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【カナン再生記】黒と白の心(第1回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第1回/全3回)

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第5章 奪還への道標 4

 シャムスたちと別れた政敏一行が向かう先は、砦の地下であった。地下に関する情報は少ないものの、兵士の服を着込んでいることが功を奏する。堂々と内部を歩き、先行する政敏の指示に従ってカチェア・ニムロッド(かちぇあ・にむろっど)がその後を追った。
 ただし、黒騎士の鎧に扮する、であるが。
「ロベルダさんが貸してくれて助かったわ。これで、万が一のときはシャムスさんのフリができるわね」
「ま……そうならないことが一番だけどな」
 もちろん、その通りである。
 万が一に備えるものというのは骨折り損になるのが最も幸せなことだ。
 政敏はそんなことを願いながら、廊下を小型の手鏡を利用して確認しつつ進む。そろそろ、はっきりとした情報が欲しいところだ。
 政敏の目が、トイレから出てきたのであろう兵士の姿を捉えた。即座に、その背後に回り込む。
「がっ……ぐぇ」
「おとなしくしろ」
 何事か分からずに慌てる兵士だが、それが敵であると分かり、かつ首元に武器を押しつけられたのを認識すると声も発せなくなった。
「黙ったままで教えろ。捕虜のいる場所は何処だ?」
「ぐ…………」
 兵士は、そっと腕だけを持ち上げて地下へと続く階段を指さした。そこから向かえば良いということなのだろう。すぐに武器を持ち上げると、脳天を叩いて兵士を昏倒させる。
 トイレにでも押し込んでおけば、しばらくは気づかれぬだろう。
 政敏たちが地下へと向かうその目的はただ一つ――
「あそこみたいだな」
 壁に身を寄せて隠れる政敏は、地下の牢屋を見やって呟いた。陰気くさい空気に包まれるそこは、ろうそくのオレンジ色の光だけが唯一の明かりであり、じめっとした雰囲気を漂わせている。
 そこには、ニヌアの兵士たちが捕虜となって捕らえられているという話であった。
 しかし――やはりというべきか。牢屋の前には見張りの兵士の姿がある。
「どうするの? 政敏」
 リーンの問いかけに、政敏は兵士の佇む廊下の壁を見やった。そこには、緩やかに燃える松明が飾られている。
 敵の位置とそう離れていない。それを確認した瞬間、政敏の身体から異様な力の奔流が流れ出た。サイコキネシスだ。ふわりと持ち上がった松明が、兵士へと落ちる。
「わっ……な、なんだ――ぐぅ!」
 その隙をついて、再び政敏の腕が兵士の首を殴って的確に昏倒させた。ごそ……と腰の方を探ると、そこには牢屋の鍵がある。
(ビンゴ……)
 暗がりの牢屋を開け、扉をゆっくりと押し開く。すると――
「何者だ?」
 突然、横合いから政敏の首に銀色の影が突きつけられた。刃物、と思わしきそれは、力を加えられて鋭利に尖ったフォークの先端だ。予想外の凶器と放たれる強烈な殺気に、身動きが取れなくなる政敏。
「お、俺は敵じゃない」
「名前を名乗れ」
 扉の外の様子を見ていたのだろう。政敏がこの砦の兵士でないことを知っているのだ。しかし、正体が分からない者に気を許すほど単純ではないということか。
「ひ、緋山 政敏だ。東西シャンバラから南カナンにやってきた」
「東西シャンバラ? ……なぜそのような連中がカナンに」
「協力の要請があった。ネルガルの支配から逃れるために、カナンの各領地が立ち上がり始めている。南カナンもその一つだ。俺たちは、そんな南カナンにやってきた先発隊の一人だ」
「…………」
 フォークの主は、なにやら思案するように黙り込んだ。
 だがやがて、政敏に突きつけていたフォークが引っ込められる。どうやら、敵ではないということは信じてくれたらしい。
「入れ」
 促されて牢屋の中に入ると、そこにはたくさんの兵士たちが捕虜の汚らしい服に身を包んでそこら中に散らばっていた。
 彼らは、政敏の後に入ってきたカチェアの姿を見て、驚きに目を見開く。
「シャ、シャムス様……!?」
 カチェアは黒騎士の兜を外してみせた。すると、兵たちは驚きから今度は戸惑いに顔色を変化させた。
「シャ、シャムス様……女だったのですか?」
「ふん……シャムス様は男だ。何を寝ぼけたことを言っている。こやつはただシャムス様のふりをしているにすぎん」
