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リアクション
【最奥を目指して・2】
その頃、封じられた扉の前では、クローディスが扉の絵に向かって指を這わせていた。
「独特な古代語だな……文法的にいえば、この絵が……」
ぶつぶつと呟いているのも自覚の無いほど、没頭しているクローディスの言葉を忍野 ポチの助(おしの・ぽちのすけ)肉球でどうやって――というスピードで情報処理に特化した小型コンピューターに打ち込んでいく。
「遺跡の謎ですか……。
ふふん。僕の超優秀な頭脳を駆使すれば、どんな謎も余裕で解き明かしてみせますよ!」
何時ものように自信満々で口上を述べていたポチの助。一見邪魔になっているのではと疑ってしまうような光景だが、クローディスがふと動きを止めれば「この部分ですね」と画面を素早く見せたりと、一応の役にはたっているようだ。
その傍では、タマーラが熱心にその様子を見守っていた。タマーラが気に入って読んでいた例のツタンカーメンの本の中の研究者達と同じようにして、クローディスが遺跡の謎――絵であるとか文字であるとか――に挑んでいる姿に、興味を抱かないわけが無い。
「はぁ〜〜〜真剣な天使ちゃん、やっぱり可愛いわぁ……」
黙っていればお人形さん、な少女が目を輝かせてじっとしている光景に双眸を緩ませながら、ニキータ・エリザロフ(にきーた・えりざろふ)は「ほんと、連れてきて正解だったわねえ」と改めてしみじみと頷いた。
「それにしても、この状況。あなたがいるとやっぱり、って思うわね。事件現場に、必ず探偵がいるようなものよね……」
呟く言葉を耳に拾って、クローディスは苦笑した。
「耳に痛いな……別に、事件を起こして回ってるわけじゃないんだが」
そうは言いながらも、行く先々でトラブルの渦中にいる自覚はある様子に、ニキータは笑って周囲を軽く見回した。
「今日は、ツライッツやチェイニは一緒じゃないのかしら?」
「二人とも、外でお留守番中だ」
他の調査団の面々と同じく、外の魔法によって、分断されてしまっているのだ。なるほどね、と肩を竦めたニキータは、もう一度見回した視線の先で、見覚えの無いデザインの軍服を見つけて、にっこりと笑いかけた。
「シャンバラ教導団のニキータ・エリザロフよ。よろしくねぇ。って、あらっ」
自己紹介に頭を下げたニキータは、その隣の豊美ちゃんに気がついて、しゃがみこんでその顔を確認すると同時に歓声を上げた。何しろ、可愛い子には目が無い性なのだ。
「可愛いわね。メイクとか興味ない?」
言いながら、豊美ちゃんのすべすべそうな肌が気になってか、ニキータが頬を挟み込もうとするように、両手を伸ばした。
「メイク、ですか? そうですね……」
ふにふに、とニキータに頬を触られながら、豊美ちゃんがちら、とアレクを見て、視線を戻して言う。
「上手にできたら、私、可愛く見られますか?」
それが誰に向けられた言葉なのかは良く分からない。
ただ「このままだって充分に可愛い」と、そんな在り来りの言葉を吐くのをアレクは止めた。
大体永遠の少女というのはどういうものなんだろうか。身体の成長を止め、しかし精神だけは時を重ねる。大人であって、大人で無いという感覚を、(一応)人間であるアレクには理解出来ないのだ。
豊美ちゃんが女性らしく化粧をする。ただそれだけの事を考えるだけで頭の中がグルグルと回り訳が分からなくなりそうだったので、アレクは取り敢えず豊美ちゃんを抱きしめる事にした。
「わっ、あ、アレクさん!?」
急に抱きしめられた豊美ちゃんが、アレクの胸の中で驚いた声をあげる。その声でアレクは、慣れているというか、殆ど遺伝子に組み込まれているような愛情を示す為のコミュニケーションであるハグが、豊美ちゃんを含む大体の日本人を戸惑わせる結果になることを思い出し「ごめん」と身を引きかけた。
咄嗟の行動だったが、アレクは腕に抵抗を覚えて動きを止める。見れば豊美ちゃんが、アレクの手を両手で掴んでいた。
「違うんです、アレクさん。今のはイヤだとかじゃなくて、びっくりしただけなんです。
私、アレクさんに抱きしめられるの、イヤじゃないです。だから――」
アレクの手を握ったまま、豊美ちゃんが笑顔を浮かべる。
「今度からはその、先に一言言ってくれると、嬉しいです」
「わかった。ちゃんとハグしていいか確認してからする」
