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【蒼空ジャンボリー】 春のSSシナリオ

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【蒼空ジャンボリー】 春のSSシナリオ
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いつか薔薇に、君の名を

 ──タシガン。
 薔薇の学舎にほど近い庭園の一角では、早朝から剪定鋏の音が響いていた。
 鋏の先を見つめる藍澤 黎(あいざわ・れい)の青い瞳は真剣で、ただでさえ厳しそうに見える顔立ちは近づき難い雰囲気があった。
 彼の頭上に傘を差し掛けながら、だが、彼は小さな欠伸をしながら遠慮のない言葉をかけた。
「そんな木の芽の、どこがどー違うんや? ボクにはよう分からんわ」
 フィルラント・アッシュワース(ふぃるらんと・あっしゅ)の視線は鋏の先をを辿るが、そこにはどれも同じに見える芽があるだけだった。
 冬の屋外、花も葉も落ちた姿は、花の盛りの華やかさとは程遠く寂しく、詳しくない者から見れば、薔薇だとも分からないだろう。
「だが、新芽に栄養が行き渡る前、この冬の剪定が美しい花を育てる。放っておけば枝は伸びすぎ見苦しくなり、病気にも罹りやすくなる」
「その前にキミが風邪引くっちゅーねん。ああ、いい加減ボクも付き合いがええなぁ」
 早朝ゆえの濃い霧に濡れないよう雨合羽を着ていたが、マフラーを巻いてもまだ寒い。暖かさは片手のタシガンコーヒーだけの頼りなさだ。
 二月の末、春の足音は徐々に近づいてきたが、まだまだ遠くに聞こえる。
 ここは黎の庭ではない。彼の専攻とする薔薇の品種改良を学舎が支援するため、出入りを許された他人の庭だ。
 毎朝毎朝、あちこちの手入れなどようせんわ。と、フィルラントは肩をすくめた。
「ほれ、これでも飲んだらええねん」
 フィルラントは傘を器用に肩にかけると、水筒から湯気の立つコーヒーを注いだ。
 黎は腰を上げてそれを受け取ると、樹形を確認しながら一歩、下がる。
 隣の枝ぶりと比較しながらふと横を見ると。庭のすぐ側の道を、一人の学舎の先輩が通り過ぎていく。彼の顔には見覚えがあった。
 彼が入学した時には、制服を着ているというより着られていたが、今では大分背が伸びて、今ではその童顔も随分頼もしげに見えた。何でもクリケット部で活躍していると漏れ聞いたことがある。
「……卒業……か」
 黎は呟いた。
「我はあの頃、春に取り残されたような気さえしていた。鋏に迷いがあった。……薔薇には悪いことをした」



