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リアクション
17
病院の廊下を歩いていると、反対側からリンスが歩いてきた。
「あれ? リンス君」
琳 鳳明(りん・ほうめい)は立ち止まった。リンスも気付いたらしく、近付いてきて立ち止まる。
「今日はどうしたの? 患者さん……じゃないよね、顔色良いし、私服だし」
「小児病棟の慰問」
と、人形を見せてくれた。前に劇で使った人形だ。懐かしい気持ちになる。
人形を手にとって触っていると、
「琳こそどうしたの」
問われた。にこり、笑ってみせる。
「ふっふっふ。私はリンス君が世界のどこにいたって見つけられる自信があるからね! 今日もそうなのです」
自慢げに言ってみたが、少しして言葉の意味に気付く。リンスは、ぱちくりと目を瞬かせていた。ああ、面食らっている。恥ずかしい。顔が熱くなった。
「言っておいて照れるなよ。こっちまでなんか、照れるでしょ」
「あ、あはは」
まあ実際のところ、検査入院の帰りなのだが。それは秘密だ。だってこうして広い病院で会えたことは、偶然だとしても運命的でしょう?
しかし、照れたことによって微妙な空気になってしまった。なんとか打開すべく、別の話を切り出す。
「そ、そういえば病院で会うのは三度目だよねっ」
「え? 二回目でしょ?」
「…………」
そうだった。二度目に入院した時は、リンスに会わずにおいたのだ。あの時会ったのはクロエだけで、さらには心配かけまいとして内緒にしてもらっていたのに。
――何で自分でバラしちゃうかなー……。
うっかりカミングアウトに、さらに赤面。
「前にも入院してたの」
「あは。あははは」
「突っ込んで欲しくないなら訊かないけどさ」
「ごめん。ところで慰問って、この人形を使って劇をやるって感じなのかな?」
人形を動かしながら尋ねる。
「そう。クロエが操り手で、俺が読み手」
「へえ……」
なんだか、一抹の不安を覚える組み合わせだ。いや、クロエはきっとなんとかなると思うのだけど。
「胡乱な顔しないでくれる?」
バレた。笑って誤魔化す。
「ねえねえ。私にも何かお手伝いできないかな?」
「手伝ってくれるの?」
「もっちろん。なんでもござれ、だよ」
「じゃあお願いしようかな」
頷いて、一緒に歩きだす。
劇を演じるホールに着くと、まず鳳明は提案した。
「リハーサルをしよう」
やはり、ちょっとばかし不安なものだから。
一度演じてもらって、わかった。クロエはやはり、ある程度できる。というか、予想していたよりもできる。派手な動きさえなければ、きちんとこなせそうだ。
一方でリンスの朗読は。
「すっごく落ち着くんだけどね、えっとね」
抑揚の少ない静かな声は、眠気を誘う。台詞部分の感情が乏しすぎて淡々としてしまうのも、その要因のひとつだろう。
「私が台詞を担当してもいい?」
だめ元で言ってみた。
「あ、いや! 別にリンスくんが頼りないとか台詞棒読みだとか声が小さいとかじゃなくって!」
「…………」
しまった、つい本音が出た。黙ってしまったリンスに、今度は青くなる。
「……や、本当に、ね? 違うんだよ」
「大丈夫。自覚あったから」
「うう……ごめん……」
「いいって。それより、やってくれるんでしょ? じゃあもう一度合わせようよ」
「え。いいの?」
「いいのっていうか。自分から手伝うって言ったじゃない」
「うん。頑張るね」
こう見えても、鳳明は演劇に出演したり、アイドルデビューを果たしていたりする。ので、きっと緊張もしないだろうし、透る声も張れるだろう。
リンスの隣に座り、ひとつの絵本を一緒に見る。
「劇の題目って、リンス君ちにあった絵本だよね? クロエちゃんが最近よく読んでた」
お勧めされて、読んだらとても気に入ったのだと言っていた。
「人形は、前に劇用に作った子たち。だよね? 今日のために新しい服を着せてあげたんだね」
「よく覚えてるね」
「ちゃんと覚えてるよ。だって、私はリンス君と、その手から作られる人形のファンだもん」
だから、些細なことでもちゃんと覚えてるよ。
ずっと、見てる。
「そっか」
言うだけ言って、相槌までもらってから我に返った。こっそりと赤面する。絵本に視線を落としているリンスは気付いていないようだった。
――私も読もう。
絵本を見るため、少しだけ近付く。
肩と肩が触れ合うほどの近距離で。
ひとつの絵本を、二人で見る。
――……どうしよう。どきどきしてきた。
本番でも、こうして肩を寄せ合って読むのだろうか。
……緊張して、トチらなければいいけれど。
*...***...*
リンスが人形劇をやるからと、テスラ・マグメル(てすら・まぐめる)は病院へ来た。
「来ると思った」
「みなさんお揃いですし、ね」
鳳明や、衿栖を見てテスラは微笑む。私だけ来ないわけにはいかないでしょう?
