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一会→十会――絆を断たれた契約者――

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一会→十会――絆を断たれた契約者――

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【魔法世界の採石場: ある日の夜】


 異世界で契約者達を待ち構えていた強制労働。
 だが幾ら奴隷扱いされているとは言え、終日働き詰め――という訳ではない。監査官の方が休めないからだ。
 そんな訳で夜になれば、契約者達はお世辞にも部屋とは言えない牢獄のような場所に押し込まれていた。
 豊美ちゃんのように体力を持たない者から倒れる様に眠りにつく中、アレクは監査官の目も届かないような部屋の端まで行き、石膏に似た石を片手に壁を見つめていた。
 壁にはたった今つけたばかりのものと一緒に、無数の白いバツ印が並んでいる。

「これは何だい?」
 背中に掛けられた声は東條 葵(とうじょう・あおい)のものだった。二人を繋ぐ葵のパートナーがパラミタへ逃げ切れた事から、アレクと葵は元々持っていた関係性を失っているが、似たような特徴を持つ容姿から互いに気に掛けていた為、この世界でも何度か言葉を交わしてた。
「日付だよ、……多分」
「多分ってなんだよ」
 こちらはベルク・ウェルナート(べるく・うぇるなーと)で、矢張り記憶を失っているものの、アレクとは既に友人関係まで築いていた。どう言う訳だかベルクはアレクから天然ボケのような発言が飛び出す度に、突っ込みを入れ無いと気が済まないらしい。もっとも原因を思い出そうとすれば頭痛どころか『胃痛』まで邪魔するため、突っ込み病の理由は不明の侭だったが。
「合ってればの話なんだ。
 始業から終業を一日とするなら」
「ふぅん」
 此れを付ける事に何の意味が有るのか。それは後で聞くとして、葵は印の数をざっと計算する。
「……一年過ぎてるね。何から?」
「俺がココに着てから」
 アレクの言葉に、彼等の話に聞き耳を立てていた幾人かの仲間が反応する。
 実際のところ異世界の時間の経過感覚は、パラミタよりも遥かに早い。
 契約者たちは契約に関する記憶の消滅や、この常人では掴み辛い時間の感覚に、『何時何故どうやってここにきたのか』という記憶を、殆どが失っていた。
「私はここに来るまで何をしていたのか、思い出せません」
 枝々咲 色花(ししざき・しきか)は目を伏せて呟く。
「……ですが、何かもやもやと心の中に霧が出ているみたいで気分が悪いです。
 私の隣には誰かがいた……?」
「あたしなんか、どうしてここへ来たのかさえ覚えてないよ」
 自重気味に、カラ元気のように笑ってみせたのはミルディア・ディスティン(みるでぃあ・でぃすてぃん)だ。本来ならば不安になって然るべき状況だが、彼女の人格を認め、慰め許したパートナーの存在が記憶から消えた今、ミルディアは流されるままの受動的な人物へ変化していた。
「あたしはたぶんみんなと一緒に『その他大勢』で連れられてきたんだろうなぁ。
 でももうあたしが自分で判断できるところなんてとうに吹っ切れてるし、もう流されて生きていけばいいよね?」
 諦め、赤い瞳を閉じれば、何かがミルディアの心の中に引っかかった。その何かは、彼女の心を揺さぶってくる。そうじゃない、と。ミルディアは無価値な人間ではない!と言ってくれる気がする。
 (――ああ、確か誰かあたしを認めてくれたような……でも、思い出せないならどうでもいいことなんだね)
 影月 銀(かげつき・しろがね)は、仲間のささめきに僅かに視線を上げる。
「俺も採石場に来る前、何をしていたのか全く思い出せない……
 が、正直どうでもいい。気力が湧かない」
 素っ気ない言葉を吐いて、銀は離れた場所で眠るミシェル・ジェレシード(みしぇる・じぇれしーど)へ顔を向けた。ミシェルの方も半身起き上がり、銀を見つめる。二人は本来、パートナー関係にあったのだ。絆を断ち切られたとはいえ、引っかかる部分は大きい。
(どうでもいい、だが……あの長身の女のことだけが、何故か気にかかる。気が付けば目で追っているし、あの女が監査官に殴られそうになっているのを見れば、体が勝手に庇いに行ってしまう。
 ――何故だ。あの女が死んだ幼馴染に似ているからか?)
(ここはすごく怖いところ。
