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第五試合

――第四試合が終わり次の試合の為の準備が行われた。
 蛍光灯の破片と選手が流した血の清掃が終わり、リングは元の姿へと戻る。
 だがまた『普通』とは言い難いオブジェクトがリング中央に鎮座していた。
 それは棺桶であった。人一人が十分に入れるほどの大きさで、ドアの様な蓋が中に入る者を待ち受けている。まるで口を開けて獲物を待ち構えているようだ。
――棺桶マッチ。通常のプロレスルールとは異なり、フォールやギブアップによる裁定は無い。
 勝敗を決するのは棺桶。対戦相手を痛めつけ、棺桶に入れた方が勝者となる。

「で、うちのタコ八郎の試合が次、と」
 観客席。ラブ・リトル(らぶ・りとる)の言葉にコア・ハーティオン(こあ・はーてぃおん)が「うむ」と頷く。
 2人が居るのはリングサイドに近い関係者用の席である。次に行われる試合の選手である忍者超人 オクトパスマン(にんじゃちょうじん・おくとぱすまん)の関係者ということでこの席に着いている。ちなみにラブの言う『タコ八郎』とは言わずもがな、オクトパスマンのことである。
「で、あれが対戦相手のビリー・ミラーって人、と」
 ラブが入場するビリー・ミラーこと弁天屋 菊(べんてんや・きく)を見て呟く。
 菊はプロレスマスクを被り、鎖で繋がれた墓石を引き摺る様にして花道を歩いていた。よく見ると墓石にはオクトパスマンの名前が刻まれていた。
「うむ……ビリー・ミラー……一体何者なのだろうか……」
 コアが唸りつつ呟く。菊は背中が透明という特殊なコスチュームを纏っており、背中の弁財天が全く隠れていない為知っている人が見ればすぐに正体に気付きそうであるが、マスクを着けている為「一体何者なんだ……」となるのだ。
「くっくっく……キマクの穴出身のビリー・ミラーが相手とは、ついてないねぇ」
 コア達の隣に座っていたガガ・ギギ(がが・ぎぎ)が不敵な笑みを浮かべる。
「ん、なーに? あなたアレの関係者?」
 ラブの問いに「まぁね」とガガが頷く。
「しかしついてないねぇ、相手のオクトパスマンとやらは……あの挽擂料技の使い手、ビリー・ミラーが相手なんだから、同情したくもなるってもんよ」
「何!? 挽擂料技だと!?」
「え、知ってるのハーティオン?」
 驚き慄くコアに、然も面倒くさそうにラブが合わせる。

――挽擂料技(ばんらいりょうぎ)。
 道教の聖地である5山の総称五岳の1つ、南岳衡山に伝わる料理の流派である。
 バットを用いる事を真髄とし、独特なバット叩きで肉を柔らかくし絶妙の挽肉、擂身料理を作ったり、粉を挽く技術である。
 また道具がバットである為、その叩きを野球の打撃に応用した技も存在する。これをパラ実的本末転倒という。
 余談ではあるが、この料理の流派にその身を捧げ、ゆで卵作りに於いて右に出る者は居ないとまで言われたバンライ=エージという人物が野球の技術に応用し始めたとされ、奥義【ゆでたまごボール】で奪三振記録を樹立したのは一部では有名な話である。
(たみあき書房【ゆでたまごでも食ってろ〜ぼかぁピッチャーや言うのにほんばにぼー〜】より)