 そう言って兵士たちを制したのは、先ほどまで政敏に殺気を放っていたフォークの主だった。どうやら、彼は兵士たちの中でも代表格らしく、彼の言葉に兵たちは納得いった顔になる。
 長い捕虜生活でぼさぼさになった髪の奥で、男の鋭い双眸が政敏を見つめた。
「政敏と言ったな……。シャムス様も一緒に来ているのか?」
「ああ。石像がこの砦に移動させられたっていう噂を聞いて、それを確認しに来たんだ」
「……なるほどな。兵士たちの話は本当だったのか。ということは、石像の奪還とともに砦を攻めるつもりか?」
 男の問いに、頷く政敏。続けて、彼は言った。
「だから、今すぐにあんた達を助けるのは難しいが、時が来るのを待っていてほしい」
「必ず、黒騎士――シャムスさんと助けに来ます」
 政敏に続いて、リーンは兵士たちを見回してそう告げた。兵たちは、その言葉に希望を見出したのか、それぞれに明るい顔になって気合を込める。
「はは……ついに、ついにこの時が来たんだな!」
「俺たち“漆黒の翼”の羽はまだ折れちゃいなかったんだ。俺はシャムス様を信じてたぜ!」
 ずっと牢屋の中で過ごしてきて、絶望を感じていたのだろうか。兵士たちは、口々に希望の熱意を込めていた。
 そして、リーダー格の男もまた、冷静に見えながらも拳は強く握られていた。その口が、政敏に感謝の念を伝える。
「すまん……お前たちにも手間をかけさせた。シャムス様にも伝えておいてくれ。その時が来たときは、このニヌア騎士団“漆黒の翼”の兵たちは、全力で力になると」
 深く頷いた政敏は、その場を後にしようとして……ふと何かを思い出したように振り向いた。
「あんた、名前は?」
「…………?」
「俺だけ名乗っておいて、名前を聞かないのも不公平だろ?」
 笑ってみせる政敏に男はしばしきょとんとした顔をしていた。だが、やがてその唇は持ち上げられ、名が名乗られる。
「ふ……ニヌア騎士団“漆黒の翼”騎士団長――アムド。それが俺の名だ」
 それが南カナン領主シャムスの右腕と呼ばれる男だと政敏が知ったのは、また後の話であった。



 緋山の提案をもとに、シャムスたちはいくつかのグループに分かれて砦内を進んでいた。
 シャムスとともにいるのは、神楽 授受(かぐら・じゅじゅ)とルカルカ・ルー、そしてダリル・ガイザック(だりる・がいざっく)である。兵士の格好をしていることもあり、昼間の侵入者たちの情報をもとに比較的安全に進んでゆくシャムスたち。
「マップによると、ここから二階に向かってゆくな」
「警備の目も厳しくなるかしら?」
「……だろうな」
 ダリルが籠手型HCを掲げながら示すルートをたどってゆくと、階段が見えてきた。
 ルカの言う通り、兵士に紛しているとはいえ、さすがに警備の目も厳しくなる。特に、いないはずの兵士がそこにいるという状況は、逆に怪しさが増すものだ。
「おい、そこの奴!」
 背後から詰問するような声をかけられて、ビクッとシャムスたちは立ち止まった。
「ど、どうする、シャムス?」
「…………」
 目線は合わせず、こそこそと話すルカとシャムス。そこに、授受の軽やかな声が混ざった。
「ふっふー、お二人とも、ここはあたしに任せて下さい」
「ジュ、ジュジュに?」
 何かと嫌な予感がしないではないが、兵士が四人に近づいて来る。
「おい、なにをこそこそと……」
「えいそれー」
 瞬間。
 授受が間の抜けるような声をあげると、体内から発せられたサイコキネシスで兵士の動きが止まった。
「な、なん……ぐわぁっ!」
 身動きがとれずに戸惑う兵士は、それが何であるのか正体を知る間もなく、授受の一撃に殴り倒された。いやはや……派手なものだ。
「ま、まあ結果オーライ、かな」
 ははは……と苦笑しながらも、授受が兵士を倒してくれたことはある意味でラッキーだったかもしれなかった。
「こいつ……上級兵か?」
 ダリルは兵士の格好を見て、そんなことを呟く。確かに、よく見てみると兵士の鎧はわずかに装飾が違っていた。
「石像に近づくほど位が必要ってことかな?」
「だったら剥ぎとっちゃお!」
 間髪いれず、授受は兵士の鎧をがさがさと剥ぎとった。とはいえ、鎧は一つだ。みんな視線が投票され、自然と先導するダリルがそれを身につけることになった。
「これで少しは動きやすくなるわね!」
「ダリル、部下の兵たちを連れて歩いてますって感じでお願いね」
「…………」
 色々と複雑な心境にはなるが、とにかくダリルはルカたちを連れ立って石像のもとに向かった。
 どうやら上層のほうにあるらしく、いくつかの階段をのぼって進んでゆく。
 やがて――石像の間に着いた時、そこはそれまでの砦の雰囲気を一変していた。