 だけど、私が危ない目に遭った時はいつも銀髪の人が助けてくれる。
 でも、お礼を言おうと思っても、いつも無視されるか追い返されるかなの…………)
 絡み合う視線に、銀は気まずそうにふいっとそっぽを向いてしまう。ミシェルと顔を合わせる度生まれるこのもやもやとした感覚がもどかしく、どうしようもなかったのだ。
「どうしてここへ来たのか……ですよね」
 紫月 唯斗(しづき・ゆいと)の声に、銀は意識がミシェルに囚われていた事を誤摩化す様に目を閉じて、それきり眠ったふりを続ける事にした。
 監査官達は契約者達が会話をする事を快く思わない。だから彼等は潜めた声で、会話を続ける。
「私も全く思い出せません。
 確か、会社帰りだったはず……なぜこのような場所で働いているのか…………」
 契約の全てを忘れた結果、唯斗の中に残ったのは契約者になる前の、会社員だった頃の記憶だ。
 弱気で消極的、丁寧な口調で話す柔らかい物腰の青年は、皆が知る唯斗からかけ離れているが、誰もが記憶が曖昧な今、それを疑問に思うものは居ない。アレクも当たり前のように彼の言葉に頷いていた。
「俺もココへきた日ってどうだったのか、はっきり思い出せないけどさ。確かに印はあの日からつけてたからな。
 せめてそこだけは忘れない様にしたんだ、間違い無いと思う」
「皆どういう経緯で奴隷になったか知らないけど、
 いい人ばかりだよね」
 見上げるジブリール・ティラ(じぶりーる・てぃら)は、これが結果なら仕方ないと割り切っているのか、何時も悲観せず飄々とした子供だ。
 こういう時こそ大人がしっかりしなければならないのに、思わぬタイミングで子供に救われて、皆は沈んでいた気持ちを切り替える。
「そうだな」と膝を折り、視線を合わせて『問題無いよ』と安心させるように微笑むと、アレクはもう一度大人達の方へ顔を上げた。
「でも、何時きたのかすら覚えてないなんてヘンだよな。すごく変。
 大事な事を忘れてる気がするんだよ。でも……なんだったかなぁ?」
 小首を傾げたアレクは、リカイン・フェルマータ(りかいん・ふぇるまーた)の膝で、スヴェントヴィトを抱きしめ眠る豊美ちゃんを見ていた。
 彼女は妹。リカインは姉。
 互いに何かあれば助け合おうという義姉兄妹の契りは、強制労働の中で築いた唯一のものだ。
(家族か……)
 薄ぼんやりとした記憶の中で、血の繋がった妹が居たのは覚えているが。
「誰か、他にも大事な人が――」
 言いかけたアレクに、足下で寝ていた女が薄い茶色の髪振り乱しながらガバッと起きあがった。ユピリア・クォーレ(ゆぴりあ・くぉーれ)だ。
「それは前世での恋人よ!!」
「ぜ……んせ? の、恋人?」
「そうよ、私にもいるわ。
 暗い採石場の中、時折見かける赤毛の人。
 どこかで出会った気がするのに、思い出せない……」
 暗闇の中で、高柳 陣(たかやなぎ・じん)がぶるりと震える。記憶を失おうとも、声が聞こえなくとも、条件反射……否、生存本能的な何かがあるのだろう。
「あれってもしかして……? 考えたら納得がいったわ!
 そう、つまり彼は私の前世での恋人なのよ!
 長い沈黙のあと、アレクが「うん」と困った笑顔で頷くと、ユピリアは満足そうに話――正しくは妄想――を続けた。
「世間から許される事のない愛。
 逃避行の果てに尽きる命の炎。
 互いのぬくもりだけを感じながら、来世で結ばれる事を願い眠りについたのよ!」
「…………う……うん」
「他にもどこかであったことがある人がいるような気がするけれど、気のせいね」
「そうだと……思うよ?
 少なくとも俺は、あなたとは知り合いじゃなかったと思う」
 ――こんな変な女、知り合いだったら困る。
 願望を言葉の裏に隠して、アレクはにっこり微笑んだ。
 しかし皆の表情は優れない。契約者達は過酷な労働に疲れきっていた。彼等が同じ部屋に閉じ込められるという絶好の機会を与えられても発起しないのは、『毎日がこうだから』というのもあるのだ。
(折角何かを掴めそうだったけど……)
 仕方ないと諦めたアレクは、労をねぎらうような笑顔で皆の顔を見る。
「さて。無理はよくないな。
 俺達皆疲れてるんだ。とりあえず今日はもう休もう」
 互いに名前さえ覚えていない。
 異世界に着た契約者達を結ぶのは何となくの関係だったが、そのお陰で自然と一番体力が有るアレクがリーダーである、と誰もが認識していた為、彼が声を掛けるだけで皆もぞもぞと祖末な布をかぶり就寝につく。
 ただ一人、綾原 さゆみ(あやはら・さゆみ)を除いては……。

