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一会→十会 —失われた荒野の都—

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一会→十会 —失われた荒野の都—

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【蠢きの部屋】


「……なんか足下からカサカサ音がするんスけど……」
 キアラの震える声が後方から聞こえてくるのに、千返 かつみ(ちがえ・かつみ)は暗闇の中で彼女の怯える顔を見て苦笑する。
 かつみは今国頭 武尊(くにがみ・たける)と共に一行の先頭を進んでいる。
 エドゥアルト・ヒルデブラント(えどぅあると・ひるでぶらんと)と観光にきたところを巻き込まれ、碌な説明も無く此処迄走ってきてしまったから、何故こうなってしまったのかは分からない。
 明るかった遺跡の中は、真っ暗な闇の中に閉ざされている。
 恐らく既に傍に在ると思われる『敵』を刺激しないよう、敢えて光りに関係した魔法などに頼らずに武尊と暗視能力を駆使して道を外れないよう一行を引っ張っているのだ。
 成る可く静かに、慎重に。
 そう考えれば遅くなりそうな足だったが、右の部屋に向かった魔穂香たちも気になるし、中央の部屋に行った豊美ちゃんやクローディスらが先に進めなくなる可能性が高いと危惧して、早足で進んで行く。
 こちらのグループにきた面子は、皆同じ戦いに身を置いた事があったし、キアラと共闘した事のあるものばかりだ。だから彼女の年相応の女の子らしい部分を充分に理解している。
 そこがキアラの良い所でもあるのだが、言い換えれば豪傑な人物の多い契約者の中にあってキアラはかなり『びびり』で『へたれ』の部類に入るだろう。作戦の要――封印を解除する魔法少女が一度戦力外になってしまえば、皆此処で動く事が出来なくなる。一行はそれを危惧していたのだ。
 今日も身重の妻、環菜を労っているパートナー御神楽 陽太(みかぐら・ようた)から離れて一人行動していた御神楽 舞花(みかぐら・まいか)は、すっかり士気が落ちてしまったキアラに心配して、細い肩を叩こうと手を伸ばした。が――。
「きゃあ!」
 指先が触れただけで悲鳴を上げてしまうところを見れば、かなり重傷であるらしい。
「大丈夫ですか?」
 聞いてみたのは舞花にとっても気休めのようなもので、キアラが現状パニック気味になっているのは明白だった。
ちょっと緊張してるだけっスよ!
 クローディスさんに急に大役フられたからっつーか、憧れの豊美ちゃんや魔穂香ちゃんと同じ事を私が任されるなんて思ってなくって……
 ひっくり返った声からどんどん語気が弱くなっていくのに、隣に立っているのだろう気配が感じられるセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)と暗闇の中で視線を通わせながらセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)は、何時もより更に明るい声を出す。
「大丈夫よ、キアラはそのまま自分のやることに集中して。
 邪魔はあたしたちが片付けるから」
「虫の撃退法でしたら、私も考えが有ります。
 エレナ、ソフィーチカ。ご協力、お願いしますね」
 富永 佐那(とみなが・さな)が言うのに、エレナ・リューリク(えれな・りゅーりく)ソフィア・ヴァトゥーツィナ(そふぃあ・う゛ぁとぅーつぃな)も同意を示した。
「ジナマーマ、気を付けてね。キアラ姉(ねぇ)は、無事に石版まで送り届けるから」
 そんな頼もしい言葉を受け取って、キアラは少し考えてみる。クローディスは咄嗟とは言えキアラを指名し、豊美ちゃんも、戦士としての実力を正確に知るアレクもその事に異論を唱えなかった。
 という事は、キアラを信頼してくれたという事だと思って良いだろう。
 そして此処に居る皆もまた、同じ様にキアラが『やる』と思っているからこそ、守ると言ってくれているのだ。
「私――、やる!」
 キアラの決意の声に安心して、一行の眉尻が下がると、佐那がぼんやりと呟いた。
「あっちの部屋に向かったグループ――なんて言えばいいでしょう――は、どの位進めたでしょうか」
「A、B、C、とかでいいんじゃないスか? 豊美ちゃんが行ったのがAで、あっちはB。ここはC」
「グループC――って、何かサッカーの組み合わせ抽選みたいですよね」
 この緊張する場面での如何にもブラジル生まれらしい例えをしてみせた佐那に、皆の――キアラの緊張がいよいよ解ける。
 と、その時だった。
「来たぞ!」
