍び込もうと考える者は、皆、夜になり、警備に隙が出来るのを待っていた。
 ブルタは眼鏡をはずすと、きゅっきゅと曇りを拭きながら背後でざわめく者達に声を掛けた。
「それで、なんだって君達は断りもなくボクの茂みに集まるんだい?」
 蒼空学園の小鳥遊 美羽(たかなし・みわ)は、ブルタのトゲのある言葉にむっとなって言い返した。
「ボクの茂みって何よ! 茂みは誰のものでもないわよーだっ!」
 思い切りあかんべーをする美羽に、ブルタの舐め回すような視線がからみつく。
「ボクが最初に見つけたんだから、ボクのものだよ。でも、そうだな、その、かわいいベロを、さ、さわらしてくれたら、ここに居てもいいよ…」
 にたりと笑うブルタを見て、美羽は慌ててパートナーのヴァルキリー、コハク・ソーロッド(こはく・そーろっど)の後ろに隠れた。
「ちっ、近寄るなっ!」
 モンスターの比ではない気持ちの悪さに怯えながらも、コハクは美羽を守ろうと精一杯強がって見せる。
 近くにいた正悟が、間に入って取り成す。
「今こんな所で騒ぎになったら、助けられるものも助けられなくなるよ!」
 ブルタも美羽も決着には不満だったが、大義の前と、お互い顔をそらす事でこの場を収めた。
「ここからなら、噂の井戸がしっかり見えるんですぅ」
 寺美が、いつの間にかステンノーラの近くでじっくりと井戸を確認していた。
「ボクの推理では、泣いている女性とミラー子爵夫人の娘さんは何かしら関係があると思うですぅ〜。そしてアンデッド出没の噂…もしかしたら娘さんはもう亡くなっているのかもしれません……」
 涙ぐむ寺美に、社が尋ねる。
「いつのまに、貴族のおばはんに娘がいるなんて調べたんや?」
「推理ですぅ」
「………つまり、ただの想像なんやな」
 でも、きっと当たっていると思うんですぅと寺美が社にしがみつく。
「さて、それはどうかな?」
 村人の変装をやめたリオンが、紫と共に現れ、寺美の推理に水をさす。
「僕はあまり詳しくないけど、紫がコレは乙女達を生贄にした、何らかの儀式じゃないかってさ。収穫祭は若い女性を集める口実で、アンデッドはその犠牲者なんじゃないかって言うんだ」
 後ろの紫がリオンの言葉を補足する。
「用心棒にネクロマンサーを雇っておけば、彼らの連れてるアンデッドだって言い訳も出来るんじゃない?」
 皆の推理を聞きながら、ブルタはぐふぐふとくぐもった笑い声を出した。
「ボクの推理はねぇ、もっとスゴイんだよ……」
 ブルタが、自慢の推理を披露しようとした時、こちらからは見えない側にある、館を取り囲む塀から誰かが侵入しようとしたようで、一気に館がざわついた。
「やだもう、始まっちゃったよ!」
 鳳明は、先に館に侵入しているパートナーの天樹に、『精神感応』を使いテレパシーで呼び掛ける。
「(天樹ちゃん、まだ? 早く来てっ!)」

 正門からも裏門からも見えない位置を選び、館を取り囲む塀を越えて侵入したのは、守護天使のソールに抱えられた翔だった。
 昼間のメイド達に代わって庭を徘徊していたアンデッド達が、すぐに侵入者に気づき2人に向かって集まり始める。
 強がりからか、ソールが軽口を聞く。
「これが女の子なら嬉しいんだけどな」
 翔は、隠れるのに最適なルートをすぐに判断する。
「ソール、走っていただきますよ!」
 2人が走り始めると、どこからかヴァイオリンの音色が響いた。
 見上げれば、満月よりも少し欠けた輝く月を背に、屋根の上で終夏が気持ちよさそうにヴァイオリンを弾いている。
 昼間のうちに隠れていた終夏が、下で動きがあったのを察し、助けになろうと敵の注意を逸らしてくれているのだ。
 思惑通り、アンデッドが翔達から終夏達に向かって集まり始めた。
「助かります。お礼は後程、改めてさせていただきます!」
 聞こえない事はわかっていても、翔は感謝の意を表し、ソールとともに物陰へと走り込んだ。