「さゆみ、やめたほうがいい。あんな事しても無意味だよ。
 あなたはもっと自分を大切にすべきだ」
「五月蝿い、邪魔するんじゃないわよ!」
 近付いてきたアレクを睨み威嚇するさゆみは今、パラミタでアイドルをしていた輝かしい姿は見る影もなくなっていた。
 勿論美しさの全ては損なわれなかったが、荒廃しきった精神を現す様に髪は痛み、土と汗にまみれている。
「それともなに……あんたが相手してくれるって訳?」
 頬を怪しく撫でる手を軽く払い、アレクは首を振って歩き出す。さゆみの悪い遊びは、日を増すごとに悪化している。
 それで気持ちが軽くなるのならまだいいが、アレクの目にはどうしてもそうは思えなかった。
(……あんな事をしても、傷つくのは彼女なのに)
 虚しさを感じながら踵を返して、姉妹の横に座り込んだ。
 寝息をたてるリカインの顔色は悪く、以前よりも頬が痩けている。
 彼女は何時もアレクに笑顔を見せ「大丈夫」というが、虚勢を張っているのは分かっていた。
 向こうで身体の弱いグラキエス・エンドロア(ぐらきえす・えんどろあ)が咳き込んでいる。
 あの身体の弱い青年が倒れるたび、何時も――アレクはどう言う訳かその顔を見ていると何故か引倒して踏みつけたくなる衝動に駆られる――ウルディカ・ウォークライ(うるでぃか・うぉーくらい)という男が介抱しているから、わざわざアレクが立ち上がる必要はないだろうが、グラキエスの状態がよくないのは互いの顔をある程度しか認識していない契約者達の中にあって、誰もが知るところだった。
「……大丈夫かな」
 と呟いていると、近くの布の塊がモゾモゾ動いてこちらまでやってきた。
「ねえ」
 顰めた声で言って、布からちょこんと顔を出したジブリールの上半身を、アレクは自分の膝の上に引っ張り上げる。膝枕をするような体勢になったが、これがどうしてしっくりくる気がしてならない。失った生活の中でこんな風に小さな子供を守っていた事が、かつてあったのだろうか。
「あのお兄さん、死んじゃいそうで心配」
「うん」
「この間も血を吐いてたんだ」
「ココは土埃だらけで空気が悪いからな」
「何度も倒れてるみたいだし」
「――もう寝な」
 グラキエスの居る方へチラチラと視線を向けるジブリールの肩を叩いて、アレクは考える。
 アレクや、童顔のくせにしっかりした筋肉を持った椎名 真(しいな・まこと)のように、元々の資本が違うものはどれだけ亜人にこきを使われても肉体的に限界を迎える事は無いが、近頃は殆どの仲間が壁を感じ始めているようだ。
 皆もう限界なのだろう。グラキエスなどは様子を見る限り、最早時間の問題に思われる。
「こんな事……何時迄続くんだろう…………」
 視界に映る黒い鉄格子を見つめていると、段々と瞼が落ちてきた。
 疲労と眠気に従って瞳を閉じた矢先、黒く塗りつぶされたそこに何かが――誰かが見えて慌てて目を見開くが、その時にはもう『誰か』の姿は思い出せなくなっていた。
「夢?」
 はたと見開いた目に、こちらへ振り返る少年が映った。
 千返 ナオ(ちがえ・なお)が、アレクの顔を見つめて首を横に振る。
「夢じゃないです」
 監察官に見つからぬ様に小さな声だというのに、はっきり響いた。
「俺に優しくしてくれた、大事な人たちがいたような気がしたけどあれは夢だったのかな……?
 って俺もそう思ってました。
 でもさっきの皆の話を聞いていて、思い出しました。
夢なんかじゃない。俺たちはちゃんとそばにいるから。
 仮に夢だったとしても、絶対助けにいくから……

 そういう言葉を、誰かが俺にくれたんです」