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リアクション
第3章 漆黒の罠
「南カナンの領主が……美那さんの兄さんだって?」
如月 正悟(きさらぎ・しょうご)の驚きの声に、美那は黙ったままこくりと頷いた。何か事情があるとは思っていたが、まさかそんなことだったとは……。
「ということは……美緒さんとあなたは本当の姉妹ではないということですか?」
「そうです。私の本当の名前はエンヘドゥ・ニヌア……南カナンを治めるニヌア家の当主、シャムス・ニヌアの妹です」
エミリア・パージカル(えみりあ・ぱーじかる)の問いに、美那ははっきりとそう語った。
さすがに、正吾たちは動揺を隠しきれなかった。あのクドでさえも、飄々としてはいるものの、目は見開いてぽかんとしている。
しかし、本当の姉妹でないにしては美緒とこれだけ瓜二つであるのも信じがたいことだ。……だからこそ、そうして姉妹を演じていたのだろうが。
「でも、じゃああなたはどうして美緒さんの姉妹だと偽っていたの? なにか理由があるということ?」
「それは……」
エミリアの鋭い指摘に、美那は言葉を詰まらせた。
ここまで自分の正体を明かしたのだ。ちゃんと全てを語るつもりではいるのだろう。しかし、美那の心とは裏腹に、唇は震えてそれ以上のことを押し出すことができない。だが、決して正吾たちはそれを急かすようなことはしなかった。
待っているのだ。美那にはそれがよく分かった。
「私は――」
やがて、彼女の声が再び紡がれる。
と、その瞬間。
影が蠢いた。
「ひひひっ、やぁっと見つけましたよぉ」
「なっ……!」
影は、再びあの魔法生物シャドーを生み出していった。蠢くシャドーたちは美那たちを取り囲み、逃げ場を失わせる。そして、その中に混じって姿を現したのは、ローブに身を包んだ二人の敵だった。
「なんだ、こいつらは……!」
「おや、お言葉ですねぇ。さんざんあなた方がてこずらせたせいで、私が自ら来てあげたというのに……お久しぶりです、エンヘドゥさん」
「モ、モート……!?」
敵意をあらわにする正吾に憎たらしい笑みを浮かべた小さな敵は、美那を見つめてにたにたとしていた。そのドブネズミのような憎たらしい笑みの男を見て、美那の顔が強張る。知っているのか? 仲間たちの視線が二人の間を交差した。
「ん? ……おやおや……エンヘドゥさん、まだ事情をお話しされていなかったのですか? てっきりすでに御了承済みかと思ったのですが……あ、なるほどぉ……はいはい……釣りの餌はまだ食べられていないということですね?」
「な……そ、そんなことあるはず……」
「いえいえ、隠さなくてもよろしいのですよ。私もね、まさかエンヘドゥさんがまた裏切るなんてことはないと信じていたのですよ……だってねぇ……一度仲間を裏切っているお方ですよ? まさかまた裏切るなんてこと……ねぇ」
胸糞が悪くなるような下卑た声で、モートと呼ばれたそれは美那を嘲笑っていた。
その顔は確認できない。笑い声と上下する顔の奥で不気味に光る赤い瞳だけが、モートという男を外見から知ることのできる唯一の情報だった。だが、それだけでも、そいつが憎たらしい奴であるということだけは、誰しもに共通していた。
「わ、私は……」
怯えるように、声をどもらせて震える美那。モートの言葉は、深く、深く彼女の心の根元に突き刺さってくる。
しかし、そんな美那を守るように、正吾の腕がすっと横から彼女を庇った。
「正吾さん……」
「……事情はよく分からないが、俺はどんなことがあっても味方でいる。あいつがあなたの敵ならば、俺はあいつの敵になる」
そう言って、正吾は取り囲むシャドーとモートに立ち向かうよう、刀を握った。正眼に構えられた刀身に、わずかに美那の顔が映り込む。
「……だから、信用してくれ」
「…………」
それが、どれだけ彼女の心を溶かす言葉であったろう。それが、どれだけ美那の思いを後押しする言葉であったろう。人の心を裏切ってきた彼女にとって、何よりも尊く……そして恐怖さえ抱く。
だが、美那は決意した。
「私は……」
これ以上、誰かの心を裏切りたくなくて。
「私は……カナンのスパイです。東西シャンバラに潜入して、カナンに数々の情報を渡していました。それが私……エンヘドゥ・ニヌアです」
瞬間、モートの赤い瞳が動いたかと思ったら、シャドーが一斉に正吾たちへと襲いかかってきた。心の動揺を突こうとしてもしたのだろうか。タイミングを計っていたらしい。
だが――甘かった。
「なーんだ、そんなことでしたかぁ」
クドのは軽いノリで美那に聞こえるようにそう言いながら、二丁の拳銃でシャドーの攻撃を受け止め……そして引き金を引いた。
「俺、もうちょっと深刻なことかと思ってましたよ。ま、それなら……気兼ねなくやっちゃいますか」