「ああ!」
 武尊とかつみのやり取りする声が聞こえたかと思うと、ブーツの上を這い上がってくる無数の感覚にキアラは「ひっ」と反射的な悲鳴を上げる。
 そんなキアラの悲鳴を口を抑える事で飲み込ませ、大丈夫と暗闇でも見えるくらいの至近距離で頷いて見せる舞花。
 キアラの緑の瞳が暗闇の中で敵の姿を捉えても、絵的にソフトになるようとの配慮から氷の術を使おうとしたその時である。舞花の背中の後ろから別の声で悲鳴が上がった。
「ゴキブ――いやああああああああ!!!」
「セレアナ!?」
 そう、叫んだのはセレアナだったのだ。
 ホルターネックのメタリックレオタードという薄布一枚しか身につけていないガードの薄い肌の上に、虫が直接触れた事で完璧なパニック状態になってしまったようだ。
 シャンバラ教導団に所属する軍人として、あらゆる部分を鍛え上げている彼女だが、一つだけ、どうしても駄目なものがある。
 『G』
 あの一文字を頭の上に関する生き物が、彼女は大の苦手なのだ。
 実を言うと虫全般が苦手なのだが、得にあのGに関してはもう理屈ではどうにもならない程に苦手なのである。
 どのくらいかと言えば、漫画的表現でいえば『恐怖の余り地球を破壊しかねないような』狂った心持ち――とでも説明すればいいのだろうか。
 過去Gの関係で酷い精神状態に陥った事も、一度や二度ではないセレアナが、このカサカサと這い回る、黒っぽい、翅を持った大量の虫の登場に平静を保っていられる筈もなく、奴等を全て焼き払うべく猛然と生み出した高温の炎がセレアナの周囲を包んだ。
 するとその光りで敵の姿がハッキリと確認出来た。
「スカラベ!」
 舞い上がる炎の光りに照らし出されたその虫は、スカラベ――コガネ虫の一種である。
「なんだ、糞転がしか」
 武尊はけろっとした声で言うが、これ程大量となると、ただの虫と放置も出来ない。
 現にスカラベはセレアナの炎の光りに、信じられないくらいのスピードと数でそこへ集まり始めていた。
 あれに大量にくっつかれたら身動き出来なくなってしまうだろう。勿論アッシュホテップの術によって蠢く蟲の行動がそこで終わるとは思えない。
 そう考えればぞっとするが、佐那はセレアナの炎に集まるスカラベに、違う事を考えているようだ。
「その調子で誘いだして!」
 セレアナはそのつもりでは無かったのだろうが、佐那はそう言うと、風の力が込められたキーウィアヴァターラ・シューズで走り出した。
 斜め前へ真っ直ぐ。
「あ!」佐那が壁にぶつかるのではとキアラが心臓を跳ねさせた直後、佐那はそのまま壁を駆け上がり、天井へ進んで行く。あれはそういう靴なのだ。
 そうして佐那の狙い通り、派手に動く彼女を狙ってスカラベの大群が動き出した。
 今のうちに行ってくれと佐那が一行の進行方向へ向かって指をさして示す。その合図に仲間達は先へ進もうとしたが、目の前は蟲地獄だ。
「――ッ!」
 唇を噛み締め悲鳴を我慢するキアラに、エドゥアルトは首を横に振った。
「人それぞれ苦手なものはあるから、怖くても仕方ないよね」
 その言葉に続いて、エレナがキアラの前に立つ。
「キアラさん、目を閉じて下さいませ」
 意外な展開に口をぽかんと開けてしまったキアラに微笑んで、エレナは続ける。
「Devs omnibvs portas aperit――神は、その信じる全ての者に扉を開くのです。
 さぁ、目を閉じて下さいませ。貴方の心の眼を信じるのです」
 エレナの瞳が優しかった事もある。なにより出されたのが母国語だったから、キアラはエレナ言葉に素直に従った。
「心の眼を――」
 しかし、足を一歩踏み出した瞬間、キアラの動きが鈍くなってしまう。
 カサカサ。グシャ、グシャ。
 足の裏と表と、どちらも厭な感触と音がするのに、気持ちの方が先に折れてしまいそうだった。
 だがエレナが出してくれた言葉のお陰で、キアラの頭の中には『Meglio tardi che mai.(*遅くてもしないよりはマシ)』という諺が浮かんでいたので、ゆっくりでも一歩ずつ確実に前へ進んで行く。
「Sto bene.Sto bene!」
 『私は大丈夫』と自分を鼓舞するキアラの手をとって、ソフィアが鱗翅目の大群でスカラベの群れに対抗しながら「そうよ」と同意してみせた。 
「蟲なんていないわ。カサカサ音が聞こえるのは、キャンディの包み紙でも踏んだのよ、きっと」
「Si! これはキャンディ! キアラの好きな甘いキャンディ!」
「さあ、キアラ姉」
「うん!」
 キアラが頷いた瞬間、ソフィアはチャクラム型の武器を正面に投擲して道を切り開いた。
「行くよ!」
 叫んだかつみの声に皆が呼応する様に一気に走り出す。
