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【カナン再生記】黒と白の心(第1回/全3回)

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【カナン再生記】黒と白の心(第1回/全3回)

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第5章 奪還への道標 1

 夜の帳が降りる頃だった。
 昼間はあれだけ吹きつけていた砂の風もぴたりと息をひそめ、星の瞬きに照らされる砂漠はひんやりとして冷たかった。
 そんな夜の砂漠に建つ『神聖都の砦』は、眠ることなく監視の任務を全うし続けている。禍々しきネルガルの力の象徴であるかのようなそれを前にして、シャムスたちは時を見計らっていた。
「先に侵入した方々の情報だと、もうすぐ兵士の数が少なくなりそうな時間帯ですね」
「仮眠を取り始めるからだろう……それに、そろそろ士気全体が緩んでくる。睡魔は誰しもに平等だ」
 ノア・セイブレム(のあ・せいぶれむ)の返答しつつも、シャムスは砂丘の隙間から兵士の様子をじっと見つめていた。
 そんな彼が、ふいにノアたちに呟くよう話しかける。
「悪いな。お前たちには……感謝してる」
「シャムスさん?」
 フレデリカ・レヴィ(ふれでりか・れう゛い)の怪訝そうな声が聞こえた。
「本当は、これは俺たちだけでなんとかするべき問題だ。他国の力を借りることは、するべきではなかった。しかし……こうして民の意識も高まり、石像が砦に動かされた今――チャンスは今しかない」
 感謝の念と、同時に自分たちを情けなくも思う自嘲の念があるのだろう。そんなシャムスの思いに応えて、フレデリカは笑みを浮かべた。
「気にしないでください。力になれるなら、私たちはいくらでも手を貸します」
「そう言ってもらえると助かる……」
 染みいる思いだった。シャムスは、深く感謝する。フレデリカは更に終わることなく言葉を続けた。
「ただ……この戦いはカナンのもの。そして私たちは外から来たただの冒険者。本来はこの戦いは私達が口を挟んで良いものじゃないと思っているわ。だから、私たちは英雄になるべきではないし、なるつもりもありません。
逆にむしろ道具として、駒として扱われるべき存在です」
 それは、フレデリカの信念か、あるいは生き方なのだろうか。彼女のパートナーであるルイーザ・レイシュタイン(るいーざ・れいしゅたいん)も、同様に頷いていた。
「私もフリッカと同じ気持ちです。冒険者は、それでこそ冒険者でありうるのですから」
 冒険者――この先発隊の戦いに加わる多くの人を占めるのが、それであった。依頼を受け、冒険の名のもとに生きる者たち。そして、その代表たるギルドのマスターが、この小さな身体に熱い魂を秘めた少女、ノア・セイブレムであった。
「冒険者とはそのようなものです。だから、時には汚い仕事を受ける者もいます。しかし、それも一つの冒険者としての仕事なのです」
 ノアはわずかに哀しげにそう言った。職業としての冒険者の地位は、ある意味で確立してきたと言える。だが、やはり人の心が渦巻くところには闇が根付くのが真理であった。綺麗事だけでは、生きられない。
 しかし――フレデリカは語った。
「でも、だからこそ……そんな私たちを対等に見て、信頼を寄せてくれるのであれば、私は友として貴方の、そしてカナンの力となります。受けた信頼には誠心誠意を持って応える。それが私の誇りだから」
 誇り。
 フレデリカは真摯なる瞳をもってシャムスに告げた。熱を帯びた、熱き目だった。まるでひきこまれそうなそれは、かつてシャムスとともに戦っていた騎士団たちのそれを思い起こさせる。
 信念を持っているのだな。シャムスはそう思った。揺らぐことのない、心の剣を。
 ノアは、カナンの現状を憂いていた。ある意味で、何でも屋となんら変わらない扱いを受ける冒険者たち。だが、彼女たちには『誇り』がある。冒険者としての誇りが。
「カナンでは冒険者は『何でも屋』として便利に扱われていますが、私たちは自分たちを安売りするつもりはありません。それだけは、覚えておいてください」
 依頼を受けるということ、依頼を頼むということ。そこには、必ず何らかの思いがある。冒険者たちは、それを受け止めて戦う。だから――オレたちもそれに応えなくてはならない。それが、領主であり、彼らを雇うオレの誇りの形。
「お前たちは、オレの共に戦う仲間だ。カナンのために……もう一頑張り頼んでもいいか」
「……はい!」
 ノアは笑顔で答えた。
 冒険者として、そしてカナンを思う一人の少女として。
 