アレクは従順な犬のような目で答えて、一瞬で忘れてもう一度ぎゅっと小さな身体を抱きしめた。
「豊美ちゃんはこのままでも可愛いし、化粧をしてもきっと可愛い、子供のままじゃなくて大人になっても可愛いんじゃないかと思うし、英霊でも魔法少女でもなくてただの人間だって可愛いんだろうけど――、豊美ちゃん、俺はそのままのあなたが好きだよ」
ゲシュタルト崩壊した言葉を豊美ちゃんがどれだけ受け取ってくれたのかは定かでは無いが、兎に角他人には伝わり難いこの二人のやり取りはこれにて終了し、絆はまた深まった……のだろう。
「ふわふわしててまた可愛いわー、あたしも天使ちゃんとぎゅってしたくなっちゃった」
他人の行動すらかこつけたニキータの天使ちゃん発言に、タマーラの眉が僅かに寄っていたが、丁度その顔は扉に向かっていて見えなかったからか、ニキータは気付かないまま、豊美ちゃんとタマーラの二人を見比べるようにしてうっとりと息をついた。
「うちの天使ちゃんも、豊美ちゃんも、ほんっとう可愛いわあ。そう思いません?」
唐突にこちらへ振られて、アレクはどう答えたものかよく分からない。アレクにとって豊美ちゃんが可愛いのはイコール『宇宙ヤバイ』位当たり前の事実過ぎるのだ。
取り敢えず頷いておくと、ニキータは調子付いて更に続ける。
「あの髪の毛。それからやわらかそうなお肌。くりっとした目! どれをとっても可愛いわー」
その内、爪の形がどうのこうの、まつげがどうのこうのと語りまくるのにつれ、タマーラの背中から『なにか』が吹き出しているのに、アレクは気づいた。あの『なにか』はアレクも良く知っているものだ。
「うちの養女が出してるのと同じやつだ」
「何がですか?」
豊美ちゃんが不思議そうな顔で見上げるのに、アレクは答えず今後の展開に思いを巡らせていた。「伍長可愛いよ伍長」「伍長マジ天使」「伍長の可愛らしさは正義」そんな風に口を滑らせたが最後、件の兵士たちがどうなったかは風の噂で聞いている。
「ああいうのは不用意に近付いたりすると厄介なんだ」
状況が未だ飲み込めていないままの豊美ちゃんにそう耳打ちすると、アレクは豊美ちゃんの手をとって自然を装い向こう側へ足を運んで行った。
「調子はどうだ」
なにやら修羅場な空気が傍で展開しているとはいざ知らず、扉の絵を解読し終えたクローディスは、アレクの声に後ろへ振りかえった。
「必要な部分は大体わかった。石盤からの力を、この位置へ接続し……この絵の並びをなぞることで、扉の封印が解ける筈だ」
クローディスはそう言って、指先で絵文字の上をなぞった。どうやら、それが解呪の並びになっているらしい。
どうしてそうなるのかについてはどうでもいいし、聞いても分からないだろう。アレクが「ふぅん」と適当な反応を返した所で、クローディスは豊美ちゃんへ視線を向ける。
「豊美ちゃん、君の力が必要だ――頼めるか?」
「はい、任せてくださいですー」
笑顔で頷いて、豊美ちゃんが石盤を前に立ち、その小さな手で石盤の文字をなぞり始める。触れた箇所がぼうっ、と光を発し、魔力が蓄えられていく様子が見て取れた。
そんな様子をフレンディス・ティラ(ふれんでぃす・てぃら)が不安そうな表情で窺っているのに気づいて、アレクはそちらへ足を向けた。
「アレックスさん、ジゼルさんは大丈夫なのですか!?」
件の異変の直後にアレクが舌打ちしながら「ジゼルとの交信が遮断された」と口から出した事で、フレンディスは頭が一杯になっていたのだ。
ツライッツからの伝言ではジゼルは急に倒れ、誰かに憑依された様子に見えるとの事だった。それが奈落人であるのか、或は全く別の現象であるのかは分からない。ただパートナーであるアレクが息災であるのだから、そこまで不安になる必要はないのだが、それでも何時何が起きるか分からない状況だと考えれば考える程、フレンディスはトレードマークの超感覚の耳をへたれさせてしまう。
そんな彼女の気持ちを汲み取って、アレクはフレンディスの耳を摘んで上に戻した。
「今はもう戻ってきたってさ。ハインツと真が傍についていてくれてるよ」
言葉の最後にアレクの目が細められたのに、フレンディスは顔がぱっと明るくして隣のベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)に目配せした。
「な。あんま心配する程じゃねぇって言ったろ?」
「はい! それでは一刻も早く――えぇと……アッシュさん?