「何を言っているかさっぱりわかんない」
 ラブの言う通りである。だがコアは「これは強敵だな……」と一人慄いている。どういうことなの。
「てかあの人、その話通りならバット持ってないと駄目なんじゃないの?」
 ラブがそう言ってリングに視線を向ける。自軍コーナーに佇む菊の傍らには運んできた墓石はあるが、バッドの様な物は見当たらない。
「それならここにあるよ」
 ガガが何処からか木製バットを取り出した。麺棒の代わりなのだろう。
「いやあなたが持っててどうすんのよ」
「必要な時が来たら渡すよ。まぁ、あのビリー・ミラーはバットが無くともその料理の腕で――」
 ガガの言葉を遮る様に、観客席からどよめきの声が起こる。
「スミスミスミィーッ! 油断してんじゃねぇーッ!」
 突如、リング上に姿を現したオクトパスマンが【テンタクルスティンガー】で菊を斬り付けたのだ。
「おー、やってるやってる。あのタコ八郎、生粋のヒールよねぇ」
 突然の事に混乱しつつもレフェリーが合図を出し、ゴングが鳴らされるのであった。

【隠形の術】を用いて姿を隠し入場し、奇襲に成功したオクトパスマンは【テンタクルスティンガー】で何度も菊を斬り付ける。
 どよめいていた観客席からは、その卑劣な行為に次第にブーイングの声が強くなる。
「へっ、この四角いマットの上じゃ正義も悪魔も残虐も完璧も関係ねぇ〜!」
 観客席に悪態をつくと、オクトパスマンは斬り付けられ蹲る菊に一気に勝負をかけようとオクトパスホールドを仕掛ける。
 身体全体の関節が悲鳴を上げ、菊の口からも苦悶の声が漏れる。
「この四角いマットの上じゃ強い奴だけが正しいんだよ! シンプルでいいじゃねぇか! なぁ?!」
 絞り上げながらオクトパスマンが叫ぶ。
「ああ……確かにそうだよ……なぁッ!」
 極められていない腕を動かし、懐から瓶のような物を取り出すと菊は粉末の様な中身をオクトパスマンにかける。
「ぐぉあッ!?」
 粉末の様な物をかけられ、次第に顔に熱さのような痛みを感じたオクトパスマンは思わず拘束を解く。
「賞味期限切れの一味唐辛子は効くよなぁ? 調味料として本懐を遂げられなかったこいつの悔しさを噛み締めろ!」
 菊はそう言うと駄目押しとばかりにオクトパスマンの顔を狙い、一味唐辛子を振りつける。
 唐辛子を浴びたオクトパスマンは顔面を押さえ、苦しそうな呻き声を上げる。そのオクトパスマンを引き起こすと、菊は張り手を放つ。
 二度、三度と掌を叩きつけると、菊はオクトパスマンを抱え上げ、ボディスラムで叩きつける。
 先程のブーイングが一気に歓声に変わる。更に追い打ちをかけようと、菊がオクトパスマンを再度引き起こす。
「そぉれもう一丁!」
 そしてボディスラムでリングに叩きつける。更に引き起こすと、今度は菊はロープへと走る。そして勢いをつけてのドロップキックを狙う。が、
「スミスミスミィーッ!」
オクトパスマンのカウンター地獄突きが決まる。たまらず場外にエスケープする菊。そして歓声はブーイングへと戻るのであった。