私には何ができるかな。テスラは考える。
朗読は、鳳明が協力するらしい。なら、これ以上人手は要らないだろう。
人形を操るのは、衿栖が協力するだろうし、こちらは手伝えなさそうで。
結局のところ、得意分野に落ち着くものだ。
テスラが座ったのは、オルガンの前。ぽろん、ぽろん、鍵盤を叩いて音を確かめる。音がずれているところはないようだ。
「弾くの」
いつの間にか、リンスが傍に立っていた。テスラは頷く。
「歌も歌いますよ」
リンスたちが選んだ絵本は丁度楽曲もあるものだったし、歌も旋律も覚えているし。
開演時間が近付いて、少しざわついてきた。結構な人数がいる。子供たちだけではなくて、話を聞いてやってきた大人や、付き添い人。病院関係者も幾人かいるようだ。
「手一杯なのではないですか?」
その一言だけで、リンスはテスラが何を言おうとしているのか察したようだった。だけど、言葉にする。伝える。
「呼んでみてはどうですか? お姉さんを」
衿栖だって、もうすぐ独立する。きっと、それを言ってもリンスは関係ないよと言うだろうけど。
「リンス君だって、いつまでもお姉さんに心配かけるだけじゃないのだから……普通に会っても、いいんだと思います」
「…………」
「お姉さんが貴方の近くに来られる理由を、場所を。今度はリンス君が創れるんです」
でも、とリンスが否定の言葉を文頭につけたので、テスラは携帯電話を取り出した。ぴ、ぴ、と手馴れた動作でダイヤルコール。
「かけちゃいました」
「え?」
「電話」
きっと今頃、彼女はウルスといるだろうから。
ウルスにかければ、リィナに繋いでもらえる。
――それで、来てくれたら、……。
人形劇を手伝ってくれたら。
大勢の人の前に姿を現してくれたら。
それは、もう、『ここにいる』と認められてもいいのではないか。
強引だけれど、『在る』として認められても。
現世に、残ってくれても。
「はい、どうぞ」
繋いでもらった電話を、リンスに渡した。リンスは携帯電話を取り落としそうになっていた。
「戸惑ってる、戸惑ってる。私、しーらない」
ぽそ、と呟く。と、
「テスラおねぇちゃん、きょうはいじわるなの?」
クロエに一部始終を見られていた。あは、と笑みが引き攣る。
「……やっぱり、意地悪だったかしら?」
「ちょっとね? こまってるもの」
「……ですよねー」
でも、でも、だって。
衿栖に鳳明にと囲まれて、順調に劇の準備を進めていて。
「嫉妬ですよ」
「? みとめるのね」
「あ、いえ。違う。嫉妬なんかじゃないんです。言い間違えたの」
「じゃあ、しっとしてないの? ぜんぜん?」
「……あう。そういうわけでも、なくって。……ええと……」
八歳児相手になにをしどろもどろになっているのか。ああ、だんだんと恥ずかしくなってきた。
「……そういう気分の日だってあるんですよ。ね、クロエちゃん」
「そうね。あるわね」
「ありますよねー」
「あるわ」
等と頷き合っていたら、携帯電話を返された。
「何の話」
「日常のあるある話です。ところで、どうでした?」
「来ないって」
「……えー」
「仕方ないよ」
何を以って、『仕方ない』と言ったのか。
全ての意図までは汲めなかったけれど、だけど。
仕方ないと言った彼の顔は、少し寂しそうに見えた。