今度こそあの殿方を抹殺してジゼルさん達の元へ帰りましょう!」
パートナーの笑顔の発言に思わずズコッと転んでしまいそうになりながら、ベルクは首を横に振った。
「古代遺跡に魔術絡み。
これだけなら俺としても興味深ぇ内容なんだが、『アッシュ似の何か』という単語があるだけでどうしようもねぇほど残念で厭な予感しかねぇのは何故だろうな……」
「アニマルパニック、エド、ローマ、本物のアッシュが起こしたのは農園のバカ騒ぎだけだが……これで良い予感がするならお前、脳の中身を取り替えた方が良いぜベルク。
お前もあの時フレンディスのぱんつ被っとけば良かったんだよ。そうしたらもっと忘れられない思い出が植え付けられたのにな、ヒヒッ」
皮肉っぽい笑顔にベルクが「冗談じゃない」と返していると、高柳 陣(たかやなぎ・じん)が二人の間に入る。
「実はそのぱんつの事なんだけどアレク、悪い。ティエンにお前がぱんつ被って戦ったこと知られちまった。
これでお前から妹が1人消えたら俺のせいだ良かったな」
続いて長身の男達の中に小さなティエン・シア(てぃえん・しあ)がやってきた。それだけで空気は華やいだが、何処か重くもなる。その重さを唇にのせながら、ティエンがこちらを見たのに、アレクは膝を曲げて彼女に目線を合わせた。
「こんな場所で言うのもって思うんだけど、アレクお兄ちゃんに言うね。
僕、アレクお兄ちゃんが変態さんって知って、いっぱい考えたんだ」
アレクは口を噤んだまま、ベルクに密かに目配せした。
[考えるところなのか?]と、要するに突っ込んでやったら的なテレパシーがくるのに、ベルクは首を横に振った。ぱんつを頭に被って戦ったのはやむを得ない事情があったし、その行為をあの世界に強要されたのはアレク一人だけではないが、アレクサンダルという男が変態なのはどうしようもなく事実なのだから黙って聞けという意味だ。
「それでね、たとえ変態さんでも、優しくって強くって、僕の第一お兄ちゃんって言ってくれたアレクお兄ちゃん、大好きだよ」
「って、ティエン、こいつの変態行為認めんのかよ! お前、懐深すぎるんじゃないか?」
陣の突っ込みは早い。ベルクもガクッと落ちた額を抑えているが、ティエンは気にする様子は無かった。
屈んだままのアレクにそろそろと近付くと、どうせまともに見えないのだからと無造作に伸ばされた黒い前髪を小さな指先で退けて、露になった額にそっと口付ける。
それはまじないの類いであり、ティエンなりにアレクへの親愛の情を改めて示したのだろうが、陣とベルクは顔を見合わせて「だめだこりゃ」と言う表情を作っていた。
「お兄ちゃんに光の加護がありますように。豊美ちゃんを守ってね! それと……」
一度区切りをつけて、そして決心してティエンは言った。
「お兄ちゃん…ぱんつ頭に被ると強くなるんでしょう?
