薔薇の学舎へ

波羅蜜多実業高等学校

校長室

葦原明倫館へ

シボラあらまほし!

リアクション公開中!

シボラあらまほし!

リアクション


chapter.4 一日目(三時間目・社会) 


 時計の針が十時を指し、三時間目が始まった。
 科目は社会。一口に社会と言ってもその内容は様々である。最初に出てきた教師、佐野 和輝(さの・かずき)はその中で、世界史を教えることにしていた。
 白衣に眼鏡といういかにも勉学に長けていそうな出で立ちで、和輝は短く挨拶を済ませてから、生徒たちに目を向けた。席には、両部族と一緒に彼のパートナー、アニス・パラス(あにす・ぱらす)も座っている。見れば、隣には彼女と同じくらいの歳の少女が座っていた。
 人見知りである彼女は、最初シボラに着いた時おどおどとしていた。だが、自分の服装をおしゃれだと褒めてくれたパパリコーレ族がいたため、どうにかコミュニケーションを取ることが出来たのだった。
 隣に今座っている少女が、そのパパリコーレ族なのである。
「和輝も褒めてくれたから、服を褒められると嬉しいなぁ」
「シンプルだけど、とってもおしゃれだと思う。後でそれ、どこで手に入れたか教えてね」
 アニスが隣の少女とそんな会話をして仲を深めていると、和輝の視線がこっちに飛んできた。今から授業を始めるから、私語は慎むように、ということだろう。
 ふたりが静かになったのを見計らって、和輝は授業を始めた。
「世界史を受け持つことになった、佐野和輝だ。よろしく頼む。世界史、といっても、そんなに堅苦しく考えなくていい。今日教えるのは、服飾の歴史だ」
 勉強という習慣が元々あまりなかった彼らには、こういう分かりやすい内容の方が良いだろうとの考えから、和輝は身近なものの歴史を伝えることにしたようだ。
「文化ごと、国ごとに服装には違いがある。その時代の背景を織りまぜながら、話をしようと思う」
 そんな切り出しで、和輝の講義は始まった。
「服というものは、着飾る目的もあるが、身を守る防具でもある。ベベキンゾ族は服を着ないという文化だったな。もちろんその文化は尊重する。が、服を着るということを体験することで、新たな刺激を得られるかもしれない」
 ベベキンゾたちの方を見ながら話す和輝。次に彼は、パパリコーレたちへ向かって告げた。
「同じくパパリコーレ族にも、今とは異なる時代のファッションセンスに触れてもらうことで、刺激を与えられればと思う」
「異なる時代ね。たとえば……どんなものだい?」
「そうだな。例を挙げるならば、日本の着物や浴衣などはどうだろう。今でも明確に存在し、現代ファッションにも取り入れられている民族衣装だ」
「着物や浴衣……」
 和輝の話す内容を、パパリコーレの者たちは集中して聞いていた。やはりおしゃれには関心がどうしても向くのだろう。
 授業を受けていたアニスも、持参のノートに一生懸命メモをとっている。
「異なる時代の……ファッション、っと」
 アニスがメモを終え、再び和輝の話を聞こうとした時だった。
「素晴らしい授業じゃない。日本の民族衣装の話なら、あたしもたくさん知ってるわよ」
「ちょっ……由乃羽っ!」
 契約者の如月 佑也(きさらぎ・ゆうや)の腕を引っ張りながら、神威 由乃羽(かむい・ゆのは)が生徒たち、そして和輝の前へと現れたのだ。
「なんだ? 今は俺が授業中なんだが……」
「まあまあ、細かいことはいいじゃない。教える内容も近そうだし、あたしも一緒に授業してあげる」
「由乃羽、おい、なあ、何を……」
 和輝や佑也の制止を振りきって、由乃羽は生徒たちに向かって話し始める。
「良い機会だから、日本の服装の文化についてたっぷり教えてあげるわね。この人が」
「俺!?」
 突然由乃羽に指さされた佑也は、目を丸くして驚いた。いきなり由乃羽に引っ張られて壇上に上がらされたのだ、無理もない。
 溜め息を吐く和輝の横で、由乃羽は佑也にフリップボードを渡す。
「これの通り話せば大丈夫だから。裏に大体書いてるから」
「大丈夫ったって……ていうか由乃羽がやれば」
「じゃあ、よろしく!」
「……」