 武尊はファーストクイーンを守るために選ばれた精鋭が使っていたという逸話を持つ盾で、機晶エネルギーフィールドを展開すると、ソフィアと手を繋いで走るキアラを包みガードする。
 左右からくる蟲は、セレアナが氷の壁で阻んだ。
「炎や煙は室内で充満し過ぎるとキツイ!」武尊が言う。
「分かってる、氷系だよな!」
 かつみが武器から、エドゥアルト杖から放った氷が絡み合い蟲の群れに一角を固めると、その氷山に向かって武尊が衝撃波で反対側の群れを叩き付けた。
 後方ではまるで壁のように積上っていくスカラベの大群が押し寄せる。だが舞花はそんな光景を前にしても「一歩も引きません!」と宣言した。
 そして彼女の背がキラキラと輝くと、そこから発現した氷の花片のような結晶が、蟲の壁に向かって襲いかかる。
 それによって群れだった蟲がバラバラに動いていくのに、魔法杖を手にセレンフィリティが突っ込んで行った。
 セレンフィリティが幾らいい加減だからと言っても、左右に杖をブンブン振っているのはただ考え無しな行動では無い。
 それによって追い払われた蟲たちをエレナが召還したリヴァイアサンに飲み込ませているのだ。
(いよいよとなったら、封印の魔石にキアラさんを一時的に収容してでも――という選択肢も考えましたが……)
 皆が連携して動いているので、そこまではする必要はなさそうだとエレナは判断する。
「とはいえ……」
 進むべき場所は分かっていた。
 しかしスカラベの数が余りにも大量で、恐らくその付近まで辿り着いているのだろうが、石盤を置くべき場所を探すのに思ったより手間取ってしまう。
 セレンフィリティが仕方ないと広範囲を焼き払い、一気に群れを消すが、次の瞬間には部屋はまた蟲だらけ。このままでは埒が空かないだろう。
 そんな間も、天井では佐那が炎を纏った聖獣を周囲に走らせて蟲との距離をとりながら、コインに電磁加速を加えたもので大群を吹き飛ばしている。
「後ろからきたところで――!」そんなものは無駄なのだと、佐那は激しい火花で背中を狙った蟲を電気の力で焼尽した。
 と、パートナーが天井で孤軍奮闘する見ていたエレナは気付いた。佐那の背中を狙って飛んでくるスカラベの出現位置だ。
(壁の隙間から――!)
 エレナは素早くフライングボードに飛び乗ると、佐那を囲む蟲を追い散らして見つけた箇所の周囲に吹雪を吹き荒れさせた。
 そして数秒もしないうち、穴が氷結し塞がると、エレナはやっと動きを止めた佐那へ振り返る。
「一時凌ぎですが、時間稼ぎになる筈」
 頷きあってキアラたちを見れば、やっと石盤を置く場所を見つけたようだ。だがそれだけはさせないと蟲の大群は、そこに集中しだした。
「なんつー邪魔な……」
 セレンフィリティが忌々しげに眉を顰めるのに、セレアナが「囮を……一カ所に集中させるような手が有れば」と呟いた時だ。
 何かに思い当たった顔で、武尊が非物質化していた『あるもの』をとりだし、サイコキネシスで向こうへそれをぶん投げた。
 群れの動きはワー!!っという勢いだった。
 皆が眼を丸くしている間に、全てのスカラベが武尊の投げた『あるもの』の方へ向かって行った隙に、ソフィアがキアラに眼を開ける様に合図する。
「了解っス!」
 石盤を元あった祭壇に戻して、キアラは中央の――絵なのか文字なのか彼女には分からないが、力を感じられる箇所に指先から掌をひたりとつけた。
 その動きにスカラベの何匹かが彼女を狙って飛んできたが、かつみが渡していた融合機晶石の力が瞬間電流が走るように跳ね返す。
 ――今こそ皆に守って貰った分を返す時。
 高めた集中力で魔法を掌に集めると、キアラの瞳と同じ緑色の魔法光が爆発するように部屋を包み込み、収束するのだった。



 隣でぼやぼやと光る石盤を一瞥して、キアラは明るくなった部屋を眺めていた。
「どういう事なんスかね。あの蟲、全部灰になっちゃうなんて……」
「不思議ね」
 ソフィアが言うのに頷いたキアラは、ふと思い当たった疑問を口にした。
「ねぇねぇ、さっき武尊君が投げたの。
 あれなんだったんスか?」
 そういえば誰も詳細を見ていない。
 答えを貰おうと一斉に視線がくるのに、武尊は皆へ向き直った。
「恐竜の糞だ。
 はじめはキアラ嬢が卒倒するかと思って……奥の手だったんだけどな」
 武尊の目元はサングラス型の通信機で黒くなっている為、どういう表情をしているのか分からないところがある。
 言葉自体はしれっとしたものだったが、それまで完璧な連携を見せていた仲間達が一歩、一歩と後ろへ引いていく。
「……なんだよ」
「え、別に。何も。無いっスよね、皆?」
 キアラの言葉に皆がウンウンと頷くが、武尊が急に動き出した瞬間、
 部屋には何処か楽しげな悲鳴が上がるのだった。