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chapter.2 一日目(一時間目・理数) 


 彼らの学校では、森に住む生き物の鳴き声がそのままチャイムとなる。
 既に教室へと入っているメジャーや式部が後方で見守る中、奇妙な鳴き声で一時間目は始まった。
 一番最初に教壇に立ったのは、アルツール・ライヘンベルガー(あるつーる・らいへんべるがー)だった。昔は教師を目指していたこともある彼は、その場所にしっくりと馴染むものを感じた。
「えー、一時間目は、理数ということですが、皆さん難しく考えなくても大丈夫です」
 初っ端から理数というのは確かに、未開の部族にとっては些かハードルの高そうな科目であるように思える。アルツールも微妙に緊張気味で身構えているベベキンゾ族とパパリコーレ族の様子を察したのか、そんな前置きから授業は始まった。
「まず、黒板を見てください」
 言って、アルツールがお世辞にも綺麗とは言えない黒板に何やら図形を描き始めた。手慣れた動きでアルツールが黒板に描いたのは、丸い円だった。その円の中には、何か模様のようなものもある。
 生徒たちからすればごちゃごちゃとした曲線や直線の集合体でしかなく意味不明なものだったが、もちろん意味はある。
「これが何か、分かりますか?」
 アルツールが質問すると、まず手を挙げたのはベベキンゾの若者だった。
「オレ、ソレ、ワカル! オレノツマ、ムネニソレフタツアル!」
「……はい、違います」
「まったく、すぐそういう発想をするのは悪い癖だよ。僕が答えを言おう」
 ふっと微笑を浮かべながらそう言ったのは、パパリコーレの若者。彼は自信満々に発言した。
「それは、太陽だね? 太陽を抽象的かつ前衛的に描写したものだろう?」
「はい、違います」
 なるほど、彼らはあくまで自分の価値観で物事を考えるのか。裸族らしく、おしゃれ族らしく。アルツールは意外な返答の数々に目を丸くした。
 いくつか間違った答えが並んだ後で、アルツールは解答の募集を終えて正解を発表した。
「これは、魔方陣と呼ばれるものです。まあ、不思議な力を使う際に必要な模様と捉えて良いでしょう」
「マホウジン……」
「初めて見たけれど、綺麗な模様だね」
 パパリコーレ族のひとりがそんな感想を漏らすと、アルツールはその発言を待っていた、とでも言いたげな顔でその生徒を指した。
「そこの君、今良いことを言いましたね。そう、魔方陣には様々な形があり、その中にはこのように人目をひくデザインのものもあります」
 果たして、これは理数なのか? 魔法講義では? 後ろで見ていた式部はそんな疑問を抱いたが、これから彼の授業は式部が思わなかった方へ展開していく。
「これらは何も、美しさを求めた結果できたのではありません。余計な装飾を考えず、機能や構造などを追求した結果、導き出されたものです。そしてそれを導き出したり分析するには、大なり小なり数学的な知識が必要となります」
 言って、アルツールは数枚のフリップを取り出した。それは、地球で一般的に美景をされている建造物の写真だった。
「地球の建築物で美しいとされているものを試しに見てみましょう。もちろん、細部に彫刻などの細かい装飾が施されたものもあります。しかし、多くは遠くから見ても分かるような、構造的な美しさや色彩バランスを称えられているのです」
 写真を生徒たちに見せた後、アルツールは再び黒板へと目を向けさせた。自らが描いた円を指さして、言う。
「数学では、こうした美しさを見出すのに、『黄金比』というものを用いることがあります。少々難しい数式ではありますが、この黄金比は肉体の美しさにも当てはまるといいます」
「美しさ!?」
「ニクタイ!?」
 アルツールが言葉の中に混ぜた単語に、見事に反応する両部族。無論。アルツールの狙い通りだった。
「ただ、本日はあくまでも入門という形なので、それらの数式に関する講義は行いません」
 何人かから不満の声が漏れるが、いきなり小難しい数式を教えるのも酷だろうという判断なのだろう。アルツールは生徒を落ち着かせてから口を開いた。