 問答無用で教師に仕立て上げられる佑也。どうやら由乃羽は、隣で解説役としてスタンバイするようだ。
「……とりあえず、やるだけやるか」
 話すことは確かに手元のフリップに全部書いてある。読むだけならいけるだろうと佑也は、流されるまま講義へと移った。
「えー、なになに。これから、日本の服飾文化について紹介します……案外まともだな」
「余計なこと言わないで、ほら、続き」
「……ご存知かと思いますが、服飾というものは文化によって大きく様変わりします」
「それはさっき俺が言った内容だ」
「……すまない」
 和輝につっこまれ、困り顔になりながら佑也は一応頑張って続けてみた。
「そんな中、日本で親しまれている代表的な衣服がこれです」
 言って、佑也がフリップをめくる。一同の前に飛び込んできた写真は、巫女服を着た女性のものだった。
「っ!?」
 思わず言葉を失う佑也。確かに日本独自の衣服だ。だが、代表的なものだろうか、これは。
「なんで開幕からいきなり巫女服だよ!」
「なんでって、実際親しまれてるでしょ。一部で」
「それ本当に極々一部の範囲だろ!」
 由乃羽と小声で言い合いを始める佑也。普段から巫女服を着て、なにかとそういう話題を持ち出す由乃羽がフリップを用意した時点で、気付くべきだった。まともな資料であるはずがないと。佑也は心の中で悔しさの声を上げた。
 こんなの、俺しか得しないじゃねーか。
「……あれ?」
 自らの心の声を聞き、佑也は我に返った。考えてみたら、表立って言ってこそいないが、自分も相当な巫女好きだ。なら、このまま続けても問題ないんじゃないかと。
「こほん。えー、講義を続けます」
 佑也はそう結論付けると、フリップに書かれた文章を読み上げていった。
「これは巫女服といって、いわゆる聖職者や神官のような立場の人間が着る服でした。ですが、近年は様々な文化が取り入れられた結果、一般の人も着るようになったのです。その流れの中で、わき出し巫女服やミニスカタイプなど、多種多様な服が作られるようになってます」
 うんうん、と頷く由乃羽を横目で見ながら、佑也は説明を続ける。
「日本の文化も皆さんと同じように、様々な文化を受け入れることで日々進化をしてるわけですね。まあ……俺は正統派しか認めませんが」
「ちょっと、何勝手に書いてないこと言ってんの」
 由乃羽に手厳しいチェックを受け、佑也は小さく唸った。と、由乃羽が佑也の話に解説を付け加えて生徒たちに話した。
「ちなみに、元々巫女服というものは存在せず、原初の巫女はみんな全裸でした。なぜかというと、巫女の体は神への貢物であり、布で隠すことは神への冒涜とされていたからです」
「ハダカ、コレ、ハダカノヒトがキテタノカ!」
「いや、え? 由乃羽、それ嘘だろ!?」
「ちょっと静かにしててください。その通りですよベベキンゾの皆さん。服を着るようになったのは、当の神様が『全裸だといまいちもえない』と言ったのが原因と伝えられています」
 明らかに嘘であったが、生徒たちにはその判別がつかない。そういうものだと言われれば、納得してしまうような風土で育った彼らなのだ。
「なんだろ、本職が一番巫女を愚弄してるような気がする……」
 佑也が溜め息をこぼしつつ、今の話を訂正しようとした時だった。教室の後ろの方から、ほんわかとした、けれど凛とした声が響いた。
「嘘を教えちゃダメですねー」
「?」
 一同が声の方を向くと、そこにはメイド服に身を包んだ神代 明日香(かみしろ・あすか)がいた。
 明日香はスタスタと教室の前の方に歩いてくると、佑也、そして由乃羽に向かって言った。
「間違った日本の文化を教えるくらいなら、他の国の衣服の歴史を教えた方が役に立つと思います」
「他の国?」
 佑也が聞き返すと、明日香は誇らしげに答えた。
「メイド服です」
「え?」
「メイド服について、講義します」
「それは社会っていうか……」
 ただの趣味では。そう言いかけて佑也は口を閉じた。ついさっきまで自分たちがしていたことも、似たようなものだと思ったからだ。
「次から次へと何だ……そもそも俺が服飾の講義を」