瞬間。
言葉の軽さとは裏腹に、銃弾が幾多の咆哮となって舞った。シャドーの攻撃の一つ一つを素早い身のこなしで避けながらも、銃口は敵の姿を捉えて離さない。
茫然とする美那の目の前で、正吾がシャドーの攻撃を受け止めた。
「そういうことだな。……こう言っちゃなんだが、俺たちならそのぐらい、受け止める。美那さん――いや、エンヘドゥさん。あなたの全てを、な!」
刀がシャドーの攻撃を弾くと、続けて、もう一方の手に生まれた光条兵器“ディバインダンサー”がシャドーを斬り裂いた。光の力を宿した武器に、影の生命体たちは太刀打ちできない。
まして――
「正吾……いきますよ!」
「了解だ!」
横合いからは、エミリアのバニッシュが神々しい光を放ってシャドーたちを包み込んだ。浄化されゆく影に、正吾のとどめの一撃が重なってゆく。
次々と仕留められてゆく影の集団。モートは少しばかりつまらなそうだった。
「やられ過ぎというのも演出に欠けますかねぇ。ちょっとばかり……出てもらえませんか?」
「私は案内だけの役目だったのでは?」
彼の横にいるもう一人のローブの者は、女の声色でそう言った。
「そこをなんとか……ね。なぁに、ちょこっと流れを乱してもらうだけでいいんですよ」
「…………」
ここで無下に断るのは後に響くか。
ローブの者は心の中で判断して、愛用の魔銃モービッド・エンジェルを構えた。銃身に刻まれるのは、蛇十字の刻印。狙うは――白髪の若者だった。
銃声。そして、クドの頬を掠める銃弾。
「……っと、やったのはあんたですか? なかなか良い腕……してますねっ」
しかし、そこはクドのことだ。軽い身のこなしでいつの間にか接近すると、蹴りあげた足で敵のフードをはじいた。ばさ……と落ちるフード。
その奥にあった顔は、彼の予想をはるかに越えていた。
「え……」
「どうもどうもクドさん……やっぱここに居ましたか」
坂上 来栖――クドもよく知る、冒険屋の仲間だった。クドは、思わず愕然となる。だが、彼のパートナーとして共にいるシスタは、予想が出来ていたのかそれほど驚く様子はなかった。
「いやいや。何でお前さん、そちら側に立ってんですか……」
「仲間とはいえ情報は大事にしとくべきでしたね。私の依頼はコッチ側なんで。……ではお互い、お仕事頑張りましょうね」
来栖は引き金を引いた。
容赦ない弾丸が、クドの肩を穿つ。信じられないといった驚愕の顔で、クドはさらなる追撃を企てようとする来栖から慌てて逃れた。続けざまの弾丸は、さすがに外れてしまう。
「な、なんでいきなり……一体何を考えてんですか、来栖さん」
目の前の事実に混乱するクド。そんな彼に、シスタが冷然と呟いた。
「『冒険者はなんでも屋として扱われることも多い。依頼主も様々、汚れた仕事も少なくない』――忘れたかよ、阿呆」
「汚れた仕事……」
それは、冒険者の真なる姿だった。
そう、決して彼らは平和の中に生きる者ではない。正義は依頼によって完成される。それが冒険者の意思だ。戦う者は、その覚悟を胸に刻んでおく必要がある。
平和だった。……だから、忘れていたのかもしれない。
クドの瞳が、静かに大きく瞠目した。そこにいたのは、皆の知るクド・ストレイフではなかった。戦うことを心に刻んで、生きるために戦っていたあの時を思い起こさせる。しかし――己を忘れず。
「ボケてたんかもしれないですねぇ……幸せだったから……」
拳銃に新たな光の弾丸が装填された。来栖の依頼が「美那を捕まえる」ことであるなら、俺の今の依頼は「美那を護る」こと。それが、冒険者である今の自分のやるべきことだ。
「来栖さん……いきますよ!」
「…………」
それでも、決して心を乱すことなく、クドは戦った。彼らしい、自由を生かした戦い方で。
来栖はクドの相手をするので手いっぱいのようだ。だが、ある意味でそれは好都合かもしれない。
「ま……らちが明きませんしねぇ」
モートは少しばかり楽しげに呟いた。
そして、視線がちらりと美那のもとに動く。その瞬間、何者かが美那を羽交い絞めにした。
「きゃあ……っ!」
「なに……!」
驚く正吾たちは、更に美那を信じられなかった。それは、これまで美那をともに守ってきた護衛者の久我内 椋(くがうち・りょう)とモードレット・ロットドラゴン(もーどれっと・ろっとどらごん)だったからだった。
「お前ら……!」
「へへ……悪いなぁ」
モードレットは、顔を歪めていかにも神経を逆なでするように言った。
「裏切るのか……!?」
「裏切るも何も、最初からこのつもりだったんだよ。ほら、黒水晶もこの通り、な」
モードレットの行動につき従う椋は、羽交い絞めにした美那から黒水晶を奪うと、彼に手渡した。それを軽く扱うと、モードレットはモートに放り投げる。
「これで満足だろ、モートさんよ」