「もちろん、もし今日の講義で数学に興味を持っていただけたなら、ぜひこの黄金比を導く数式を理解できるところまで頑張ってみてください。きっと、新たな世界が開けるでしょう」
 そんな言葉で締めてから、アルツールは「それでは数学への理解が深まったところで、授業を進めたいと思います」と次の勉強内容へと話題を繋げた。
 さすがは教師を志していただけはある、見事な授業の進め方である。さらにアルツールは、自分の所属する学校の宣伝もさらりと織り交ぜる。
「なお、魔方陣についてですが、正式なものはうかつに描けませんので、詳しく知りたい場合は別途、魔法学校への入学を検討してください」
「そうすれば、その綺麗なデザインが描けるのかい?」
 パパリコーレの興奮気味の質問に、アルツールは自信満々に答えた。
「最も機能的で、それでいてシンプル。先進的で美しい。そんな魔方陣も描ける。そう、イルミンスールならね」
 これには、思わずパパリコーレたちから拍手と歓声が上がった。
「出だしは上々みたいね、教授」
「うん、これなら安心して見ていられるね。まあ、僕としてはもっとトラブルが起こってもいいけどね。ははは」
「……ははは、じゃないでしょ」
 メジャーと式部がそんな会話を広げる。彼らの話す通り、アルツールの授業は滞り無く行われ、順調そのものだった。が、良い意味でも悪い意味でも、メジャーが欲した展開がこの後訪れることを、彼らはまだ知らない。



 アルツールの数学の授業が一区切りついたタイミングを見計らって、次のレクチャーを始めるべく生徒たちの前に出てきたのは、龍ヶ崎 灯(りゅうがさき・あかり)だった。
「はい皆さん、ここからは、より実生活で役に立つ、理科の授業を始めましょう」
 灯はそう言うと、何やらガラガラと教室の外から大きなものを引っ張り出した。突如教室内に入ってきたそれは、四角い檻だった。しかもよく見ると、中には人が閉じ込められている。なぜ檻が? 何の授業? 湧き上がる疑問の数々。そして答えはすぐに灯の口から明かされた。
「実生活に役立つ理科といえば、はいそうですね。生物の観察についてです。そしてこちらが、今回の観察対象です」
 ばっと灯が手を伸ばす。檻の中に入っていた人物は、彼女の契約者、武神 牙竜(たけがみ・がりゅう)だった。しかも、す巻きにされている。見てくれは、完全に囚人のそれである。
「……そういうことかよ」
 突然檻に入れられ動きを封じられた牙竜は彼女の言葉でようやく意図を知る。強引に暴れて逃げ出すことも出来なくはなさそうだったが、とりあえず牙竜は大人しくすることにした。さすがに授業である以上無茶はしないだろう。そう思った彼だったが、甘かった。
「カンサツ? ソレ、シッテル。ジットミルコト」
「その通り、ベベキンゾさん、いいですね。でも、見るだけでは不十分です。きちんと観察対象を把握してこそ、意味があります」
 ベベキンゾの言葉にそう答えた後、灯は牙竜の入っている檻に手を当て、再び言った。
「そのために、まずは生活パターンを把握します。一日中張り付いてると相手に警戒されてしまうので、時間をかけ、細かく把握していきます」
「……なるほど、確かに動物を狩ったりしてるであろう彼らには役立ちそうな知識だな」
 自分がす巻きにされているのはともかくとして、灯の講義内容には一理あると牙竜は納得し、彼女に続きを促した。
「で、どうやって観察を?」
「はい、いい質問ですね。最初は距離を取ることが肝心です」
「ほう」
「徐々に距離を詰めていき、周りにいる生物に餌付けなどを行い、周囲の警戒を解くことも大事です。そうすれば、そこから観察対象の情報を集めることも出来ます」
「ふむふむ」
「そうして周囲と信頼関係を築き、味方につけたら、後は対象を捕まえるだけです。この時、より良く観察するため、堀や檻などに入れると良いでしょう」
「ふむ、身近に、親身に観察するためには捕獲が最終段階なのか……ん?」
 ここで、牙竜は違和感に気付いた。それは、彼女の説明に紛れていたフレーズ。
 檻……?