 まるで玉座の元にいるかのように、だだっ広い中央に石像は飾られている。そして、その足元にはすでにたどり着いていた別のグループの仲間がいた。
「桐生……」
「やあ、シャムスくんたちも着いたんだね」
 桐生 円(きりゅう・まどか)はすっと手を振ってみせて、石像を見上げた。足元が浮いているところを見ると、空飛ぶ魔法がかかっているのだろう。魔法をかけたのはパートナーのオリヴィア・レベンクロン(おりう゛ぃあ・れべんくろん)ミネルバ・ヴァーリイ(みねるば・う゛ぁーりい)か。ばさばさと飛ぶ吸血コウモリたちが、役目を終えたとばかりにオリヴィアの懐に消えた。
「これが問題の像か……」
 円たちと同様に、レン・オズワルド(れん・おずわるど)が石像を見上げた。
 女性の姿を象った像は、まるでどこか遠くを見ているかのような表情をしている。一見すれば彫刻のそれに見えなくもないが、それが元は人であったことをレンたちは知っていた。
「エンヘドゥ……」
 石像に近づいてきたシャムスの呟きが聞こえる。
 そう、そこにあったのは見紛うことなきシャムスの妹の石像であった。ルカがコピーした写真に映る妹の姿と、全てが一致している。唯一違うのは服ぐらいのものだ。体型も顔つきも、優しげで聖母のような慈愛に満ちたエンヘドゥ・ニヌアのものであった。
 エンヘドゥの像を見上げる円は、懐から薬品を取り出した。
「この石像、石化解除薬とかで元に戻せないかな?」
「無駄だ」
 円の疑問に、シャムスの容赦ない声が返答された。それに、わずかに顔をしかめて不機嫌そうな顔をする円。
 それを代弁するように、オリヴィアが言った。
「やってみなければ、分からないんじゃないぃ?」
「……なら、やってみると良い」
 それに従うように、円が石化解除薬を石像に振りかけた。しかし……ただの石に向かって振りかけたかのように、まるで効果は見受けられない。シャムスは、初めからそれが分かっていた。
「ネルガルの施す石化は、ただの石化術ではないのだ」
「どういうことだ?」
 レンが訝しげに声を発する。シャムスは、静かにそれに答えた。
「我がカナンには石化刑と呼ばれる特殊な刑罰が存在している。イナンナの力を用いた特殊な石化術だ。解除薬で元に戻すことは、まず不可能だろう」
「……だから、刑ということか。しかし、それだとお前の妹は……」
「今すぐ元に戻す方法があるとは思えない。しかし、南カナンをネルガルの手から解放するために人質の奪取は必要不可欠なのだ」
 シャムスは強い決意を込めて言い放った。そう、これは決して妹を助けるだけの話にとどまるものではない。
 これは、領主シャムスとしての戦いなのだ。そのために、人質を解放する必要があるということ。ある意味でそれは戦略的な要素を含む。シャムスにとってこれは、南カナンという大地をかけた大規模な戦争なのだ。
「それに……仮に戻せたとしても、いま元に戻すのはまずいしね」
 ふと、背後から声が聞こえた。
 それは、遅れて石像の間に到着したエース・ラグランツの声だった。
「みんな到着が早いなぁ〜」
「まあ、私たちは深く慎重を期していましたからね」
 エースに続いて、クマラ カールッティケーヤ(くまら・かーるってぃけーや)メシエ・ヒューヴェリアル(めしえ・ひゅーう゛ぇりある)も階段をのぼってくる。メシエはルカからコピーしてもらっていた写真と石像とを見比べて、目を見開いた。
「そっくりそのままですね」
 全員がそろったところで、ルカがエースに先ほどの言葉の意味を訊ねる。
「エース……元に戻すのがまずいって、どういうこと?」
「ん……? ああ、だって、石像が無くなるということは、反乱とみなされるからな。石化の解除と救出は、砦攻めと同時期に行うべきだろ」
 その通りだ。
 シャムスは深く頷いていた。今回の目的は、本当に石像が自分の妹であるかどうかを確認すること、そして砦の下調べに過ぎない。
 このまま石像だけを持ち帰ることもできなくはないが、準備も何も整わぬまま、反乱とみなされて南カナンに攻め入られるのは些か不利だ。
(それに……)
 ダリルはそれだけが理由ではないことを心の隅で感じ取っていた。無論――シャムス自身がそれを考えているのかどうかは定かではない。
(謀叛のための民の意思結束としては、“使える”要素だからな)
 エンヘドゥは民に慕われていたと聞く。そんな彼女を奪還するという目的のためであれば、南カナンの民も一致団結することだろう。
 ある意味で非情な考え方だ。彼は隣にいるパートナーの少女のことも思って、それを口にする事はなかった。