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高崎 悠司(たかさき・ゆうじ)  セルマ・アリス(せるま・ありす)



キャロルが死んだ。

ロンドン動物園に一晩中いて、オレが手に入れたこたえはそれだった。
あの夜、あそこでいったいなにが起きていたのか、くわしい事情はわからない。
オレは知りたくもないしな。
いたるところから、悲鳴と怒声、絶叫と銃声や爆発音、動物たちの鳴き声がきこえてきた戦場みたいな動物園で、何人もの命が失われたのは、間違いない。
園内のどこにいても響いていた雑多な音たちが、ようやくおさまりかけてきた頃、オレはレンガ敷きの遊歩道の脇に、動物園のスタッフジャンパーを着た男が倒れているのをみつけた。
仰向けで横たわっていた男は、とにかく疲れ果てている様子で、俺が近づいても反応もせず、うつろな目を空をむけていた。
撃たれたか、斬られたのか、男の服は上も下も血まみれだ。

「あんた、ケガしてるのか。大丈夫かよ。血が、すごいぜ」

苦しげに荒い呼吸を繰り返しているが、顔から判断すると、男の歳はだいたいオレと同じくらいの10代から20代のはじめにみえた。

「つらいんだろ。どうしてやればいいんだ。水か」

オレが聞いても、男はしゃべらない。

「なんか言えよ。助けてやりたいんだ。このまま死んじまうかもしれないんだぞ」

男が、かすかに頭を揺らした気がした。
まるで、オレにさっさと行けと言ってる感じだ。

「おいおい。いい加減にしろよ。あんたちょっと我慢してくれ。
オレがスタッフオフィスまでかついでいってやるよ」

力が抜けきり、ぐったりとした男の体を抱き起して、背中におぶって、園内の立て看板の地図を頼りに、オレはスタッフオフィスへむかった。
自分でも気持ちが悪くなるくらいご親切だったが、こいつがひどいめにあったのも、キャロルの親父やウチの薄らボケのせいかもしれないかと思うと、見捨てておけなかったんだ。
オフィスの側までくると、オレの背中にいるやつと同じスタッフジャンパーを着た連中がいて、オレはやつらに囲まれた。

「ケガ人をつれてきた。
おまえらの仲間だろ。手当してやってくれ」

オレがケガ人を道におろすと、連中は数人がかりでやつを事務所へと運んでいく。
オレの周囲に残ったやつらは警戒するように、オレから離れない。

「オレは、家具職人のアーヴィンの養子おオリバーだ。
おまえら、博物館の館長だったデビューン男爵の娘のキャロルを知らないか。
キャロルは今夜、親父さんの裏の仕事の仲間たちに話をつけるためにここにきたはずだ。
オレはキャロルに会いにきた。
あいつと一緒にマジェをでて、やり直したいんだ。
キャロルがどこにいるのか知っているなら、教えてくれ。
あいつのためなら、オレはなんでもする」

特に誰にするわけでもなく、オレは膝をついて、最後には両手も地面について、頭をさげていた。

「すまないな。オリバー。
親父さんを亡くしたばかりで、おまえもいろいろ大変だろうが、ここにはキャロルはいない。
キャロルはもう、どこにもいない。
今夜、ここで彼女は、死んでしまったんだ。
おまえは早くマジェをでろ。
どこか新しい土地で人生をやりなおせ」

棍棒で頭を殴られたような気がした。
痛みさえ感じた。
オレの意識は真っ白に爆発した。
もちろん、誰もオレを殴ったりはしていない。
オレは誰かの言葉を疑うことさえできなかった。
泣いたのか、笑ったのか、怒ったのか、それもおぼえていない。
気がつくと夜は完全にあけ、オレはマジェの下町を歩いていた。

あれから、ずいぶん時がすぎた。
マジェをでる気力さえオレにはない。
なにもかも考えるのがイヤだ。
アーヴィンの隠れ家の1つに住んで、ほとんどの時間を寝て過ごした。
のどが渇くと水を飲んで、たまにパンを買いに行って食べた。

ある日、オレは隠れ家の机のうえに紙切れが置かれているのに気づいた。
毎日、眺めているのに、それがいつ置かれたのか、まるで記憶にない。
どうでもよかった。そのまま捨てるのも面倒で、なにげに眺めてそこに書かれていた名前を読んだ。

高崎悠司 

高崎って誰だ。
どっかで聞いた気がする。
オレはノートのページを破いたような紙切れを手にとって、文章を読んだ。
オレでもすぐに読める、わずか数行の短い文だった。

オリバーへ。
まだ死んでないなら、キャロルのことを知りたいなら真実の館へこい。
おまえのために、迎えの使者を送ってやる。
顔見知りだ。
○月○日 夜2時 この家の前で待て。

高崎悠司

高崎からの手紙を信じたわけではなかったが、それから数日後の○月○日の夜、オレは家の外に立っていた。
たしか、高崎は前に会った時も、オレがいたパブの鍵を勝手に開けて入ってきた気がする。
今度もオレが寝ている間に家にきて、紙切れをおいていったんだろう。
机と目と鼻の先のベットでオレが寝ていたのに、わざわざ起こさずに。

マジェの外れ、ほとんど人も住んでいないこの地区の夜は、昼間よりもさらに静かだ。
悪さをしようにも、獲物になる人間もいないので、強盗も娼婦もいない。
店も家もろくになく、霧と星と月だけがある夜だ。

フードつきのマントをはおったそいつは、ゆっくりした足取りでオレに近づいてきた。
フードのせいで顔はみえない。
もっとも、オレはすでに高崎の顔を忘れかけていたので、どんな顔をしていようが関係なかったが。
オレの前で足をとめ、フードを外した。

「こんばんは。オリバーさんだね。
俺はセルマ・アリス。
高崎悠司さんから話は聞いてる。
今夜は俺のパートナーになって、一緒に真実の館へ行こう」

セルマは、セミロングの黒髪の、おとなしそうな顔をした少年だった。

「あなたとは、前に1度、キャロルさんの家の前ですれ違ったんだ。
すこし先に馬車を待たせている。
くわしい話は馬車に乗ってからでいいかな。
誤解しないで欲しんだけど、今夜のこれは、あなたの役に立つと思ってやっていることなんだ」

セルマの言葉の意味はわからなかったが、俺はやつのうしろを歩いて馬車へとむかった。