「タコ八郎、凄いブーイングねぇ」
 観客席でラブが何処か愉しそうにブーイングを聞く。
「いきなり不意討ちに凶器での滅多刺し。やはり彼は勝つ為には容赦の無い男だ……」
「本当卑怯よねぇ。いやーあいつの試合は離れた所で他人のふりして見るに限るわ〜。これで関係者だなんて思われたらねぇ」
「確かに彼の戦いは卑怯だ。泥臭く、華も無いかもしれん。人々の応援なぞ望むべくも無いだろう……だがラブよ」
 ブーイング一色の中、突如コアが立ち上がった。
「……ハーティオン、どったの?」
「私はオクトパスマンの戦いに強く揺さぶられる……あれがオクトパスマンなのだ! どれほど人から罵声を受けようと、彼の生き方は微塵も揺らぐことは無い! そう、彼は……胸を張って誇れる私達の仲間だ!」
「ちょ、いきなり演説とかどうしたのよハーティオン!? 見てる! 周りの人見てるから! あたしたちが知り合いだってバレたらどーすんのよ!?」
 ラブの言う通り、周囲の観客が何事かとコア達に視線を向けている。
「オクトパスマン! 私達は君を応援するぞ! いかなる手段を用いても最後まで勝利を諦めない……戦う者の持つ強き心の力……『戦意』! このハーティオン! 君の勇士……最後まで眼に刻み付ける!」
「ちくしょーこーなったらヤケよ! こらー! タコー! ちょっとはブーイングを歓声に変えてみせなさいよー! あたし達が危ないでしょーがー!」
 感極まった様子のコアと半ばやけくそなラブがオクトパスマンに激励(になるかどうかわからないが)を送る。その様子を周囲の観客は「あの人達……いやそもそも人か?」と首を傾げてみていた。
「ふっ、中々やるじゃんオクトパスマンとかいうの」
 その隣で、ガガが笑みを浮かべていた。
「けどハンバーグの空気を抜くが如く張り手に肉を柔らかくする下拵えのボディスラム……挽擂料技は確実にその肉体を柔らかくしている……うどんを踏むが如くドロップキックが決まっていたらヤバかったんじゃねぇのかねぇ」
 ガガはそう呟くと木製バットを取出し、場外にエスケープした菊へと投げる。
「ビリー・ミラー! そいつを使え!」
 ガガの声で気付いた菊は、投げられたバットを受け取るとリングへと戻る。
「へっ、観客席からうるせぇ声がすると思ったら、今度は面白れぇ物持ってきたじゃねぇか」
 コアとラブの激励(疑問)に苦笑していたオクトパスマンが、菊が持ち込んだバットを見て笑う。
「覚悟するんだね、これでおまえを柔らかくミンチにしてやるよ」
「上等じゃねぇか! 血祭りに上げてやるぜぇッ!」
 両者叫ぶと同時に駆け寄る。そして菊のバットがオクトパスマンの身体にヒットする。
 オクトパスマンの動きが止まり、執拗に菊がバットを叩きつける。
「さぁて、具合を見てみようかね」
 蹲るオクトパスマンの背後に回り、菊が喉元に腕を回し裸絞めで絞め上げる。
「随分柔らかくなったじゃねぇか! このまま棺桶に叩きこんでやるよ!」
「ちっ、柔らかくするとかほざきやがって……」
 よろめきながら、オクトパスマンは菊を背負う様に歩き出すと、菊がいたコーナーの前に立つ。
「タコはなぁ……最初っからやわらけぇんだよ!」
そして背負ったままの菊を、背負い投げの要領で投げる。
 投げられた菊の身体はコーナー――ではなく、持ち込んだ墓石に叩きつけられる。
「へっ、俺様の墓標にするつもりだったみてぇだが、おまえの名前にした方が良さそうだな! フィギュラハァーッ!」
 硬い墓石に叩きつけられ、動きが止まる菊の頭を掴むと、オクトパスマンは再度墓石に叩き付けた。
 それでも菊は立ち上がるが、ダメージが大きいのかふらついている。
「よぉし行くぜぇー! デビル・フィッシュ・フォール!」
 オクトパスマンは叫びロープの上へと飛び乗ると【疾風迅雷】で駆け回る。勢いがついたところで菊に飛び掛かり、オクトパスホールドで固める。
 だが今度は締め上げず、その状態のまま高く飛び上がり、重力に従い落下。菊の身体を、受け身の取れない状態でリングに叩きつける。
 大技デビル・フィッシュ・フォールを食らった菊は起き上がれない。オクトパスマンは乱暴に菊の身体を引き摺り、口の開いた棺桶に放り込む。
 すると扉は大きな音を立てて閉まり、ロックがかかる音がする。
 そして突如棺桶の下に大きな穴が開き、丸ごと飲み込んでしまうのであった。
 リング上に残ったのはオクトパスマンとレフェリーだけ。勝ち名乗りを上げるオクトパスマンに、盛大なブーイングが浴びせられる。
 だがそのブーイングすらオクトパスマンは心地よさそうに聴き浸るのであった。