「ふあぁ……」
 夜も更けてくると、さすがに昼間の疲れが出てきたのか門番の口も巨大なカバの大口のようにぱっくりと開く。
 いやいや、しかし……寝るわけにもいくまい。まあ、今夜は出ずっぱりでキツいが、それも終われば明日は休暇だ。じっくりと惰眠をむさぼろうではないか。
 そんなことを考える門番の姿を、シャムスたちの目はじっと捉えていた。シャムスの横から覗きこむラルク・クローディス(らるく・くろーでぃす)は、拳を握って彼に問いかける。
「どうする? やるか?」
「……うむ」
 となれば、隙はやはりあの時だろう。
 兵士は、再びあくびをかみ殺した。
 瞬間。
「がっ……!」
「んぐ……」
 物影から飛び出した神速の勢いで、ラルクの拳が一人の門番の脳天を殴りつけた。視界を星が飛び散るような衝撃に、気絶する兵士。
 だが、門番はもう一人いる。そちらにはラルクとともに飛びだした火村 加夜(ひむら・かや)が背後からアサシンソードを首に押しつけていた。
 忍び装束を纏う彼女の姿は、まさに女忍者のそれを彷彿とさせる。
「き、貴様ら……」
「しっ……喋らないでください」
 激怒する兵士だが、さすがに首のソードに気づくと身の危険を感じて押し黙るしかない。普段は心優しい加夜であるがゆえか、脅迫の凄みは増していた。
「見張りの交代までは、どれぐらいあるのですか?」
「こ、交代はもうない。俺たちで最後だ。あとは……朝番の連中が起きるのを待つだけ……」
 亮司たちの手に入れてきた情報通りというわけか。それから、加夜は更に比較的安全なルートと区画を確認した。門番の知りえることも限界があるが、一通りのことは情報を得る。
 あと気になることと言えば。
「石像がこちらに移動させられたという話は聞いてますか?」
「き、聞いている……」
「その理由は?」
「し、知らない」
 ぐっと、喉に押し込まれる刃物の輝き。兵士は慌てて重ねるように言った。
「ほ、本当だ。俺たちはただ石像を守るように言われているだけで、移動させられた理由までは全然……。あれが何の石像であるかすら知らないんだ」
 嘘をつく必要は、この兵士にとってない。ということは、本当なのだろう。いずれにせよ、これ以上この兵士が知りえていることは少なそうだ。
 全てが終われば――
「ん…………」
 決して命は奪わない。
 ヒプノシスが発動すると、催眠術は気絶した兵士ごと門番を眠らせてしまった。
 それを確認して、シャムスたちも加夜たちのもとにやってくる。
「自分の目で確かめるんだろ?」
 ラルクがシャムスへと確認を込めて聞いた。 頷くシャムス。妹とされる石像がどこにあるのかは、先行して潜入した者たちが情報を集めてくれた。あとは、それをもとに石像のもとへ赴き、チャンスがあれば奪取する。
「慎重にいきましょう。決して、心慌てることのないように……」
「無茶だけはするなよ? 何かあったらすぐに言ってくれ。応急になるが、治療ぐらいはやってやる」
「ああ」
 ラルクと加夜に信頼ある顔で答えて、シャムスは砦を見上げた。
 悠然とした砦の全景は、まるで獣か何かのような気がした。