「あれ? ちょっと待て、観察対象って」
「野生で観察するには限界がありますからね。捕獲はやむなしです」
「いやおい、待てって! よく考えたらこれ! なあ!」
 牙竜は自分の状況を必死に訴える。今俺は、明らかに観察対象になっているじゃないかと。まあ、むしろす巻きにされ檻に入れられた時点でそれに気付くべきだったのだが。
「人間相手にこんなことしたら完全にストーカーだろうが!」
「はい?」
 何言ってるの? みたいな顔で聞き返す灯に、牙竜は食ってかかる。
「さっきから聞いてれば、周りを味方につけるだの捕獲するだの、拉致監禁も混じったエグい方法じゃねーかこれ!」
「ちょっと何を言っているのか分かりませんけど、皆さん、要は観察するということは知るということなのです」
 しまいに灯は、牙竜の声を無視して生徒たちへ話し始めた。
「狩りなどでもそうですが、恋愛などにも活用できますね」
「やっぱりストーカーじゃねえか! っていうか無視して授業を進めるな!」
「はいはい、仕方ないですね。出してあげましょう」
「え?」
 あっさりと解放する彼女を不審に思ったが、言われるがまます巻きを解かれ、檻から出される牙竜。その彼に、灯は皿を一枚差し出した。
「それとひとつ。観察対象に食事を与えることも忘れてはなりません。胃袋を握るということは、相手を握るも同義語。後は実験という名の既成事実を……」
「おっと! そこまででやめとけよ! 何しようとしてるか、大体想像つくぞ」
 牙竜は嫌な気配を感じ、灯の口を塞いだ。危うく朝っぱらからとんでもない授業になるところだ。いやまあ、既に朝に似つかわしくない内容になりかけてはいたが。
 とはいえ、灯のこれはまだ序の口だった。
「生物の授業は終わった? じゃあ、次は化学の授業のはじまりよ! 理系女子のあたしに任せて!」
 言って、灯と牙竜の横に飛び込んできたのはセレンフィリティ・シャーレット(せれんふぃりてぃ・しゃーれっと)。その身には白衣をまとっている。が、ちらちらとその白衣からのぞいているのは、どう見てもセクシーなビキニだった。理系女子というより、マニアック系女子だ。
 その後ろにはパートナーのセレアナ・ミアキス(せれあな・みあきす)が控えており、彼女もまたお揃いの白衣を着ていた。
 本格的な化学の授業が始まるのだろうか……? その出で立ちに疑問を覚える一同だったが、セレンフィリティが生徒たちに向けた次なる声は、至極真っ当なものだった。
「さーて、今日の化学は簡単な実験よー」
 どうやら、灯が生物の実験をしていた流れを見て、タイミング的に今がベストだと思ったのだろう。セレンフィリティは、その後さらに言葉を続けた。
「その前に、ちょっと実験の準備してくるから、待っててね」
 言って、彼女は生徒たちを残し教室を出てしまった。残された者たちは一様にはてなマークを浮かべていた。が、同時に期待も混じっている顔だ。
 どんな実験をしてくれるんだろう。
 原住民たちは、化学という馴染みの薄い科目に、心を踊らせていた。ただ、そんな中ひとり、セレアナだけは心持ちが違っていた。
 セレンフィリティの普段を思い起こすと、彼女はどうも嫌な予感がしてならなかった。大体セレンフィリティが乗り気で何かをやろうとする時は、とんでもないことを考えた時なのだ。
 そしてそれは、悲しいことに的中していた。
「お待たせみんな! さあ、実験の始まりよ!」
 少し経ち、教室の扉が勢い良く開くと、そんな言葉と同時にセレンフィリティが再び入室してきた。が、先程とは大きくことなる点があった。それは、彼女の衣服である。
 なんと、あろうことか彼女は、白衣を脱ぎ払っていた。いや、その下に着ていたビキニまでもだ。代わりに彼女が肌につけていたのは、たくさんの小さな長方形の紙――リトマス試験紙だった。
 なんということだ。これではまるで、変態ではないか。いやもう変態というか、なぜ己の肉体にリトマス試験紙をベタベタ貼りつけているのか、まったく分からない。アクションを起こす前に何か変な文章でも読んでしまったのだろうか。
 大事なところにもきちんと試験紙を貼っていたのが、最後の良心だろう。
「……あぁ」
 やっぱりこうなってしまった。セレアナは相方のその姿を見て、頭を抱えた。もうこうなってしまった以上、あとは下手に巻き込まれないようにするしかない。彼女は他人のふりをすることに決めた。
 そんなセレアナを尻目に、セレンフィリティは独自の授業を展開していった。
「みんな、これが何か分かる? うん、そうリトマス試験紙よ!」
 いや、裸体だ。
「これはある特定の条件を満たすと変化が起きる不思議な紙なのよ。これからこの試験紙を使った実験をしてみるから、よく見てて」
 言って、彼女はどこからか液体を取り出すと、突然それを頭からかぶった。驚く一同を前に、セレンフィリティが説明する。