 屋根の上では、終夏が演奏を止めずに、ニコラに話しかけていた。
「思った通り、気持ちいいなぁ。世界樹イルミンスールの枝の上で弾くのも気持ちがいいけれど、たまには違う場所で弾くのも悪くないよね。それに、思いついた時が弾き時だと思わない?」
「全く本当に行動に説明が足りないな、お前は。アンデッドが襲って来たらどうするつもりだ?」
 ニコラはそう言いながらも、彼女を守るため、いつでも戦えるように強力無比と言われる『栄光の刀』を握りしめる。そんなフラメルに全幅の信頼を寄せている終夏は、のんきに話を続けた。
「それにしても、お腹空いたな〜。フラメルがお茶しか持ってこないから」
 不満を言う終夏に、ニコラがむっとする。
「お前はお茶すら持ってこなかったではないか。まったく」
 ドンドン!
 激しく窓枠が叩かれる音がして、近くの天窓が破られると、館の中からアンデッドが現れた。
「……っ!?」
 ニコラと終夏が、厳しい表情になる。
「館の中にまでいるなんて、お嬢さん達は大丈夫かな?」
「祈るしかあるまい。とにかく、ひとりでも多くの味方を中に引き入れるまでだ!」
 ニコラは剣を抜くと、ゾンビに向かって振り下ろした。

 一方、裏門では、見張りを『ヒプノシス』で眠らせて部屋を抜け出した天樹が、騒ぎでアンデッドが少なくなった時と場所を狙って、ようやく裏門までたどり着いていた。
「(琳、来たよ…。今、開けるね…)」
 天樹はテレパシーで鳳明に声を掛けると、内側から門を開けた。
「ありがと、天樹ちゃん。急いで朔さんと合流しよう!」
「(うん。こっち…)」
 傍からみれば、鳳明の独り言にしか見えない会話を交わし、2人は館の敷地へ駆け込んでいく。
 それを見た美羽は、コハクに手を差し伸べた。
「私達も行こう!」
「うん!」
 美羽は『ベルフラマント』で、コハクは『隠形の術』を使って気配を消し、一緒に館の中へ入って行く。
「よっしゃ、寺美、行くでぇ!」
 いつの間にか執事服に着替えていた社も、寺美と共に『光学迷彩』を使い、敷地へ足を踏み入れた。
「はぅ〜、待って下さい、社ぉ!」
 正悟もまた、『隠形の術』と『ダークビジョン』を駆使して館の敷地へ侵入する。
 リオンは門に歩み寄ると、優雅な足取りでそれをくぐった。
「ところで、紫、聞きそびれていたんだけど、アンデッドってなんだい? 美しいのかい?」
 紫はうーんと悩んで、リオンの背後を指差した。
「そうね、あんな感じかしら」
 リオンが振り向くと、やぶれた喉笛から空気の漏れる音を出しながら、ゾンビが立っていた。
 グルゥルルルル……。
「……だ、大丈夫かいキミ。ずいぶん顔色が悪いんだね」
 グゴァオオオオ!!
 ゾンビは気遣い無用と言わんばかりに、手を振り上げ、リオンに襲いかかる。紫が白く光る刃を持つ『白の剣』を抜き、リオンの前に出た。
 しかし、それより早く、リオン達の背後から、聖なる光を放つ短刀が飛んできてゾンビに刺さった。ゾンビは地に伏し、動きを止める。呆然としていたリオンの横をすり抜け、ブルタが『破邪の刃』で聖なる光を放つ『さざれ石の短刀』をゾンビから取り返す。
 気を取り直したリオンがブルタに話しかけた。
「キミ、悪いね。僕のために……」
 しかし、ブルタはリオンをちらりと一瞥すると、
「邪魔」
 とだけ言い、暗闇でも視界に不便のないよう『ダークビジョン』を発動させると、さらに『光学迷彩』を使い、ステンノーラと共に闇にまぎれていった。