 巫女レクチャーの後半あたりから完全に置いてけぼりになっていた和輝が口を挟むが、明日香は「安心してください。きちんと講義します」ときっぱり言い切り、またもや引き下がることとなった。
「はい、そういうことでメイド服についてお話しますね〜」
 明日香はそう切りだしてから、メイド服についての知識を披露する。
「メイド服は、メイドの仕事着、もしくはそれを模した衣装です。ちなみにメイドというのは、本来は女性使用人のことですね〜。でも、メイド服の歴史は実は浅いです。まだ、二百年も経ってません」
「お、なんだ、ちゃんとした服飾の歴史だな」
 そばで聞いていた和輝が、明日香の話を聞きこれなら任せても大丈夫か、と安堵する。明日香の話はさらに続いていった。
「メイド服と言ってもいろいろあります。たとえば、ヴィクトリアンメイド服とフレンチメイド服です。ヴィクトリアンメイド服というのは、仕事着であることを重視したものなんですよ。フレンチメイド服というのは、反対にデザイン性を重視したタイプになってます」
 生徒たちは明日香の話を真剣に聞いているが、どうも明日香の話が少しずつおかしくなっていった。
「このタイプは、全年齢対象のリア……授業では危ないかもしれませんが、性的劣情を誘うデザインが源流です。私の着ているようなタイプはそこから派生し、割と健全な、独自のデザイン性を持ったもので、ジャパニーズメイド服と呼ばれるものです」
 言って、明日香がその場でくるりと回って見せる。アリスエプロン調のメイド服が、そよ風を生んだ。
「さて、ここまでの説明はちょっとかたーいものでしたけど……実際に見た方が分かりやすいと思います」
 明日香が腕を伸ばし、衆目に晒す。袖口のところにレースがあしらわれており、とても女性らしさが出ている。さらに明日香はスカートを軽く持ち上げ、パニエをのぞかせた。
「大事なのは、スカートの丈です。なぜならば、ニーソックスとスカート、そして生足のバランスにこそ、魅力が隠されているからです」
 さっきまでまともな授業だったはずだが、いつの間にか明日香のメイド服ファッションショー兼こだわり紹介になっていた。
「タイツ派やガーター派を否定する気はありません。でも、着用者に似合うかどうかを考えた時、ニーソックスがいいなと私は思うのです」
 もはや完全に講義の体を成していない明日香の話を、和輝が止めようとする。が、それよりも早く明日香に食ってかかったのは、由乃羽だった。
「ちょっと何よ、結局自分の服見せびらかしたいだけでしょ。それがアリなら、あたしだってこの巫女服を存分に……」
「見せびらかしたいとか、そういうことではありません。メイド服の素晴らしさを、伝えようとしているだけです」
 バチバチと火花を散らす由乃羽と明日香。もう生徒たち完全にそっちのけだ。
「ふふ、何よアレ。全然授業になってないし。いとウケルし。式部は後ろで見てるだけだし、マジいたづらじゃん式部」
 窓から教室の様子を覗いていた少納言も、これには笑いが止まらない。
 とどめを刺すべく乱入でもしてやろうかしら。少納言がそう思った直後、彼女より先に乱入者は現れた。
「ちょいストップや! そんなにおしゃれでかわいいのに、争ってる場合ちゃうで!」
「……?」
 同時に振り向くふたりの前にいたのは、日下部 社(くさかべ・やしろ)だった。社は軽い調子で挨拶し、口を開く。
「846プロダクション社長、日下部社や。そこのふたり、俺の事務所に入らへんか?」
「え? ちょっと何わけわかんないこと言ってるの」
 由乃羽が眉間に皺を寄せる。社はそれでも構わず説得しようとするが、後ろからパートナーの響 未来(ひびき・みらい)に止められた。
「マ、マスター、私を召喚しといて、何してるのっ!?」
「おお、そうやったそうやった。一番の目的を忘れるとこやったな」
 どうやら社には、未来を呼び寄せてまでやりたいことがあったようだ。それは、彼の口から明かされた。
「元々俺は、芸能の授業を教えようと思ってたんや!」
 なるほど、確かにそれも大別するなら社会に入るだろう。社はそのまま話を続ける。