 髪にひらりと舞い落ちた花弁を手に取れば、それは梅の花だった。足元にはいつの間にか、散々踏んだ霜柱の感触はなく、マフラーを取ったままでも、温室から母屋へと向かう短い道のりも、苦ではなくなっていた。
 それで彼は、もう冬が終わりに近づいたのだと気付く。春の女神の指先は既に桃の固く結んだ蕾に優しく触れて、ほころびかけていた。
 玄関を開けると、メイドの中村さんがフリルエプロンをかけた姿で顔を出した。
「まぁまぁ黎ぼっちゃま、今日もお庭のお手入れですか?」
 この中年の女性は誰にでも愛想が良く、日本に来た当初、慣れない習慣について助けてくれたものだった。親切さは彼の手料理すら全部食べてくれるほどで──勿論、その後で様々なアドバイスを受けることになったものだが。
 黎は了解したと伝えると、温室から採取してきたハーブを渡した。薔薇などの花の虫避けにと、近くに植えていたものだ。
「……これを。食事でも風呂にでも使ってくれ」
「まぁありがとうございます。使わせていただきます。……そうそう、朝食のご用意ができていますよ。もうご主人様も席にお着きです」
 主人、という単語に、黎の顔から一瞬にして感情が消えた。何時ものことで、中村さんも内心はともかく表面上は気にしていないそぶりだった。
「珍しいな」
「何でも本日はお客様が朝からいらっしゃるとか」
「……ならば急ごう」
 コートを預けリビングに向かえば、広いテーブルの上座で、祖母は優雅にフォークとナイフを操っているところだった。
 顔をふと上げると、
「黎さん、いつもこんなに遅いのですか? 時間を守るのは最低限のルールですよ。使用人に余計な手間を掛けさせないのは主人の務めです」
「済みません」
 そうして、祖母は食事に戻った。それだけだ。それだけで会話は終わってしまう。
 祖母は食事を終えると、お茶をちょうだい、と言って新聞に目を通してしまった。
 ──家の中は、息が詰まる。
 大学は受験し合格してはいたが、それも祖母の指示の通りにしただけだった。そう、進学して、秘密を抱えて生き続けなければならないという大きなプレッシャーさえも背負わせられて。
 黎は食事も早々に胃に詰め込むと、逃げるように庭に出た。
 そこに咲くのは、梅の花。そして、桜。
「違う」
 彼の春は違う。梅でも桜でもなく、ブルガリアの野に咲く白や黄色や紫、オレンジだ。鮮やかな早春のクロッカスが、彼にとっての春だった。
 ただ薔薇だけは日本でも変わらず咲き続けているけれど、それでもこの枝がどのように伸び、どんな花を咲かせるのか、願いも想像も定まらないままだった。
 黎は空を見上げる。そこには、パラミタがあった。
「パラミタに行きたいなあ、パラミタに行こうか」
 日本は空前の好景気。契約者はその担保。もしそこに行けたら、たとえ日本に戻っても一目置かれる筈だ。祖母も大反対はしないだろう。
 そんな夢想から出た言葉だったが、返事が返ってきた。
「──ええで、付きおうたるよ」
 振り返ると、そこには見知った少年がいた。
「フィルラントか」
 独り言を聞かれたにも関わらず黎は動揺も見せず、その名を呼ぶ。
 この奇妙な褐色の肌の美少年は、口を開くと大阪弁のような言葉を離した。だけでなく、背中に翼があった。守護天使──パラミタから来たという。
 話す機会もないではなかったが……、祖母に仕えているからだろうか、何となく避けていた。
「付き合う? わざわざパラミタから日本に来たというのに、また戻るというのか?」
「行きたい言うたって、契約せんと行けへんの知ってんやろ。キミ、誰とどうやって契約するつもりなんや?」
 相変わらずモノをはっきり言う、と、黎は内心思う。
「そうだ」
「やろ? ……で、返事は?
 ああ言うとくと、オレがパートナーやったら秘密もバレへん、パラミタにもいけるちう、パーフェクトオールグリーンやな。こんなええ条件滅多にないで」
 黎はフィルラントの、銀色の瞳を見据えた。彼が意外に熱血漢な少年であることは承知していたが、純粋に好意だけの申し出とは思えない。
「そうかもしれない。だが、お前は、私の守護天使じゃあ、ない」
 それに、どちらかに付かざるを得ない時、彼は選択を迫られることになるだろう。
「まあ確かにそーなんやけど、パートナーは守護したい人って事ではあらへん事もあるやろし、黎の対面護るっちう事は、あの人を護るって事でもある」
「あの人……、か」
 黎の顔に影が差すのを見て、フィルラントは慌てて手を振った。
「キミは何でもマジメに考えすぎやねん。やからパラミタ、ちゅうか別の世界に行きたくなる。
 ──ええか、これは現状に対する保留や。パラミタに居ればとりあえず考えんでもええかも知れへんけど、こっちに戻ってきたら結局答えはださなアカン話や。
 秘密を出し惜しみしてもしゃーないって意見は変わってない」
「……そうだな」
「やけど、キミには今まで一人で考える時間がなかったんかも知れん。
 そうやな、キミの好きな薔薇に例えようか……青い薔薇は最初、作るのが無理やって言われて、『不可能』『有り得ない』ちゅう花言葉まで付けられた。やけど、成功して『奇跡』だの『夢かなう』ちゅうもんになった。
 前提も覆るかも知らん。試行錯誤してみるのが、時間稼ぎやただの悪あがきやもしらんけど。けどな……それくらいは手伝おうてやろう思うてな」
 フィルラントは両手を組んで、伸びをして、笑った。
「こう見えても同い年のよしみや。それにこーやって、土いじって地面見てるより見上げてた方がきっと面白いもんが見えるで、うん」
 それは天使らしく、白い髪も朝日にきらきらと輝いて、後光が差しているようにも見えて……。



「……いや、見間違いだったな」
 黎は知らず苦笑していた。フィルラントがそれに、眉を潜めた。
「うん? 何かゆーたか? ああそうや、お腹空かへんか? ここの庭のご主人から、この前クッキー貰ったんやった。あれまだ鞄に入っとるかな……」
 自分が知らないうちに貰ってたのか、と、黎は問い詰めようとしたが、それをやめた。今朝は気分が良かったからだ。
「腹が空くなら、近くのベーカリーで良いか? あそこのチーズ入りペストリーは美味だ。アイリャンとよく合う」
 二人は後片付けをすると、タシガンの街を歩いていく。
「薔薇の品種改良にはたゆまぬ努力が付き物だ。数万粒の種を植え、数年育てても、納得のゆく新しい薔薇が作れるのは、そのうちの1パーセントとも言われる。
 だがいつか、自分だけの薔薇をこのタシガンで咲かせられたら──」
 その時は、その薔薇を持って祖母に会いに行けるかもしれない。彼女の冷たい視線を正面から見据えて、平穏に、心揺るがないでいられるかもしれない。そしてもしかしたらそのうちの一つに。
(──その薔薇に、天使の名を)