恥かしいけど……僕のでよかったらいつでも言ってね」
照れ笑いを浮かべるティエンにアレクは息を吐き出し、「それについては誤解がある」と弁解というよりも事実を淡々と述べる。
「確かに俺はロミスカという異世界で豊美ちゃんのぱんつとブラジャーを装着し戦った。
だが、あの異世界はぱんつを被る事で力が増強される――むしろぱんつを被らなければ契約者ですらどうにもならないような世界。
だからあそこに居るカガチも、羽純も、戦場に赴く為にパートナーのぱんつを被ったんだ」
唐突に思い出したく無い事を思い出させられた事で、羽純の後ろ姿が跳ねる。それに気付かないアレクでは無い。
「そう、あのイケメンが! 羽純くんが! 奥さんの! 歌菜のぱんつを頭に被って――」「もういいだろアレク!!」
勘弁してくれという声に、「そうだな、ここは関係無いか」と底意地の悪い笑顔をしまってアレクは続ける。
「……俺達は彼女達にぱんつを託された事を誇りに思うし、同時に信じてくれた女性達の勇気は讃えられるべきだと思う。
しかしティエン、聞きなさい。
ぱんつは軽々しく誰かにあげていいものではない。
お前のファーストぱんつは、大事にとっておいて、いつか『この人になら』という大切な人が出来たら託すんだよ」
アレクの真剣な眼差しに、ティエンも「分かったよ、お兄ちゃん」と真剣に頷いている。
だが会話としてはスムーズでも、人間としてはおかしい。
「ファーストぱんつってなんだよ!」「あんな世界何度も行ってたまるか!」
陣とベルクが反射的に突っ込みを入れたのに、ユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)は「あの二人も大概よね」と呆れ声を出していた。
豊美ちゃんの指が、石盤の最後の文字まで触れる。すると石盤はひときわ大きな光を発し始めた。
「あっ、これは……」
「ん、どうした、豊美ちゃん」
クローディスの問いに、豊美ちゃんが嬉しそうな顔で答える。
「2つの強く、温かな魔力が感じられたんです。きっと魔穂香さんとキアラさんも、無事に石盤の魔法を発動できたんですね。
……では、これらの魔法を用いて、遺跡の封印を解除します」
石盤に向き直り、豊美ちゃんが手をかざす。豊美ちゃんから発された桃色の魔力が石盤の魔法を解き放ち、別の場所からやって来た青色の魔力光と緑色の魔力光と重なり合って一つの大きな魔力光へと変わったかと思うと、上空で弾けて遺跡の各地へと飛んで行く。
「……ふぅ。封印の解除、終わりましたー」
息を吐いて、豊美ちゃんが封印の解除が終わったことを報告する。ここと同じ別の部屋へ石盤を持って向かった魔穂香とキアラも、いずれこちらへ合流を図るだろう。
「よし、行こう。アッシュホテップとディミクスナムーンはこの先だ」
クローディスが皆へ声をかける。歩き出す皆の中で二人、『アッシュ』という単語を聞いて足を止める者たちが居た。
「……アッシュ……ホテップ……」
自分なりに、対策はしていたつもりだった。大学の課題レポート作成のためこの遺跡を訪れた所に豊美ちゃんたちの姿を認め、これはきっと何か嫌な事が起きる、と念を入れていたはずだった。
けれど、『アッシュ』という単語を耳にした途端、綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)は『綾原さゆみ』の心が急速に『死んでいく』のを感じた。抗いようのない感覚にさゆみは身を委ね、やがて普段の美少女の面影を微塵も残さない、陰惨で今すぐにでも事を起こしそうな凶悪な笑みを浮かべた者へと変貌する。
「ひぇひぇひぇ……」
口から妖しい笑いを零しながら、再びさゆみが部屋の奥へ、中心部へ向けて歩き出す。そしてもう一人、さゆみを傍で見守ってきたアデリーヌ・シャントルイユ(あでりーぬ・しゃんとるいゆ)もまた、自分の心が息を潜め、代わりに別の自分が現れるのを自覚する。
(あぁ……またしてもわたくしは、最愛の人が心を壊す瞬間を見なければならない)
(……この世に神なんてものはいない。救ってくれるものはいない。ならばわたくしが、さゆみを苦しめるアッシュだかアッシュもどきに罰を与えよう)
そうして現れたアデリーヌは、元が吸血鬼だからなのか、さゆみよりもよっぽど凄みのある立ち振る舞いをしていた。さゆみほど狂しておらず、けれど明確な殺意を秘めた視線が、前を歩いていた豊美ちゃんの背中にたまたま突き刺さる。
「ひゃあ」
声をあげた豊美ちゃんを、アレクがどうしたの、と言った風に見る。
「あ、いえ、背中に冷たいものを感じちゃったので。大丈夫ですー」
心配させないように言葉を紡いで、豊美ちゃんが歩き出す。背後で立ち昇る殺意に気付かぬまま――。
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