「芸能と言っても、ジャンルは幅広い……そこで、今回はアイドルについてや! 一応言っておくが、生半可な気持ちでいると、この業界生きていけないので、そこんとこよろしく!」
 よろしく、と言われても、生徒たちはポカンと口を開けたままだ。その言い方から察するに、どうも社は、スカウトも兼ねて授業を教えに来たようである。
「ちょっと待て、今は社会の時間であって遊びの時間では……」
「これは遊びやない! 社会や! 芸能界は、社会の縮図なんや!」
 和輝が方向性を戻そうとするが、社があまりにも真剣に言ってきたため、三度引き下がるはめになった。そして社は、口調を丁寧にし、アイドルとは何かについて生徒たちに語りかけた。
「いいですか? アイドルというのは、万人にウケるわけではありません。 むしろ一部にウケるくらいが丁度ええということもあります。その意味では、ベベキンゾ族とパパリコーレ族の皆さんは、これから期待の出来る金の卵と言えるでしょう」
「キンノタマゴ?」
「ああ、えーと、アレです。良い素材って意味の」
「ソザイ! キンノタマ!」
「ゴ! 金の卵や! その一文字抜けただけでかなり危険やからな!」
 社はコホン、と咳払いをひとつすると、気を取り直し、未来を呼んだ。
「あ、やっと私の出番ね! もう待ちくたびれたわよ!」
 言って一歩前に出る未来。社は改めて彼女の紹介をする。
「そんなわけで、今回はゲストとして、ネットアイドルなどの分野で活躍している響ミクさんをお招きしとります」
「はぁーいみんな! よろしくね☆」
 パチンとウインクをして、未来が決めポーズを取ると、彼女のミニスカートがひらりと揺れた。社はここぞとばかりに主張する。
「えー、見ても分かるように、アイドルには衣装も重要な要素なのです。特に先生は、ニーソとスカートの間に出来るという絶対領域が大好きです。発注の際も、絶対領域という単語は入れるように心がけています。それくらい大好きです」
「えっ、ちょっ、マスター? マスターの趣味じゃなくて私のアイドルとしての……」
「ここはテストに出るのでもう一度言います。絶対領域が先生は大好きです」
「テスト!?」
 もしかして、ちょっと錯乱してる? 未来がそんな疑問を抱く中、社はさらに暴走する。彼の視界には、教室に入った時からニーソックスをはいた明日香が映っていたのだ。社は割り込んできた時同様に、明日香に絡みにいった。
「たとえば、こんな感じのものが絶対領域です。これは、いいですね。これはいいですね」
 突然のセクハラめいた発言に明日香は戸惑うかと思いきや、先程の巫女談義とメイド談義に決着が着いたと見たのか、由乃羽の方を見て少し自慢げな顔だ。
「やっぱり服飾の文化として学ぶべきは、メイド服ですねー」
「み、巫女服だってそういうアレンジが……」
 再び争いが起こるかに思われた教室。だが、そこに待ったをかけたのは未来であった。
「お、おかしいわっ! 何この空気は!? これじゃ私が完全に招かれ損じゃない!」
 確かにいまいち彼女は何しにきたのか分からなかった。明らかに周りの者たち――主に契約者の社に食われていたからだ。
 未来はこの非常事態を解決すべく、大声で自らの主張を口にした。
「巫女服がどうとか、メイド服がどうとか大事なのはそういうことじゃないのよ! もちろん、胸もよ!」
「……胸?」
 何をいきなり。ざわつく生徒たちを尻目に未来は続けた。
「世間では、グラビアとかおっきいのをはやし立てるものがあるけど、そんなもの飾りよ! 胸なんて、他で着飾ればいくらでも対抗出来るんだから! みんなもそれを分かってちょうだい!」
 どうやら未来は、己の胸の小ささに対して開き直りにも似た精神を持っており、この際それをアピールしようと目論んでいるようだ。
「……なんだかわかりませんが、せつないです」
 未来の主張は確かに服装論争から体型へと話題をずらすことに成功したが、とばっちりを受けたのは同じく胸の小ささでは負けていない明日香だった。
 そして、もうひとり。
「これは……なんの授業だ」
 唯一まともに授業をしようとしていた和輝は、完全に不毛な争いの犠牲者となっていた。