「今あたしがかぶったのは、食塩水。今のところ、特に変化はないみたいね」
 いや、リトマス試験紙が濡れてかなり危ないことになっている。
「じゃあ次は、アルカリ飲料水。これを……」
 ざばん、と勢い良く頭からかけるセレンフィリティ。彼女は修験僧か何かなのだろうか。いや、おそらく変態だ。
 彼女がアルカリ飲料水をかけると、白かった試験紙は青く変色した。
「この通り、アルカリ性のものをかけると青色に変化しますねー。では次はこれ」
 言って、彼女は清涼飲料水を取り出した。おそらく酸性なのだろう。それをまたもやバシャンとかぶった彼女だったが、試験紙に変化が起きる前にそれらが体からはがれてしまった。これではもう実験にならない。色々な意味で。
「こうすると、赤色に……あれ?」
 びしょびしょになった床、そしてそこに散乱した試験紙を見てセレンフィリティは首を傾げた。もっとも、他の者たちはもっと首を傾げていたが。
「えーと……本当はこの試験紙で、大雑把だけど酸性、アルカリ性、中性を判断できるっていう実験だったんだけど……」
 補足を始めるセレンフィリティだったが、どうも生徒たち、主にパパリコーレ族がざわついている。そこで彼女も、原因に気付いた。
 そう、セレンフィリティは今、生まれたままの姿だったのだ。もっとも本人は、目の前にベベキンゾ族という裸族が大勢いるため特に問題ないか、くらいに思っていたのだが、教育上は大きな問題だ。
「ちょっと、セレン!」
 見かねたセレアナが無理矢理白衣を着せ、セレンフィリティを教室から追いやろうとする。そこに、ベベキンゾの生徒たちから質問が上がった。
「センセイ! ソノニクタイ、サッキナラッタ、『オウゴンヒ』カ?」
「うん? そうね、普段から鍛えてるからあたしは……」
「いいから! もうこれ以上変なこと言わないで!」
 答えようとしたセレンフィリティだったが、セレアナに口を塞がれた。そこにパパリコーレからも質問が飛ぶ。
「さっきのリトマス試験紙? という特殊な素材の衣装だけど、アレはどこで買えるんだい?」
「あれは薬局とか雑貨店とかに……」
「衣装じゃないでしょ! ほら、早く出て!」
 ここで、セレンフィリティはあえなく退場となった。

 まだざわめきが残る教室で、教壇に立ったのは如月 正悟(きさらぎ・しょうご)だ。
 彼はそれまでの無茶苦茶な雰囲気を戻そうと、まともな講義内容を告げる。
「あー、今回の授業だけど、基本的に生活する上ではあまり役に立たないと思う。ただ、聞いてもらったあとで、こういう世界もあるんだと思ってもらえれば嬉しい」
 そんな前置きをしてから彼が唱えた科目名は「宇宙工学」であった。確かに理系の科目に属するのだろうが、あまりに響きが高度すぎたのか、メジャーが大丈夫かな、と不安そうに見る。
 そして案の定というべきか、大丈夫ではなかった。ただし、メジャーが心配したのとは別なことが原因で。
「これ、素晴らしい素材だね。珍しい。これで着飾れば、きっとおしゃれだよね」
「アノオンナ、オウゴンヒノカラダイッタ。ジブンモ、オウゴンヒカ?」
 なんと、セレンフィリティが散らかしていったリトマス試験紙やアルツールが教えた黄金比に、両部族が興味を引っ張られていたのだ。その結果、せっかくの正悟の授業は喧騒に混ざってしまい、聞き取りづらくなっていた。
「き、聞いてるか? 宇宙についての概念からなんだが……」
「オウゴンヒ! オウゴンヒ!」
「見てくれ、眉毛にリトマス試験紙を貼ってみたよ! おしゃれかい?」
「……」
 正悟はこれではダメだ、と早急に講義をもっと噛み砕くことにした。そもそも彼が本当に伝えたかったのは、今のパラミタの現状なのだった。
 最近話題になっているニルヴァーナに関することや、パラミタの月に関する説明をし、世の中の今を理解してもらおうと思っていたのだ。このシボラも、パラミタの大地であり、無関係ではないのだから。
「……すまない。分かりづらかったな。今から図入りのプリントを渡すから、それを見て……」
 言って、各々に手作りのプリントを配ろうとする正悟。が、その途中、彼は見てはいけないものを見てしまった。ベベキンゾの男女が、互いの肉体をベタベタ触りながら喋っている光景だ。
「オマエノニクタイ、オウゴンヒカタシカメル」
「ア、ソノマホウジンはサワッチャ……!」
「うおぉおい! そこの原住民、いちゃついてんじゃねぇええ!」
 朝っぱらから、しかも授業中にイチャつかれた正悟は堪忍袋の緒が切れた。それをなだめたのは、ひとりのパパリコーレ族だった。
「先生、大丈夫。僕は聞いてたよ。で、このプリントに書いてあるニルヴァーナっていうのは、どのくらいおしゃれなんだい?」
「お、おしゃれ!?」
 答えに詰まった正悟は、それから十数分あまり、ろくに知りもしないニルヴァーナのおしゃれ関係について、適当に話すこととなったのだった。