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【蒼空ジャンボリー】 春のSSシナリオ

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進むべき道


 しん、と静まった教室に、エヴァット夫人の抑制のきいた声が響いていた。
「──以上のように、ただ一人の女中を雇う家から、百名以上の使用人を擁する貴族の邸宅まで様々です。ですからその職務は仕えるお屋敷によって変化し、多岐多様に渡ります。
 女官の職務は、この侍女というセクションに近く──」
 さらさらと、黒板にチョークで図が書かれていく。それは使用人の序列や仕事内容をツリーで表したものだった。
 百合園女学院・認定専攻科。
 今年の春に設けられたこの進路は、百合園女学院短期大学を卒業した学生たちの為のものだった。学部は短期大学と同じく文学部・音楽学部があり、修了することで大学卒業の資格を得ることができる。
 おおよそ地球の大学と変わらない学科を教えていたが、文学部の中には女官コースがあった。
 教鞭をとるのはエヴァット夫人というヴァルキリーの女性で、空京の宮殿で女官として務めていたという。
「それでは座学はここまでにして、実習に入りましょう。皆さんこちらへ」
 生徒達が次々に教卓に集まる。
 エヴァット夫人は小さな箱から様々な布の端切れと糸とを出して並べ、一通り名前と種類について説明すると、今度は大きな箱から幾つかの質素な形のドレスを取り出した。
 それらは見た目も仕立ても同じように、ただし別々の布で仕立てられたものだった。
「二人一組になって、一人は淑女、一人は侍女として着付けを行ってください。終わったら逆を。最後に、どの生地がどのような特徴を持っているか、感想を発表しましょう」


 授業が終わって乙女たちが会話を交わしながら教室から出て行く頃、一人席に残っていた崩城 亜璃珠(くずしろ・ありす)は内心で息を吐いた。
(まだ慣れませんわね……今までは身の回りの世話をされる立場でしたもの)
 今日授業に使用したドレスはシンプルだったけれど、仕える身分が高ければ高いほど、豪華になるほど、自分一人ではとても着れないような──つまり、侍女を必要とし、それがステータスになることさえある──デザインもある。
 自分自身が身に着けてきたから、ものの良し悪しを見抜く目は養われていた。けれど、着せる側となれば、リボンもレースも縫い付けも、全く複雑怪奇だった。
 それに、今後は化粧を施したり、髪を結ったり、衣装を管理したり、気の利いた会話をしたり、といった授業も待っている。
 彼女は立ち上がると、後片付けをしているエヴァット夫人に近づいた。
 夫人は三十代で、落ち着いた感じのする女性だ。栗色の髪をきちんと結い、いつも地味ではあるがきっちりした印象の、裾の長いドレスを着ている。空京では多少人を使っていたというが、その時の空気を今も保ち続けるためなのだろうか。
「少し相談を宜しいでしょうか?」
「……おかけなさい」
 エヴァット夫人は荷物をまとめ終えると、亜璃珠と机を挟んで腰をかけた。
「どのようなご相談かしら」
「専攻科、そして女官についてですわ。たとえば、話し相手になるというのも立派な務めの一つでしょう?」
 亜璃珠は女官について、疑問に思っていたことを口にする。
「一口に女官と言ってもその仕事は多岐にわたるでしょうし、 今も宮殿に仕える身として生徒に何を求めているのか。
 あるべき姿や立場、何を教えていきたいのか、その辺りを今のうちに聞いておきたいなと思いまして」
 できることなら具体的な科目やコースを交えてもらえると嬉しいのですが、と彼女は言った。
「校長の出自もあってか、この学院には種族や貴賎に関わらず様々な生徒がいます。こういった仕事に馴染みや知識のない者も少なくはないでしょうから……」
 その言葉に夫人は頷いてから、質問を返す。
「貴女は女官になるおつもりなのかしら?」
「それはまだ分かりませんわ。何を目的とするか、何を学ぶか。それを決めるためには、判断材料が必要だと思います。それに、そう簡単に人の資質を見抜けはしないでしょうし、今後の参考にする程度、とでもお考えいただければ」
 夫人はゆっくりと頷く。
「そうですね……女官コースだけではありませんから、ゆっくり考えるといいと思いますよ」
 短大の文学部と音楽学部の延長として設けられたということで、専攻科には他にも幾つものコースがある。
「文学部なら学ぶのは人文科学と社会科学などですね。例えば、文学、史学、哲学、心理学、芸術学、言語学、民俗学、文化人類学など……。音楽学部なら声楽、器楽、作曲などですね」
 それから夫人は言葉を一度切って、
「女官コースに限って言えば、侍女として、貴人にお仕えする時の心得などが基本になります」
 女官の仕事は亜璃珠の言った通り、多岐に渡る。故に授業では一般教養からはじまって、メイドに限らず使用人の仕事について学んでいく。
「そうですね、生徒に求めることがあるとすれば、仕事への誠実さ。もし女官になるとしたら、ですが、宮殿の女主人たる女王に仕えるという誇りと義務を決して忘れないことですね。
 そのために私が教えるのは、仕事への情熱といったところでしょうか」
「……実は身辺の整理よりも管理運用や広報の方が性にあっているから何かいい話はないものか、と思うのですけれど」
 亜璃珠は苦笑する。自分が誰かのお世話をし続ける姿は、あまり想像できなかった。
 しかし、それよりももっと厳しい仕事もあるかもしれない。
 たとえば、古い時代、メイドや男性使用人たちは主人たちよりもずっと早く起床し、主人の命令が終わってから、つまり就寝後にやっと仕事から解放されたという。
 もし夜中から朝までパーティが続けば勿論それに付き合うことになるし、粗相のないよう、家中をぴかぴかに磨き上げ、最高のタイミングで食事を出し、給仕をし、時に主人に見覚えのない顔と名前を一致させ、客の応対をし、……それらは給与のためでもあるが、仕事それ自体はその屋敷と主人の名誉と快適さに奉仕する。
「雑用をしなかったとしても、それらの仕事を知り、全体の調和を考えることは仕事をする上で必要だと思いますよ。だからもし女官になるのであれば、一通りは学んだ方が良いと考えています。
 医者で言えばインターン……のようなものでしょうか。あくまで授業の上ですけれど」
 夫人は控えめに笑った。
「でも、人ではなく書類相手に格闘する仕事もあると思いますよ。
 とはいえ先程も言いましたように、専攻科に進学したからといって女官コースを学ばなくても良いのですから。
 それにこの女官コースを修了したからと言って採用が決定したり、志願しなくてはならないものでもありません。私としては皆さんに女官になっていただけるなら嬉しいですが……これらの知識はレディとしてもきっとこの先役に立つと思いますよ」
 私としては貴方に合った進路を選ぶことを期待しています、と、夫人はにこやかに言って、席を立った。
 その背筋は何時でも伸びており、荷物を抱える所作も控えめではあったがそつがなく、優雅だ。教師としていつでも誰かに見られていることを意識しているのだろう。そしておそらく、女官が自分の天職だと思っているのだろう。
 彼女の後姿を見送って、亜璃珠は髪に指先を伸ばし、巻きつけた。
(さて、どうしたものかしらね……)
 自分が本当にしたいことは何なのか。もし女官になったとして、そこで何をしたいのか。それを問われているような気がした。