 騒ぎが一段落ついた教室。
 仕切り直しとなった社会の授業で、生徒たちに熱心に話をしていたのは藤原 優梨子(ふじわら・ゆりこ)だった。
「以前シボラを訪れた際、こちらの方々にはとても良くして頂きました。そのお礼と言ってはなんですが、誠心誠意、講義をさせて頂きますね」
 言って、優梨子は深々とお辞儀をする。その様子を外から眺めていた少納言が、いやらしい笑みを浮かべていた。
「なんか変な話ばっか続くと思ったら、ようやくここから授業だったのね! あたしも呼ばないようなこんな学校、潰してやる……っ!」
 優梨子が何かを喋っている間に、少納言はこっそり窓を開け、ぬっと顔を出した。その目が狙っているのは、男子生徒たちだった。
 色目でも使って、授業が成り立たなくなるくらい風紀を乱してやろう。
 少納言の狙いは概ね、そんなようなものだった。
 まあ、既にここまでで充分乱れていたけれど。
 教室の後ろの方の窓から覗き込む少納言は早速近くの男子生徒に誘いかけようとするが、その動きがぴたりと止まった。
「な、なにアレ……」
 その視線は、黒板にあった。そこには、干し首だの首狩りだの物騒極まりない単語がずらりと並んでいた。同時に、優梨子の話し声も聞こえてきた。
「……というように、一口に干し首と申しましても、幅広く学ぶところはあります。文化人類学、及び社会学の見地からの意義、化学に関する知識などなど」
 従者にプリントを配らせながら淡々とそんな話をしている彼女に、少納言の顔が青くなる。しかしそれは、多くの生徒たちも同じことだった。
 先ほどまでのアイドル、コスプレ談義の騒ぎが嘘のように、教室は一気に静まり返っていた。それを「真面目に授業を聞いてくれている」と勘違いしたのか、優梨子の講義にさらに熱がこもる。
「たとえば、ベベキンゾ族さんやパパリコーレ族さんの風習にも、これは応用できるのですよ。生命や肉体を捨て、霊の宿る頭部だけになればそれは一種の裸ですし、その様は無駄のない美がありますでしょう?」
 やばいよ、この人本物だよ。
 生徒たちだけでなく、メジャーや式部など教室にいた全員が同時に思った。少納言はすっかりテンションが下がり、「邪魔はもっと後になってからしよう」と窓を閉めようとした。が、その時だった。
 がつん、と少納言の手が窓の縁に当たってしまい、静かな教室にその音が響いてしまったのだ。
「あっ……!」
 おそらく、なるたけ早くここから離れようとして慌てきっていたことが原因だろう。少納言は思わぬ形で、その存在を知られることとなった。
「どなたですか? そこから何を?」
 優梨子が、優しい口調で尋ねる。それが逆に怖かった。怖さのあまり、つい少納言は正直に答えてしまった。
「あ、えっと違う違う! げに違う! あたしただの少納言で、別に授業の邪魔しようとかそんなこと全然思ってないから!」
 言ってから、まずいと少納言は口を押さえた。もちろん後の祭りだが。彼女は恐る恐る、優梨子を見た。あれ? と思う。優梨子は、自分の授業を邪魔しようと企んでいた者が現れたにも関わらず、にっこりと笑っていた。
 その理由は、すぐ彼女の口から語られる。
「な、なんで笑ってんのよ……? 怒ったり出てけって怒鳴ったりしないの?」
「あら、おかしなことをおっしゃいますね。怒るだなんてとんでもない。むしろ喜んでいますよ」
「え?」
「だって、実習の素材になりたいという、尊い向学精神の発露でありましょう?」
 優梨子が言ったその瞬間、少納言は全身に危険を感じた。
 なんだか難しい言葉使ってるけど、この人、あの黒板に書いてること実演しようとしてる。
「さ、さよならっ!!」
 少納言は、素早く窓を閉じると一目散に走っていった。
 なお、優梨子の授業はこの後も続いたが、生徒たちが学んだことは「命って大事だな」ということだったという。