「ひひ……手ごまとしては十分ですねぇ」
モードレットは、どうやら初めからモートと話を進めていたようだ。黒水晶を手に入れたモートが、正吾たちを馬鹿にしたように高笑う。
「貴様……卑怯な!」
「卑怯? ……むしろ彼は純粋なものですけどねぇ。悪に準じたい、素晴らしい意思ではないですか。それよりも卑怯というなら――私はエンヘドゥさんには感服いたしますよ」
モートの声に、美那がびくっと体を震わせた。彼女の中にあるモートへの恐怖心とともに、彼の声が闇となって美那へと近づいて来る。
「貴方の裏切りは周りの者までも巻き込んでゆくようで……素敵ですねぇ、エンヘドゥさん」
裏切り。
美那の顔が強張った。先ほどまでの、苦しいほどの自責の念が再び舞い戻ってくる。
正吾たちは何もできなかった。不用意に何かすれば、椋に捕まる美那がどうなるか分からない。
「さて、そろそろさがりましょうかねぇ」
モートはそう言ってかかと笑った。すると――そこに一筋の希望が差し込んだのはそのときだった。
「そうはいかないですよ」
「……!」
穏やかな青年の声がどこかから聞こえたとき、空間にそれは姿を現した。青年は、モートレッドと椋の背中から、即座に攻撃を加える。
「がっ……!」
「ケケケッ! 貞恒、いまのうちだぜ!」
モートレッドたちが気絶したのを見計らって、青年――斎義 貞恒(さいぎ・さだつね)のウエストポーチの中にいるアメン・チア(あめん・ちあ)が高笑い混じりに叫んだ。
「分かってます……!」
それに命令されるまま、貞恒は美那を庇うようにして彼女を促した。
「はやく……今のうちに」
「は、はい……!」
いつの間に近くまで寄っていたのだろう。そんな疑問を聞く間もなく、美那はすぐ仲間たちのもとに向かう。
光学迷彩で隠れていたのが功を奏したか。貞恒は、こんな事態に姿を現すことになるとは思わなかったが、不幸中の幸いだった。
「ま、色々と話は聞けたから問題ねぇな」
「……ほとんど盗み聞きみたいなもんですけどね」
今回は漆黒の書 純白の少女(しっこくのしょ・じゅんぱくのしょうじょ)がいない。二人だけでの行動だったが、とりあえず護衛対象を守れただけでも上々か。
「モートさん……どうするんですか?」
美那が再び味方の手に戻ったことに、来栖がモートへと問うた。しかし、そこにあったのは来栖の予想だにしなかった顔だった。……余裕である。余裕ないつも通りのにたにたした笑みを、モートは浮かべていたのだ。まさか。
「…………」
その時、来栖はモートが呪文的な何かを唱えるのを耳にした。
瞬間――全てが分かった。
「美那さん……!」
「な、なに、きゃあああああああぁぁぁ!」
モートの手元の黒水晶が光り出した。
すると、美那はまるで引っ張られるように黒水晶の中へと吸い込まれる。そして次の時には、黒水晶の代わりに美那そのものが黒水晶へと変貌していた。まるでガラス細工のようにミニチュアサイズになった美那の水晶は、モートの手の中で浮遊している。
「ひひ……ひゃひゃひゃひゃひゃっ!」
愕然とする正吾たちの目の前でモートはこれ以上ない楽しみを前にしたときのよう、笑い始めた。不気味な下卑た高笑いが響き、茫然としていた正吾はようやく自分を取り戻した。
「この……!」
すぐに美那を助けるために動き出す――が。美那の水晶を地面に差し向けたモートの声が、それを制した。
「おや、動いていいのかな?」
同じように咄嗟に足を踏み出していた仲間たちも、その声に立ち止まった。モートの言葉の意味を、瞬時に察したのだ。
「それ以上動くと、この美しいエンヘドゥの水晶が壊れちゃうよ? ひひっ……そうなると……もう二度と元のエンヘドゥには戻せないだろうなぁ……」
人質だ。
まごうことなき人質を、モートは手に入れたのだ。いや、初めからそのつもりだったのか? だから彼女に黒水晶を与えていたというのか。モートならば、この目の前の腐ったネズミならば、それはおかしくない。
「くそ……野郎……!」
珍しく感情をあらわにしたクドがそう言うと、モートはにやにやとした赤い目を護衛者たちに向けた。まるで、褒め言葉でも聞いたかのように。
「さーて……じゃあ私たちはそろそろ戻りましょうかね。皆さん、お疲れさまでした。また、どこかで機会がありましたらお会いしましょう」
そう最後に告げると、モートはシャドー、そして来栖とともに影の中へと消えていった。
――無論、美那とともに。
やり場のない怒りがそこにあった。ただ歯を食いしばるしかできず、結果的に美那は敵の手に奪われてしまった。
モート。影を操る謎の男。それが敵の名だ。それが……倒すべき敵。正吾たちは、あの赤い瞳の男の名を忘れることはなかった。
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